04 監視者 1
「う〜ん……。ふっぁああ〜っ」
車の心地良い振動を子守歌にスヤスヤと眠っていた茜が、大あくびとともに目を覚ました。
さほど広くはない乗用車の助手席。
いくらシートを倒しても寝心地は最悪のはずだが、ベットから落ちても平気で床に眠ってしまうような茜なので、たいして問題なかった。
茜はまだ運転免許を持てる年齢ではなく、それをこれ幸いとばかりに、ナビゲーターという名の乗客に徹していた。運転手はもちろん、敬悟である。
「お目覚めですかお嬢様? しっかし、デカイあくびだな……。のどちんこ丸見えだぞ」
バックミラー越しに茜の大あくびを目撃して呆れている敬悟のセリフにも動じることもなく、茜は二つ目の大あくびにかかった。寝転がったまま、眠りから覚めた猫のように手足を伸ばして大きくノビをする。
「今まで、彼氏が出来ないわけだな」
ざっくりした、デニム地の淡いブルーのシャツ。ブルーのジーンズに、白いスニーカーの茜の出で立ちは、『女らしい』と言うよりは『元気らしい』と言う感じだ。
後頭部の高い位置で結んでいるポニーテールの髪が、そのイメージに拍車を掛けている。そう言う敬悟も、ブルーのシャツに黒ジーンズに黒いスニーカーなので、お世辞にも『男らしい』とは言えないのだが。
「ふーんだ。誰かさんだって、彼女出来ないじゃない」
クスリ。
「あ。何その笑い。鼻で笑っちゃって感じ悪いの」
敬悟が漏らした笑い声にむっとして、茜はいくらか目が覚めてきた。だがまだ半ぼけ状態で、頭がすっきりしない。
窓の外では、知らない街並みが風のように後ろへと飛び去っていく。
同じスピードで走る車の列は何者にも遮られることなく、スムーズに流れていた。その単調さが又、茜の眠気を誘う。
「今朝早かったからな。もう少し寝ていてもいいぞ。どうせもう一時間は掛かるからな」
まだ眠りに落ちそうになっていた茜は、敬悟の言葉の意味を飲み込むのに数瞬を要した。
ん?
「え、えっ!?」
その意味が分かった瞬間、眠気が一気に吹っ飛んでしまった。
「い、一時間って、行き先決まってるの!?」
勢い込んで家を出たはいいものの、『これから何処をどう捜せばいいのかなぁ』と考えていた茜は、驚いてシート跳ね起こして身を乗り出した。
「まあな。お前と違うから、当てもないのに無鉄砲に飛び出すかっつうの。ダッシュ・ボード、開けてみな」
言われるまま、目の前のダッシュボードを開ける。中には、A4サイズの茶封筒が入っていた。
「何これ? どこかの地図、みたいだけど……」
中の紙を出してみると、パソコンからプリントアウトしたらしいカラー地図だった。
「東京、京都、青森……」
地図は全国津々浦々で、凄い束になっている。茜は、その地図をまじまじと見詰めた。
どの地図にも、ピンクのチェックペンで丸印が付いている。
「鬼志茂、鬼が淵、鬼……ってこれ?」
「ゆうべネットで鬼の名が付く地名を探しておいたんだ」
「鬼の名が付く地名?」
茜はきょとんと目を見開いた。
「ああ。鬼が言っていた『キガクレノサト』の『キガクレ』は、おそらく鬼が隠れると書くんだと思うんだ」
「鬼が隠れる里……」
「全くの勘だけどな。それに、さすがにズバリそのものの地名は無かったし」
そう言って、敬悟は苦笑した。
「まあでも、例え見当外れだとしても、闇雲に探し回るよりは効率がいいはずだ」
茜一人でもたぶん『鬼』に関わる場所を探すことは思い付くだろうが、『キガクレノサト』が『鬼隠れの里』という発想は出てこないだろう。
茜は思わず、尊敬の眼差しを四つ年上の従兄に向けた。
「あ、あの敬にぃ……」
「うん?」
今が、言いそびれていた「ありがとう」という言葉をいうチャンスだ。
茜はそう感じたが、だがその前にどうしても可及的速やかに解決しなければならい、せっぱ詰まった問題が生じていた。
「敬にぃ、お願い! トイレに寄って!」
「ふぅ……」
間に合ったぁ。
淡いピンクで統一された洋式トイレの個室の中で、茜は安堵のため息をついた。
室内は、掃除が行き届いていて思いの外広くて清潔だ。
