病弱幼なじみには「俺がいないとダメなんだ」なら、一生背負わせてあげましょう。
「この間は、悪かった。ソフィア。この通り」
そう言って婚約者のセドリックはうつむくようにして頭を下げて、ソフィアは彼の頭部をじっと見つめていた。
それから、ティーカップを手に取って、ゆっくりと口に含む。
華やかな茶葉の香りが鼻から抜けて、ふうと息を吐く。それからガゼボの外へと目をやった。
「また、パトリシアのところへと行っていたのでしょう?」
花園から視線を戻して彼に問い掛ける。
「あ、ああ。わかってくれるんだな。ありがとうソフィア」
「わかって……」
セドリックの言葉をなんとなく復唱してソフィアは小さく首をかしげた。
「……どうでしょうね。今一度聞くけれど、セドリック。あなたはパトリシアのことをどう思っているの?」
改めてソフィアは問い掛ける。
彼、セドリックはソフィアの婚約者である。
しかし、時折――いいや、割と結構な確率でソフィアとの社交界への出席を突然キャンセルし、パトリシアという幼馴染みの元へと向かう。
「それは……わかるだろ? ソフィア、あの子には俺がいてやらないとダメなんだ」
「セドリックが、ねぇ」
「ああそうだ。俺とパトリシアは昔からの付き合いで、大切な子だ。それにあの子は同性の友人もいない。なんでかわかるだろ?」
逆に問い掛けられて、ソフィアは彼が想定している答えがすぐにわかる。
パトリシアとはソフィアも”それなり”の関係がある。
そこから導き出されて、彼女が自分でも公言している同性の友人がいない理由は、彼女が酷く美しいからだ。
長年、病弱で外を知らず、肌は青白いほど白く陶器のようになめらかで、大きな碧眼の瞳は宝石の様に輝いている。
優しげで愛嬌のある顔つきをしていて、小さな唇は薄く色づき花びらのよう。
だからこそ、彼女は同性の女に目の敵にされてしまって友人と言える人間が一人もない。
そう嘆いていた。
まぁ、それが真実かどうかはいったん置いておくが。
「わからなくは、ありませんね」
「だろう? あんなにかわいらしくて素直な優しい子なのにな? おかしいよな?」
「……」
「パトリシア自身も俺のことをずっと慕っているんだ、この間、奮発してプレゼントした宝石に涙を流して喜んでたんだ」
ちなみに、ソフィアはセドリックからそんなプレゼントをもらったことなど一度も無い。
「俺だけがあの子のことを支えてあげられる唯一なんだ、愛嬌もあって男を立てて、慎ましく常に微笑んでくれる……でも病弱で苦しんでる。あの子を俺が見捨てたら、男じゃない」
けれども、セドリックはソフィアと婚約していて、将来は跡取りとなるソフィアを支えるフィールディング公爵の配偶者となる予定である。
「か弱くけなげな子を大切にする人間の方が君だっていいだろう? 俺は女性跡取りの配偶者に向いていると自分でも思うんだ」
こう言いながらも彼はソフィアが重要視している社交の場をキャンセルし別の女のところへと向かう。
ソフィアはいつだって恥をかかないように気を張る必要がある。
「君には迷惑をかけたかもしれないが、家名に泥を塗るようなことは一度もしていない。俺は節度って奴を守ってるだろう? ソフィア」
「……節度、ですか」
「ああ、そうだ。俺が少しばかり優しすぎるってのは正直間違ってないと思う。でもその優しい男と結婚できるのは君にとってもいいことだろう?」
彼は恥じらうみたいにそう言ったが、ソフィアはそれをまったく優しさだとは思わなかった。
(……むしろ…………)
今まで何度も騙されてきた、何度もたしかに彼を誘って思いを伝えてきた。
そのたびに小さく頭を下げて、謝罪をしてもう傷つけないと彼は言った。
でも何度も何度も、彼の行動は繰り返される。何度聞いても説得してもいつも元に戻る。
それはきっと彼にはパトリシアに執着する気持ちがあるからだ。
