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沈黙Fall Snow  作者: 憂木冷
9/10

3 years ago

 僕の言葉でその人は死んだ。

 本来ならその言葉は、伝えられないことに悔いを覚えるものだと思うが。僕は悔いなく伝えたことで、その人を殺してしまった。その人、近所に住んでいた友人のユキナ。

 彼女の祖父の葬式があった日、夜中に僕は彼女と会っていた。

 これから死ぬ彼女と会っていた。

 この時ならまだ救える可能性はあったのかもしれない。でも彼女は結局死んだ。多分僕は間違えたのだろう、彼女が死ぬ以上に、まだ不正解が用意されてるなんて思えない。

 当時中学三年生の彼女が死ぬことが、正解だなんて思えるはずがない。

 だから間違えたのは僕だ。僕が……悪い。

 その日も雪が降っていた。

 下を流れる川から三〇メートル以上も上を通る鉄骨の橋の欄干の上、薄く膜を張る氷点下の結晶は人間の足ふたつ分、水に変わっていた。

 ユキナが立っていたから。

 冷たい、冷たい。

 風とユキナの顔が同じ温度になってしまう。

 ともすれば、ユキナの方が冷たいのかもしれない。美しい程に白い肌とも、死人の様な白さとも形容できる。瞬きのたびに色味を失っている気さえする。

 夜の街にハラハラと溶け込む粉雪同様、彼女も気が付けば溶けてなくなったしまうのではないかと、形のない不安が襲う。

 冷たい、冷たい。

 火が消えた様な……。

 白い吐息が、炎を水で鎮火した時の水蒸気に見えた。

 心に灯っていた僅かな光が……鎮火されていた。

 彼女には夢があった。漠然とはしていたけど『音楽で生きて行きたい』と、本気で思っていた。でも、家族はみんな、敵だった。と言ったら言い過ぎかもわからないが……少なくとも味方ではなかった。

 ただ一人、祖父を除いて。

 世界の誰よりも、祖父が彼女の味方で。

 親だろうと、教師だろうと、友人だろうと。

 誰が反対しても、祖父の応援を受けてユキナは夢を追いかけようとしていた。

 そんな彼女の作った歌を僕も大好きだった。彼女の吐きだす詩に、僕は大きなチカラを感じていて、いつもいつも、本当に背中を押されていた。

 隣りに立ってギターを弾きながら、顔を合わせては笑い合って、誰よりも紡ぎだされるその歌を聴いていた。

最高に楽しかった。

 だけど彼女は、決して強い人間ではなかった。もし祖父の応援がなければ、周りの意見に従って、夢を見ることはできなかったはずだ。たった一人、「ずっと君の味方だよ」と言ってくれる存在が心を支えていた。

 けれどもう、その人はいない。言葉は消えないけど、声は聞けない。

 多感な年頃。それもあるのだろう。

 支えを失って、もう一人では立てない。なんて思ってしまったのは。

 ……。

 ユキナが初めて書いた詩の一節にある言葉。


  攻略本なんてないんだ

  全てはどうせ突然なんだ

  ならばその時に何ができるか

  分かれ道に立った時それに気付けるか

  望む道を自分がつく嘘に騙されずに選べるか

  きっとそれが前に進むってことでしょ?


 欄干の上で揺らぐ命に、僕は歌をうたった。

 思春期が紡いだ詩を思春期の僕が乗せた。

 こんなところで終わるために歩いてきたのか? 夢を諦めるために夢を見ていたのか? 立ち上がり方が分からないくらいで諦めるんだったら最初からやるなよ、と。

 訴える。

 今しなきゃいけないことがあるんじゃないか。ここが分岐点なんじゃないか。本当に諦めたいと思ってるのかよ、と。

 呼び掛ける。

 雪は真実を隠さない。

 雨と違って隠さない。

 流れる涙を隠さない。

 暖かな雫に触れて、音もなく溶ける。

「おじいちゃんがいない世界で……私がうたう意味なんてあるのかな」

 独り言じゃない。どこまでも続く空を見つめたまま、僕に話し掛ける。

 莫大な雲や、圧倒的な距離に阻まれて見えないけど、果てしない空の先にあるのは、結局自分の背中なのかもしれない。地球一周分、先を行くいつかの自分。……いつかなんて、永遠に来はしないけれど。

 振り向かないユキナを見ながらそう思った。

「意味ならちゃんとあるよ」

「そんな適当なことい――」

「僕は! ……僕はユキナの歌に、チカラを貰ってる。たくさん感謝してる。そんな奴がいる、それだけでユキナの歌には意味があるって思えないか?」

「………………」

 長い沈黙、そして白状する。

「………………怖い」

 子どものように。

「怖い、怖いよ……」

「あぁ、そうだね」

「もう、死にたいよ……」

 誰だって弱音を吐きたくなることはある。

「ユキナはさ、じいちゃんに背中を押されて必死に前向いて進んでたんだろうけどさ、たまには後ろを振り返ってみろよ。お前の作った道に励まされてる奴だっているんだ」

「……」

「…………」

「……」

「…………」

「……」

「…………」

「……雪」

 綺麗だね、と脈絡なく呟く。

「でも私は、やっぱり雪みたいにはなりたくない。黙って、諦めて、ふらふら曖昧に落ちて行く雪なんかじゃなくて……歌をうたって、駆けあがって行きたい」

 精一杯に恰好つけて言葉を絞り出した。

「ねぇ、少しだけ勇気ちょうだい」

「勇気?」

「そう。私が前に進むための勇気。現実を受け止めるための勇気、一言だけ。そしたらもう、ここから降りて帰るから」

 思いのほか難しい要求をされてしまった。どんな言葉が人に勇気を与えられるかなんて僕には分からない。送る言葉も、受け取る意味も、十人十色、千差万別だ。こういう時はもう素直になるしかないか。テストだって正解が分からなくても、空白にさえしなければ一点くらいもらえるかもしれないんだし。見当外れでもいいから、僕の素直な言葉を贈ろう。

「あぁ、うん。僕は、ユキナの歌と、ユキナ自身に会えて、その、本当によかったと思ってる」

 妙に照れくさかった、上手い言葉が見つからなくて、子どもの感想文を読みあげてるみたいで、恥ずかしさが拭えない。

「だから、ありがとう」

「…………えっ?」

「訊き返すなよっ、恥ずかしいんだから。ありがとうって言ったの」

「あははっ、何それっ、うっ、あははははっ」

 何がおかしいのか、けらけら笑っている。

 僕がおかしいのか? 失礼なほど笑っている。

 そして、

「そんなこと言われたら、元気になっちゃうじゃん」

 と、欄干の上でタンッと勢いよく振り返る。

 ほんの少し強がった声音こわねで。

 瞳から最後の一滴を振り落として。

 笑顔で。

 消えた。

 雪が解けるように一瞬で消えた。

 何が起きたのか理解できなかった。

 雪の積もった、鉄の狭い板の上に立っていた彼女が、集中を切らしてしまった。

 油断して……いや、油断させてしまった。

 そんなことに気付いたのは、三〇メートル以上下からの水飛沫の音が聞こえた後だった。



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