命運のチャリティーバザー②
誰かの弾んだ声につられ、自然と視線が舞台へ吸い寄せられる。
校庭中央に設けられた特設ステージ。
今年のチャリティーバザー最大の目玉、演劇部による創作劇が、いままさに幕を開けようとしていた。
「うめめ、ちょっとだけなら見てもいいよ」
紬葵ちゃんが笑って、私の背中をそっと押す。
「でも仕事が……」
「今は少し落ち着いてるし、演劇部の舞台、毎年すごいんだから!うめめ、うちの学院来たばっかだし、紫苑先輩の演技見とかなきゃ損だよ。ね?」
「ありがとう!つむつむ!」
紬葵ちゃんの優しさに甘えて少しだけ。本当に、少しだけのつもりだった。そう思って舞台へ目を向けた瞬間、私は息を呑んでいた。
舞台中央。
冬の澄んだ陽光を全身に浴びて、一人の生徒が静かに歩み出てくる。
白を基調とした衣装をまとい、その背筋は一本の剣のように、迷いなく真っ直ぐだった。
演劇部部長、紫苑先輩。学院内でも絶大な人気を誇る、青みがかった紫色のショートヘアが特徴的な、誰もが憧れる中性的な先輩。
彼女が舞台中央で、すっと扇を開く。たったそれだけの所作だけで、ざわめいていた会場が水を打ったように静まり返った。その場に流れる空気のすべてが、彼女の支配下に置かれていた。
「──恵まれた者には、その恵みを分かち合う責務があります」
澄み渡る声は、凛としていながらも決して冷たくはない。一つひとつの言葉が、冬の空へ真っ直ぐに溶け込んでいくようだった。
「私たちが受け継ぐべきものは、財産ではありません」
ゆっくりと客席を見渡す。その視線が通り過ぎるだけで、観客の呼吸までもが揃っていくように感じられた。
「誰かを想う心です」
その微笑みは、物語の中から抜け出してきた王子のようだった。凛々しくて、格好良くて、それでいてどこか優しい。私は演劇のことなど何も知らない。だけど、これだけは分かった。紫苑先輩は、演じているのではない。その役を生きている。気づけば、瞬きも忘れて舞台だけを見つめていた。
「ほら、すごいでしょ?」
隣で、紬葵ちゃんが小さく笑う。
「紫苑先輩、かっこいいよね〜。毎年ファンが増えるんだよ」
「うん!ファンになっちゃう気持ち分かる気がする」
本当に格好いい。同じ制服をまとっているとは思えないほど、オーラがあって、別の世界の人のようだった。
舞台の上で堂々と学院の理念を語るその姿は、美しいという言葉だけでは到底言い表せない。そこには、揺るぎない説得力があった。きっと紫苑先輩自身が、この学院を心の底から誇りに思っているからなのだろう。
(私は、あんな風には……)
胸の奥が、ちくりと苦くなる。
私はまだ、この学院へ来たばかりだ。歴史も、伝統も、何一つ知らない。それなのに紫苑先輩は、当たり前のようにそのすべてを背負って、舞台の上に立っている。同じ生徒なのに、どうしてこんなにも違うのだろう。
「また比べてない?」
「えっ?」
「うめめ、自分と誰かを比べちゃうとこあるよね」
図星だった。私は視線を逸らす。
「みんな、本当にすごいから……つい」
私なんて。そう続けようとした、その時だった。紬葵ちゃんが、小さく肩をすくめて笑う。
「さっきおばあちゃんのお客さんいたじゃん?」
「へ?」
「うめめが椅子引いてあげた人」
そういえばさっき、足元の少し覚束ないお客様がいて、席まで案内したのだった。
「アタシ、あのお客様の足元に気付かなかった」
「え?」
「あっきーも多分見えてなかった」
「……」
「でも、うめめだけは気付いた」
私は、返す言葉を見つけられなかった。
「それって、才能じゃん?」
「そんな、大げさだよ」
「大げさじゃないって」
紬葵ちゃんは首を左右に振り、安心させるように笑いかけてくれた。
「紫苑先輩は舞台で人を惹きつける」
「あっきーは完璧な仕事で支える」
「アタシは物作り」
「じゃあ、うめめは?」
「え?」
「人を放っておけないところ。それも才能だと思うな」
その言葉は、このあと起こる出来事を思えば、不思議なほど未来を言い当てていた。──その時だった。
「そうだ!うめめ、少しお使いお願いできる?」
注文を受けた紬葵ちゃんが、空になった資材の箱を手に振り返る。
「隣のクラスから借りてた予備の茶碗、そろそろ返しに行きたいの。ついでにちょっと会場、見て回ってきて」
「うん、分かった!」
私に出来ることがあるならと私は頷くと、賑わう校庭を横切り、隣のクラスの出店へと向かった。
◇
