後日談 崩れ去る砂上の楼閣 ~地方名士の父が見た、息子の破滅と家の終焉~
「佐伯社長、いやあ、この度の新庁舎建設工事の受注、まことにおめでとうございます」
「はっはっは、ありがとうございます。これもひとえに、長年地元のために尽くしてきた我が佐伯建設への信頼の証と受け止めておりますよ」
地方都市の中心部にある高級料亭『松風』。
その奥座敷で、私、佐伯剛造は、上機嫌で日本酒の猪口を傾けていた。
対面に座るのは、地元の市議会議員や銀行の支店長といった、いわゆる地元の有力者たちだ。
創業五十年を誇る佐伯建設の二代目社長として、私はこの街の経済界で確固たる地位を築いていた。公共事業の入札には常に顔を出し、地域のお祭りやイベントには多額の寄付を行う。
佐伯剛造といえば、この街で知らぬ者はいない「名士」である。
「そういえば、剛造さん。東京に行かれているご子息、巧くんはお元気ですか?」
議員の一人が、胡麻をするような笑顔で話題を振ってきた。
私は待ってましたとばかりに目を細めた。
一人息子の巧は、私の自慢の種だ。
容姿端麗で頭も良く、都内の有名私立大学に進学させた。仕送りは十分に与え、都心の高級マンションに住まわせている。
将来は私の跡を継がせるもよし、あるいは政界に進出させるもよし。
彼には、私が若い頃に手に入れられなかった「洗練された都会の成功者」としての道を歩ませているつもりだった。
「ええ、おかげさまで。大学でもテニスサークルの代表に選ばれるとかで、なかなか人望もあるようですわ。勉強だけでなく、人をまとめる才覚も磨いているようで頼もしい限りです」
「ほう、それは素晴らしい! さすがは蛙の子は蛙ですな」
「将来が楽しみですなあ」
周囲からの称賛の声が、極上の酒の肴だった。
私の人生は順風満帆だ。
事業は順調、家庭も安泰、跡取り息子も優秀。
この小さな王国で、私は王として君臨している。
その座が、まさか一夜にして、それも遠く離れた東京からの「電波」によって破壊されるなどとは、この時の私は夢にも思っていなかった。
異変は、翌日の朝に訪れた。
いつものように社長室に入り、熱い茶を啜りながら新聞を広げていた時だ。
コンコン、とノックの音がしたかと思うと、返事を待たずに秘書の井上が飛び込んできた。
普段は冷静沈着な彼が、顔面蒼白で汗をかいている。
「しゃ、社長! 大変です!」
「なんだ騒々しい。朝から大声出すな」
「い、いいえ、それどころではありません! これを……これを見てください!」
井上は震える手でタブレット端末を私のデスクに置いた。
画面には、動画共有サイト『YourTube』が開かれていた。
タイトルは『【拡散希望】有名大学サークル代表・佐伯巧の悪行を告発します』。
サムネイルには、見慣れた息子の顔と、その横に赤字で『性的暴行』『横領』『冤罪工作』というショッキングな文字が並んでいた。
「……なんだこれは。巧か?」
私は眉をひそめた。
動画を再生する。
そこには、大講義室のような場所で、巧が壇上に立ち、狼狽している姿が映っていた。
そして、スクリーンに映し出される数々のチャットログや、巧自身が語る下劣な自慢話の動画。
『あいつが幸せそうな顔してる時に突き落とすのが一番面白いんだよ』
『由奈ちゃんも俺のモノになったし』
スピーカーから流れる息子の声は、私が知っている「自慢の息子」の声と同じだったが、語っている内容は耳を疑うほど醜悪だった。
「ば、馬鹿な……」
動画が進むにつれ、私の背中には冷たい汗が流れ始めた。
これは何だ? 映画か何かの撮影か?