「……そう、ですね。ところでセドリック」
「ああ、なんだ?」
「今度、家族で交流を深めるための食事会があるんですの。わたくしの誕生祝いも兼ねたとても大切な、ね」
「なるほど、ソフィア。今回のことはあったが、心配なんてしなくていい」
セドリックは、まっすぐにソフィアを見つめて、小さく笑みを浮かべて頷いた。
「必ず参加する。君のことを祝いたい。約束する」
「ありがとう……セドリック」
その言葉を聞いてソフィアはすぐに悟った。
彼の中できっと選別は終わったのだろう。
きっと彼は当日来ないのだ。
当日、フィールディング公爵邸の食事会でソフィアの隣に並んで挨拶していたのは兄のアルバートだった。
彼はいつも通り気にせず、直前になって当日キャンセルしたセドリックに変わってソフィアの隣にいてくれる。
いつもそうだった、エスコートしてくれる相手がいない状況で社交界に出られないと、いつもこうしてアルバートが相手になってくれる。
食事会の参加者達を出迎えて、ダイニングホールに移動する間にソフィアは兄をチラリと見上げた。
すると彼もソフィアのことを見つめていてパチリと目が合った。
アルバートはおや? と片方の眉を上げて気が付いてそれから砕けた笑みを見せる。
「今日はかっこいいだろ? 妹の晴れ舞台とあって、従者には一層気合いを入れて着飾ってもらったんだ」
「……ええ、素敵です。お兄様」
「ありがとう。ただ、どうしても君の華やかさには負けるかな、ソフィア。今日もまた一段と美しい……成人して大人になったからだろうね」
「ふふっ、何を言ってるんですの。昨日と大差ないでしょう?」
「いいや、君は日々美しくなってる。私が保証する」
ジョークを言う兄にソフィアは重い気持ちながらも、つい自然と笑みがこぼれてしまう。
こうしていつもアルバートはソフィアのことを笑わせてくれる。
だから彼のことが好きだ。けれど、それでいつもは気を紛らわせていたけれど今日ばかりはそうもいかない。
嬉しいのと同時に、この場にセドリックがいないことが少し切ないのだ。
短くない付き合いだった。
もちろんソフィアの気持ちに揺れはないが、まぁ今まで深い関係だった人がいなくなるというのはもの悲しくもなる。
「……でもお兄様が美しいと言ってくれるわたくしでも、あの人は今日もわたくしの元にいない」
「例のバグウェル伯爵令嬢のところだったかな」
「ええそう。パトリシアのところ……あの人ね、たしかに家名に泥を塗るようなことはしないのよ」
「うん」
「でもね、わたくしが心情的に大切にする部分はないがしろにするのよ。今日のようにね」
「ソフィア、私は――」
ソフィアはいいながら少し笑った。
アルバートにはそれが強がりの笑みに見えたのかすぐに慰めようと口を開いた。
しかし彼の言葉にかぶせるように続けていった。
「だからね、わかっていたから……面白いことを考えましたの」
「面白いこと?」
「ええ。以前からきちんと父にも母にも、セドリックの両親であるアストン伯爵夫妻にもお声をかけておきましたわ。さぁ、行きましょう。お兄様」
「あ、ああ」
そうして兄を連れ添って、ソフィアはダイニングホールへと足を踏み入れたのだった。
食事会が終わり参加者が帰っていくと、ソフィアの両親であるフィールディング公爵夫妻と、アストン伯爵夫妻それから、ソフィアとアルバートだけが応接室へと移動した。
重たい空気の中で、フィールディング公爵が切り出した。
「アストン伯爵、伯爵夫人、今日の件でよくわかった。娘の成人という節目の日にも現れず、子息は別の女性の元にいる。これからについて話し合う大切な場であると言うことは伝えてあるはずだ」
「は、はぁ、もちろんでございます。息子からもソフィア様からそのように伺い当日は出席する、とあれほど」
