第十二話 科学と神秘の融合
ライラの『鎮静の歌』が、地脈を蝕む呪詛を無力化し、各地点の騎士団に反撃の糸口を与えている頃、アランとリィナ、そして王国の精鋭騎士団は、教団の本拠地へと足を踏み入れていた。
そこは、三つの動脈瘤が描く巨大な魔法陣の中心に位置する、古代の遺跡だった。
苔むした石壁には、禍々しい紋様が刻まれ、遺跡の中心部には、ドロドロとした黒いエーテルが、まるで病んだ心臓のように脈動する、巨大な球体が鎮座している。
「進め!邪魔する者は、すべて排除しろ!」
騎士団長が剣を抜き、号令をかける。
騎士団は、一糸乱れぬ隊列で遺跡の奥へと進んでいく。
その行く手を阻むように、遺跡の影から、土色のローブをまとった教団員たちが、無数に姿を現した。
彼らは、それぞれ手に黒い刃を握り、騎士団を取り囲む。
騎士団と教団員の戦いが始まった。
「この刃は…魂を蝕むのか…!」
騎士の一人が叫んだ。
教団員の持つ黒い刃は、単なる武器ではない。
それは、斬りつけた相手の生命力を奪い、魂を汚染していく呪いの武器だった。
騎士たちは、その呪いに苦戦し、次第に守勢に回っていく。
教団員たちは、一人一人の戦闘能力は騎士団に劣る。
しかし、彼らは、遺跡に刻まれた呪詛を利用し、騎士たちの心を惑わせていく。
騎士たちの心に、過去の失敗や後悔、そして死の恐怖が、怒涛のように押し寄せ、彼らの戦意を奪い、その場に立ち尽くさせた。
「怯むな!これは敵の精神攻撃だ!」
騎士団長が叫ぶ。
だが、その声も、教団員が発する呪詛の不協和音によって、かき消されていく。
騎士たちは、自らの心の闇と向き合うことを強いられ、剣を握る手が震え始めた。
その時、アランが、懐から精密な分析器を取り出し、教団員たちの動きを解析し始めた。
「リィナ!奴らの呪詛は、特定の音の周波数を変調させている!この音を打ち消せば…!」
アランは、分析器のデータを、素早くリィナに伝える。
「ええ!分かりました!」
リィナは、アランの言葉を受け、騎士団の隊列の中央へと駆け出した。
彼女は目を閉じ、意識を集中させ、大地の声に耳を傾けた。
そして、大地が発する安らぎの音を、自らの声で増幅させ、歌い始めた。
リィナの歌声は、騎士団の心を蝕んでいた不協和音の呪詛を、一つずつ、丁寧に打ち消していく。
騎士たちの瞳に、再び理性の光が戻り、互いの顔を見て、安堵の表情を浮かべた。
「聞こえる…!リィナ殿の歌声が…!」
「俺たちの戦意を奪っていた呪詛が…消えていく!」
騎士たちは、再び戦意を取り戻し、教団員たちへと反撃を開始する。
リィナの歌声によって呪詛を無効化され、単なる兵士に戻った教団員たちは、精鋭揃いの騎士団の敵ではなかった。
「感謝します、リィナ殿!」
「いえ、アランのおかげよ。彼の分析がなければ、私もどうすればいいかわからなかったわ」
リィナは、騎士たちを鼓舞し、彼らの心に希望の光を灯した。
教団員たちは、騎士団の圧倒的な力に、次々と打ち倒され、撤退していった。
騎士団長は、勝利を確信すると、アランとリィナに言った。
「博士、特使殿!我々はここで教団員を食い止めます。騎士を数名、お二人の護衛につけます。どうか、彼らと共にご無事で…!」
アランとリィナは、騎士団長の言葉に頷き、精鋭騎士たちを伴って遺跡の最奥部へと向かう。
そして、彼らがたどり着いた先には、教団の指導者が、静かに彼らを待ち受けていた。
男は、純白のローブをまとい、その顔は、深くフードで覆われている。
だが、その表情は見えずとも、そこから放たれる圧倒的な威圧感は、アランたちを動けなくするのに十分だった。
「…ようこそ、我が安息の地へ」
男の声は、静かで、しかし、その奥には、地脈の淀みのような深い闇が潜んでいた。
彼は、フードの下からゆっくりと顔を上げ、アランとリィナを見つめた。
その瞳は、まるで虚無を覗き込んでいるかのように、何も映していなかった。
「科学…それは傲慢だ。全てを解析し、理解し、支配しようとする。お前たちの愚かな試みは、この世界を、魂の存在しない、冷たい箱に変えるだろう」
男は、そう言うと、アランに向かって、手のひらを向けた。
その手から放たれたのは、論理と秩序を破壊する波動だった。
アランは、とっさに懐から取り出したエーテル解析器で波動を解析し、回避しようとするが、その波動は、彼の予測をはるかに上回る非論理的な動きで、解析器の機能を麻痺させ、アランの体を吹き飛ばした。
「ぐっ…!」
アランは、床を転がり、血を吐き出す。
彼の科学は、この男の前に、全く通用しなかった。
次に、男は、リィナに目を向けた。
「神秘…それは危険な感情だ。他者の悲しみに共感し、その痛みを受け入れる。お前たちの甘い力は、いずれ、この世界を、際限のない悲嘆の海に変えるだろう」