いや、周囲の学生たちの反応、警備員に取り押さえられる巧の姿。あまりにもリアルすぎる。
「これ、いつのものだ」
「昨日のことです。昨日の昼頃からネット上で急速に拡散され、今朝になってまとめサイトやSNSでトレンド入りしています。再生数は既に数百万回を超えており……」
「数百万!?」
私は絶句した。
コメント欄をスクロールする。
『うわ、こいつ最低だな』
『親の顔が見てみたい』
『佐伯建設? 親父も特定されてるじゃん』
『この会社、公共事業やってるの? 抗議しなきゃ』
私の会社名、そして私の名前までもが晒されていた。
住所、電話番号、さらには自宅の外観写真まで。
ネットの特定班と呼ばれる連中の仕事は、あまりにも迅速で、そして残酷だった。
プルルルルルル!
プルルルルルル!
突然、社長室の電話が一斉に鳴り響いた。
一本ではない。三台ある電話すべてが同時に鳴り出したのだ。
井上が恐る恐る受話器を取る。
「は、はい、佐伯建設です……えっ? あ、あの……はい、申し訳ございません……ええ、事実確認を……」
井上の顔色がさらに悪くなる。
彼は受話器を手で押さえ、私に助けを求めるような目で言った。
「社長……『お前のところは犯罪者の息子を育てたのか』と……」
その瞬間、私の頭の中で何かが音を立てて切れた。
私はデスクを拳で叩きつけた。
「切ってしまえ! 電話線を抜け!」
「で、ですが、取引先からの電話も混ざっている可能性が……」
「ええい、うるさい!」
私は自分のスマホを取り出し、巧に電話をかけた。
「お客様のおかけになった電話番号は、現在使われておりません……」
解約されている? いや、違う。
警察だ。
動画の最後で連行されていた。ということは、奴は今、留置所の中にいるのか。
「社長、総務部からも連絡が。会社の公式サイトがアクセス過多でダウンしました。それと、お問い合わせフォームに千件を超えるメールが殺到しています。そのほとんどが誹謗中傷や抗議の内容で……」
地獄の釜の蓋が開いた。
私は椅子に深く沈み込んだ。
たった一本の動画。たった一人の息子の不始末。
それが、私が五十年間積み上げてきた城壁を、紙細工のように引き裂いていく。
* * *
その日の午後は、まさに悪夢だった。
市役所の担当者から呼び出しがあり、「事実関係の説明」を求められた。
彼らの態度は、昨夜の料亭でのへりくだったものとは打って変わって、冷たく、よそよそしいものだった。
「剛造さん、これだけの騒ぎになっている以上、市としても看過できません。現在進めている新庁舎の契約についても、議会からストップがかかる可能性があります」
「ま、待ってください! あれは息子の個人的な問題でしょう? 会社とは関係ない!」
「そうは言いますがね、ネットでは『佐伯建設の裏金が息子の豪遊資金になっている』なんて噂も飛び交っているんですよ。火のない所に煙は立たない、と市民は思っています」
噂。根拠のないデマ。
だが、地方都市において、噂は真実以上の破壊力を持つ。
「佐伯の息子は東京で女を食い物にしていた」「親父もグルだ」「ヤクザと繋がっている」
尾ひれがついた噂話は、瞬く間に街中を駆け巡った。
会社に戻ると、玄関の前には見知らぬ若者たちが数人、スマホを構えて立っていた。
いわゆる「迷惑系YouTuber」というやつらかもしれない。
彼らは私の車を見るなり、カメラを向けて大声で叫んだ。
「おい! 犯罪者の親父が出てきたぞ!」
「息子にあんなことさせて、恥ずかしくないんすか!」
「謝罪会見しないんすかー!?」
私は顔を伏せ、逃げるように裏口から社内に入った。
屈辱だった。
この街で、誰よりも尊敬され、頭を下げられてきた私が、どこの馬の骨とも知れぬ若造に罵倒されている。
