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1話『悪役令嬢の目覚め』

目を覚ますと私は、豪華なベッドの上に寝かされていた。柔らかいシルクの感触と、窓から差し込む日の光に、最初は夢を見ているのかと思った。しかし、ふと自分の手元を見ると、指先は細く、白い。鏡でもあればと思い、部屋の隅に目線を向ける。


机の上に置かれた大きな鏡。そこに映ったのはまだあどけなさを残した、美しい少女の姿だった。長く艶やかな黒髪が肩に流れ、瞳は透き通るような黄金色に輝いている。その均整の取れた輪郭と、ほんのりと紅を帯びた唇に、思わず目を奪われる。


身に纏ったドレスが、私の動きに合わせて揺れる。黒と深紅の織り糸が複雑に組まれた上品な生地は、手に取ると重厚感があり、袖口や裾には細かい刺繍が施されている。


「だれ…?」


ぽつりと零れた声は、軽やかで透き通っている。鏡に近づいて更に顔を覗き込む。毛穴一つ見当たらない。シミや皺の有無はさておき、人間の肌としてこれはありえない。


これじゃまるで…

頭の中に、恐ろしい考えが浮かんだ。


私は恐る恐る、机の引き出しに手をかけた。硬い木の感触と、少し古めかしい金具の重み。引き出すと、中には手紙や書類、羽ペンとインクが並んでいる。


まずは手紙。封蝋は深紅、紋章入りだ。開封されていないものもあれば、書きかけのものもある。私はそっと手紙を取り出し、中を見る。見慣れた筆跡ではないはずなのに、どこか見覚えがあるような気がしてならない。


書かれているのは、父からの伝言だ。


「朝の舞踏会の準備はきちんとおし。赤と黒の衣装の組み合わせにしなさい。挨拶は淀みなく、美しく。使用人が手を抜いたら、すぐ父様に言いなさい。お前は美しく、優雅に振る舞うこと」


「いいね、ヴィオレッタ。くれぐれも父様を失望させないでおくれ。」


"ヴィオレッタ"


……私は、この名前を知っている。



「あぁ、うそ…嘘よ、そんな」


私………、悪役令嬢に転生してる?



言葉に出すと、自分でも少し滑稽に思えた。


「あなたに捧げる愛の花」内容は、よくある悪役令嬢転生モノ…を逆張りしたようなものだった。


悪役令嬢に転生した主人公が、性悪なヒロインや、頭の悪い攻略対象を踏み倒し、幸せになったり。前世の知識を活かし断罪を回避するわけでも、登場人物たちから愛されるわけでもない。親に愛されず、性格のねじ曲がった悪役令嬢を、健気なヒロインが"攻略対象"たちと共に断罪していく話だった。


目新しいかと言われれば、そうでもなく。話が面白いかと言われれば単調で。特に逆境もなく、一巻で完結していた。よくも悪くも、普通の作品だった。良いところを上げるなら、表紙の作画がよい、それくらいだ。電子書籍で無料公開されていたので、暇潰しに読んだだけの小説だ。


物語の最後、ヴィオレッタは自分の物にならない王子に怒り、王子を殺そうと計画し失敗する。そしてヴィオレッタは、暗い牢獄の中で誰にも知られずひっそりと息絶える事になる。そうなる前に、よくある物語のように、原作の知識を活かして死を回避すればいいのではないか?


私がそう思い至った直後、扉がノックされ使用人と思われる女性が入ってきた。女性は肩まで届く栗色の髪を後ろで纏め、清潔感のある淡いグレーのワンピース風の使用人服を身に纏っている。手には、ベッドサイドに置くための紅茶と小さな軽食を乗せたトレイを持っている。


「おはようございます、ヴィオレッタ様。朝食を」


女性が言い終わる前に、口が勝手に開いた。


「何をぐずぐずしているのです!」


声は、部屋の中に大きく響いた。使用人は一瞬、肩を震わせると、か細い声で謝罪を口にする。


「も、申し訳ありません…」


そう言って、トレイを両手でしっかり抱え直すと、ベッドサイドにそっと置き。軽く頭を下げたまま、目を合わせずに小走りで部屋を出て行ってしまう。扉の閉まる音だけがやけに大きく聞こえた。


