第四話:収集されたログ、黒い履歴
深夜の理工学部PCルーム。
空調の低い稼働音だけが支配する静寂の中で、俺、木島蓮と星野舞は、まるで何かに取り憑かれたようにモニターを見つめ続けていた。
コーヒーの空き缶が机の上に積み上がり、カフェインだけが疲れ切った脳を無理やり覚醒させている。
「……これ、見て」
舞が静かに指差したモニターには、おぞましいとしか言いようのないデータが並んでいた。
佐伯巧のMINEアカウントの復元ログ。そこから芋づる式に見つかった、複数の女性とのやり取りだ。
サークルの女子メンバー、他大学の女子大生、さらには「パパ活」と思われる相手まで。
同時進行で5人以上。
しかも、その手口はどれも似通っていた。
『君だけだよ』『前の彼女がメンヘラでさ』『サークルの仕事が忙しくて』
甘い言葉で近づき、相手を依存させ、飽きたら適当な理由をつけて捨てる。
その過程を、彼はゲームのスコアのように、裏アカウントの仲間内で自慢していた。
「最低……」
舞が嫌悪感を隠さずに呟く。
俺も同感だった。怒りを通り越して、吐き気がする。
こんな男のために、俺は全てを失いかけたのか。
そして由奈は……こんな男の言葉を信じて、俺を捨てたのか。
「この動画、YourTubeの限定公開リンクになってる」
舞が発見したのは、佐伯が「戦利品」と称してアップロードしていた盗撮動画のリストだった。
被害者の顔ははっきりと映っており、中にはサークル内で顔見知りの女子もいる。
再生回数は少ないが、コメント欄には佐伯の取り巻きと思われる男たちの下劣な感想が並んでいた。
「これも保存だ。犯罪の証拠になる」
「うん。ハッシュ値も記録しておくね。改ざん防止のために」
俺たちは黙々と作業を進める。
この数日間で集まった証拠は、爆弾と呼ぶにふさわしい量になっていた。
・佐伯による画像偽造指示のチャットログ
・サークル費横領の裏帳簿データ
・複数の女性との不貞行為および盗撮の証拠
・俺への誹謗中傷を扇動した裏アカウントのIPアドレスログ
これらを時系列順に整理し、一つのプレゼンテーションファイルにまとめる。
タイトルは『Progress Gate -真実への扉-』。皮肉を込めて、俺の内定先の名前をもじった。
スライドの一枚一枚が、佐伯巧という人間の醜悪な本性を暴く刃となる。
「……木島くん、これ」
不意に、舞の手が止まった。
彼女の視線の先には、ある一つのMINEのログが表示されていた。
日付は、俺の偽造写真が拡散される前日。
相手は、一ノ瀬由奈。
佐伯『由奈ちゃん、相談があるんだ。実は木島のことなんだけど……』
由奈『えっ、蓮がどうかしたの?』
佐伯『言いにくいんだけど、最近あいつ、悪い噂があるんだ。裏垢で他の女と連絡取ってるって』
由奈『嘘……蓮に限ってそんなこと……』
佐伯『俺も信じたくないよ。でも、証拠みたいな写真も見ちゃってさ。もし本当なら、由奈ちゃんが傷つく前に教えてあげないとって思って』
佐伯は、巧妙に「善き友人」を装い、由奈の不安を煽っていた。
そして、決定的なのが次のやり取りだ。
由奈『でも、蓮は忙しいって言ってたし……』
佐伯『忙しいって嘘ついて、他の女と会ってるのかもよ? 最近、スマホ隠したりしてない?』
由奈『……そういえば、お風呂入る時もスマホ持って行ってたかも』
「馬鹿な……」
俺は頭を抱えた。
スマホを風呂場に持っていっていたのは、単に長風呂をしながら技術記事を読んだり、YourTubeでプログラミングの解説動画を見ていただけだ。由奈にもそれは言っていたはずなのに。
疑心暗鬼に陥った人間の目には、日常の些細な行動すべてが「怪しい兆候」に見えてしまうのだ。
「佐伯は、人間の心の脆弱性を突くのが上手いね」
舞が淡々と分析する。
「信頼というセキュリティは、一度疑いというウイルスが入ると、内部から崩壊する。彼はそれを知ってて、意図的にウイルスをばら撒いたんだ」
ログの最後には、由奈が佐伯に送った短いメッセージがあった。
由奈『怖いよ……どうすればいいの?』
佐伯『大丈夫。俺がついてるから。何かあったら、すぐに俺のところにおいで』
これが、終わりの始まりだった。
由奈は完全に誘導され、自分から罠に飛び込んでいったのだ。
俺は画面を閉じた。これ以上見るのは辛すぎた。
だが、これで確信した。
由奈も被害者の一人だ。愚かで、弱かったかもしれないが、彼女もまた佐伯の手のひらで踊らされていたのだ。
「……ありがとう、星野さん。これで全部揃った」
