114、12月27日(ヤスシSide)
「富士見、ちょっといいか。俺と社長室まで来てくれ。」
クリスマスの翌々日の朝一に、鳴門料理長が俺のところにやってきて、いきなりそんなことを言い出した。
今日は年末前ということで、年末年始に出勤する奴が昨日から3日間休みをとっていて、厨房は少人数だ。
俺と一緒に煮方を担当している水谷さんは、正月明けに連続で休みをもらうと言って、正月明けまで休みなしだから、俺と2人で手分けして厨房のフォローをしている。
「料理長、今日は中の人間が少ないです!料理長と富士見が抜けたら、困ります!」
焦ってそう言ったのは、三番板の板前だった。
二番板の橘さんは休みをとっているから、昨日から板場が回らないときは時々俺がフォローに入ることもあり、いきなり板場を自分だけにまかされることに、慌てているのだろう。
すると、料理長はそんな三番板の板前に鋭い目を向け。
「わかった。それなら、今日の昼は年末限定メニューということで、松花堂弁当とお子様御膳だけにしろ。いいな?それから、水谷。厨房の方はお前が責任者だ。頼んだぞ?」
そう言うなりかなり急いでいるのか、俺を目で急かし店の外へと歩き出した。
俺は水谷さんにお願いしますと頭を下げ、心配げな顔をしている加藤と角に大丈夫だというように頷いて見せ、料理長の後を追った。
「君が、富士見保志くんだね。うちの松太郎や麻実ちゃんがお世話になっているそうだが・・・まぁ、とにかくかけて話そう。」
プライベート感満載な広瀬のプライベートルームと違い、社長室は高級感漂う家具で揃えられてはいるが、執務室という雰囲気で緊張感が漂う部屋だった。
広瀬の親父である社長も、顏は広瀬に似ているが見るからに厳しい経営者タイプだった。
勧められるまま俺は頭を下げると、鳴門料理長と並んでソファーに腰を下ろした。
するといきなり、昨日は『ひろ瀬』に朝から最終まで出勤だったんだよね?と聞かれた。
そんなの、勤務表や周りに確認すればすぐわかることだ、何で仕込みで忙しい時間に呼び出して聞くんだと訝しく思ったが、聞かれたんだからはいと肯定しておいた。
「君は勤務中でも、金をもらえば別に注文を受けるって、聞いたんだが。」
「はい?どういうこ——「社長、富士見は金で動く人間ではありません。それに、別注文・・・があった場合は、全て私の許可をとってから受けています。」
よくわかんねぇけど、この社長俺に対して何か怒っているようだ。
だけど、料理長は俺を庇っているし・・・ああ、面倒くせぇっ。
「すいませんが、回りくどい言い方なしで、お願いできませんか。今、仕込みで忙しい時間なんで。そちらが何か怒っているみたいですけど、俺心当たりないんで。はっきり言ってください。」
俺が切り口上でそう言うと、社長はギロリと俺を睨んで信じられない言葉を放った。
「頼んでもいない、昨日君が麻実ちゃんに届けさせた弁当だけど。どういう目的で、睡眠薬を仕込んだんだ?それもかなり強いもので、体の弱い麻実ちゃんには危険なものだってわかって使ったのか?」
「ああっ!?睡眠薬だぁっ!?それで、麻実はっ!?麻実はそれ、食ったんか?そんなもん食ったら、あいつ死んじまうぞっ?病院どこだっ?どこに入院してる?・・・そうだ、ジョー・・・ジョーに知らせないと・・・麻実の命が——「富士見、富士見っ、おちつけっ!社長を離せっ!」
耳を疑うような社長の言葉に焦った俺は、目の前のソファーセットのテーブルを土足で乗り越え、社長につかみかかり、麻実の事を問いただした。
必死すぎて、社長の襟元を掴み体を揺さぶる俺に、慌てて鳴門料理長が止めに入った。
すると、出入り口とは違うドアが開き、広瀬があきれ顔で部屋に入ってきた。