私はベッドに取り残されたまま、しばらく固まっていた。自分の口が勝手に動き、使用人を叱りつけてしまった……まるで、原作のヴィオレッタのように。


いま考えられることは二つ。

一つ目は、なんらかの形で私がヴィオレッタに成ってしまったせいで、私自身の人格がヴィオレッタに取り込まれている可能性。

二つ目は、この世界に強制力が働いている可能性。


よくある話だ。言いたいことを言えず、破滅へと無理やり進められてしまう。大抵は、理解してくれる相手が現れることで誤解が解けるか、それまでの行動を曲解されて聖女のように持ち上げられる事になる。


「そう、うまくいくと良いけれど」


結論から言えば、ならなかった。

学園に通うようになった私は、周囲の冷たい視線に慣れる暇もなく、毎日を過ごしていた。


王子の私に対する態度は事務的で、最低限の礼儀だけを保っている。


「ヴィオレッタ、今日の授業は君も来るんだね」


王子のその声に、僅かに棘を感じるのは、きっと気の所為ではないのだろう。王子を目にすると、言いたくもない賛辞の言葉と、周囲への罵倒が口から勝手に溢れ出す。


王子や攻略対象たちは、私を完全には避けられない。理由は明白だ。私は王子の婚約者候補だから。私が口を開けば、彼らは形式的な挨拶と、最低限の会話だけで応じる。その一方で、ヒロインは日々王子や他の攻略対象たちと親しくなっていく。私の存在は、彼らの間に小さな障害を作るだけで、決して邪魔にはならない。それがなによりも惨めだった。


原作の知識も、現代の知識も、意味をなさなかった。私の口は勝手に動き、体は思うように動かない。


学園の廊下を歩くたび、視線を感じる。すれ違う生徒たちは、私を嫌悪と軽蔑の目で見つめていた。


授業中、隣の席のヒロインが王子と楽しげに話しているのを見て、口元が勝手に歪む。心の中では「私はこんな事したくない」と思うのに、声に出せば罵詈雑言となって飛び出す。


昼休みも同じだ。王子や攻略対象たちは、ヒロインを囲み、笑い合う。私はただ、悪役令嬢ヴィオレッタとして、学園の片隅で毎日をやり過ごすしかなかった。死を回避する方法も、救いの手もなく、ただ、原作通りに破滅への道を歩む。


一度、どうにかして王子たちに会わないようにした事がある。けれど、どれだけルートを変えてもその先に必ず彼らがいる。そして決まって、顔を歪めて私を見た。きっと、ストーカーか何かだと思われているのだろう。


「……王子の顔など見たくもないのに」


いくらそう思っても、王子を前にすると私の口は勝手に笑顔を作り、彼を称える言葉を吐き出す。


「ああ、なんてお美しいお方でしょう。あなた様こそ、この国の宝ですわ」


放課後の中庭、集まった生徒の目の前で、私は王子の肩に手を回し、背中を抱き寄せた。まるで恋人同士のように距離を詰め、彼の耳元で軽く囁く。王子は眉をひそめ、嫌そうに目を逸らしていた。


昼食時の大食堂でも、同じように王子の腕に触れ、寄り添う仕草を繰り返す。教師が注意しても、私は聞く耳を持たなかった。


幸いなことは、学園に入学してからは攻略対象とヒロインが側にいなければ、体も口も自由に動くようになっていた事だ。けれど、それに気付いた頃には、私の信用は地の底に落ちていた。


けれど、自由に動ける時間は思ったよりも貴重だった。私はまず、学園の図書館に通い詰めた。表向きは暇つぶし、実際はこの世界の歴史と法、政治制度を学ぶため。誰も相手にしてくれないおかげで、かえって一人で黙々と知識を積み上げることができた。


分厚い法典、領地経営の記録、過去の裁判例…。原作のヴィオレッタは決して開かなかっただろう本を、私は貪るように読み漁った。


この国は絶対君主制を掲げ、表向きには王の万能さを謳っている。だが実際は、膨大な書類と手続きに縛られ、貴族同士の利害調整と見栄の張り合いで辛うじて成り立っているにすぎない。