「ええ、そうですわ。なんと申し開きしたらいいのか」
アストン伯爵夫妻は、顔を青くして汗を掻いて早口でとても申し訳なさそうに言葉を紡ぐ。
それを父が一蹴する。
「申し開きなどいらぬ。以前から、娘からはアストン伯爵子息には心の決まった相手がいるのでは、この結婚はお互いに不幸しか生まないのではと進言があったのだ」
「は、はいっ」
「ええ」
「娘との結婚をただの親の押しつけた苦悩だと思っているのならば、考え直すことを決めていた。答えはもう出た。良いな、ソフィアも、苦い思いをさせてすまないな」
「いいえ、お父様」
父は、ソフィアのことを見つめて、きちんと謝罪をしたが、彼が悪いとはソフィアは思っていない。
それに、少しばかりソフィアも意地悪をしたのである。
意地悪というか、ソフィアをないがしろにしながらも決定的な間違いを起こさないセドリックを追い詰める手を打ったのだ。
今回の食事会は、行かなければ重要な話し合いを逃す場としてではなくソフィアのただの誕生日と認識させるために自分から話をした。
もちろんセドリックが考えを改めて、約束を破らないなら彼にはチャンスがあった。
しかしこの場に来なかった。
そうしてセドリックの答えは今この場にいる全員に察された。彼には心に決めた相手がいる。病弱なあの子だろう、と。
ただし、その答えは間違いだ。
「誰も悪くありませんわ。お父様、ただ少し気持ちの掛け違いがあっただけ」
「うむ。そうだな」
セドリックは、あれでいて割と現実が見えているのだ。
けなげでかわいげがあって、自己肯定感を慰めてくれる明らかに格下の女の元に通ってかわいそうだからと言い訳をしていろいろなものを満たす。
でも本当に大事な場面では、自分の将来の地位を逃さない様に動いている。
「俺がいないとダメなんだ」と言いながら、でも自分は、病気で跡取りでもなんでも無い伯爵家の女を背負い込むつもりなどどこにもない。
よそからやってきて、楽しい交流をするだけなら良いけれど、パトリシアと結婚して彼女の人生すべてを背負ってやる気などさらさら無い。
だから、彼はソフィアと結婚することを選んでいた。
ただ、そんな男との結婚なんかソフィアはごめんだ。
だから手を打った。
それに、こうすることで、より我が公爵家にも得がある。
「では、アストン伯爵子息には、彼の望み通り、我がフィールディング公爵家の家臣貴族であるバグウェル伯爵令嬢を娶ってもらおう。きっとバグウェルのやつも喜ぶな」
「ええ、その通りですわ。お父様」
「……」
「……」
出た結論に、アストン伯爵夫妻はがくりとうなだれた。
バグウェル伯爵家は、フィールディング公爵家の家臣貴族であり、もらい手のない病弱で”お騒がせ”なパトリシアのことを非常に持て余していたのである。
彼女のお騒がせっぷりは折り紙付きであり、ただでさえ病弱と美貌を盾に様々な横暴をする子なのだ。
よそへの嫁入りが決まれば良いのだが、さすがに彼女を娶ろうと言う貴族はそうそう現れない。
美しく男は寄ってくるが誰も結婚する相手には選ばない。
そんな人である。
家臣の憂いも取り除けて、彼らも十二分に気兼ねなく公爵家に勤めてくれるだろう。
非常に楽しみである。
後日、家同士の重要な話し合いの場が設けられて、その場にセドリックはやってきたけれど、すでに手遅れだった。
セドリックの今までの行動を記録として残しているので、それを元に皆がセドリックのパトリシアのことを思う気持ちに寄り添う形で、婚約破棄と新しい結婚まで話がスムーズに進んだ。
話し合いの席にはバグウェル伯爵、伯爵夫人、パトリシアまでも登場し、セドリックの想いに感動して涙を流す。
その状況で、セドリックは震えながら書類にサインした。
彼に対して、ソフィアは最後に微笑んで「良かったですね。気持ちが実って」と優しく言ってやったのだった。
