一、
何故わたくしが調合師となったのか。それをお知りになりたがる方は多数いらっしゃいます。ですが、お聞かせできるものではないと自覚しております。
幼い頃にお試しにはならなかったでしょうか。
卵と小麦粉と牛乳さえ混ぜて焼けばケーキが作れるのではないかと、分量も量らず、ただ火にかけて、勘だけで黒い生焼けの何かを創造したことを。
なさっていない?
では、さぞかし美しい生物が生まれるだろうと、黒揚羽と玉虫を同じ箱へいれておいて、後はお若いお二人でと一週間後に覗いてみたらば小さなハエが飛び回って二匹とも引っくり返っていたことを。
あら?
おかしい?
そんなはずはないでしょう?
それでは、鮮やかに並ぶ顔料を端から端まで全て混ぜ合わせれば虹色に輝くのではないかとひたすら投入し、赤みがかった黒いヘドロが練り合わさっていたことを。
まぁ、良かった。
え、あなたの場合は青みがかっていた?
わたくしが赤を好んでいたから赤の割合が多かったのね。
ですけれどね、問題はそこではないのです。
混ぜ合わせるという行為が、人類にどれだけの発達をもたらすかということがお分かりいただきたいのです!
先ほどお話ししたものはわたくしの性質に合わなかったのです。他にもドレスに合わせる小物類の選択ですとか、草木の配置による庭作りですとか、書庫の整理ですとか、色々試しましたけれどどうもわたくしには難しかったのです。俗に申し上げれば『才能がない』のです。
ただ、一点だけ秀でた物がありましたが何と申しますか、地味、ですのでわたくしは興味がないのです。つまり、仕方なく調合師をしております。調味料の調合から、薬の調合、つまり調剤まで幅広く才能があるようなのです。しかもとても質のよいものが出来るのです。
地味、ですよね。
あら、大丈夫です。
散々人様の役に立っているではないかとお慰めいただきましたし、才能だけはどうすることも出来ませんもの。
それに、わたくしには少しだけ楽しみも出来たのです。
母の兄にあたる方が公爵様で、宰相も行っていらっしゃるとても素敵なおじ様ですが、一人息子の従兄も素敵な方です。この従兄であるお兄さまは、不慮の事故―――ということになっている―――によりお亡くなりになった親友の妹様を大変可愛がっておられます。
見目が天使のようにお可愛らしいだけでなく、薬草の分野では右に出る者は居ないという、非常に優秀な方です。お兄さまは必死に彼女のお顔を隠し続けておりましたが、とうとう先日、退っ引きならない事情で夜会中にばらしてしまうという失態をおかしました。
まったく、彼女の虫除けの役割を果たさないのであればお兄さまはお側になどいられない程度の関係なのに何をなさってるのかしら。
あらまぁ、話がそれてしまいましたね。
そんなわけで、あのお可愛らしく聡明な、そしてとても世間知らずな妹様と、とうとう我が従兄のお兄様とがご婚約なさったのです!
これがどんなにおめでたいことかお分かりでしょうか?
これはあの妹様と私が義理の従姉妹となるということでもあります!
あまりにも世間知らずなあの方は、ご自分が二目と見られない不出来なお顔だと思い込むあまりにほとんどお洒落はいたしませんでした。それというのもお兄様があの方の天使のようなお顔を隠さなければ社会が大混乱に陥ると危惧なさったことが少しと、お兄様の独り占めの為という大半の理由のためにそう思い込まされていたのです。まぁ、王妃をはじめとする高貴な女性陣によってこっそりと着せ替え人形と化していたようではありますが、ご自分では似合わないからとお洒落はなさらなかったようです。
つまり、私は義理の従姉として、あの方を好きなように私色に染めることができるのです!なんて素敵なことなのかしら!
よく考えていただけまして?私の容姿はもともと血の色のような真っ赤な唇、紫色の瞳はつり目の中に収まっていて、爪は薬で同じく紫色に染まってしまって、髪は闇色でぐるぐる好き勝手に巻いていて……毒を作っているようにしか見えないとのこと。それを思うと、柔らかいすみれ色を宿したたれ目に、桃色の唇、月の光を閉じ込めた真っ直ぐな髪は先の方だけ丸まっていて、本当に天使としか思えないあの方の、そう、私とは正反対の容姿を持ったあの方のお洒落を楽しめるのです!羨ましいと同時に自分ではできないお洒落は楽しみでしかありません。
私は今、それを楽しみに暮らしております。結婚式のドレスやらアクセサリーやらパーティーの準備については調合しか出来ない私には無理ですから、その後の薬学に関するお話やご一緒する予定の街歩きなどたくさん想像するのが日課となっております。
そんな中、お兄様と仲のよろしい第一王子が私に手紙を送ってまいりました。第二、第三王子は双子で、まだ幼く、順当に第一王子が立太子されることとなることでしょう。
あぁ、なんと言うことでしょう!
あの王子が王太子、未来の王となるだなんて!
その前に私はこの国を出なければなりません!