表では優雅な笑顔を浮かべていても、裏では借財に喘ぎ、家督争いに苛まれ、派閥の均衡に怯えている。王室を支えるのは、結局のところ有力な貴族たちであり、王の権威も彼らの支持を前提にしてしか存続できない。


これだ、と思った。


救いの手は、もう望めない。

攻略対象やヒロインの前に立てば、私の体は勝手に動き、口からは原作通りの台詞が溢れ出す。避けようとしたって、日に一度は必ず彼らと出会ってしまう。まるで舞台の幕が勝手に上がり、役者として引きずり出されるように。


物語が進み、王子とヒロインが結ばれるようになれば私は、私の意思に関係なく王子を害そうと動くはずだ。


だからそうなる前に、盤上の駒を崩さなくてはならない。正面から二人を引き離すことができないのなら、まずは王子の周囲から壊せばいい。友人関係を破綻させ、彼の足場を削り取る。


私には力がない、名声もない。けれど、知識があった。


最初の標的は、王子の友人の一人。名前は確か、カルセといったはずだ。彼は明るく、活発的で人懐っこいが裏では賭場に明け暮れている。その原因は、彼の実家にある。表向きは穏やかな中流貴族だが、裏では父親が莫大な借金を抱え込み、領地は手入れをされずに荒れている。真っ当に働いても到底返せない金額に、彼は賭場に入り浸るようになる。原作ではヒロインの優しさに触れ、改心した彼は父親を摘発し新しい領主になる。…らしいが、正直それはどうでも良い。重要なのは、王子の友人が違法な行為に手を染めている。この一点だけ。


ヒロインがどうやってカルセの秘密を手に入れたかは、小説では非常に簡素に書かれていた。その為、この部分だけは私が独自に調査をする必要があった。新月の夜、人目から隠れるような奥まった場所にある寂れた酒場。妙にがっしりとした体格の店主が「今夜は何にします?」と聞いてくる。私がこの店の合言葉を口にすると、すんなりと店の奥に通される。


私は息を殺して中の様子を窺った。漂う酒と煙草の臭気の中、薄暗い照明に照らされた卓の一つに座る、橙色の髪の男。


深くフードを被っていても、その派手な髪色と瞳の赤は隠せない。彼は対面の男と低い声で言葉を交わしていた。


私は袖口に隠した小さな機械を構え、撮影を開始する。視界に映るのは、酒精に赤ら顔をした男たちと、煙のこもった賭場の卓。卓の上には、金属片や札が雑然と散らばっていた。


顔がはっきり映らずとも、状況証拠としては十分だった。全て別々の角度から映るように撮影する。


賭場を出て自室へ入ると扉を施錠し、窓を布で覆う。誰かが私の部屋に入ってくる事は滅多にないが、もしもこれにも強制力のようなものが働けば、私の計画は破綻する。ベットの下から天井まで全て、隅々まで確認する。


人が居ないこと、入って来れないことを確認した上で、私は椅子に座り袖口から機械を取り出す。これは私が学園の図書館で調べ、前世の知識と魔法を応用して作った写真機だ。


後はこの記録を紙に複写するだけだ。それも、魔法を使えばすぐに済む。調べていてわかったことだが、この世界に存在する魔法の多くは、現代における科学技術を魔法に置き換えただけの物が多い。


例えば、写真を撮る場合。基本の仕組みは現代と同じだ。レンズで光を集め、感光材に像を焼き付ける。この光を集める、という工程に魔法を応用する。魔法は現実の物理法則に干渉するような性質を持つため、仕組みを理解していなければ思い通りに扱えない。呪文を唱えれば勝手に魔法が放たれる、というわけではないのだ。


まだまだ精度は荒いが、これでいい。後は噂の種を蒔くだけだ。夜の巡回が落ち着く時間を見計らい、私は一人の生徒の靴箱にそっと写真を忍ばせた。


翌朝、学園はいつもより少しざわついていた。廊下のあちこちで視線が交差し、囁き声が波紋のように広がる。靴箱の持ち主らしい高めの声が仲間に何かを囁き、それが次の人へと伝わる。