そして、社員たちの視線も痛かった。
彼らは口には出さないが、明らかに私を軽蔑し、そして会社の行く末を案じて不安がっていた。
社長室に逃げ込み、ブラインドを下ろす。
そこへ、一台の電話が繋がれた。
弁護士からだった。
『佐伯社長、巧君の件ですが……状況は極めて悪いです』
「……金なら払う。示談にできないのか」
『それが、被害者の女性たちは複数名おりまして、彼女たちは示談に応じる気配がありません。それに、大学側からも損害賠償請求が来る可能性があります。さらに、ネットでの拡散が激しすぎて、検察も世論を気にして厳しく取り調べる方針のようです』
「じゃあ、どうしろと言うんだ! 息子を刑務所に入れろと言うのか!」
『……巧君と面会してきました。彼はひたすら「親父に何とかしてもらえ」と繰り返しています。反省の色は、残念ながら……』
「親父に何とかしてもらえ」。
その言葉を聞いた瞬間、私の中で息子への「愛情」という名の盲目的な感情が、急速に冷めていくのを感じた。
あいつは、まだ分かっていないのか。
自分が何をしたのか。
そして、私にどれほどの泥を塗ったのか。
私はあいつに全てを与えてきたつもりだった。
金も、環境も、地位も。
だが、あいつはそれを自分の実力だと勘違いし、他人を見下し、踏みにじり、挙句の果てに自滅した。
それは、私自身の教育の失敗だったのかもしれない。
私が「金と力があれば何でもできる」という背中を見せ続けてきた結果が、あのモンスターを生んだのかもしれない。
「……先生」
『はい』
「巧に伝えてください。『勘当だ』と」
『えっ……しかし』
「会社を守らなきゃならんのです。これ以上、あいつに関わっていたら、佐伯建設は潰れる。従業員の生活もあるんだ」
もっともらしい理由をつけた。
だが、本音は違った。
私は、自分のプライドを守りたかったのだ。
「犯罪者の親」として後ろ指を指され続ける人生など、御免だった。
息子を切り捨てることで、世間に対して「私は被害者だ」というポーズを取りたかったのだ。
なんて浅ましく、冷酷な親だろうか。
自分でもそう思うが、そうするしかなかった。
数日後。
佐伯建設は、新庁舎建設工事の契約解除を通告された。
理由は「コンプライアンス上の懸念」および「市民感情への配慮」。
違約金こそ発生しなかったが、これによる信用失墜は計り知れなかった。
メインバンクからは融資の引き上げをほのめかされ、下請け業者からは支払いの前倒しを要求された。
資金繰りが一気に悪化する中、私は自宅で妻と向き合っていた。
妻はここ数日、一歩も外に出ていない。
近所の奥様連中からの視線に耐えられず、心労で寝込んでしまっていた。
「あなた……巧は、どうなるの?」
やつれた顔で妻が聞く。
「知らん。弁護士には縁を切ると伝えた」
「そんな……あの子は、私たちのたった一人の息子じゃない」
「その息子が、私たちを殺そうとしているんだぞ! お前もネットを見たなら分かるだろう! あいつは、私たちが汗水垂らして稼いだ金を、女遊びと犯罪に使っていたんだ!」
私は妻に怒鳴り散らした。
行き場のない怒りを、一番身近な人間にぶつけるしかなかった。
妻は泣き崩れた。
かつては笑い声が絶えなかったリビングが、今ではお通夜のように暗く、重苦しい空気に満ちていた。
テレビをつける。
ワイドショーで、また巧の事件が取り上げられている。
コメンテーターが得意げに語っている。
『これは単なる若者の暴走ではありません。背景には、親の過保護や、特権階級的な意識があったのではないでしょうか。親の責任は重大ですよ』
リモコンを投げつけ、テレビの画面を割った。
うるさい、うるさい、うるさい。
俺が何をした?
