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   夏の嵐 2

 その日は、地元の民宿に泊まることになった。

 昼間、話を聞いた漁師の知り合いに、お金を出せば何処にでも船を出す漁師がいて紹介して貰うことができた。そこまでは良かったが、さすがに『今から日が沈もうとする時間帯に船は出せない』と断られてしまったのだ。

 天気次第ではあったが、明日の朝、その人物に『鬼珂島』への船を出して貰う予定になっている。

 後は、天気の良いことを願って時を待つだけだった。

 宿は、素朴な農家造りの広い屋敷で、地元の新鮮な魚貝料理を堪能し、温泉だと言うお風呂につかり、茜は早めに布団に入った。

 ――ふう。

 木目の天井をぼんやり見詰めて、特大のため息を吐き出す。

『こんなにのんびりしていて良いのかなぁ』と、思わずには居られない。

 これでは、まるっきり温泉旅行だ。

 和室の続き間を借りたので、襖の向こうに敬悟が居る。

「何かあったらすぐに呼べ」と言ってくれたが、やはり不安がわき上がってくる。

 目を瞑ると浮かぶのだ。

 あの赤鬼の異形の姿が――。

 寒くもないのに、思わず身震いがでる。

 いよいよ鬼隠れの里に近付いたせいもあるのかもしれないが、電気を消すと暗闇の中からすうっと赤鬼が現れて来そうで怖い。

 ――何も、起こらないよね?

 部屋が明るいのも要因だが、疲れているのに神経だけが異様に高ぶっていてなかなか寝付けない。

 色々な事が一度に起こりすぎて、ここのところ極端な寝不足だ。それを自覚しているだけに眠ろうとするのだが、そう思えば思うほど目がさえてきてしまう。

 頻繁に寝返りを打ってはため息が漏れる。

 そんな時に『それ』は始まった。


 ゴロゴロゴロゴロ――。

 ――うそっ! この音は、まさか……。

 意外に近くで大きな雷鳴が響いて、茜は布団の中で固まった。

 カッと、窓の外が明るくなったと思った、きっかり三秒後。地響きと共に特大の雷が鳴り響いた。

「きゃっ!?」

 思わず布団から飛び起きて、枕を抱える。

 どこか近くに雷が落ちたのか。次の瞬間、部屋の灯りが全部消えてしまった。

 ――やだ。

 よりによって、なんで雷が鳴るわけ!?

 子供の頃から雷が大の苦手なのだ。

 雷が好きな人間は少数派だろうが、茜の場合は怖いのだ。どうしようもなく恐怖を感じる。

 落雷が怖いのもあるが、あの神経を逆撫でるような『轟音』も生理的にダメだった。おなじ理由で、飛行機の音も雷を連想させるので苦手だ。

 ぴかっ――。

「うひっ!」

 枕を抱えて、すっくと立ち上がる。

 次の雷鳴が空気を振るわせて鳴り始めるやいなや、茜は隣の続き部屋の襖をガッと開けて駆け込んだ。


 半分うとうとしていた敬悟がいきなりの乱入者に驚いて、何事かと布団から半身を起こした。

「け、け、敬にぃ……」

 薄闇に目を凝らしてみると、枕を抱えて世にも情けない声で呟く茜が目に入った。

 窓の外は激しい雨音と、稲光。

 ――雷か。

 地震・雷・火事・親父。

 茜の場合は、雷・雷・雷・雷だった。

 雷が鳴り始めたら、茜が静かに眠れるはずが無いのは、敬悟もよく分かっている。

 だが、なぜよりによって、『今日』なのだろう?

 茜は深刻な寝不足に陥っているが、実を言えば敬悟も似たり寄ったりの状態なのだ。

 疲れている。

 故に、理性と本能の均衡が崩れる可能性がある。

「……布団、こっちに持って来いよ」

 敬悟はどこかでほくそ笑んでいそうな小悪魔を恨みつつ、額に手を当て盛大なため息を付いた。

「ゴ、ゴメンね敬にぃ……」

 こわごわ、自分の布団を敬悟の居る部屋に引きずってきた茜は、なんとか布団に潜り込んだ。

「いいから、もう寝ろ。明日は朝一で船に乗るんだからな。寝不足だと酔うぞ?」

「うん……」

 よし、眠ろう。

 そう思って目を瞑るが、『ぴかっ』と窓の外が明るくなるのが目を閉じていても分かってしまう。そのたびに、「ひゃっ!」と小さい悲鳴が出てしまうのだ。

「雷は取って食いやしない。大丈夫だから、寝ろ」

『いい年して情けない』

 茜自身もそうは思うが、怖いものは怖いのだ。

 窓の外が明るくなるたび、雷鳴がとどろくたびに、びくびくと体が強ばるのをどうすることも出来ない。

 そんな様子を見かねた敬悟が、まるで小さい子供をあやすように、ポンポンと茜の布団を叩く。 

 ポン、ポン、ポン。

 規則正しい、優しいリズムがゆっくりと続く。

 ポン、ポン、ポン。

 ――敬にぃって、何だか、お母さんみたいだなぁ……。

 と、茜は敬悟が聞いたら、眉を勢いよくひそめそうな事を考えていた。

 不思議と恐怖心がすっと、消えて行く。

 小さい頃は良くこうやって、一緒に眠ったっけ……。

 暗闇がどうしようもなく怖くて眠れない夜、敬悟はずっと手を繋いでいてくれた。

 そうすると安心して眠れたものだった。

 そんな事をぼんやりと考えているうちに、茜は吸い込まれるように眠りの中へと落ちて行った。


 敬悟は、茜が眠ったのを確認すると、起こさないように布団をそっと抜け出した。

 窓辺にもたれかかり、滅多に吸わないタバコを吸い込みながら、雨にかすむ港の風景に目を細める。

 闇に包まれたこの海の向こうに、待っているもの。

「鬼隠の里か……」 

 静かに眠る、茜のあどけない顔をじっと見詰める。

 ――なぜ、お前だったんだろう。

 ごく普通の女の子として、ごく普通の幸せの中にいたはずなのに。

 あの夜、赤鬼が現れた夜に、全てが変わってしまった。

 茜の運命も、そして自分の運命も。

 ――ここまで連れて来てしまったが、本当にこれで良かったのか?

 見詰める眼差しに迷いの影が揺れる。

 ここに来るように、そうし向けたのは自分だ。

 このまま放っておいて、どうにかなる問題ではなかった。

 根本を絶たねば、何度でも茜に危険が降りかかるだろう……。

 いっそ。

 いっそこのまま、何処かにさらって逃げてしまえれば、どんなにいいか……。

「逃げ切れるものなら、な……」

 何処に逃げても『奴ら』は追って来るだろう。

 今、自分が出来ること、それは――。

「守るさ。何に替えたって……」 

 何を、失おうとも――。


 一瞬、稲妻に照らされた敬悟の双眸に、妖しい赤い焔が揺らめいた。

 もしそれを茜が見ていたら、あるものを連想しただろう。

 母、明日香の葬儀の夜に、茜を襲った『赤鬼』

 明日香に似た『鬼女』

 そして、変貌した親友『真希』

 それは、それらが茜に向けたあの禍々しい双眸に似ているのだ。

 これから起こることを予感させるような雨が、激しく窓を叩いていた。



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