噂とは、火種だ。

人は美しいものほど勝手に崇め、神格化する。けれど、その輝きが強ければ強いほど、影もまた深く落ちる。


「ねぇ、聞きまして?カルセ様の…」


「フェン王子のご学友が、まさかそんなことを」


言葉は歪み、尾ひれがつき、好奇心が人々の声を弾ませる。


その日から、カルセは変わった。


いつもは笑って冗談を飛ばす彼が、目を血走らせ、皺の寄った眉間で誰かと口論しているのを廊下の窓越しに見たとき、私の胸に小さな痛みが走った。


次の標的は、いつも王子やヒロインの側にいる騎士の男だ。名前はノース。彼は実直な性格で、王子への忠義に厚い。それを利用する。


昼下がりの中庭は、授業の合間のざわめきが残り、午後の光が噴水の水面を淡く照らしている。蔦の絡まる石のベンチに、カルセが小さく俯いている。額には青い血管が浮き、指先で握りしめた手が震えていた。追い詰められている事が見て取れた。


ヒロインは躊躇いなく彼の隣に腰を下ろし、迷いなくその手を差し伸べる。


「カルセさん……私、分かってるよ。あなたはそんなことをする人じゃないって、信じてるから。」


「ナセアちゃん…」


そこへ足音が近づく。ノースだ。鎧ではなく学園の制服に身を包んでいるが、立ち姿は変わらず凛としている。


あとは彼の忠義心を少しだけ刺激すればいい。私はわざと大きく足音を立て、ベンチに座る二人の前に現れる。

カルセは私を視界におさめると赤くなった頬を隠すように俯いた。


「あら…カルセ様…何か後ろめたいことでもお有りになって?例えば…」


まるでスイッチが切り替わったかのようにヴィオレッタとしての言葉が口から溢れ出す。ここまでは、計画通り。あとは、自分の口が、余計なことを言わないよう祈るだけだ。


「やめてください、ヴィオレッタ様…!」


ヒロインは、まるでカルセを庇うように両手を広げて私の前に立った。私は薄く笑みを浮かべ、ヒロインを見下すように目を細める。


「あなたもお聞きになったでしょう?カルセ様は…聞くところによれば、夜な夜な酒場に入り浸り、賭け事に明け暮れているのだとか」


「ヴィオレッタ様」


抑えきれぬ苛立ちが混じった低い声が、私の名前を呼んだ。視線を上げると、噴水の影からノースが姿を現す。ノースの視線は私とカルセ、そしてヒロインの三人に注がれる。


「…あら、ノース様」


「ヴィオレッタ様……出処のわからない噂をおいそれと口に出すべきではありません」


「所詮、噂は噂…と言いたいのかしら?なら、どうしてカルセ様は俯いていらっしゃるんですの?」


私は軽く頭を傾け、唇に僅かに笑みを浮かべてみせる。


「噂は噂…けれど、これでは何かあると言っているようなものですわ」


「ノース様。私はカルセ様の素行が原因で、私の愛するフェン様に影響が及ぶことが、耐えられないのです」


わざとらしくため息をつき、私は扇を口元に添える。


「王子のご威光に泥を塗るような真似、どんなに些細なことでも見逃すわけには参りませんわ。…ねぇ、ノース様?」


忠義心の塊のような彼に、あえて問いかける。彼の眉がぴくりと動くのを、私は見逃さなかった。


「まあ、これ以上は申しませんわ。ご自分のお立場と、王子のお立場を考えて行動なさることですわ」


言い放つと同時に、私はドレスの裾を翻し、背を向ける。私の背中に突き刺すような視線を感じる。


「私、喉が渇いてしまいましたの、ごめんあそばせ」


軽く首を傾げ、肩越しに冷ややかな微笑を投げると、その場を去った。


ここから先は、彼らの心の綻びをどう突くかが鍵になる。人目から離れた廊下を進み、今は使われていない空き教室の扉を閉めた瞬間、私は背筋を預けるように壁にもたれかかった。仮面のように張りついていた微笑みが、ゆっくりと形を変える。


