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13日目 裂け目と兆し 〜水脈の乱れ、祠の沈黙〜

在庫/十三日目・朝


・水:0.35L(減少・夜露わずか)

・食:海藻 小(束×2)/貝殻片のみ(可食なし)

・塩:結晶 微量

・火:炭片少/燃焼手段は維持

・記録具:ペン(使用可)/炭 予備

・体調:良好だが喉の渇き強め/軽い頭痛

・所感:祠の水、澄まず。濁りが継続。安定しない。


祠の縁にしゃがみ込み器を覗く。

昨日まで辛うじて底石の角が見えていたはずの水。今朝は褐色の薄幕を張り、泡の粒が絶え間なく産まれては弾けていた。泡は小さな〇を描きひと呼吸で消える。底は影ひとつ見えない。

匂いが違う。海藻の青い呼気から湿った鉄へ。舌の奥で金属が擦れる。喉の壁が張りつき唾液は砂ほどの量も出ない。


「生命を繋ぐ祠が、こうも揺らぐのか」


記帳の手が紙の上で一度止まる。十日を超えて積み重ねてきた在庫表。呼吸のように続けてきた記録に初めて焦りが滲む。数字は命の列であり今日の列は短い。


砂を渡る気配…影が背後を掠め輪の外へ白いものが落ちた。

拾い上げる。乾いた硬度。軽いのに中身が抜けたような音。骨だ。魚か、あるいは海鳥のものか。


観測/午前


・祠:濁り続行。泡頻度増。縁に亀裂状の黒い筋を確認(長さ手幅×2、幅は爪ほど)。

・鳥:群れ減少。外縁を飛ばず沖を旋回。供物として白片(骨状)を投下。輪の上は横切らず。

・潮の人:沖にて静止。記号描かず。視線のみ。

・影:杭の影、昨日より半歩伸びる。星図ずれ幅、前夜比で大。

・風:湿り気強く、塩気は薄い。


骨片を小石に当てる。乾いた空洞音が、砂に吸い込まれる。

昨日の供物は藻だった。今日は骨。取引の品目が変わるのは偶然か、合図か。

輪の外で一羽が待機し首を傾げる。私は砂に∴を刻む。鳥は反応して一歩寄ったが、交換の仕草は見せない。


…鳥でさえ、この水を避けている。


胸骨の裏側で、二つの声がせめぎ合う。

「制度に従え」/「飲め」

制度は、奪わず、取引し、記録すること。だが祠の水が失われれば制度は立脚点を失う。制度を守っても命が尽きれば意味はない。

喉は火照り視界の端がわずかに揺れる。紙面の罫が波打って見える。


潮の人が遠くで立っていた。

いつもは砂に〇を描く手が今日は動かない。ただ水面に立ち静かにこちらを見ている。

彼女の沈黙は、「制度そのもの」を一度テーブルから外し、こちらの出方を待つ監査のようにも映る。


条項補注(十三日目・午前)

1.祠の濁水は直飲み禁止。布濾し→砂利層→日光沈殿の順で試行し、失敗時は塩少量+煮沸(※火力不足のため保留)へ

2.祠縁の亀裂(黒筋)は定点観測(長さ・幅・触感)を日内3回

3.鳥の供物変更(藻→骨)は意図未確定。贈答/交渉/警戒の三択で保留

4.潮の人の沈黙は記号不履行として記録。ただし敵対へ直結させない

5.「記録に追いつかぬ速さ」の場合、写真的記述より先に“項目”を埋める(空白防止)

6.渇きによる判断鈍化あり。独断即断を避け、手順書で意思決定

7.「飲むか否か」の問いは在庫全体の残存日数と結び付ける(感情切り離し)


在庫/十三日目・昼


・水:0.30L(消費)/祠 4割(濁り強、泡〇拡大)

・食:海藻 小(束×1)

・塩:微量(縁の結晶)

・記録具:ペン 使用可/炭 予備

・体調:喉の渇き強、こめかみ痛、軽いふらつき

・所感:裂け目観測。祠の沈黙続行。鳥は輪を横切らない。


祠の縁に指を置く。黒い筋は冷たく湿っている。

「吸っている」のか「吹いている」のか感触は判別不能。耳を寄せると地下に細い息が通るようなごうという音が、砂の深部から遅れて届いた。

私は指の水滴を舐めない。舐めないことを制度にする。


潮の人が胸までの水で静止し顔だけをこちらへ。手は動かない。

代わりに波が彼女の周りで円を描いた。自然の円。〇は今日に限って彼女の手からではなく水自体が作った。


観測/午後

・祠:泡〇の直径拡大(朝比1.4倍)。破裂音増加。縁石の一部が温い(右手側)

