N-3
二三日までに返事……か。つまりは、クリスマスを共に過ごす相手が欲しかったのだろう。当然それがすべてではないだろうけど。行動の動機にそれがなかったかと言えば、そんなことはないはずだ。
焦りが、よくわからない火種の様なものを燃えあがらせてしまったのだろう。
その火種がどこで点いたのかは今でも分からないままで、分からなくてもいいとも思っているけど……。
フェンスの向こう側には、駅のホームが薄暗く存在していた。
いつの間にか、僕の空を半分、重たい雲が積もって埋めてしまっている。今にも雨を降らしそうな雲。冬の夜中にずぶ濡れで帰るなんて冗談ではない。が、歩を早める気にはなかなかなれず、空を見上げる。
雲。
少し先に見えてきた踏切が、ふっと静かになる。それまで騒ぎ立てていた音は、雲散霧消したところで、やっと僕に認識された。
よく聞く言葉だが。「ヒトは、失った時に本当の大切さに気付く」……本当にそれは気付いているのだろうか? 誰もが気付けるものなのだろうか? ただ喪失感を得て終わり。実はそんなものだったりするのではないだろうか? まあ、僕がそうだと言うだけの話で。今の僕が何かを失くした時に「なくなった」と思うだけだと言う話で。他の人たちは、大切な何かに気付きながら生きているのかもしれない。
知らないけれど。
だから、静寂する踏切に対しても、警告音が消えたからと言って。消えて初めてその存在に気付いたからと言って。特に何も得るものはなかった。
大通りから外れた位置にある線路沿い。音無しを感じながら振り返る。まだ空の半分は雲が積もっていない。近く、覆われてしまうことを考えると、なかなか目が離せなくなる。さっきまでなんとなく見ていた月は、満月かと思っていたが、よく見ると一日分、影に喰われている。
綺麗だ。
明確な理由なんて付けたくないけど、僕は月を綺麗だと思い続けるのだろうな。
秀麗な光。隣りに見えるホームの蛍光灯よりも、はるか先に見える電車のヘッドライトよりも――――こちらに向かって来るあの電車は、この駅で止まるのだろう。この時間は走っている本数も少ないし、踏切を渡るのは、一度閉まって、あの電車が発車してすぐになりそうだな。今の歩調ならちょうどよさそうだ。
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また黒い海に浮かぶ月に意識を向けると、サラサラとした白い風が吹いた。徐々に現れてきた極小の反射板は、複雑に風と絡み合って僕の頬に落ちた。
そして溶けた。
物知りな、何かを知っていそうな妖精の様に、ふわふわ、ふわふわ。
手で触れれば姿を失う。
今年はまだ見ていなかったから、その発想は出てこなかった。そうか、雨じゃなくて雪なのか。
雪じゃ、誰かの涙を隠してはくれそうにもない。
雨は涙を隠すけど、涙を隠すことに意味があるのかな。本当に隠したいなら、独りで泣けばいい。まあ、今さら降ったところでもう遅いのだろうけど……。
意地悪な妖精の様に、さっきより少しだけ近づいて来た電車に照らされてチラチラとひるがえる様子は、その妖精たちが笑っているともとれた。
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また、ありがちな言葉に捻くれた意見をぶつけてみたけど、特に何も生まなかった。
何事にも意味を明確に持たせる必要はないと思うし。何も生まない、無意味なことは案外そこらじゅうに散らかっているのも、そんなに違和感を感じないから別にそれでいい。
むしろ、なんでもかんでもはっきりさせることにこそ、僕は違和感を感じる。
もしもの話。
すごく大好きなものがあるとしよう。
例えばそれがヒトで、そのヒトを好きな理由を挙げるとしよう。僕はこのヒトのこういうところが好きだから、このヒトを好きです。と。
そこで、僕は思うわけだ。
その理由が無くなった時、どうなるのだ。と。
分かりやすくしよう。
A君はBさんのことが好きです。
Bさんのどんなところが好きですかと尋ねられ。少し考えて、綺麗な声がとても好きだ。そう答えたとしましょう。A君が自分の口で明確に発言したとしましょう。
その時点で、質問者にとってはA君の言葉は真実になってしまいます。ヒトの気持ちなんて分からない。だから、A君はもっと言いたいことがあったとしても、上手く言い表せなかっただけだとしても、その時は忘れていただけだとしても、思いのほんの一欠片しか伝えられなかったとしても、聞いた人間にとって、言った言葉がA君の真実として受け止められてしまいます。
特に疑いなど持たれません。本音を訪ねて、本人が答えたのですから。
そして、もう一つの問題。
言葉には、とても大きなチカラがある。それこそ、真実でない気持ちだとしても、言い続ければそれを真実だと思い込んでしまうほど。
全てでなくとも、言葉にしたものだけが大きな存在感を自分の中で構築していき、他の思いを見えなくしてしまうほど。
だから同じ様な質問をされて、綺麗な声が好きだと言い続けたA君は、もしもBさんが事故や病気で今まで通りの声を失ってしまった時、同時にBさんを好きな理由まで失ってしまう。
理由付けをしてしまったがために、好きでなくなる理由も出来てしまう。
好きだと言う感情を、論理が隠してしまう。
本気の思いさえあれば、それでよかったはずなのに……。
曖昧なものを曖昧にしておくことにも、ちゃんと意味はある。
双眼鏡で遠くの物を見た時と、同じ距離から肉眼で見た時では、当然違った見え方をする。
いろんなもので溢れ返った都会の中を歩いていても、あまり綺麗とは感じないだろうが、ずっと遠くの高い所から眺めてみると、綺麗だと感じるヒトはたくさんいる。
明確じゃない。
だからこそ美しい。
僕の様な自分の気持ちを顕わにすることが必然的に少ない人間は、それは周囲のヒトからすればよくわからなくて取っ付きにくいかもしれないが。深い関係性を作らなくても、その場限りの交流だけなら、相手をよく知ることは重要ではない。
長い付き合いでも、そうかもしれない。必死になって相手のことを知ろう知ろう、好きになろう好きになろう、と思うより。適当に、楽しいことして、曖昧に「またな」って言う。そんな関係の方が、僕はいい。
路面に触れれば溶けてしまっていた曖昧な妖精たちも、どういうわけか、気付いた時には地を白く染めている。
こんなすてきで、少し不思議な現象を、理論化して説明してしまうなんて、それこそ無粋と言うものだ。「わぁ……」と快哉の息を漏らすだけで十分に楽しく生きていける。
そう思う。
ひらひらと舞い、はらはらと降り積もる物知りな妖精たちだけが答えを知っている。
誰も彼らの声を聞く事は叶わないけど、この世のどこかに、きっと答えはあるんだと、そう信じるから、ヒトは真実を追い求めるのかもしれない。
答え合わせなんて出来ないし、きっと要らない。よくよく歩みに例えられる人生だ、答えを信じることは、この先にゴールを信じると言うことなのだろう。どこにも辿りつかない道を歩き続けるなんて、出来ないんだ。
一歩だけ後退って、浅い雪を踏み鳴らしながら振り返ろうと視界を回転さ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――気付いた。