「だから、俺も麻実ちゃんも富士見じゃないっていったろ・・・ごめん、富士見。親父がどうしても、富士見を疑うからさ。一回痛い目にあった方がいいと思って。」
ゲホゲホ咳き込む社長の襟を乱暴に離すと、俺はどういうことだと広瀬に向き直った。
「つまり、一昨日に続いて昨日また麻実のところに俺の弁当が届いたってことか?俺、頼まれてもいねぇし。作ってねぇぞ?しかも、麻実の弁当は他人に届けさせるなんてことは、昔から俺絶対にしねぇよ。」
「昔からって・・・・い、いや・・・べ、別に疑っているわけじゃなくて、その・・・。」
広瀬がとにかく説明するということでソファーに座り直し、昨日麻実のところに弁当が届いたということを聞き驚いていたら。
漸く咳がおさまった社長がびくびくしながら、そんなことを聞いてきた。
「麻実の両親は離婚していて、ガキの頃からジョーが麻実の世話をしていた。それで、昔から料理が得意だった俺が、麻実の運動会には弁当作って昼に届けて。ジョーは場所取りがあるし、朝に作った弁当なんて麻実には食わせられない。麻実は体が弱いから、食べるものも気をつけないと・・・健康な人間だったら大丈夫でも、時間がたった弁当なんて麻実にはヤバくて食わせられない。だから、とにかく出来立てで・・・それでも腐敗しにくいように保冷にすごく気をつけたり。だから、他人が預かるって言っても麻実の弁当の扱いを雑にされたらマズいし。俺は、直接渡すか、余程麻実のことをわかっている人間にしか渡さない。」
俺が一気にそう説明すると、広瀬が驚いた顔をして。
「運動会の弁当のことは聞いていたけど・・・そこまで、麻実ちゃんの為にしてくれていたんだ。」
と、声を詰まらせた。
「いや、麻実はジョーの大事な妹だ。血はつながってねぇけど・・・大事な妹なんだよ。ジョーが必死で麻実を守ってきたから、今まであいつは生きてこられたんだ。それぐらい、あいつの体は深刻だ。俺はダチが大事にしてるもん、同じように大事に思っているだけだ。」
俺が淡々とそう言うと、いきなりテーブルを挟んで正面に座っている社長が、すまなかったとガバリと頭を下げた。
別におっさんに頭を下げられたってどうってことねぇし、それよりも俺は面倒くさくなって、広瀬に早く事情を話せと急かした。
クリスマスの夜、目が覚めて俺の弁当上機嫌でペロリと食べた麻実に、広瀬も広瀬の両親もその食欲に安心した。
そんな広瀬達に、俺の料理は毎日でも食べられるけど、偏った食事のとり方はダメだって昔怒られたから、毎日食べたいなんて言ったらまた怒られると笑いながら言ったそうだ。
そして、クリスマスの翌日。
広瀬は日帰りだが大阪出張で、麻実はプライベートルームで広瀬の母親と過ごしていた。
昼は何を食べようかと言っているところに、『ひろ瀬』の文字が刺繍してある白衣を着た板前風の男が、俺からの差し入れだと広瀬の母親と麻実の分の弁当を届けに来た。
聞いていなかったが、昨日麻実が俺の料理なら毎日食べたいと言ったから、広瀬が気を利かせて注文してくれたのだと思い、母親は弁当を受け取った。
だけど、麻実が自分の弁当の紙風呂敷をあけようとした時。
これは俺の作った弁当じゃないと言い出した。
俺はあんま意識していないのだが、俺の風呂敷の結びめは機械で結んだかと思うほどきっちりと美しく、いつもそれは寸分も違わずで。
だから、届けられた弁当の結び目が荒く、麻実は顔を顰めた。
それでも、母親はだれかに結ばせたんじゃないかと言い、麻実の弁当の風呂敷を開け、蓋を開いた。
美味しそうと言う母親に対し、麻実は違う人の作った弁当だと言い出し、流石におかしいと思った母親は広瀬に連絡を取った。
勿論、弁当なんか頼んでいない。
それから大騒ぎになり、弁当を調べたら強い睡眠薬が検出され・・・。