運のいいことに高めの家格によって私の婚約はまだどなたとも決まっておらず、国外に求めようというお話もあるのです。
逃げおおせることは容易いと思われます。
なんと申しますか、あの王子が眉目秀麗でさらに文武両道な方で王として相応しいのは私とて納得いたします。
しかし!
あの性格!
あれだけはなんとかしなければならなかったはずですが、もう成人した後ですから修正は不可能でしょう。
えぇ、無理です。
ほら、この手紙をご覧になればお分かりかと思います。一言で言えば、卑怯な、という感想しか出てまいりません。
好きな女に飲ませる媚薬を作れ
この文章以外は何も言葉はなく、署名代わりに封蝋が『高貴なる白き剣』の花となっているだけなのです。
最初は疑いました。
あの方にまさか好きな女性がいるとは、そして媚薬を使わなければいけないほど脈がないとは。
私はその手紙を丁寧にたたみ直し、封筒へ戻し、机の引き出しの中の箱へ入れました。『魔窟』と私が呼ぶその箱は、第一王子からの命令書のみが納められています。通常の医師や調理師などからの依頼書は別に保管しております。一緒に納めるなど、医師や調理師に失礼ですもの。
長く息を吐き出し、うつむきました。
「ぐ……」
ゴクンと飲み込もうとしましたが、難しいです。
「ぐ、グフッ、ぐはっ」
浅い呼吸を何度も繰り返し、私は落ち着きを取り戻すことに成功いたしました。危ないところでした。何時、何があるかわからない王宮の一室では、どんな挙げ足をとられるかわかったものではないのです。堪えきれずに醜態をさらしていれば、それこそ家の汚点になりかねません。
本当は大笑いしたかったのですけれど、これでも貴族の令嬢ですから、はしたないことはできません。
あの方が不様にご令嬢にふられてしまうなんて、そんな、面白いことに荷担できるだなんて素晴らしいではありませんか。媚薬など不要です、と熱心に説き伏せましょう。
微かに戸を叩く音が聞こえました。
「どなた?」
「イングリッドおねえさま?クリームヒルデです。王子殿下のご依頼の薬草をお持ちしました」
私は興奮を抑え、優雅に調合室の扉を開けました。その扉の向こうには薬草学の権威であり、未来の義理の従姉妹となる天使がフードを目深く被って、己の美しさを殺していました。お一人で行動するときには、天使の美しさは隠すに限ります。
「イングリッドおねえさま、ごきげんよう」
「ごきげんよう、どうぞお入りになって」
天使はすぐに何種類かの薬草やその粉末を実験台へと並べた。まったく、悪魔は天使にまで手紙を送りつけているようね、油断ならないわ。
「王子殿下からお話はお伺いしていますか?」
「あ、えぇ、隣国の第二王女との政略結婚だとお伺いしています……」
「政略……?」
あら?違ったのかしら?悪魔の王子は愛しい方に媚薬を使うのではないの?
「私にはただ媚薬を作れという命令書しか届いておりませんわ」
天使にソファーへと座るように促して、茶器へと手を伸ばしました。私の知らないことが起こっている、そう思いました。
「殿下は同盟のために王女様を貰い受けるそうです……ですから、媚薬を、と」
最後の言葉が少し震えていたのは、天使が悪魔の心情を思い図ったからでしょう。続けざまに天使は聞き捨てならないことを呟きました。
「王子殿下はお慕いする方がいらっしゃるのになんて悲しいお薬なのかしら……」
かちゃり、とまだお茶を注ぐ前のカップが倒れてしまいました。
ふぅん、あの嫌味な王子殿下の想い人ねぇ。
ごめんなさいね、と苦笑して謝ると天使は眉を下げて不安そうな顔をして首を振りました。そんなに大きな音がしましたかしら。
「大丈夫ですか、イングリッドおねえさま」
「えぇ、お菓子は頂き物のクッキーがあるのよ」
微笑んでお見せしても天使は困ったような顔を崩しません。私まで不安になってきました。
「殿下は政略結婚ですよ?」
「王家として、そして国としては益のあることなのでしょう?お慕いしていらっしゃる方がとのお話はお気の毒ですけれど」
そのお慕い云々のお話は眉唾物ですわね。今までそのような素振りはありませんでした。あの悪魔のことです、手っ取り早く効率的に事を進めるために色々と準備をしている段階なのでしょう。悪魔の容姿や猫かぶりの猫なで声の前では媚薬など不要です。念には念をいれるための媚薬なのでしょう。
「お薬の薬草を教えて頂戴な、クリームヒルデ」
「おねえさま……はい」
少しの躊躇いを見せたあと、天使はお茶で口を潤しながら仕事の話をしてくれました。胸がむかむかとするのは天使の不安そうな気持ちが私に伝播したからでしょう、きっと。
私が悪魔の心情を慮り、哀れむなど、ありません。
あの悪魔の所業を天使はご存じないのだわ。今までどれだけ私が被害を被ってきたのか、指折り思い出しては指が両手では足りないのです。