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電話

掲載日:2026/03/15

                 電話



 秀哉と沙織が出会ったのは、もう十五年以上前のことになる。


 そのころ秀哉には妻がいた。沙織もそれを知っていた。だが沙織は、秀哉の家のことを聞いたことがなかった。


 二人はときどき一緒に出かけた。

 サイクリングをしたり、食事をしたり、釣りに行ったりした。


 芦田川の支流でヘラブナを釣った日のことを、秀哉はよく覚えている。


 川幅は十メートルもない細い流れだった。片側は低い護岸で、反対側は草の生えた土の岸になっている。その向こうに、本流の堤防が高く見えていた。


 水の中には、のっこみ前のヘラが群れているのが見えた。


 竿は十尺。

 底釣りの両団子だった。


 餌につられて、魚がウキの下に集まってくるのが見える。


 よく釣れた。


 八寸、九寸が続き、ときどき尺に届く魚が混じった。腕がだるくなるほどだった。


 沙織は釣りが上手いわけではなかった。長い竿では決まった場所に振り込むことも難しい。それでも楽しそうに竿を出していた。


 秀哉は、自分が釣るより、沙織が釣っているのを見る方が好きだった。


 岸の向こうを、ヌートリアが一匹歩いていた。


 夕方になり、二人は竿をしまった。


 近くの鰻屋で食事をした。店を出るころには、もう夜に近い時間だった。


 帰り道、草戸稲荷の近くで狐を見た。


 道路の端を、影のようにすっと横切った。


 沙織が「あっ」と声を上げた。

 ほんの一瞬だった。


 それでも、確かに狐だった。


 沙織はその後、別の人と結婚した。


 だから二人の関係はそこで終わるはずだった。


 だが終わらなかった。


 沙織は毎朝電話をかけてくる。


 二十分ほど話す。天気のことや、仕事のこと、ときどき昔の話。


 電話の最後に、沙織はいつも言う。


「じゃあ、また明日」


 秀哉も同じように答える。


「うん、また明日」


 電話を切ったあと、秀哉はしばらく受話器を見ている。


 芦田川の水面を思い出す。

 ウキの下に集まっていた魚の影。


 夕方の川。

 鰻屋の匂い。


 そして草戸稲荷の狐。


 もうずいぶん昔のことだ。


 それでも電話は、毎朝かかってくる。


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