18、こういう時は、やっぱりアレ(ノリコSide)
「『紫陽花ブルース』・・・。」
渡された譜面に目を落とすと、その題名が目に飛び込んできた。
「うん・・・鎌倉って、紫陽花が有名でしょ?やっぱり、デビュー曲は君の出身地にちなんだものがいいって、満が言うからさ。ああ、今更だけどね・・・この歌は満が作ったんだ。作詞作曲者の西 数って、満のペンネーム。去年、ナンシー・星野の大ヒットした曲『砂漠の星』とか、その前の年の『アババのルンバ』とか、他の会社のだけど3年前のレコード大賞取った『北の湖』も満がつくったんだよ。ほかにも色々あるけど・・・実はこんな飄々としてかなりの売れっ子作詞・作曲家なんだよ。」
結城プロデューサーの言葉を聞いて、私は会議室の打合せテーブルに行儀悪く座り、既に飲みほしたコーヒーの紙コップをペコペコさせ遊んでいるミッチーに驚愕の目を向けた。
行儀が悪いけれど、スタイル抜群で甘い顔立ちのハンサムだから、それさえもモデルの様で。
皆の飲み終えた紙コップを回収するため会議室に入ってきたお洒落でかわいらしい女性社員のお姉さんが、ミッチーを熱く見つめ顔を赤らめている。
このお姉さん、いつもミッチーに笑顔で何かと話しかけている人だ。
だけど気がついているのかいないのか・・・。
彼女をまったく視界に入れず持っていた紙コップをテーブルの上に置くと、私の方を向いてエヘヘ内緒にしていてごめんね?と笑うミッチー。
それにもめげずにお姉さんは、何かミッチーに話しかけようと口を開きかけたのだけれど。
「いや、ノリコの曲は絶対に俺が作るって決めてはいたんだけど・・・やっぱりさぁ、ノリコは『鎌倉』、『大仏』ってイメージが俺の中で大きくってー。ほら、テストの時の印象ってやつ?ククッ・・・でも、流石に『大仏ブルース』じゃぁ、コミックソングになっちゃうじゃない?困ったなーって思ってたら、この間エミちゃんに、紫陽花のお寺の写真みせてもらったんだよー。すごーく綺麗で、もう絶対に本物をエミちゃんと一緒に見たくなっちゃって。綺麗なものを見て感動するのは大好きな人と一緒のほうが絶対いいしー。見たい見たいってエミちゃんに言ったら、来月くらいに見ごろになるからデートしよう!って盛り上がって。もう、すごーーーーーく、ワクワクで楽しみで、楽しみで。それで、その勢いで、ポンッとこの歌ができちゃたんだよねぇ。流石、俺のエミちゃんだよねぇ。フフフッ。」
うん、女性を視界に入れないばかりか、今の会話の内容はアレだけど・・・しっかり大好きな恋人がいます、彼女以外は見向きもしません!アピールをしている・・・。
さすがのお姉さんも、今のミッチーの言葉にガックリとした顔になり、そそくさと紙コップを回収すると無言で部屋を出て行った。
ショックすぎて、私のお礼の言葉も耳に入らないみたいだった。
ミッチーって滅茶苦茶ハンサムだけど、本当に浮気はしなさそう・・・。
今まで男運のなかったエミ姉を思い、普段のミッチーの様子を見ていてそんなことはないとは感じていたけれど、やっぱりホッとした気持ちになった。
けれど、そこで不意にヤスシの顔が浮かび・・・いつか横須賀のパチンコ屋の前で見たことが思い出され、どうしてか私だってわからないけれど滅茶苦茶イラついた気持ちになってしまった。
そのことにハッとしてダメだ!気分を変えようと頭を振ると、先程の話からミッチーのことで気になっていたことをこの際だから聞いてみようと思った。
「あの・・・ミッチーが歌手志望ではなくて、制作側の人かなって途中から何となく思ってましたけど。何で、初対面の時に、私たちと同じように歌のテストを受けたのでしょうか。」
だってレッスンに一緒に通っているのに、ミッチーは全然レッスンしないで私がレッスンしているのを見ているだけだし、勝手に気が向いたら1人でギター弾いているし、途中でふらっといなくなる時がよくあるし。
それを結城プロデューサーも他の社員さんも全然咎めないし、とにかく自由で・・・私を買い物や美容院に連れて行ってアドバイスしたり、服を選んで買ってくれたり・・・おかしいと随分前から思っていた。
まさか作詞・作曲者だとは思わなかったけど。
そんな私の質問に、今日も黒いサングラス着用の結城プロデューサーが苦笑いで答えた。
「満が顔出し嫌がるんだよ。まだ、テスト段階の一般人に作詞・作曲者だって、顏さらしたくないっていうからさ・・・でも、テストの歌は聴きたいから一緒にオーディション受ける設定にしたんだ。このルックスだから今も結構頻繁に外歩いているとスカウトされるみたいだしさ、満はまったくその気はないし。流石に30半ばで新人歌手の売り出しはないもんなー・・・しかし、ノリコにはバレてたかぁ。」
「えっ・・・。」
