第五話 道の守り人
アランとリィナは、教団の男たちの襲撃を辛くもかわし、全速力で馬を走らせた。
アランは、馬を走らせながら、背後を何度も振り返った。
黒い蔦はもう見えない。
だが、地の底から這い出るような呻き声と、焦げ付くような呪詛の気配は、まだ五感にこびりついていた。
教団の男たちは、驚くほど執拗に二人を追ってきた。
彼らは追跡のプロであり、地脈の淀みを利用して移動する、まるで森の幽霊のようだった。
「くそ…!奴らはなぜ、私たちを狙う!?」
アランは苛立ちを露わに叫んだ。
「もしかしたら、私たちが『地脈の動脈瘤』の正体にたどり着いたことを、教団は知っているのかもしれません」
リィナが冷静に答える。
「私たちの調査が、彼らの計画を邪魔する可能性を悟ったのでしょう」
教団の追跡は、何日も続いた。
二人は昼夜を問わず走り、人里を避けて森の奥へと逃げ込んだ。
アランは自らの地図とコンパスで、教団の動きを予測しようと試みたが、彼らの動きは非論理的で、彼の予測をことごとく裏切った。
しかし、リィナが大地に耳を澄ませ、教団が通った後の「悲鳴」を聞き取ると、アランの地図には彼らの通過ルートが正確に浮かび上がる。
アランはそのデータを元に、彼らが次に待ち伏せする可能性の高い地点を計算し、危険を回避することができた。
三日目の午後、二人はようやく教団の追跡を完全に振り切った。
その日の夜、二人は小さな宿屋を見つけ、ようやく疲れを癒すことができた。
暖炉の火が燃える静かな部屋で、アランは熱いスープを飲みながら、リィナに尋ねた。
「あの『眠りの呪いの事件』というのは、一体どういうことなんだ?」
アランの問いに、リィナは静かに語り始めた。
数年前、ドワーフとエルフが『夜明けの道』を造っていた時、古代遺跡に眠っていた呪いが、人々を眠りにつかせる事件が起きた。
リィナは当時、宰相特使として、その事件の仲裁を任されていた。
「あの時、私はゴリンとライラ…あなたも知っているドワーフの技師とエルフの歌い手…彼らとともに、いがみ合う二つの種族を代表して、事件の解決に当たっていました。彼らの衝突を止めることはできても、彼らが互いを理解し、信じ合うためのきっかけは、私には与えられませんでした。それは、彼らが自らの手で掴んだ、最も大切な真実だったのです」
リィナの言葉は、アランの心に深く響いた。
論理だけを信じるドワーフと、感覚だけを信じるエルフ。
互いのプライドを捨て、自らの弱点を受け入れることで、彼らは一つの奇跡を成し遂げたのだ。
「その事件以来、彼らは最高の相棒となりました。互いの仕事に敬意を払い、協力することで、この道を完璧に守り続けている。だから…」
リィナは、スープの入ったカップを両手で包みながら、静かに言った。
「この『地脈の病』も、彼ら二人の力があれば、必ず解決できると信じているのです」
アランは、黙って彼女の言葉に耳を傾けていた。
彼の論理的な思考は、ゴリンとライラという二人の専門家がいれば、この病を解決できると結論付けていた。
しかし、彼の心には、それとは全く別の、温かい確信が芽生えていた。
この問題は、ただの「病」ではない。
そして、解決策は、ただの「技術」でも「歌」でもない。
それは、彼らが互いの違いを認め、手を取り合うことなのだ、と。
アランは、熱いスープを一口飲むと、静かに頷いた。
翌朝、彼らは旅を再開した。
目的地は、北方にある、ゴリンとライラがいる『夜明けの道』の中間地点にある観測所だった。
そこへ向かうには、大陸を南北に縦断する、一本の長い道を通らなければならない。
それは、賢者アルドゥスとの大戦後、平和の象徴として、さまざまな種族が協力して築いた『夜明けの道』だった。
硬く舗装された道は、まるで巨大な竜の背骨のように、エルフの森を貫き、南の平原と北の山脈を繋いでいた。
