鬼志茂 3
「茜、茜!」
う……ん?
誰?
知らない、低音の男の声。
「茜!」
自分を呼ぶ声に、茜はゆっくりと目をあけた。
でも、視界がぼやけて上手く像を結ばない。
白い視界の中で、黒い人影が自分を覗き込んでいるのだけが、かろうじて分かった。
「だ……」
誰? と聞こうとするが、声が出ない。
「茜?」
だんだんと、ぼけていたピントが合ってくる。
浅黒い肌。
長めの黒髪。
少しつり加減な、大きな黒い瞳。
精悍な顔立ちの青年が、自分を心配げに見詰めていた。
「あなた……誰?」
「気が付いたか」
男が、ほっとしたように呟く。
「妹さん、気が付いた?」
あれ?
この声。
茜は、聞き覚えのある涼やかな声の主の姿を求めて、視線を巡らせた。
「え!?」
目に飛び込んできた風景に驚いて、茜は思わず跳ね起きた。
な、な、なにこれ!?
金魚よろしく口をパクパク開け閉めする茜に、男が『しぃっ』と人差し指を自分の口元に持っていき『喋るな』とジェスチャーを送る。
「食べ合わせが悪かったのでしょう。食い意地が張った妹で、お恥ずかしい」
「まあ」
男の言葉に、涼やかな声の主が、くすくすと楽しそうな笑い声を上げる。
男の方は、見たことが無い。でも、女の方には見覚えがあった。
ついさっき出会ったばかりの美貌の雑誌記者、佐伯麗香。その人に間違いない。
でも、服装が違った。白いカットソーと活動的なパンツスーツではなく、目の前の麗香は着物を着ていた。 ついでに、髪型も無造作にアップにしているのではなく、きちんと結ってある。
そう、まるで『時代劇』に出てくるような格好を、麗香はしていたのだ。
茜はその様子を、ただ呆然と見詰めた。
茜が寝かされていたのは、簡素な六畳ほどの和室だった。
麗香は『ゆっくりお休みなさいな』と笑顔を残し、夕飯の支度をするからと部屋を出ていった。見知らぬ男と二人で部屋に残された茜は、布団の中で半身だけを起こして、周りをゆっくりと見回した。
小さな床の間には、見たことがない薄紫の花が一輪飾られている。開け放たれた障子の向こうには、目の覚めるような青空の下、のどかな田園風景が青々と広がっていてた。
そこを、爽やかな風が渡り、緑の匂いを運んでくる。遠くに農作業をしている人影が、ぼつりぽつりと見えた。そして感じる大きな違和感。
電柱が一本も立っていないのだ。
それだけじゃない。およそ、『現代文明』を感じさせるものが、何一つ無い。
「ここ、何処なの?」
呆然と呟く。
「鬼志茂だ。ただし、江戸時代のだけどな」
「え、江戸時代!?」
な、な、なんで江戸時代!?
この石、そんな力もあるの!?
茜は胸のペンダントに手をやる。
「石の力ではないぞ。これは、おぬしの力だ茜」
男が口調を変えて、ニッと口の端を上げた。そこに、真っ白い大きすぎる犬歯が覗く。その時、吹き込んできた少し強い風になぶられ、男の長めの前髪がサラサラと舞い上がった。
男の浅黒い額に浮かび上がる、白い模様。それは何かの『文字』のようにも見える。
「ま、まさか……あなた、玄鬼なの!?」
「正解。勘がいいな、茜」
「な、な、なんで!?」
なんで、江戸時代!?
なんで、『私の力』!?
なんで、玄鬼!?
茜の脳内を、疑問符が団体で駆け抜けた。