・潮:浜の左奥から濁り筋が入り祠周りで渦状

・鳥:一羽が祠を覗き込み→即離脱。以降は輪の外縁を反時計で回る

・潮の人:依然として沈黙。わずかに顎で沖を示す仕草

・影:杭の影、拳ひとつ半の延長。星図は昨夜比で東に流れる傾向

・風:午後から南寄り。潮臭の層が上下に分離(下層=生臭、上層=乾いた塩)


口の中で海藻を噛み塩を一粒溶かす。渇きは引かない。

私は帳に迷いをそのまま科目化して縫い止める。


科目:渇き(感情)/処理:手順に退避

科目:恐怖(予兆)/処理:観測回数の追加

科目:怒り(対象=鳥)/処理:相手へ変換(交渉前提)


紙の上でペン先が一度滑り細い黒が波打った。

文字が歪む。私は深呼吸して=を丁寧に二重に描いた。渡す線。今日の私は自分に渡す。


夕方、輪の外縁に骨片がもう一つ落ちた。最初のものより薄く小さい。

貝殻の裏面に似た艶。裏を撫でると爪先ほどの凹みがあり、そこに微かな線…。昨夜の外印と酷似。

私は外輪の外に埋設し*不在登録(三角)*を隣に置く。祠を覗く。濁りに変化なし。


観測/夕刻

・祠:水面の泡列が北東→南西へ流れる。底石視認不可。縁石の一部に微細な振動

・鳥:受け台の上で一拍停止→離脱。輪を横切らない習性固定

・潮の人:腰→胸→鎖骨まで水位上昇。それでも倒れない。「立つ」こと自体が彼女の記号のように見える

・影:杭、拳二つぶん延長。星の位置、昨夜比で東流のまま。

・音:地下からごう(低)、水面からぱち(高)。二層の音が干渉し、祠の表皮がざわつく


…制度に従うのか直感に従うのか。

私は輪の南に印石を一つ増やし受け台の縁を高くした。祠から外輪までの最短導線に小さな窪みを作り溢水時の逃がし道として砂を固める。

制度は動線でもある。


条項補注(十三日目・夕刻)

8. 骨片など外来物は即時外輪へ。祠直近持込は禁

9. 受け台は輪外縁を越えない。越えた場合は印石の再配置

10. 祠周りに逃がし道(砂の溝)を暫定設置。溝は一晩で消える想定、毎朝更新

11. 沈黙(相手)の解釈は遅延。沈黙=敵対の短絡を禁ず

12. 幻視・幻聴の可能性を毎夜自己点検。睡眠不足・渇き・恐怖の三因子を並列表に

13. 判断の”揺れ”を恥じない。揺れの記録こそ制度


在庫/十三日目・日没前

・水:0.28L(祠=3.5割)

・食:海藻 小(束×1→半分)

・塩:微(縁の結晶:針先×3)

・記録具:ペン良好/炭 予備

・所感:水脈、今夜の変動大の予兆。逃がし道を設けたが効果未知


祠の縁に耳を当てる。ごうは近い。

縁石の一角に温度の段差。冷たさの中に指先だけを刺す温さ。地下で何かが通っている。

私は紙の余白に=を二重に描きその間に小さく∴を挟む。

…渡す/交換/渡す。

今日の自分の順序。昨日の彼女は〇→=→∴だった。

順序が並ぶ。どちらもまだ答えじゃない。


在庫/十三日目・夜

・水:0.25L(祠 3割)

・食:海藻 極小

・塩:微

・火:炭片わずか(予備化)

・記録具:ペン使用可

・体調:渇き/こめかみ痛/軽い悪寒

・所感:祠の沈黙続行。泡〇の拡大。星図は東流


夜。

空は澄み星は多い。だが配置は昨日の記憶からわずかにずれ、杭の影は拳二つぶん長い。

祠は沈黙しながらぱちを続け、泡の〇は大きく遅く弾ける。

闇の中で黒い筋が一瞬だけ呼吸する…ように見えた。幻視かもしれない。私は否定せずに書く。


私は最後に一行を加えた。


「制度を越える現象が来る。ならば、記録を加速させるしかない。」


紙の上に太く=を重ねる。渡す、を二度。

輪は崩れかけている。それでも縁は見える。

…そして縁が見える限り私は書ける。

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