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17日目 齟齬と揺らぎ 〜祠の濁流、星図の指差し〜

在庫/十七日目・朝


・水:0.25L(残量減少/夜露ほぼゼロ)

・食:海藻 小(束×1)/貝片わずか(不可食)

・塩:結晶 微量(乾燥化)

・火:炭片ごく少/燃焼弱

・記録具:ペン 使用可/炭 予備

・体調:喉の渇き強/頭痛微/右手しびれ感あり

・所感:水脈の濁り夜明けても回復せず。裂け目広がる。制度では追いつけない。


朝。帳を開く指が思うように動かなかった。

祠の水は夜明けとともに澄むはずだった。だが今朝もなお底は影ひとつ見えない。泡の列が断続的に浮き続けていた。


「水を飲む行為そのものが、毒に近づいている」


記帳の手が震えた。

在庫表の数値は冷徹に減り続ける。線を引くたびに、未来が削られていく感覚に襲われる。


裂け目。

祠の縁に走った黒い筋は、昨日よりも濃く、広く。表面の砂を押しのけて深みに沈み込んでいた。


観測/午前


・祠:濁流続行。裂け目から泡と濁り拡散。

・鳥:群れ散開。交換の兆候なし。供物は途絶。

・潮の人:遠く、波間にて沈黙。手を動かさず。

・影:杭の影、異常な伸長(昨日比で二歩ぶん長い)。

・星図:夜の修正幅、予測値より大きく逸脱。


鳥はもう、供物を落とさない。

昨日まで骨片や藻を置いていった群れ。今日は高く旋回するばかりで、輪の外へも近づかない。


「敵ではない。だが取引相手でもなくなったのか」


胸の奥に言葉が刺さる。

制度で定義した科目が目の前で剥がれ落ちていく。


私は裂け目に手をかざした。

指先に冷気がまとわりつき皮膚の感覚が奪われる。

祠の縁石はかすかに震え、その震動が砂を通じて足裏に伝わった。


「島そのものが、揺れている……?」


思わず声にした瞬間。背筋が冷たくなる。

揺らぎは祠だけではなかった。


見上げれば杭の影が不自然に伸びていた。太陽はまだ頭上に近いはずなのに、影は夕刻のように長く祠の縁を越えて砂の輪をかすめている。


星図もまた昨夜と大きく齟齬を見せていた。

記録した方位と今朝の星の位置は、まるで別の島を測ったかのようにずれている。


制度に従うなら「修正」と記すべきだ。

だが修正では済まない幅だ。


条項補注(十七日目・午前)


・祠の裂け目拡大。濁流は制度で抑止不可能

・鳥の供物消失。相手から無関係へ移行か

・杭の影、異常な伸長。日照と齟齬

・星図の逸脱、制度的補正不能

・潮の人、記号を描かず。観測対象は「沈黙」


昼。水を減らしながら喉を湿らせた。

舌に広がるのは鉄のような味。

飲み下すたびに「毒」という語が頭に響いた。


それでも飲まねばならない。

飲まなければ記録も続かない。

記録が途絶すれば私は消える。


輪の向こうで潮の人が動いた。


沈黙を保っていた彼女が初めて記号ではなく指を伸ばした。

その先は島の外。

水平線ではなく、もっと上。


…星。


彼女の指はまだ薄青の昼空に残るかすかな白光を迷いなく差していた。


「……星図を、示している?」


制度の外側に直接の指示がある。

記号ではなく、指。

誤解の余地を削り取った行為。


私はペンを握り震える手で余白に大きく書き記した。


《潮の人、初の直接指示:星を指差す》


観測/午後


・祠:裂け目から泡増。濁り強化

・潮の人:星を指差し続行。記号なし

・影:杭の影、午前よりさらに長大化。祠を横断

・星図:方位逸脱大。昨夜比で一刻分の差


「もう制度では追いつけない」


帳の文字がにじんだ。

制度は等式であり、均衡であり、取引であった。

だが今、島そのものが崩壊へ向かっている。


記録は命を繋ぐ。

だが制度を記す紙がもはや現象に追いついていない。


裂け目の音がした。

水ではない。

地そのものがきしむような低音。


私は紙にかろうじて一行を加えた。


「=を重ねても、〇は崩れ、縁すら見えなくなる…それでも、星は指されている」


在庫/十七日目・夜


・水:0.2L(減少)/祠 3割以下(濁り強)

・食:海藻 残り僅少(束×0.5)

・塩:微量

・記録具:ペン 使用可

・所感:制度の枠、現象に追いつかず。潮の人、星を指す


夜が落ちる。

星は昨夜よりさらに散乱して見えた。

だが、彼女の指す方向には一つだけ強い光が残っていた。


私は震える手でその光を記す。

それが制度を超える手掛かりであると信じるしかない。

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