俺はUSBメモリを抜き取り、ポケットに入れた。
その重みは、物理的な重さ以上のものを感じさせた。
これが、俺の未来を取り戻す鍵だ。
「総会は、明後日だね」
「ああ。大教室で行われる。プロジェクターも使うはずだ」
「接続方法は? 外部からのアクセスは遮断されてると思うけど」
「大丈夫。以前、サークルの発表会で機材担当をしたことがある。配線図は頭に入ってるし、予備のHDMIポートがある場所も知ってる」
俺は立ち上がり、背伸びをした。
全身の関節がポキポキと鳴る。
数日ぶりのシャワーを浴びたい気分だった。そして、きちんとした服を着て、戦場へ向かわなければならない。
「星野さん、当日は……」
「行くよ。会場の外でネットワーク監視をする。もし彼らが妨害電波や回線切断をしてきたら、私がバックアップ回線を繋ぐ」
舞はニヤリと笑った。その笑顔は、普段の大人しい彼女からは想像できないほど頼もしかった。
「最高のショーにしようよ。バグだらけのシステムを、強制終了させるんだ」
* * *
決戦前日。
俺は久しぶりに、日中のキャンパスを歩いた。
相変わらず周囲の視線は痛い。ヒソヒソ話や嘲笑が聞こえてくる。
だが、以前のように俯いたりはしなかった。
堂々と前を向き、背筋を伸ばして歩く。
その変化に気づいたのか、すれ違う学生たちが怪訝そうな顔をする。
「あいつ、なんであんな平気そうなの?」
「開き直ったんじゃね?」
勝手に言っていろ。明日になれば、世界は反転する。
ふと、図書館の前で足が止まった。
ベンチに、一人の女子学生が座っている。
一ノ瀬由奈だった。
彼女は文庫本を広げていたが、視線はページの上を滑っているだけで、内容は頭に入っていないようだった。
やつれている。遠目に見てもそれが分かった。
目の下にはクマがあり、肌も荒れている。かつてのような輝きはない。
俺は声をかけるべきか迷った。
だが、その時、彼女のスマホが鳴った。
由奈はビクリと肩を震わせ、慌てて画面を見る。
その表情が一瞬で曇り、恐怖のような色が浮かんだ。
「……はい、もしもし、巧くん?」
佐伯からの電話だ。
俺は近くの柱の陰に身を隠し、耳を澄ませた。
「えっ、今から? ……でも、明日は総会だし、今日は早めに休もうかと……」
『いいじゃん、少しだけだよ。俺、今ストレス溜まっててさ。由奈ちゃんに癒やしてほしいんだよ。まさか、彼氏の頼み断らないよね?』
電話の向こうから、微かに佐伯の苛立った声が漏れ聞こえてくる。
「う、うん……分かった。すぐ行くね」
由奈は力なく答え、通話を切った。
そして、深いため息をついた。
その時、彼女のスマホ画面に通知が表示されたのが見えた。
『MINE』のポップアップ。名前は『エリカ』。
女性の名前だ。
由奈はその通知を見て、指先を震わせた。
見て見ぬふりをして、通知をスワイプして消去する。
彼女も気づき始めているのだ。佐伯にとって自分が「唯一」ではないことを。
だが、それを認めてしまえば、俺を裏切ったことの正当性が失われる。
戻る場所もなく、進む先も地獄。
彼女は今、自分自身で作り上げた檻の中で怯えているのだ。
「……由奈」
小さく名前を呼んだ。
届くはずもない声。
彼女は立ち上がり、重い足取りで佐伯の待つ場所へと歩き出した。
その背中は、あまりにも小さく、脆く見えた。
助けたいという感情が、一瞬だけ湧き上がる。
だが、俺はそれを理性で押し殺した。
情けは無用だ。彼女が選んだ道だ。その結果を突きつけることが、今の俺にできる唯一の「誠実さ」なのだから。
俺は逆方向へと歩き出した。
明日の総会。
そこで全てが終わる。そして、始まる。
* * *
同じ夜。
佐伯巧は、高級マンションの自室でグラスを傾けていた。
上機嫌だった。明日の総会で、正式にサークルの代表に就任する。
それは彼にとって、大学生活の集大成であり、自身のカリスマ性を証明する儀式だった。
木島蓮という邪魔者も排除した。
由奈というトロフィーも手に入れた。
全ては計画通り。自分の人生は、常にこうやって思い通りに進んでいくのだ。
「チョロいもんだな、世の中なんて」
佐伯はスマホを取り出し、サークルのグループチャットを開いた。
『明日の総会、楽しみにしてます!』
『佐伯代表、一生ついていきます!』
取り巻きたちからの称賛のコメントが並ぶ。
その中に、由奈からのメッセージもあった
『明日は頑張ってね。応援してる』
短く、感情の薄いメッセージ。
最近、由奈の反応が鈍いのが少し気に入らなかった。
