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第一話 南からの協力要請

 賢者アルドゥスとの大戦が終結し、古き大陸エレジアには再建の槌音が響き渡っていた。

 その中央に位置するエレジア王国の、若き宰相カイル・ヴァーミリオンの執務室の窓からは、活気を取り戻した王都の街並みが一望できる。

 彼の辣腕のもと、人々は着実に平和を享受し、誰もがこの輝かしい「新生の時代」が続くと信じていた。


 その日の午後、執務室の静寂を破ったのは、南方からの緊急伝達を告げる風切り鳥の鋭い鳴き声だった。

 鳥が運んできた親書には、太陽と大地を象った「南方連合」の封蝋が施されている。

 カイルがその封蝋を解くと、インクに滲む切迫した気配が指先から伝わってくるようだった。

 差出人は、連合の長であるエララ。

 力強い筆跡で綴られた文章は、しかし、絶望的な嘆きに満ちていた。

『……我らの大地が、静かに死にかけています。はじめは辺境の小さな村から始まった奇病は、もはや連合全土を覆い尽くさんとする勢いです。それは魂の熱だけを奪い去り、屈強な男たちをただ虚空を見つめるだけの抜け殻に変えてしまいます。子供たちの瞳からは光が消え、母親たちは涙を流す気力さえ失いました。これは、我らの知るどんな病とも違います。薬も、祈りも、もはや届きません。どうか、王国が誇るその大いなる知恵をお貸し願えませんでしょうか』

 カイルは親書を置き、重々しく息を吐いた。

 彼の脳裏には、かつて訪れた、広大な南の大地の光景が浮かんでいた。

 アルドゥスの支配から解放された南方の大地は、新たに「南方連合」として、自律的な道を歩み始めていた。

 その統治は、大地と共に生きる民の総意によって選出された、元地域共同体の指導者エララに委ねられている。

 彼女の元、南方は農業を主体とした復興を進めていたが、科学や錬金術といった分野は未発達で、古くからの伝統と経験則が人々の暮らしの基盤だった。

 それゆえに、この正体不明の脅威に対してあまりにも無力なのだ。

 通常の医師団を送ったところで、なすすべもなく立ち尽くす彼らの姿が目に浮かぶ。

 軍の派遣は論外だ。

 敵は目に見えぬ病なのだから。

「アランを呼べ」

 カイルの静かな命令に、控えていた側近がわずかに眉をひそめた。

「しかし宰相閣下、彼は学者であり、医師ではありますが……その手法はあまりに常軌を逸していると…」

「常軌を逸した事態には、常軌を逸した人間が必要だ」

 カイルはきっぱりと言った。

「彼以外にこの任務を任せられる者はいない」


 やがて執務室に現れたアランは、清潔な白衣を纏い、その理知的な瞳はまるで磨かれたガラスのように感情の色を映さなかった。

 彼はカイルから親書を受け取ると、そこに記された症状の一つ一つを、まるで難解な数式を解くかのように無言で読み解いていく。

「……興味深い症例だ。魂の変質、生命活動の段階的停止。まるで植物が光を失い、ゆっくりと枯れていく過程に似ている」

「君の見解は?」

「現時点では仮説しか立てられん。だが、これは人体の問題ではない。おそらく、大地そのものが病巣だ」

 カイルは頷いた。

「君を特命調査官に任命する。これは、医師であり、優れた学者でもある君にしか頼めない任務だ。君のその類稀なる『医師学者』としての目で、南の大地を蝕む病の正体を突き止めてほしい」

 アランの口元に、かすかな笑みが浮かんだ。

 それは喜びや興奮とは違う、純粋な知的好奇心の表れだった。

「御意。この謎、このアランが必ず解き明かしてみせよう」


 時を同じくして、南方連合の交易都市。


 強い陽射しが、赤茶けた煉瓦で造られた街並みを焦がしていた。

 乾いた風が路地を吹き抜け、運ばれてくる香辛料と焼きたてのパンの匂いが混じり合う。

 ここは南方交易の要衝、様々な文化と産物が集まる場所だ。

 色とりどりの天幕が日除けとなって連なる市場の目抜き通りは、喧騒の渦の中心だった。

 山と積まれた色鮮やかな果物、天日で干された魚の束、素朴だが頑丈な作りの陶器。

 様々な地方の言葉で交わされる商いの声が熱気を帯び、一見すると、戦後の復興を象徴する活気に満ちあふれているかのようだった。


 外交官のリィナは、復興状況の視察という公式任務の傍ら、その喧騒の中を歩いていた。

 彼女は露店で香辛料を売る男に声をかける。

 男は商売道具を並べてはいるが、その目はどこか遠くを見つめており、リィナの声に一瞬反応が遅れた。

「……ああ、お嬢さん。何かお探しで?」

 その声には、商売人特有の張りがなかった。

 まるで役目を思い出し、仕方なく言葉を発したかのように聞こえる。

 リィナは気づいていた。

 この街の誰もが、活気ある風景の一部を演じているだけの、どこか空虚な操り人形のように見えることに。

 それは貧しさからくるものではない。

 もっと根源的な、生命力の淀みのようなものだった。

 その時、彼女はふと感じた。

 足元の大地から伝わる、微かで苦しげな脈動を。

 それは物理的な揺れではない。

 大地の生命に共感する彼女の特殊な資質だけが捉えることのできる、大地の悲鳴。

 まるで全身に血が巡らなくなってしまった巨人の、苦悶の呻き。

 その感覚は、軽いめまいと共に彼女の思考を鈍らせた。

「……大地が、苦しんでいる?」

 リィナは公式任務の報告書に記すことのできないその「感覚」を無視できなかった。

 外交官としての職務を逸脱する行為だと頭では理解している。

 しかし、このまま見て見ぬふりをすれば、取り返しのつかないことになる。

 彼女の魂が、そう強く警告していた。

 彼女は決意した。外交官としてではなく、一人の人間として、この脈動の根源を探ることを。


 その夜、王都の研究所では、アランが南方へ向かうための準備を整えていた。

 彼が革の鞄に詰めているのは着替えではない。

 精密な魔力測定器、土壌や水を分析するための錬金術器具、そして未知の病原体に対応するための医療器具。

 彼の戦場は、研究室であり、病に伏す人々の傍らなのだ。


 一方、南方の宿の一室で、リィナは一枚の地図を広げていた。

 彼女は目を閉じ、意識を集中させる。

 大地の苦しみが最も強く感じられる場所はどこか。

 彼女の指は、まるで何かに導かれるように、地図の上を滑り、やがて名もなき山間の地域を指して止まった。


 王国の知性が生んだ最高の論理の使い手、アラン。

 大地の声を聞く神秘の力の持ち主、リィナ。


 まだ互いの存在も知らぬ二人が、一人は緻密なデータを、一人はかすかな声を手がかりに、静かに大陸を覆い始めた巨大な病巣へと、それぞれの足で歩みを進めようとしていた。

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