「……これで、カルセはますます追い詰められる。あの様子なら、何もしなくてもいずれボロを出す」


「王子の評判に傷がつけば……ノースも、黙ってはいられないはず」


ぶつぶつと呟きながら、両手で体を抱き締める。私が流した噂が彼らをどれだけ傷つけ、貶めることになるか、考えただけで罪悪感に苛まれそうになる。


だがその心は、すぐに別の感情に上書きされる。恐怖……自分が死ぬことへの、底なしの恐怖。原作の結末を知っている私にとって、罪悪感だけで立ち止まる余裕はない。罪悪感は贅沢な感情だ。


放課後になり、授業を終えた私は学園を後にし、自室へと戻った。ベッドに腰かけ、窓の外の夕暮れに目をやりながら、私は明日の事ばかり考えていた。


「……思い通りに事が運べばいいけれど」


翌朝。いつものように学園に向かうと、なにやら門の前で人だかりが出来ている。


人混みの向こうに見えたのは、カルセとノースだ。二人は往来の真ん中で向かい合い、互いに強い口調で言葉をぶつけ合っている。


私の昨日の言葉に思うところがあったのだろう。真面目なノースは、他人の気持ちを推し量ることなく、噂の真偽をそのままカルセ本人に質問したに違いない。


「違うと言うのなら、はっきりと否定すればいいではありませんか」


ノースの声が、門前に集まった人々をさらに引き寄せる。けれど、カルセは俯いたまま、しどろもどろの言い訳を繰り返すばかり。


「っ、なんだよ!俺だって…っ」


集まった生徒たちの視線が、いっせいにカルセに突き刺さる。よほど周囲の好奇の目に晒されるのが辛いのだろう。彼の体は小刻みに震えていた。


「あなたが真に殿下の友人であるなら、今ここで全てを正直に話すべきです」


私は心の中でそっと息を吐く。こうなるように、わざとノースを煽ったのは間違いない。だが、まさかノースがこんなにすぐ行動に出るとは思っていなかった。


「………ぉ、俺のことは、ほうっておいてくれよ!」


叫びと共にカルセはノースの肩を強く押しノースが一歩よろめいた隙に、カルセは人垣を乱暴にかき分け、振り返ることなく駆け出していく。後に残ったのは、呆気にとられた群衆と、拳を固く握りしめたまま動けないノースだった。


私はその光景を唖然とした表情で見つめていた。


カルセは、あんな幼稚な行動に出る人間だったか?


いくら追い詰められているとしても、あんな態度を取れば、今後どんな目で見られるか。今のところ、すべてが自分の都合の良いように動いている。それがなんだか恐ろしかった。