茜の他に利用者はおらず、貸し切り状態。
微かに漂う柑橘系の芳香剤の香りを吸い込んで、茜はもう一つため息をついた。
やたらと流れが良い広い道路だと思ったら、茜たちの車が走っていたのは高速道路で、一番近場のサービス・エリアまでかなり我慢を強いられたのだ。
危機一髪の後の開放感は格別で、ため息も出ようというものだった。
「間に合って、よかったのう」
「うん。ギリギリセーフ……」
足下で上がった声に反射的に答えてしまった茜は、ギョッとして声のした足下に視線を走らせた。
そして息を呑む。
猫だ。
上質のビロードのような美しい毛並みの真っ黒な子猫が、足下に『ちょこん』と座って茜を見上げている。
額に入った白いワンポイントは、何となく文字のように見えた。
上目遣いに茜を見詰める金色の大きな瞳も、つぶらで愛らしい。
可愛い子猫だ。
こんな場所でなければ動物好きな茜は、間違いなく抱え上げて頬ずりするだろう。
だが、場所が場所だ。
いや、それ以前に、この子猫は『茜に話しかけた』のだ。
ごくりと唾を飲み込み、茜はそそくさと身支度をして立ち上がった。
「おい何じゃ、無視するのか、おぬし?」
聞こえない。
何も聞こえない。
黒い子猫が可愛らしいハイトーンの声で『おじいさん言葉』を使って自分に話しかけるのを、 茜は気づかない振りを決め込む事にした。
触らぬ神に祟りなし。
茜は水を流すと、駆け出したくなる衝動をこらえてトイレの個室を出た。
が、やはりあまりのことに慌てているためか、足がもつれそうになる。
さっと形ばかり手を洗い、今度は敬悟の待つ車まで一目散に駆けだした。
「間に合ったみたいだな。ほら、出したら補給。ミルクティーでよかったろう?」
茜が慌てふためいて車の助手席に滑り込むと、敬悟は紙コップを差し出した。
「あと、食事は適当に買ってあるから」
売店で買ってきたのだろう白いビニール袋入りのおにぎりやサンドイッチを、茜は無言で受け取る。
「なんだ、腹でも痛いのか?」
食べものに反応しない茜の様子を不思議に思った敬悟が、茜の顔を覗き込んだ。
「敬にぃ……」
猫に話しかけられた!
おじいさん言葉の変な黒猫だよ!
と言おうとして、茜は言葉を飲み込んだ。
トンと、膝の上に当の黒猫が飛び乗ったからだ。
しまった!
窓を開けっ放しにしていた自分を呪ったが、後悔先に立たず。
茜は、おそるおそる子猫を見た。
ニヤリ。
猫が一瞬、笑ったような気がした。
「人が話しかけておるのに無視するとは、無礼なおなごじゃな」
「け、敬にぃっ!」
膝の上で、可愛らしい声で話しかける黒猫。
茜はさっきのトイレでの出来事が、寝ぼけたための幻だという微かな期待が、大きな音をたてて 崩れていくのを感じた。
「どうしたんだ、この子猫。迷い猫か?」
「え!?」
敬悟のセリフに、茜は素っ頓狂な声を上げてしまった。
け、敬にぃ、聞こえてないの!?
こいつ、喋ってるよ!?
「無駄じゃよ、茜。ワシの声はおぬしにしか聞こえん。そう言う力を使うておるでな」
「な、な、何で私の名前を知ってるのよ!?」
「どうした茜?」
急に猫相手に会話を始めた茜に、敬悟が訝しげな視線を向ける。
「え、あ、あの……」
この化け猫の言うことが本当なら、敬悟に猫の声は聞こえていない。
聞こえないものをどう説明すれば良いのか、とっさに思い浮かばない茜は言葉に詰まった。
「化け猫扱いは酷いのう。悲しいぞ」
「な!?」
茜は心を読まれていた事に気付き、固まった。
正に化け猫だ。
ただでさえ『鬼』出現でキャパシティーがいっぱいいっぱいなのだ。この上、化け猫のお相手はごめん被りたかった。
『喋らずとも、心で思うだけでよい』
今度は頭にダイレクトに響いてきた声に、茜は軽い頭痛を感じて顔をしかめた。
『あなた、いったい何なの?』
『ほう、さすがに飲み込みが良いの』
ふぉっふぉっふぉっ、と笑い声が茜の脳内にこだまする。
『だから、何なのよ!?』
『ワシは玄鬼。赤鬼の使いじゃよ』
『シャッキ?』
『そうじゃ。おぬしらの言う赤鬼じゃ』
赤……鬼?
「ええ〜〜〜っ!?」




