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第三話 地脈の動脈瘤

 アランの問いに、リィナは静かに答えた。

 「私には、この大地の苦しみが聴こえるのです」と。

 その言葉は、アランがこれまで築き上げてきた科学的常識の壁を、静かに、しかし決定的に打ち砕いた。

 彼はもはや、目の前の女性を単なる非科学的な感傷家として片付けることはできなかった。

 彼女の言う「声」は、彼の「測定器」が指し示した物理現象と、寸分の狂いもなく一致したのだから。

「君の言う『声』とは、一体何なのだ」アランは、知的好奇心と混乱の入り混じった声で尋ねた。「君は一体、何者なんだ?」

「私は…ただの外交官です」

 リィナは困ったように微笑んだ。

「ですが、昔から、大地や建物が発する声なき声を感じることがありました。それは音ではなく、感情に近いものです。喜び、安らぎ、そして今この土地が発しているような…耐え難いほどの苦痛」

 アランは腕を組み、唸った。

 感情。

 あまりにも非論理的な言葉だ。

 だが、その非論理が、彼の論理を凌駕する結果を叩き出した。

 彼は自分のフィールドノートに、リィナの言葉とコンパスの測定結果を、細かな文字で書きつけていく。


「大地の血管が詰まっている、と君は言ったな…」

 その夜、二人は風を避けるために岩陰で野営をしていた。

 アランは揺れる焚火の光の下、昼間のデータを何度も見返し、思考を巡らせていた。

 エネルギーの逆流、そして消失点。

 リィナの詩的な表現。

 二つの事象が、彼の頭の中で結びつかずに反発しあっている。

「血管が詰まる…。医学的に言えば、それは『閉塞』だ。血流が滞り、その先に血液が届かなくなる。放置すれば、組織は壊死する。今、この大地で起きていることそのものだ。だが、それだけでは説明がつかん。単なる閉塞なら、流れは弱まるだけで『逆流』はしない。ましてや、中心で流れが『無』になるなど…」

 アランは自らのこめかみを強く押さえた。

 その時、彼の脳裏に、かつて医学書で見たある症例が閃光のように蘇った。

「動脈瘤だ」

 彼はリィナの方を向いて叫んだ。

「そうだ、これだ! 動脈の壁が弱くなり、風船のように膨らむ病変、『動脈瘤』! ただの詰まりではない、膨らみなんだ!」

 アランは興奮して立ち上がった。

 彼の医学知識が、リィナの直感に完璧な「翻訳」を与えた瞬間だった。

「この大地を一つの生命体と仮定する。大陸全土に張り巡らされたエーテル流の通り道、いわば『地脈』は、その生命体の血管網だ。そして、我々が見つけたこの特異点は、地脈に発生した巨大な『動脈瘤』なんだ!」

 彼は地面に杖で図を描きながら、リィナに説明した。

「いいかい、狭い川が急に広い湖に流れ込むとどうなる? 水は渦を巻き、岸辺の一部では逆向きの流れさえ生まれる。動脈瘤の内部で起きているのも同じことだ。だから、瘤の入り口付近でエーテルの『逆流』が観測されたんだ!」

「では、流れが消えてしまうのは…?」

 リィナが尋ねる。

「その湖の底が、底なしの砂地だったら? 水は絶えず地下へと吸い込まれ、湖そのものが水を『消失』させる排水溝の役割を果たすことになる。この動脈瘤も同じだ。膨らんだ地脈の壁は極端に脆くなっていて、そこからエーテルが常に、さらに深い地中へと吸い込まれているんだ。だから中心では流れが『無』になる。この仮説なら、淀み、逆流、消失、その全てが矛盾なく説明できる!」

