天ノ川さらは、非日常を感じたい②
※本話の一部は杏奈以外の視点で描かれています。
──迎えた土曜日。
約束の時間まで、まだ二時間近くある。
それなのに、私はもう、三度目のクローゼットの前に立っていた。
会長と二人きりで出かける。ただそれだけのことのはずなのに、いつも羽織っているシンプルなニットやトップスでは、どうしても物足りない気がしてしまう。
「……これじゃ、子供っぽいかな」
鏡の前でワンピースを合わせては首を傾げ、次にスカートとブラウスの組み合わせを試し、また戻す。畳んだ服の山が、ベッドの上に静かに積み上がっていった。
結局選んだのは、淡いカーキのニットに、細身のプリーツスカートを合わせた装い。清楚すぎず、かといって気合が入りすぎているようにも見えない、そのぎりぎりの塩梅を探すのに、思いのほか時間がかかってしまった。
普段は簡単に整えるだけの髪も、今日は丁寧にブラシを通す。毛先を軽く巻いてみて、やっぱりやりすぎだろうかとブラシで梳かし直す。そんなことを繰り返しているうちに、気づけば約束の時間まで三十分を切っていた。
「変じゃない、よね?」
玄関の姿見にもう一度全身を映し、小さく息を吐く。誰に見せるでもない確認のはずなのに、心臓だけが妙に急いていた。
◇
待ち合わせ場所である学院近くの駅前、噴水広場に着くと、会長はすでにそこにいた。
淡いベージュのロングコートを纏い、マフラーの隙間から覗く白い首筋が、冬の澄んだ光にほのかに映えている。
学院でいつも目にする、隙のない会長の顔ではなく、どこか柔らかな空気を纏った私服姿の彼女に、息を呑んだ。
噴水の縁に腰掛け、行き交う人々を眺めるその横顔は、一枚の絵葉書から抜け出してきたかのようで、辺りの喧騒からだけ、彼女の周りだけが静かに切り取られているようにさえ見えた。
私の姿に気付いた会長は、軽く手を振って、歩み寄って来てくれた。
「ふふ、私服姿の私に見惚れちゃった?……なんて、冗談よ」
悪戯っぽく笑った会長は、不意に手を伸ばし、私の髪をひと撫でした。
さらりとした指先が頬をかすめていく。
──どうして、そんなに優しくするんですか。
指先が触れた場所だけ、じんわりとくすぐったいような感覚が走り、私は動揺を隠しきれずにいた。冬の冷たい空気の中で、そこだけに確かな体温が灯っているように感じられる。
「今日の梅沢さん、なんだかいつもと違うわね。とても素敵よ。可愛い」
不意打ちのようにそう言われて、今朝の苦労が報われた気がした。
会長の方が、とってもお綺麗ですが!!!
◇
まずは会長の提案で、近くのクレープ屋さんに立ち寄ることにした。
赤いひさしの下、生地の焼ける甘い香りが通りにまで漂っている。
店内に足を踏み入れると、バターとカラメルの匂いが鼻先をくすぐり、ガラスケースの向こうでは、鉄板の上で薄い生地がじゅうっと小さな音を立て、焼き上がっていく様子が見えた。
甘い香りに満ちた店内で、彼女は初めて訪れる場所を探検する子どものような、無邪気な表情でメニューを覗き込んでいる。
壁一面に貼られたカラフルなメニュー表を、美術館の展示でも眺めるように、一つひとつ丁寧に目で追っていた。
「こんなにたくさん種類があるのね。迷ってしまうわ」
「会長でも迷うことってあるんですね」
「あら、失礼ね。私だって普通の女の子なのよ」
唇を尖らせるその仕草は、生徒会室で見せる凛とした表情とはまるで違っていて、私はついつい頬が緩んでしまう。
結局、会長はいちごとカスタードクリームがたっぷり詰まったクレープを、私はチョコレートバナナのクレープを選んだ。
紙の包みから伝わる、ほんのりとした温もり。表面にまぶされたグラニュー糖が、日の光を受けてきらきらと小さく輝いている。
「ねえ、これ一口食べてみて。私、こういうの憧れてたの」
差し出されたクレープを私はおずおずと受け取った。
間近で見る彼女の瞳は、磨かれた宝石のように澄んでいて、視線を逸らしたくなる。
「い、いただきます」
一口頬張ると甘酸っぱいいちごの果汁となめらかなカスタードクリームが、口いっぱいに広がった。
「……美味しい」
「本当に?よかった」
会長は心底嬉しそうに小さく声を弾ませると、今度は自分から私のチョコレートバナナに目を留めた。
「私も、そちらを一口いただいてもいいかしら」
「もちろんです」
差し出したクレープに会長は迷いなく口をつける。