数ヶ月後、ソフィアの新しい婚約者の選定が行われている中、セドリックがやってきた。
突然のできごとではなくきちんと予定を立ててのことだったので、ソフィアは彼を予定していた応接室に通して、ソファーに座って向き合った。
彼は以前と違って、すさんだ様子で、酷い目つきになっている。
なぜか頬にひっかき傷がついていて、猫でも飼い始めたのかとソフィアは疑問に思ったがすぐに、別の答えにたどり着いた。
「久しぶりだな、ソフィア。っ、なんだろうこうして君に会うと妙に感動してしまって……」
目元を抑えてうつむく彼は、ソフィアとの久しぶりの再会に感動するほど喜んでいるらしい。
その時点で、予定通りに侍女が応接室の扉をそっと開けた。
ソフィアは少し考えてから、セドリックの言葉を引き出すためにためらいがちな言葉を紡いだ。
「感動するほどとは……どうしたのかしら。あなたは心底想っている相手と結ばれて、実家を補佐する立場としてパトリシアとともに幸せな結婚生活を送っているはずでしょう?」
「っ、……」
「なにか、あったの?」
心配している体を装って、ソフィアは問い掛けた。
もちろんそんな気持ちは毛頭ないし、彼と縁が切れたとき、寂しさは消え失せ、すがすがしい風が吹いたように感じたぐらいだ。
しかしそんなことはおくびにも出さない。
ソフィアはただ、望まぬ結婚をさせられそうなセドリックとパトリシアを思って二人の結婚を提案し、幸せを願っている。
そんな非の打ち所が無い善人の座から降りるつもりなどこれっぽっちもない。
「ソフィア……俺は、すまない。本当にすまない。君が俺のことを思ってパトリシアと結婚させてくれたというのに、これ以上君に甘えてはいけないと言うのに、それでもっ……聞いてくれソフィア」
「ええ」
「あの女は獣だ!」
「獣?」
「ああそうだ! 気に食わないことがあれば暴れ回って、呼びつけて、自分が死んでもいいのかと脅して、見ろ! この傷だって、パトリシアを落ち着かせようとして引っかかれたんだ!」
そうしてセドリックは自分の頬の傷に触れる。
ちなみにパトリシアは、家族以外にそういったことをしないので、被害に遭うのは家族だけであるというのはバグウェル伯爵からの情報である。
「毎日、毎日、毎日、毎日、不安になっただの、体調が悪くなっただのと呼びつけられて、話し相手にさせられて、うんざりして遊びに出ても、あいつ病弱なくせに必ず来るんだよ!!」
「……」
「意味わかんないだろ、あんなに結婚する前は控えめでしとやかだったじゃないかよ! 何がもっと優しく、もっと大切に、だ! ふざけんなっ、顔が良ければなんでも許されると思ってんのかよ!」
「……」
「中身が腐ってれば顔なんてゴミみたいなものにしか見えないんだって! それに全部俺のせいにする、あいつ社交の場で堂々と倒れて俺が全部悪いとか叫び出すんだぞ! ふざけんなっふざけんなっ!!」
セドリックは語り出すともう止まらなかった。
つばを飛ばしながら、拳を握って顔を赤くして文句を吐き出す。
ソフィアと婚約していたときの優しい男の仮面はどこへやら。
もうここには、病弱な妻を罵る鬼のような顔をした夫しかいないのである。
「っ~、…………もう最悪なんだ、ソフィア」
「大変ですわね」
「ああっ、ああ!」
「……」
「でも君は、違った。だろ? あんな女にかまけてる俺のことをずっと待って、ずっと優しく、理不尽に暴れたり文句も言ったりしなかった。パトリシアには、負けるがソフィア」
彼はふっと体の力を抜いて、それから目を細めてソフィアに手を差し伸べた。
「君も十分に美しい。俺は一時の幻影のような感情に騙されて君をないがしろにしてしまった。でも君は俺のことを考えて身を引いてくれる様な女性だ」
「……」
「本当に誰を愛するべきか、わかったんだ。ソフィア。君のことを――」