俺はただ、真面目に仕事をして、地元に貢献して、息子にいい暮らしをさせてやりたかっただけだ。
なんでこんな目に遭わなきゃならんのだ。
* * *
一ヶ月後。
私は、会社の整理に追われていた。
事業の一部を競合他社に譲渡し、規模を大幅に縮小することで、なんとか倒産だけは免れた。
だが、佐伯建設の看板は地に落ちた。
多くの優秀な社員が辞めていき、残ったのは再就職先のない古株ばかり。
かつてのような大規模な公共事業に関わることは、もう二度とないだろう。
自宅も手放すことになった。
広大な庭付きの豪邸は売りに出され、私たちは市内の小さな中古マンションに引っ越すことになった。
引越しの当日、私は荷物が運び出されていくガランとした部屋に立ち尽くしていた。
壁に掛けてあった家族写真。
巧が大学に合格した時の写真だ。
満面の笑みを浮かべる息子と、それを誇らしげに見つめる私と妻。
あの時の私たちは、確かに幸せだった。
未来は輝いていると信じていた。
「……どこで間違えたんだろうな」
独り言が、空っぽの部屋に虚しく響く。
甘やかしすぎたのか。
厳しくしすぎたのか。
それとも、私自身の生き方が、最初から歪んでいたのか。
スマホが鳴った。
知らない番号だ。
恐る恐る出ると、聞き覚えのある、しかし酷くしゃがれた声が聞こえた。
『……父さん?』
巧だった。
保釈されたのか、それとも面会室から電話しているのか。
「……なんだ」
『ごめん……本当に、ごめん。俺、どうしたらいいか分からなくて……弁護士さんから、勘当だって聞いて……』
息子の声は震えていた。
かつての尊大な態度は消え失せ、ただの怯えた子供のような声だった。
『大学も退学になって、友達もみんな離れていって……賠償金も払わなきゃいけなくて……父さんしか頼れる人がいないんだ。お願いだ、助けてくれよ……俺、心を入れ替えるから……』
助けてやりたい。
親としての本能が、一瞬だけそう叫んだ。
今からでもやり直せるのではないか。一緒に小さなアパートで、一から出直せば……。
だが、その時、脳裏に浮かんだのは、社員たちの失望した顔や、近所の人々の冷たい目、そして動画の中で息子が吐いていた「突き落とすのが一番面白い」という言葉だった。
あいつの本性は、そう簡単に変わるものではない。
今、ここで手を差し伸べれば、あいつはまた同じことを繰り返すだろう。
そして、私自身も、今度こそ完全に破滅する。
私は目を閉じて、深呼吸をした。
そして、心を鬼にして告げた。
「……私に息子はいない」
『えっ……?』
「お前が撒いた種だ。お前自身で刈り取れ。二度と電話してくるな」
『父さん! 待ってくれ! 父さん!!』
悲痛な叫び声を遮るように、私は通話を切った。
そして、その番号を着信拒否リストに入れた。
スマホを握りしめた手が震えていた。
目頭が熱くなり、視界が滲む。
涙など流す資格はない。私は息子を見捨てたのだから。
引越し業者のスタッフが顔を出した。
「佐伯さん、最後の荷物、運び出し終わりました。鍵の確認をお願いします」
「……ああ、今行く」
私は涙を拭い、振り返らずに部屋を出た。
玄関のドアを閉める。
カチャリ、という鍵の閉まる音が、私の人生の一つの幕が下りた音のように聞こえた。
外に出ると、春の風が吹いていた。
かつては心地よく感じたその風も、今は冷たく肌を刺す。
車に乗り込み、新しい住居へと向かう。
そこには、狭く、慎ましい生活が待っている。
名士としての誇りも、財産も、家族の絆も、全て失った老後の生活。
信号待ちでふと見上げた街頭ビジョンには、あの「プログレス・ゲート」の新しいCMが流れていた。
先進的で、クリーンなイメージの映像。
その開発に関わったという若手エンジニアの名前が、ニュースのテロップに流れた気がした。
木島蓮。
息子が陥れようとし、逆に返り討ちにされた男。
彼は今、栄光の道を歩んでいるという。
真面目に、誠実に生きた者が報われ、他人を欺き、見下した者が堕ちていく。
当たり前のことだ。
だが、その当たり前の理を理解するのに、私はあまりにも多くのものを犠牲にしてしまった。
「因果応報、か……」
私はハンドルを握り直し、アクセルを踏んだ。
進むしかない。
砂上の楼閣は崩れ去った。
だが、まだ命はある。
瓦礫の中から、何か一つでも、本物の石を見つけることができるだろうか。
それとも、ただ孤独に朽ちていくのだろうか。
答えは誰にも分からない。
ただ一つ確かなのは、ログ(記録)は消えないということだ。
私の愚かさも、息子の罪も、この世界に刻み込まれ、永遠に消えることはないのだから。