その何気ない仕草に、私は自分の心臓が跳ねるのを感じた。
友人同士なら、きっと当たり前のやり取りなのだろう。
それなのに、彼女がすることの一つひとつが、どうしてこんなにも特別に思えてしまうのだろう。
「こっちも美味しいわね。今度は、私もこの組み合わせにしようかしら。海寧やさゆり、紫苑にも教えてあげたいわ」
嬉しそうに言葉を弾ませる会長の口元には、小さくクリームがついていた。それに気付いていない様子の彼女を見て、私はつい頬を緩めてしまった。
「会長、あの、口元に……」
「え?」
慌てて指先で拭おうとする会長に、私はハンカチをそっと差し出した。
彼女は一瞬だけ驚いたような顔をしたあと、ふふ、と口元をほころばせて、それを受け取った。
「ありがとう。梅沢さんは、気が利くのね」
冬の澄んだ空の下、二人でクレープを頬張りつつ歩く時間は、これまで経験したことのない不思議な心地よさに満ちていた。
◇
クレープ屋を出て、少し歩くとゲームセンターが見えてきた。
けたたましい電子音と、色とりどりの光が漏れ出す入口。人混みの合間から、賑やかな喧騒が漏れ聞こえてくる。すると、会長が不意に私の腕にしがみつくように飛びついて、声を弾ませゲームセンターの入口付近に設置されていたプリクラ機を指さした。
「梅沢さん!あれってもしかして……プリントシール機!?」
「そうですけど、……良かったら、その、撮りますか?」
口振りからして、恐らく会長はプリクラを撮ったことがないのだろう。私たちからすればよくある光景のひとつに対して、興味津々な様子の会長は、普段学院で目にする会長とは随分雰囲気が違って、少し幼く可愛く見えた。
「いいの!?」
会長は、その言葉を待っていたと言わんばかりに目を輝かせる。
幸い、人は並んでおらず、すぐにブースに入ることが出来た。ビニールのカーテンを引くと外の喧騒がふっと遠のき、狭い空間に、私たち二人だけの気配が満ちる。
「すごい!何も無い真っ白な箱の中だわ。これが……カメラ?見て!梅沢さん、私たちが写ってる!」
目の前のパネルを見ただけでも楽しそうな会長の姿に、私はほっと表情をやわらげた。モニターの中の会長は、瞳を輝かせ、頬を上気させて、初めて雪を見た子どものような表情をしている。
この人とこんな風に毎日過ごしたら、きっと楽しいんだろうな。ふいに私はそんなことを思った。
「このパネルで操作するんですよ」
私もそう何度も撮ったことがあるわけじゃないけど、簡単に説明しつつ、操作を進めていく。指先が触れるたびに軽い電子音が鳴り、その度に会長は「まあ!」と小さく声を漏らした。
それじゃあ、撮影スタート!というガイダンスの声とともに、モニターにお手本のポーズが映し出される。
「ね、ねえ!これを真似したらいいの!?」
世にも珍しい、慌てふためく会長の姿だった。
「真似してもいいし、全然違う表情や好きなポーズでもいいんですよ」
ただ、やはり天ノ川女学院の会長。適応力も高く、すぐに会長は楽しげにポーズや表情をくるくると変えていった。
二人でハートを作ったり、少し身を寄せ合ったりしている間に、あっという間に撮影が終わってしまった。狭いブースの中、会長の髪から仄かに香る上品な香水の匂い、肩が触れ合うほどの距離。距離が近くなって少しドキドキしてしまったのはここだけの話。会長は、どんな気持ちだったんだろう。
次は、らくがきの時間だ。会長を案内するように、設置されたらくがきスペースへと移動する。淡いピンク色に照らされたブースの奥で、二台並んだタッチパネルが静かに私たちを待っていた。
「ここで、らくがき?をするのね。どうやってやるのかしら」
「このペンで、スタンプやペンって書いてある部分を押して、好きにらくがきしていくんですよ」
「なるほどね。案外奥が深いのね、プリクラは」
会長がそんなことを真剣に言うから、面白くて笑いそうになるのをこらえて、ペンを進めていた。時折会長の方の画面を横目に見ると、思い思いに装飾して楽しんでいるようで、その真剣な横顔が微笑ましくて、それと同時に無事らくがき出来ているようで安心した。
「とっても楽しかったわ。まさかシールがあんなところから出てくるなんて」
らくがきも終わり、完成したシールを見つめて満足そうに会長は言った。大事なものを見つめるようにじっくりとシールに映りこんだ二人の姿を眺めている。西日を受けたシール紙の表面が、彼女の指先の下でほのかに輝いていた。