言いかけたセドリックに向かって、これまた顔を真っ赤にして怒れる女性が突っ込んでくる。
ソフィアはそっと両耳を手で押さえて「あらまあ」と困ったような声を出した。
「浮気者ぉぉぉおおおおお!!!!!!」
「ぎゃ」
それは耳を塞いでいても通り抜けてつんざくような声で、パトリシアは涙をボロボロ流しながらかぶりを振って髪を振り乱す。
全身全霊での叫びにとても迫力があった。
(…………すさまじいわね)
突然の叫び声に、セドリックは振り向き、パニックに驚いてろくに言葉も出ない。
「っおま、お前!! おまっ」
「浮気者浮気者浮気者浮気、私が病弱だから! 私がこんなだから! 嫌になったのね、それもこれも病のせいなのに、そんなこともっ! わからないで!!」
セドリックが驚きを処理する前に、パトリシアは詰め寄ってまくし立てる。
早口に、ヒステリックに、セドリックが口を挟む余地を与えない。
「結婚までしておいて、私を放置するのね、こんなに苦しんでいるのに、こんなにか弱いのにっ!」
「っ、もう、もうやめてくれっ」
「やめてほしいのは私の方なのにっ、ああ、苦しい、もうこんなに苦しいならいっそ死んでしまいたいぐらいっ」
「なんで、なんでお前ここにっ」
「病気の私のことを放っておいて、他の女を口説いて、私のこと殺そうとしてるんでしょ? 最低じゃない、あり得ない、愛していると言ったのに嘘だったの?」
「ちが、違うだろ、別にそこまで」
セドリックがパトリシアの腕をつかんで、ぐいと自分から引き離そうとすると、パトリシアは大げさにふらついて、崩れ落ちる。
「っ、ああ、あああっ、酷い! 暴力で黙らせようとした! 私を暴力で言うこと聞かせようとした!!」
「っち、違う。お、落ち着けよ」
「酷い!! 許せないっ」
そうしてパトリシアはセドリックの肩をがしっとつかんで、ガクガクと揺らして「なんで暴力なんてふるうのぉぉ!!」と涙をまき散らしながら怒る。
彼女の病弱を、実はソフィアは嘘だと思っている。
幼い頃病気がちだったというのは本当だったのかもしれないが、こうしてあらぶっている姿を見る限り、普通の女性である。
そして……。
「パトリシア」
「っ、」
ソフィアが呼ぶと彼女はぱっとこちらを向いて、すぐにセドリックのことを離して涙を拭う。
セドリックは手を離されて、ハッとする。
止めるようにパトリシアのことを呼んでくれたソフィアに希望を見いだして「ソフィア……」と短く呼びかけた。
「も、申し訳ありません……ソフィア様、私、とてもショックで」
「いいえ」
「すぐに、去りますわ。今日は呼んでくれてありがとうございます」
「まぁ、ごめんなさいね。わたくし、二人の仲を深める手伝いをできたらと思って呼んだのだけれど」
ソフィアがそう言うと、話を聞いていたセドリックはぽかんとして、やっとソフィアがパトリシアを呼んだからここにいるのだと悟った。
唯一の希望だと思っていたソフィアが、意図はわからないがセドリックを地獄に追い詰めるのに加担している。
それを知って、手を震わせて、セドリックは両手で顔を覆ってうつむいた。
「大丈夫です、むしろ本音が知れて、良かった」
パトリシアは、少し微笑んで胸に手を当てて言った。
それだけで絵になるほど彼女は美しい。
苛烈ですさまじいことになるのは、身内にだけ、決して彼女は間違えない。
致命的な間違いは起こさない。
それってセドリックととてもよく似た特徴だ。
セドリックがソフィアと婚約していた時には、パトリシアはただ彼をもてはやして素直に接して気持ちよくさせるために利用されていた。
そして今は、もう逃げられないセドリックを自分の激情のはけ口にするために使っている。
利用し合っているだけのお互いのことなどまったく考えていない関係だ。