男は、そう言うと、リィナに向かって、再び手のひらを向けた。
リィナの心に、この世の全ての悲しみ、苦しみ、絶望が、津波のように押し寄せてくる。
「うぅ…!」
リィナは、胸を押さえ、その場にうずくまった。
彼女の共感の力は、相手の心を感じ取る。
男の心は、絶望と虚無で満ちていた。
その虚無が、リィナの心に、容赦なく流れ込んでくる。
「二人とも、下がりなさい!」
護衛の騎士たちが、指導者の周りに陣取る教団の精鋭たちと対峙する。
しかし、指導者が放つ虚無の力は、彼らの心にも影響を与えた。
騎士たちが、教団員に斬りかかろうとすると、彼らの心に、戦場での失った仲間の悲しみ、故郷の家族への後悔、そして死の恐怖が、怒涛のように押し寄せてくる。
彼らは、その場にへたり込み、剣を落とした。
男は、嘲笑うかのように、アランとリィナを見つめた。
「お前たちに、我が魂の安息を、掻き乱すことはできない。大人しく、絶望の淵に沈むがいい」
絶体絶命の状況。
アランは、倒れたまま、リィナを見つめた。
彼女は、苦しみに顔を歪ませ、涙を流している。
その涙を見て、アランの脳裏に、一つの光景が蘇った。
それは、病で苦しむ人々を前に、無力な自分を嘆き、涙を流すリィナの姿だった。
あの時、彼は、彼女の涙を止めることができなかった。
だが、今、自分は違う。
彼は、立ち上がった。
「そうだ…!俺の科学は、傲慢だ…!でも、だからこそ、俺は、この傲慢さで、この世界を、俺たちが理想とする世界に変えてみせる…!」
アランは、そう叫ぶと、解析器の機能を再起動させた。
解析器が、男の攻撃のパターンを解析する。
「リィナ…!この男は…!この世界全てを、虚無にしようとしている!」
アランの声が、リィナの耳に届いた。
リィナは、顔を上げ、アランを見つめた。
彼の言葉が、彼女の心に、温かい光を灯した。
そうだ。この男は、悲しみそのものに共感しているのではない。
悲しみを、支配しようとしているのだ。
「私の力は、危険な感情だと…そう言ったわね」
リィナは、涙を拭い、男を見つめた。
「そうよ…!この力は、危険だわ!でも、だからこそ、私は、この力で、あなたの絶望と向き合って、乗り越えてみせる!」
リィナは、男の放つ虚無の力に、自らの共感の力をぶつけた。
彼女は、男の心に満ちる絶望と虚無の淵に、自らの魂を差し出すように、深く潜り込んでいく。
男は、リィナの行動に驚き、一瞬、動きを止めた。
その隙を、アランは見逃さなかった。
「今だ、リィナ!この男の心には、わずかに…、いや…、まだ、人間らしい感情が残っている!」
アランの解析器は、男の心の奥底に眠る、かすかな感情の光を捉えていた。
リィナは、その光に向かって、自らの魂の全てを込めて、優しく語りかけた。
「あなたは…、誰かに、認めてもらいたかったのね…?」
リィナの言葉は、男の心を、かすかに揺さぶった。
「…馬鹿な…!我が心は、すでに、虚無と化したはず…!」
男は、動揺し、攻撃がわずかに弱まった。
その瞬間、アランが解析器で男の魔力の流れを読み取る。
「リィナ!今だ!」
アランの指示に、リィナは再び歌い始めた。
だが、それは、これまでの安らぎの歌とは違った。
彼女の歌声は、男の虚無の力によって支配されていた護衛の騎士たちの心を解放し、彼らに再び戦う力を与えた。
騎士たちは、地面に落ちた剣を拾い上げ、教団の精鋭たちへと、再び立ち向かっていく。
「なぜだ…!なぜ、お前たちの力は…!」
男は、焦りの色を浮かべ、再び虚無の力を強めようとした。
その隙を、アランは見逃さなかった。
彼は懐から取り出した小型のエーテル放出装置を手に、男の力の中心部へと放つ。
「そこだ!」
アランのエーテル弾は、男の虚無の力に触れると、消滅する。
しかし、その一瞬の接触で、アランは男の力の法則性を解析することができた。
「リィナ!この男の力は…!虚無に見せかけて、特定の感情の波を吸収して、増幅している!」
「…そう…!彼に共感するほど、彼の力は強くなる…!」
二人は、互いの知識と力を、完璧に融合させた。
男の虚無の力が、騎士たちの心を支配しようとする瞬間、リィナの歌声がそれを打ち消し、騎士たちは、その隙を突いて教団員たちを打ち破っていく。
「なぜだ…!なぜ、お前たちは…我が力の法則を…!?」
男は、二人の連携に、焦りの色を浮かべ始めた。
科学は、論理的に、男の力の性質を暴き、神秘は、感情的に、男の力の流れを読み取る。
アランの論理的な戦術と、リィナの共感に基づく力が、完全に融合した時、二人は、初めて、教団の指導者を相手に、一歩も引かない戦いを繰り広げることができた。
この戦いは、科学と神秘が、互いの存在を認め補い合うことこそが、未来を切り開く鍵であるということを、証明したのだった。