「おふくろが言うには、前日の富士見の弁当とよく似ていたらしいんだ。だけど、麻実ちゃんによると、富士見の弁当は全部普通のサイズより小さくカットしてあって、麻実ちゃんサイズにしてあるって。それに、ニンジンが嫌いだから、飾り包丁を入れた蝶々と花以外は入れないのに、煮ものにもニンジンが入っていたから、絶対に違うって・・・本当に、富士見・・・麻実ちゃんに対して心遣いしてく——「心遣いなんて気色悪ぃもんじゃねぇよ。ただ、最初からサイズがでかいと、麻実の奴食いもんに対してはヘタレだからよ、食えねぇって最初から手をつけねぇんだよ。だから、食えるかな?ってサイズにしてたんだ。ニンジンもあいつマジ我がままで、煮ものに入れると、匂いが移ったって他のに物も食わねぇ。だからニンジンなしで作っただけだ。でも、ニンジン食わせたいし・・・だから、ガキの頃飾り包丁で蝶々と花作ったら喜んで。また作れっていうから、食わねぇと作らねぇって言ったら、それだけは食うようになったから、あいつの弁当にはそれいつも入れてんだ。まぁ、結果・・・それで危険回避できたから、よかったけどよ。食ってたら、マジやばかっただろ?」
広瀬がケツがかゆくなるようなことを言ってきたから、俺は言葉をかぶせて弁当に関する今までのしょうもない経緯を話した。
「弁当の容器も、紙風呂敷も、白衣も・・・うちの店のものなんて。いったい誰が・・・睡眠薬を入れるなんて、料理人にあるまじきことだっ。」
俺の言葉に、それまで黙って話を聞いていた鳴門料理長が、激高した。
「おい、広瀬。悪ぃけど、おふくろさんと話せるか?その料理人と料理の内容を知りたいんだが。」
俺がそう言うと、麻実を1人にできないから広瀬とお袋さんが交代になるがいいかと聞かれ。
「この場合、社長が一番話つうじねぇから、麻実には社長についてもらってたらどうだ?」
と言うと、広瀬がふきだした。
「丁度よかった。弁当の写真、現像いそがせてできてきたんだ。」
不本意だったようだが、社長が麻実についているということになり。
一度席を外した広瀬が、お袋さんを伴ってもどってくるなり、俺に写真を差し出した。
一応、広瀬のお袋さんだからと挨拶をしようと思っていたが、その写真を見るなりそのことは頭から吹っ飛んだ。
「部屋に弁当を届けた奴って、太っていて、色白で三白眼の若い男じゃなかったですか?」
俺がそう聞くなり、となりの料理長が声を上げた。
「まさか・・・本山!?」
だけど、広瀬のお袋さんは首を横に振り。
「いえ、太ってもいませんし、三白眼でも色白でもなくって・・・年も30歳は過ぎていましたよ?」
と、意外な返事だった。
眉を寄せ写真を見つめる俺に、料理長が何故本山と思ったんだと問いかけてきた。
俺は、写真をテーブルの上に置き、ため息をついた。
「一昨日、俺が麻実に作ったメニューとほとんどそっくりです。このメニューは、料理長にも詳しく言っていなかったですし・・・それと、これ・・・一見、何で作ったかわからないと思いますけど、卵白を入れて形を作っているんです。麻実が好きで・・・これ、俺のオリジナルなんで、実際に食ったやつしかわからないはずです・・・本山、俺の隣でずっと作る工程見てましたし、のこったやつ食ってました。」
項垂れる俺に、料理長は冷静な声で、作ったのは本山じゃないなと言った。
「え?」
「まだ、本山じゃここまでの料理はできない・・・それに、この切込み・・・富士見は簡単だというが、そんなに簡単なもんじゃない。三番板の正木だって、できない・・・奥様、弁当を届けたっていう男は、細身で少し色が浅黒く眉が濃くて、親指の爪の形が横に細長い、マムシ指じゃなかったですか?」
弁当の写真をじっと見つめそう言葉を続けた鳴門料理長に、俺は愕然とした。




