青い闇の果て 2
「……茜、何をやってるんだ?」
敬悟が、ボソリと低い声で呟く。
「え?」
茜は敬悟の髪をぐりぐりかき混ぜていた両手を、はたと止めて目を瞬かせた。
「何って……ほら、昔から何かあると敬にぃ、良くこうしてくれたじゃない? だから、たまにはお返ししようかな、なんて思ったりして。あははは……」
小さい子供にするならともかく、立派な成人男性相手に『いい子いい子』してしまった。何だか自分でも突拍子も無いことをしたと気恥ずかしくなった茜は、照れ笑いしながら立ち上ると、一歩後ずさった。が、すぐに腕を掴まれて、元の位置、敬悟の腕の中まで引き戻される。
「!?」
な、な、なに!
今更ながら、互いの距離の近さに気付いた茜は、どぎまぎと薄闇の青い光に照らされて浮かび上がる、敬悟の顔を見上げた。真っ直ぐに茜を見詰める視線は、どこか険しい。
「危ない」
「え?」
怒ったように、ぶっきらぼうに言う敬悟の言葉の意味を飲み込めない茜は、ポカンとしてしまう。
「そっちは崖だ。また落ちたら、今度は助けないぞ、俺は」
「あ! あははは……」
やっと合点が行った茜は、引きつり笑いをしながら怖々と崖下に視線を落とす。
「ったく……」
敬悟は呆れたように呟くと、一瞬、『別のこと』を期待した自分に苦笑した。
茜にそれを期待する方が、間違っている。
「しかし、これだけ深い崖だと降りようがないな」
崖下を覗き込んだ敬悟は、どうしたものかと考えを巡らせた。
落差が二十、いや三十メートルはある。飛び降りられるような高さではない。よしんば降りられたとしても、上がっては来られないだろう。他に下に降りられる手段が有るのかも知れないが、それを知る術がない。
上総は、結界の発生装置と地下に眠る宇宙船の起爆装置が『連動』していると言っていた。そして、爆発すれば、この洞窟は崩落すると。逆に考えれば、洞窟が崩落する程度の爆発ですむ筈なのだから、発生装置を破壊してすぐに洞窟の外に出られればいいのだが……。
「あの中心で光ってる丸い金属の固まりみたいのが、発生装置なの?」
「ああ。多分な」
茜の問いに、敬悟が頷く。
茜を先に逃がして、自分だけで何とかするか――。
いや。そもそも、すんなり外に出られるのか?
ここに来るまでに、空間が妙に歪んでいる箇所がいくつかあった。来た道を戻ったとしても、外に出られるかどうかかなり怪しい。最悪、同じ所をどうどう巡りする可能性もある。
どうする?
敬悟が自問自答する。その時だ。
不意に茜の胸のペンダントが激しく振動を始め、ビィィーンと言う振動音が高く低く薄闇の中に響き渡った。
「な、何? 急にどうしたの!?」
訳が分からず、茜はペンダントヘッドの石を握り込む。
「熱っ!?」
急激に熱を帯び始めている。
――危険だ。何か危険が迫っている。
今までの経験からそう思った次の瞬間、頭上でピュンと風が唸る音がした。反射的に音がした方を見上げた二人の視線が、ある一点で固まる。
「何……あれ?」
薄青い空間に、無数の黒い霧のようなモノが蠢いていた。その黒い影は、ビュンビュンと風を切りながら渦を巻いて一塊りになる。やがてその黒い塊は、大きな、それも桁外れな大きさの人影に変貌して行く。
憤怒の深紅。
燃えるような真っ赤な双眸が、二人を見降ろす。
頭頂部に生えるのは、一本の鋭い角。
「お、鬼!? 上総の他に、鬼がいたのっ!?」
「いや、少なくてもこの里にはいないはずだ!」
蒼鬼、白鬼、玄鬼、そして赤鬼。
里に居た鬼全てが既にこの世にはない。
敬悟が知る限り、少なくとも赤鬼からの情報データには他の鬼の存在は記されていなかった。居るとすれば、『鬼が淵』の時のような里の外に存在する『はぐれ鬼』くらいの筈だ。もしくは、赤鬼が敢えてそのデータを伏せて教えなかったか――。
茜を背に庇い、じりじりと後ずさる敬悟にも焦りの色が隠せない。
目の前にそびえ立つような異形の影、その大きさは上総の比では無かった。変化した玄鬼でさえ、足下にも及ばない。敬悟の身長が、膝の高さにも満たないのだ。
『帰れ! 我らが意志を阻む者は、去れ!』
地の底から響いてくるような重低音の声が、空気を振るわせる。
『去れ!』
いやそれは、一人の発する『声』ではなかった。言わば、たくさんの意識の集合体。
二人は、じりじりと崖っぷちに追いつめられてしまう。
カラン、カランと淵が崩れて落ちていく音が響き渡る。
あまりの威圧感に、二人とも身動きすら出来ない。
もう、後がない。
『去れ!』
「きやぁあっ!!」
黒い影が二人をなぎ払う瞬間、敬悟は茜を抱え込むと後ろに、唯一の逃げ道である深い崖下へと飛んだ。




