15日目 崩壊の前兆 〜祠の濁り、影の乱舞、星図の破れ〜
在庫/十五日目・朝
・水:0.3L(減少・夜露ほぼなし)
・食:海藻 小(束×1.5)/貝なし
・塩:微量(縁の結晶)
・火:炭片わずか/燃焼手段かろうじて維持
・記録具:ペン使用可/炭 予備
・体調:喉の渇き強く、頭重感あり
・所感:祠の水再び濁る。泡増大。昨日より速い
「水を飲む行為そのものが毒に近づいている」恐怖はもう確信になりつつある。
午前、祠の縁にしゃがみ込む。
昨日見えた小さな裂け目が夜のあいだに広がっていた。
黒い筋は縁を這い細かい砂を濡らしている。指で触れると冷たく、まるで下へと吸い込まれているようだ。
「島の下で何かが動いている」
記帳する文字が震える。
頭上をかすめ鳥の群れが旋回する。
降ろされたのは藻でも骨でもなく小さな光沢をもつ石片だった。
砂に落ちてきらめくそれはまるで星の欠片のように見えた。
輪の外に一羽が止まり首を傾げる。
∴を描いても反応はない。ただ黒い瞳で裂け目をじっと見ていた。
昼、太陽が頭上にあるのに杭の影が揺れる。
しかも一つではなく二重に重なっている。
片方は東へ、片方は西へ、わずかにずれて伸びていた。
「影が二つある…」
観測史に残した文字はぞっとするほど異質だった。
さらに昼空に淡い残像のような星が浮かぶ。
太陽の光に負けず紙に描いた星図の上で星が勝手に動き出す。
昼に夜が混ざる。秩序がねじれる。
制度に落とそうとした。〇や=、∴を並べても足りない。
未定義の欄ばかりが増えていく。
記録が追いつかない。網からこぼれる水のように現象が零れていく。
午後、潮の人が沖に立っていた。
これまでのように砂に記号を描くことはしない。
胸の前で静かに手を合わせ、次に指をまっすぐ星図の方向へ伸ばした。
それは記号ではなかった。
制度に翻訳できない、ただの「指さし」だった。
だが直感は告げていた。…「これは警告だ」と。
祠の水面が一斉に泡立ち白く濁る。
紙の上に写した星図が破れるように滲んだ。
インクが広がり線と線が崩れて紙が呼吸するように波打つ。
「制度を越える」
喉が渇きすぎて声にならず心臓だけが激しく打った。
夕刻
在庫/十五日目・夕
・水:0.25L(臨時器に濁り水のみ)
・食:海藻 束×1
・塩:微
・体調:疲労強、口渇甚大
条項補注:
・裂け目拡大、祠の水脈は崩壊寸前
・鳥の供物=石片(星模様)。意図未解読
・影が二重化。星図の秩序崩壊
・潮の人、初の「直接指示」。制度外の行為
夜、星が空で暴れていた。
帳を開いても線を引いても星は紙を突き破って動いた。
祠の濁りは止まらず黒い裂け目は呼吸のように広がっていく。
「制度を越える現象が迫る。記録は網でしかない。だが、網を張るしかない」
震える手で=を二重に重ねる。
紙は湿気で波打ち星の残像がその上に映り込む。
最後に一行だけ記す。
《影が二重に揺れた夜、星は紙を破り、祠は沈黙した》