クラスごとの出店が並ぶ通路を抜けると、辺りの空気が変わった。人の話し声は変わらず聞こえているのに、不思議と騒がしさを感じない。
白い天幕で彩られた一角から、ふわり、と甘く爽やかな紅茶の香りが鼻先をくすぐった。
学院でも毎年人気を集める冬のティーサロン。
冬限定の紅茶と手作り焼き菓子を楽しめるその空間は、遠目に見るだけでも、別世界のようだった。
茶碗を返し終えた帰り道、順番待ちの列に並んでいた来賓らしき女性たちの会話が、自然と耳に飛び込んでくる。
「あちらの卯ノ花さんという生徒さん、本当に評判ですのよ」
「ええ、存じておりますわ。焼き菓子まで手作りですって」
「以前伺った時も、こちらの体調を気遣って温かい紅茶をすぐに用意してくださって」
(さゆり先輩……)
私は足を止め、遠くに見える白い天幕へ目を向けた。
(今度、ゆっくり私もお邪魔してみたいな)
そんなことを思い、私はもと来た道を引き返す。すると、賑わう会場のさらに奥──生徒会の受付本部がある一角が、やけに慌ただしいことに気付いた。机の上には書類や集計用紙が積み重なり、生徒会役員たちが小走りに行き交っている。
「会長!来賓リストの確認が……!」
「南側の来場者、思ったより多くて誘導が追いつかなくなってきていますわね……」
「どうしましょう。寄付金の集計、まだ半分も……」
困った役員達の声が聞こえてくるその慌ただしさの中心に、さら会長の姿があった。
「本日はご多忙の中、天ノ川女学院チャリティーバザーへお越しいただき、誠にありがとうございます」
来賓へ向けては優雅に一礼し、それだけで、その場の空気がすっと引き締まる。視線を戻した瞬間には、もう別人のような速さで手早く役員たちに指示を出していた。
「会長、寄付金の集計が終わりましたわ」
「ありがとう。こちらへ」
「VIP来賓がお見えです」
「応接室へご案内して」
「南側の導線が少し混み始めていますわ」
「警備担当へ連絡を」
次々と飛び込んでくる報告を会長は迷いなく捌いていく。学院全体を動かしているというのに、その表情は最後まで穏やかなままだった。
(あれが……生徒会長)
憧れという言葉だけでは、到底足りない。ただ純粋に──格好いい。私はしばらくその光景に見入ってしまっていた。そんな中、ふと、受付机の端に山積みになった来場者アンケートの束が目に留まった。誰も手をつけられずにいるのが、傍から見ているだけでも分かる。
(……これくらいなら……!)
気付けば、足が動いていた。
「あの、何かお手伝いできることはありますか?」
近くにいた役員の先輩へ、思い切って声をかける。
驚いたように振り返った先輩は、私の顔と山積みのアンケートを見比べ、それから慌てて頭を下げた。
「本当に助かりますわ……!こちら、集計用のシートに数を転記していただけると」
「はい!わかりました!」
私は近くの椅子に腰を下ろし、渡されたアンケート用紙を一枚ずつ丁寧に確認していく。単純な作業だったけれど、忙しい本部の片隅で少しでも役に立てているのだと思うと、不思議と手が止まらなかった。
しばらく作業を続けていると、会場の奥で小さな悲鳴のような声が上がり、すぐに気になって顔を上げた。
小さな男の子が、勢いよく走り出していた。その進行方向には、熱い飲み物を運ぶ生徒の姿がある。
危ない。
そう思った、次の瞬間には──
「失礼」
警備の持ち場についていた海寧先輩は、すでに動いていた。男の子を優しく抱き止め、その勢いをそっと受け止める。
「走ると危ない」
低く落ち着いた声。しかし、その声音には驚くほどの優しさが滲んでいた。
「転んだら、お母さんが心配するぞ」
男の子は、しゅんと肩を落とす。
「……ごめんなさい」
「君は、素直に謝れて偉いな」
海寧先輩は男の子の頭をそっと撫でると、駆け寄ってきたお母さんへ静かに引き渡した。
その一連の動きはあまりにも自然で、本部で作業をしていた役員たちの多くは、小さな出来事があったことにすら気付いていない様子だった。
(……海寧先輩)
会長が学院を導く人なら、海寧先輩は学院を守る人。三人とも、いや、さゆり先輩を含めた四人とも、役割はまるで違う。それでも、その根っこにある想いはきっと同じだ。
──誰かのために。
私は、手元のアンケート用紙をミスのないよう、出来るだけ多く捌いていった。
(私もいつか……あんなふうに誰かの力になれる人になりたい……!)
その願いが、このあと数十分もしないうちに、自分自身の行動によって試されることになるとは──この時の私は、まだ知る由もなかった。