…この一件で、カルセとノースの間には確実に溝が生まれた。


以前は、廊下ですれ違えば軽く肩を叩き合い、笑いながら雑談することもあった。しかし、今はすれ違うと互いに視線をそらし、会釈すらしない。


王子やヒロインが近くにいれば、ぎこちなく会話に加わることもあるが、二人きりになると自然に距離を置く。


そしてある日、事件が起こった。

放課後、廊下を歩いていると、中庭からなにやら悲鳴が聞こえてきた。


「お願いやめて!二人とも!」


声の方に向かってみると、群衆の中カルセとノースが向かい合い、殴り合っているのが見えた。周囲の生徒の声から、最初に殴りかかったのはノースだという事がわかった。


二人は拳を交えながら、何かを言い争っている。


拳と拳がぶつかるたび、鈍い音が中庭に響き渡る。周囲から悲鳴が上がるが、二人には届かない。カルセが、口の端から血を滲ませながら叫ぶ。


「どうしたノース!拳なら饒舌じゃねえか!」


「黙れ!」


ノースの声は低く、怒気に震えていた。


「王子を侮辱したお前を、許すわけにはいかない!」


「許す?何様だよ……!お前はただ、王子の剣でいるしか能がないくせに!」


「それが私の務めだ!」


「務め務めって……それしか言えないのか!自分で何も選べない鎖付きの犬が!」


その言葉にノースの目が大きく揺らぎ、次の瞬間、拳が再び振り抜かれた。カルセも怯まずに殴り返す。


「俺は、お前みたいに与えられた道を歩けるやつが……っ!羨ましくて仕方ないんだよ!」


「俺は望んでもない道を、無理やり背負わされて……間違えれば全部俺のせいだ!逃げたくても逃げられない……!」


ノースの拳が再びカルセの頬をとらえ、血が飛び散る。しかしカルセはよろけながらも、必死に立ち直り、ノースを睨みつけた。


「与えられた道?ふざけるな……!」


「その道を背負うために、どれほどのものを捨ててきたか……お前に私の何が分かる!」


ついに教師の笛の音が響き、複数の大人の手が二人を力づくで引き剥がした。荒い息を吐き、髪は乱れ、顔は血に染まったまま、二人は睨み合い続けた。


その日を境に、二人は正式に謹慎処分を受けることになった。



その日はずっと、耳の奥に、二人の声が焼きついて離れなかった。自室にたどり着くなり、私はそのまま床に崩れ落ちる。


「……ぁ……」


私が、二人の関係を壊した。

両手が震え、体が硬直したまま動かない。喉の奥に熱いものが込み上げる。


「っ……は……」


私は床に崩れ落ちたまま、浅い呼吸を繰り返す。冷たい床に指先を押しつけて、必死に現実から逃れようとする。だが爪が割れようとも、罪悪感は薄れてくれない。


やがて、視界が暗転するほどの眩暈が私を襲った。


次に目を開けた時、私はもう学園の門をくぐっていた。


(……え……? なに……どうして……?)


私は歩いている。いや、歩かされている。膝も足も自分のものではないように前へと進み、振り返る余地すら与えられない。


行き着いた先は庭園だった。月明かりに照らされ、色とりどりの花々が静かに揺れている。私の足がぴたりと止まった。茂みの陰に押し込まれるように身を潜める。視線の先に二人の影が見えた。


王子と、ヒロイン。


月光に照らされた横顔ははっきりと見える。彼女の肩は震え、すすり泣く声が夜に溶けていた。


「………私、知らなかった……二人の、友達なのに」


肩を抱かれた彼女の頬は涙に濡れている。王子は静かに彼女の背へ手を回し、抱き寄せた。


「…ナセア」


殿下の瞳には、涙が滲んでいた。

ヒロインは王子の胸に顔を埋め、嗚咽を洩らした。


「……殿下……」


二人の距離はさらに縮まっていく。涙で濡れた頬に王子の指が触れ、そっと顎を上げる。彼女の唇が震え、王子がそれを受け止めるように顔を傾ける。


そして、二人の唇が重なった。


その瞬間、私の手が勝手に動いた。冷たい金属の感触が指先に触れる。小さな音が、夜の庭園に響いた。


カシャッ。


「……っ」


なぜ…どうして、私は…


嫌だ。見たくない。

なのに、目を逸らせない。手を止められない。


視界の端が暗く染まり、再び眩暈が押し寄せた。抗う間もなく、身体がふっと後ろへ引かれる。


暗転。


次に意識が戻ったとき、私は自室の扉の前に立っていた。手の中には、先ほど撮ったはずの写真が、確かに握られている。


……結局、私の行動は二人の距離をより近づけただけだった。


「……これじゃ、ほんとに悪役令嬢じゃないか」


目の前で繰り広げられるのは、私の意思とは無関係に進む舞台。


私はあんなに罪悪感に蝕まれたのに、二人は抱き合い、慰め合い、キスをして、まるで世界の中心にいるみたいに輝いている。


「……なんだ、それ」


小さく吐き出した声は、自分でも驚くほど乾いていた。胸の奥で、何かがぐしゃりと潰れる音がした気がした。


ああ、もういい。全部、壊そう。

王子とヒロインの絆も、物語そのものを国ごと根こそぎひっくり返してやる。


——そうすれば、私は自由になれるのだろうか?

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