5、事情(ヤスシSide)
野暮用から始まり、次の日は母ちゃんの姉ちゃんつまり俺にとっては伯母になる人が入院したとかで、父ちゃんも母ちゃんに付き添って見舞いに行っちまったから、しかもあんま容体がよくないらしく暫く母ちゃんの実家に滞在するとかで、店は俺一人で回さねぇとなんなくなった。
俺んちの『魚富士商店』は、漁師だったじいちゃんが船を降りて始めた魚屋だ。
昔、近所の床屋のご隠居に聞いたところ、じいちゃんは何か地元の漁師の親分みたいなのをやってたらしいが、船を降りた理由はわかんねぇけど、すげぇ漁師だったって話だ。
そのせいなのかはわかんねぇけど当時から店は繁盛して、生真面目で働き者の長男がじいちゃんの跡を継いで、店はデカくなった。
俺の父ちゃんは男3人兄弟の、三男だ。
ばあちゃんは父ちゃんがガキの頃に亡くなったから、ばあちゃんのことはあんまきいてねぇけど。
長男は魚屋で、次男は板前となり地元で小料理屋をやっていた。
今じゃ見る影もねぇけど、兄弟の中じゃ父ちゃんだけ頭の出来が良くて、東京の大学に進学し、東京で下宿していた。
で、それぞれの道でそれなりにうまくやってたらしいんだけど、ある日魚屋の跡継いでいた長男が店で血を吐いて倒れた。
長男も次男もまだ独りもんで、デカくなりすぎた店はじいちゃんだけでは回せなくなって、店をたたむことになった。
だけど不幸はそれだけじゃなく、長男の病が当時は今よりも深刻だった結核で、うちの店から仕入れた魚を使っていた次男の店も風評で客は来なくなり、あっという間に小料理屋もつぶれた。
でも、じいちゃんも、次男も、東京で頑張ってる三男の父ちゃんに心配をかけたくなくて、干物を作って海から離れた住宅地へリヤカーで行商に回ってどうにか生計をたててたんだけど、入院していた長男が亡くなったことで父ちゃんが知ることとなった。
多分、すったもんだがあったと思うんだけどよ、父ちゃんも母ちゃんもそこら辺こことはしゃべんねぇから、わかんねぇけど。
だけど結局、父ちゃんは卒業を目前に大学を辞めて、地元に戻ってきてじいちゃんと次男と一緒に干物の行商をやった。
大学の2年先輩で、銀行に勤めていたっていう母ちゃんも父ちゃんにくっついてきて、家のことやったり、干物を一緒につくったり、それまでどんぶり勘定だった売り上げを帳簿にきちんとまとめて節約したり、儲けをしっかり蓄えて、自電車操業だった状況をどんどん好転させていった。
で、俺が小学校に入る頃に、ようやく今の店を構えることができた。
つまり、『魚富士商店』を再建させたわけだ。
しかも店は有限会社にして、社会保険だの、厚生年金だのに入って、家族全員が社員で給料が出て、保証がつくようにした。
次男も小さいながら近所に『みのり』という小料理屋を出して、板前に戻った。
それを見届けたようにじいちゃんは、暫くして脳梗塞であっけなく逝っちまった。
つまり何が言いてぇかっつうとだ、父ちゃんにとっても母ちゃんにとっても、この『魚富士商店』はちっせぇ店だけどよ、命と同じくれぇ大事なもんだってことで。
だから普段はバカやってる俺でも、父ちゃんと母ちゃんがいねぇ時は気張んねぇといけねぇってことで。
それにじいちゃんが倒れた時に意識が混濁してたのか、父ちゃんでもなく『みのり』のおっちゃんでもなく、俺だけに・・・俺の手をつぶすんじゃねぇかつうくれぇバカ力で握って「店を頼む、保!頼むな!保!!」って呂律の回らねぇ口で、必死で言い続けるからよ、落ち着かせるためにもとりあえず頷いたんだよな。
保って誰だよ俺は保志だって突っ込みたかったんだけどよ、あまりの必死さにそれもできねぇで、頷いちまった・・・で、頷いた俺を見て安心したのか、じいちゃんはそのまま意識を失って逝っちまったわけだ。
だけど、約束は約束なわけで。
しかも、保って聞けば死んだ長男の名前で、おまけに顔が俺と生き写しかっつうくれぇ似てて———
だからそれから3週間、俺は『chicago』に顔を出せなかった。