彼らが幸せに暮らせる日など来ないだろうが、それでもソフィアは彼らの幸せを願っているフリをして、セドリックから連絡が来たらパトリシアに裏を取って、本音を聞く機会にしたらどうかと、応接室の前に案内するのである。
「なんで……なんでこんなことに」
セドリックは去り際に小さくつぶやいた。がっくりとうなだれて、自分のいるべき場所へと帰って行く。
セドリックはこれからも、パトリシアとどうにか付き合っていくしない。
なんせ、パトリシアには『セドリックがいないとダメ』なんだから。
ソフィアはアルバートとガゼボで二人でお茶をしていた。
お茶を飲みながら、花を眺めているフリをしながら、ソフィアはアルバートのことをチラチラと見やっていた。
彼は、のんびり「風が気持ちいいな」とまったりしながら口にして、その様子にソフィアは少し顔をしかめた。
つい先ほどのことである。
ソフィアの新しい婚約者が決まった。
目の前にいるこの人である。
この人は、養子なのだ。兄ではあるが一人っ子のソフィアを補佐するためにもらわれた後から出来たお兄様。
それがアルバートである。
そんな彼は、父からソフィアの配偶者にならないかと言われてこう言った。
『優しくてかわいいソフィアを支えられるなら、喜んで』
その言葉はまぁ、引っかかる。
「……お兄様」
「ん? なに」
「……良かったんですの。父の話をあんなふうに了承して……」
ソフィアは少し不満げな声を出して問い掛けた。
養子として手厚く遇した恩返しでも、領地のためや地位のためでもなく、彼はソフィアのためだと言ってのけたのだ。
そう言われるとソフィアはさすがに言わざるを得ない。
「わたくしはね、お兄様、かわいげも無いし優しくもありませんわ。……後悔するのではないかしら」
「……」
セドリックの代わりにそばにいて、時には話を聞いてくれるアルバートはもう立派にソフィアの家族だ。
そんな彼を、善人の仮面をかぶっただけのソフィアと結婚させて不幸にはしたくない。
アルバートはきょとんとした顔をしている。
「セドリックのことだって……」
「そうかな。君は優しいし、かわいいけど」
「……だから――」
一から十まで説明して、アルバートに考え直してもらおうと口を開いたが、話をかぶせられてソフィアは黙った。
「かわいいより美しいかな、気高いみたいな? 猫ちゃんみたいで。それに私は君が元婚約者のことを許していないのぐらい知ってる」
アルバートは、気さくにクスリと笑った。
「でも、君は優しいと思うよ、私は。君は簡単に切らずに、言葉を尽くして、時間をかけて……思い悩んでもいただろ?」
「たしかに、思い悩んでいたときもあったけれど……わたくしがあなたにそのことを相談したのは随分前ですわ」
「覚えてるさ。なんせ君の兄なんだし。今度こそ、と約束して裏切られても涙を堪えて、それでもまた謝罪を受け入れてあげる君は、優しいしかわいいよ、守ってあげたくなるぐらい」
風が吹く、アルバートの髪をさらって、少し揺らした。
ソフィアは男性にそんなことを言われるのは初めてだった。
つい、難しい顔をして、喜んだらいいのかそれとも、真に受けない方がいいのかわからなくて、視線をそらした。
「…………」
「優しくされると困るのもかわいいよ」
いいながらアルバートは向かい合っているソフィアの方へと手を伸ばしてそっと頬に触れる。
さらりと頬をなでる手が心地良い。いつもそばにいてエスコートしてくれた彼の手が好きだ。
その言葉だって嬉しい。けれど、こんなに甘い言葉を受け入れていいのかまだわからない。
いつか、素直に受け入れられる日が来るだろうか。
チラリとアルバートを見ると、変わらない笑顔で受け入れられないソフィアを急かすこともない。
その笑顔を見て、彼とならばきっと大丈夫だろうと思えたのだった。
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