そろそろ飽き時かもしれないな、と佐伯は思った。
メンヘラ気味になってきたし、また新しいターゲットを探すか。
新入生が入ってくる春になれば、選び放題だ。
「ま、明日までは『いい彼氏』を演じてやるか」
佐伯は鼻歌交じりに、次の獲物候補である女子大生にMINEを送った。
『明日の夜、空いてる? 美味しいイタリアン見つけたんだ』
送信完了。
すぐに既読がつき、『行きたい!』という返信が来る。
完璧だ。
佐伯は満足げに笑い、残りのワインを飲み干した。
彼には見えていなかった。
自分の足元が、既に崩れ落ち始めていることに。
デジタル空間という見えない世界で、彼を断罪するための鎌が、首元寸前まで迫っていることに。
* * *
運命の朝が来た。
空は皮肉なほどに晴れ渡り、突き抜けるような青空が広がっている。
俺、木島蓮は、鏡の前でネクタイを締めた。
就職活動で着た、濃紺のリクルートスーツ。
それは俺にとっての戦闘服だ。
内定保留中とはいえ、俺はまだプログレス・ゲートの内定者としての誇りを捨てていない。
その誇りにかけて、不正を正す。
ポケットには、星野舞と共に作り上げた「証拠」が入ったUSBメモリ。
そしてスマホには、舞からのメッセージが入っていた。
『準備完了。いつでもいけるよ』
俺は小さく頷き、部屋を出た。
アパートのドアを閉める音が、決意のピリオドのように響く。
大学の大講義室前は、既に多くの学生で溢れかえっていた。
テニスサークルの総会は、単なるサークル活動の枠を超え、学内でも注目されるイベントだ。
数百人が収容できる階段教室。
その最前列には、役員席が設けられ、佐伯がふんぞり返って座っているのが見えた。
隣には、俯きがちな由奈の姿もある。
俺は最後列の扉から、ひっそりと中に入った。
帽子を目深に被り、目立たないように一番後ろの席の、さらに端に立つ。
ここなら、プロジェクターの制御卓に近い。
制御卓には、佐伯の取り巻きであるサークルメンバーが座って操作している。
だが、彼はスマホでゲームをしていて、隙だらけだ。
総会が始まった。
現代表の挨拶、会計報告(もちろん、改ざんされたものだ)が淡々と進む。
そして、いよいよメインイベント。
次期代表の選出と、佐伯の就任演説の時間だ。
「それでは、次期代表に立候補している、佐伯巧君。お願いします」
司会の声と共に、拍手が巻き起こる。
佐伯が自信満々に立ち上がり、マイクを握った。
スポットライトが彼を照らす。
「えー、ご紹介にあずかりました、経済学部4年の佐伯です。この度、伝統あるテニスサークルの代表に立候補させていただきました……」
流暢なスピーチが始まる。
「絆」「信頼」「友情」。
彼が口にする美辞麗句の一つ一つが、俺の神経を逆撫でする。
よくもまあ、あんなに平然と嘘がつけるものだ。
俺は静かに制御卓へ近づいた。
係の学生は、まだゲームに夢中だ。
俺は素早く、持っていた小型の無線レシーバーを制御PCのUSBポートに差し込んだ。
一瞬の早業。誰も気づかない。
『接続確認。リンク確立』
インカムから舞の声が聞こえた。
『いつでも切り替えられるよ。タイミングは任せる』
「……了解」
俺は小さく呟いた。
佐伯のスピーチはクライマックスに入ろうとしていた。
「僕はこのサークルを、誰もが笑顔でいられる、最高の場所にしたいと思っています。嘘や裏切りのない、クリーンでホワイトなサークルを……!」
その言葉がトリガーだった。
俺はスマホの画面をタップした。
「じゃあ、その『クリーン』の中身を見せてもらおうか」
その瞬間。
会場の巨大スクリーンに映し出されていた『SAEKI TAKUMI』というスライドが、ノイズと共に暗転した。
ざわめく会場。
「あれ? 故障か?」
「なんだなんだ?」
佐伯も驚いてスクリーンを振り返る。
「おい、どうなってるんだ! 早く直せ!」
係員に怒鳴る佐伯。
だが、次の瞬間。
スクリーンに映し出されたのは、真っ赤な背景に黒い文字で書かれた、強烈なタイトルだった。
『Progress Gate -真実への扉-』
そして、大音量で音声が再生された。
それは、あの夜、佐伯が俺に電話で言い放った言葉の録音データだった。
『ざまあみろ、エリート気取りが』
会場が静まり返った。
佐伯の顔色が、一瞬で土色に変わる。
俺は帽子を取り、ゆっくりと立ち上がった。
スポットライトよりも鋭い視線で、演台の佐伯を射抜く。
さあ、ショータイムだ。佐伯。
お前の人生最大のプレゼンテーションを、俺がハックしてやる。