 アランの言葉は、リィナが感じていた大地の苦痛の正体を、これ以上なく的確に表現していた。

 地上の生命エネルギーが、大地そのものによって奪われているのだ。

「もし、一つあるのなら…」

 リィナは言った。

「他にもあるはずです。この苦しみは、ここだけのものではありませんから」

 その言葉に、アランはハッとした。

 彼は急いで政庁都市で作成した、病の発生分布図を広げた。

 無数の点が記された地図は、ここに来る前はただのインクの染みに見えたが、今や全く違う意味を持ってアランの目に映っていた。

「病の広がり方は、我々がいるここから、まるで木の根のように放射線状に伸びている」

 彼はもう一枚、南方大陸の地下を走る主要な「地脈」の経路が記された古地図を取り出し、発生分布図の上に重ねた。

 瞬間、二人の間に緊張が走った。

 病が発生している地点の連なりが、古地図に記された地脈のルートと、不気味なほど正確に一致していたのだ。

「動脈瘤がエーテルを吸い込み、そこにつながる地脈を枯渇させていっているんだ」

 アランはコンパスと定規を取り出し、地図上で計算を始めた。

 放射線状に伸びる汚染経路、

 エネルギーの減衰率、そして他の主要な地脈との合流点。

 彼の脳内で、膨大なデータが高速で組み合わされていく。

「この枯渇した地脈が、他の正常な地脈と交わる場所…。いわば、病が転移する可能性が最も高い場所がある。候補は三点。東の盆地、同じく東の沿岸部、そして南西の山脈地帯。もし他にも動脈瘤があるとしたら、この三つのうちのどこか二つのはずだ」

 アランはそう結論付けたが、彼の科学的推論ではそこまでが限界だった。

 これ以上絞り込むには、現地調査をするしかない。

 しかし、それにはあまりに時間がかかりすぎる。

「リィナ、君に頼みがある」

 アランは、地図上に割り出した三つの候補地を指さした。

「君のその力で、この三つの場所を『聴いて』みてくれないか。この場所と同じような『痛み』を感じる場所はあるか?」

 それは、科学者であるアランが、初めて彼女の非科学的な能力を明確に頼った瞬間だった。

 リィナは彼の真剣な眼差しに応えるように、こくりと頷いた。

 彼女は地図の前に座ると、そっと目を閉じ、意識を集中させた。

 アランが示した三つの地点へと、彼女の意識が伸びていく。

 しばらくの沈黙の後、リィナは目を開けた。その額には、うっすらと汗が浮かんでいる。

「……東の盆地と、南西の山脈。この二か所から、ここにあるものと同じ、強い痛みを感じます。東の沿岸部は…何も感じません」

 アランは息を呑んだ。

 彼が候補として挙げた三つの地点のうち、最も可能性が高いと予測していた二つの場所と、リィナが感じ取った場所が、完璧に一致したのだ。

 彼はリィナが示した二つの地点と、今いる場所に地図上で印をつけた。

 ここまではいい。

 だが、アランは何か違和感を覚え、眉をひそめた。

「……待てよ」

 彼は懐から精密な分度器とコンパスを取り出すと、地図の上で慎重に測定を始めた。

 まず、三つの地点間の直線距離を測り、次にそれぞれの角の角度を測っていく。

 リィナが不思議そうに見守る中、アランの顔から血の気が引いていくのが分かった。

「どうしたのですか?」

「……ありえない」アランは震える声で言った。

「誤差が…ほとんどない」

 彼はリィナに地図を見せた。

 そこには、三つの地点を結んだ三角形が描かれていた。

「見てくれ。この三つの地点は、ただ地脈の合流点にあるだけじゃない。この三点を結んでできるのは、寸分の狂いもない正三角形だ。一辺が正確に百二十リーグ。角度もきっかり六十度。こんなことが、偶然に起きると思うか?」

 自然が作り出す地形や地脈の配置は、もっと不規則で、歪なものになるはずだった。

 しかし、地図上に描かれたその三角形は、まるで製図家が引いたかのように、冷たく、そして完璧な幾何学模様を描いていた。

「地脈の合流点というだけでも稀だというのに、その三つがこれほど精密な配置になっている…。自然現象でこれが起きる確率は、もはや天文学的ですらない。ゼロだ」

 アランの声は、怒りと冷たい確信に震えていた。

「これは、事故や自然現象などではない。この配置は、あまりにも作為的だ。誰かが、大陸南方の生命線を断ち切るために、寸分の狂いもない測量と計算のもと、意図的に、この『地脈の動脈瘤』を形成したんだ」

 それは、今起きている疫病が、ただの病ではないという証明だった。

 静かに大陸を蝕む病の正体は、見えざる敵によって仕掛けられた、大規模かつ人工的なテロリズムだったのである。

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