エルフの森に入ると、道の両側には、幾千年もの時を刻んできた古代樹が青々と茂り、その間を、旅人や商隊が楽しげに行き交っている。
この道こそが、アランとリィナ、そしてゴリンとライラを繋ぐ、運命の道だった。
道の途中、彼らは、二つの種族の協力によって運営されている観測所に立ち寄った。
そこで、彼らは、今も『道の守り人』として共同で保守管理を行う、ゴリンとライラに出会った。
観測所の入り口に、二つの人影が見える。
一人は、いかつい顔つきのドワーフで、その手には装置の調整を終えたばかりの金属の杖が握られている。
もう一人は、夜空を思わせる深い青のローブを纏ったエルフの女性で、穏やかな表情で木々を見つめていた。
二人は、まるで磁石のように引きつけられるかのように、常に近くにいた。
「彼らが、ゴリンとライラです」
リィナが、アランにささやくように教えた。
「ドワーフの男性がゴリン。エルフの女性がライラよ」
リィナの言葉に、アランは驚いたように目を見開いた。
彼は、宰相府の記録に記されていた特徴と、目の前の二人の姿を照らし合わせ、納得したように頷いた。
そして、アランは、胸に込み上げてくる期待と希望を抑えきれず、まるで旧友を見つけたかのように、高らかにその名を呼んだ。
「ゴリン!」
「ライラ!」
ゴリンとライラは、驚いたように振り返り、そして、アランの隣に立つリィナの姿を認めると、その顔に、心からの驚きと喜びの表情を浮かべた。
「リィナ!なぜ、あなたがここに?!」
ライラが、駆け寄り、リィナの手を固く握った。
「久しぶりね、ライラ。あなたたちに、助けを求めにきたの」
「何だ?何があった?」
ゴリンも、二人の元へ駆け寄り、心配そうに尋ねる。
アランは、二人の再会を、少し離れた場所から、穏やかな笑みを浮かべて見守っていた。
『この道の維持には、地脈のエネルギーを安定させるための、精密な管理が必要なのです。そのために、彼らは互いの技術と歌を共有し、この道をずっと守ってきた。彼らこそ、この道の、本当の「守り人」なのですよ』
リィナが、以前、アランに語った言葉が、今、目の前で、現実のものとして繰り広げられていた。
リィナと、ゴリンとライラとの再会は、まるで、互いの魂が、遠く離れていても、一つの調和を奏でていたかのような、穏やかで、そして確かな響きを持っていた。
アランは、自らが目指すべき世界の姿を、この場所で垣間見た気がした。
観測所の中へと入った彼らは、久しぶりの再会を喜び合いながら、この場所が、ゴリンとライラによって、どれほど完璧に管理されているかを、目の当たりにした。
観測所の内部は、ドワーフの技術とエルフの美意識が完璧に融合した、まさに奇跡のような空間だった。
中央には、巨大な水晶のドームがあり、その中には、複雑な歯車と魔力回路でできた、巨大な観測装置が鎮座している。
ドームの壁面には、エルフの歌によって、森の歌が繊細な光の模様として投影され、地脈の状態を即時に表示している。
ゴリンが作った、精巧な地脈観測装置は、常に大陸の地脈の状態を監視し、そのデータは、エルフの歌い手であるライラによって、解読可能な「声」へと翻訳されていた。
天井からは、蔦が垂れ下がり、その葉からは朝露のように、光の粒が滴り落ちていた。
ドワーフの技術が作り出した、緻密で堅牢な機構。
そして、エルフの神秘的な力が生み出した、繊細で美しい装飾。
二人は、互いの得意分野を尊重し、互いの不得意分野を補い合う、完璧な『道の守り人』となっていたのだ。
そして、アランは、彼らがこの地で築き上げてきた、科学と神秘、そして種族の垣根を超えた絆こそが、今、大陸を蝕んでいる病を解決するための、唯一の鍵であると確信したのだった。