ミッチーが歌手志望じゃないのはわかっていたけど、まさか30半ばとは知らなかった・・・エミ姉は、ミッチーが結構オジさんだって知っているのだろうか。
「境内に咲く 艶めいた深い色
明月院ブルー 雨の紫陽花
去年はあんたが 横で傘をさしてくれた
夢かそれとも 鎌倉ブルース
心に咲く 凛とした深い色
明月院ブルー 露の紫陽花
今私はひとり 佇んでただ濡れそぼる
涙かそれとも 鎌倉ブルース」
まだまだ自分の歌に納得がいかなくて、私はため息をついて握りしめていたマイクを近くのテーブルに置いた。
そして、作ってもらった伴奏だけを入れてもらった練習用のカセットテープを巻き戻そうと、傍に置いてあるデッキに手をかけた時。
「お前の歌、やっぱイイな。」
店の出入り口から一番近いボックス席に座っていた小柄な男が立ち上がり、いきなりそんなことを言ってきたから、私は飛び上がるほど驚いた。
今日『Chicago』は定休日で、私はレッスンから帰ってきて店で1人練習をしていたのだけれど。
「うわっっ!?・・・え、ヤスシ?・・・はぁ、びっくりした。い、いつのまに来たんだい?」
驚く私の顔を見て、ふきだすヤスシ。
「ブハッ・・・お前歌に必死で、入り口まったく気にしてなかったもんなぁ。ちょっとお前と話したくてよ。今日店休みだし・・・お前、東京からもどったら時間取れっかと思ってなー・・・だけど、よく考えたら、休みに店にいるわけねぇよな?鎌倉駅についてそれ気づいてよぉ。お前んちも知らねぇし、とりあえず店に来て誰もいなかったら帰るかって思ってたんだけどよ。薄暗ぇけど、店の中電気ついてっから入ってみたら、お前必死で歌ってるし・・・つうか、イイ歌だな、今の。」
そう言って、ヤスシは照れ臭そうに人差し指でポリポリと頬を掻いた。
「ありがと。これ『紫陽花ブルース』っていう曲で、私のデビュー曲だよ。来週レコーディングなんだ・・・これ、ミッチーが私の為に作詞・作曲してくれた曲。実はミッチーって、びっくりするくらいの売れっ子作詞作曲家だったんだよ。」
その私の言葉に、ヤスシが固まった。
「はぁっ!?」
到底信じられないという顔で、目を見開いて私を見る。
「それが普通の反応だよねぇ・・・それに比べ、エミ姉や叔母ちゃんは『紫陽花寺行ったこともないのに、よくこんな嘘っぱちの歌作れるねぇ』だってさ。」
私が思い出しながら、クスクスと笑うと。
ヤスシは、大きくため息をついた。
「叶の親父さんも言ってたけどよ、お前の姉ちゃんも叔母ちゃんもすげぇな。なんか、かなわねぇわ。結局、あれだ。ここは六本木じゃなく鎌倉だし、東が東京でどんな風だったかなんて関係ねぇんだな。お前らの前にいるただの東を見て、ただの東を受け入れたんだよな・・・。それって、できるようで中々できねぇもんだけどよ、考えてみりゃノリコだって俺の事周りのうわさを聞いてじゃなく、ただの俺自身に向かって話してるもんな。」
「うーん、昔から叔母ちゃんに、世の中には真実じゃないことが沢山あって、それを見分けるのは大変なことだから関係のない人の話を信じるんじゃなくて、知りたいことは直接本人に聞けっていわれてきたからね。あと、他人が何といおうと目の前にあるものを真っすぐ見ろって。それが自分にとっての真実になるって。」
「そりゃ・・・その、通りだけどよ・・・はぁ、そんな簡単には普通いかねぇもんだろうが。」
「簡単って・・・私はあんま頭良くないからさ、難しく考えるのが苦手なんだよ。だから、簡単にしか考えられないんだってば。」
何かあったのだろうか、ヤスシがいつもより少し元気がない。
何があったのか聞いた方がいいのだろうか・・・でも、本人が言い出さないのに無理やり聞き出すってわけにもいかないし・・・なんてグダグタ考えるのは私らしくないか。
こういう時はグダグダ考えるより、やっぱりアレだろう・・・。
そう思いつき、私はカセットテープが並べてある棚の前に立った。
そして、そこから1本取り出して。
「1曲、歌おうか?」
と、振り返ってそう言うと、ヤスシがもの凄く嬉しそうな顔をした。
ああ、やっぱり無理に聞き出さなくてよかったのかもしれない。
ヤスシのお気に入りは『I was born』だけど、今日は元気がないからしっとりとした曲じゃなくて。
だから敢えて、この曲を選んでみた。
『鎌倉大仏音頭』
やっぱり、与謝野晶子の歌碑を使った「釈迦牟尼は美男におわす~!」の歌詞から始まる、ノリがよくてめちゃくちゃ元気になる曲・・・これしかないよね?
※文中の『紫陽花ブルース』も、『鎌倉大仏音頭』『砂漠の星』『アババのルンバ』『北の湖』も架空のものです。雰囲気でお読みいただけたら、幸いです。なお、与謝野晶子の歌碑は実在します。




