第十話 三つの手術
「我々は、大陸全体を一つの巨大な生命体として捉える」
南方の荒涼とした大地に築かれた前線司令部。
簡素な石造りの部屋の中央に置かれた円卓を前に、アランは緊張した面持ちで語り始めた。
円卓の上には、大陸南方の詳細な地図が広げられ、三つの地点に、赤い印が記されている。
「ここに記された三つの『地脈の動脈瘤』が、我々の治療対象だ。この三つの病巣から放たれる不協和音が、大陸南方全体の生命力を蝕んでいる。この不協和音を逆の波動で相殺し、地脈の秩序を回復させる。それが、我々がこれから行う『大陸規模の外科手術』だ」
司令部には、アランとリィナの他に、南方連合の指導者エララ、王都から派遣された歴戦の騎士団長、そして、ドワーフとエルフの代表が顔を揃えていた。
彼らの瞳には、恐怖と、そしてわずかな希望が入り混じった複雑な光が宿っている。
「作戦は、三つの段階に分かれる」
アランは、杖で地図を指し示した。
「第一段階。ドワーフ工兵部隊が、三つの動脈瘤がある地点で、『地脈調律器』の受信機を設置する。それぞれの動脈瘤に溜め込まれたエーテル量や、周辺の土地の状況は、リィナの感応力と私のデータ解析によって、すべて計算済みだ。この受信機が、ライラの『鎮静の歌』と、ゴリンが作った『地脈調律器』の力を、正確に動脈瘤へと届けるための『メス』となる」
ドワーフの工兵部隊は、すでに現地へ向かっていた。
彼らは、受信機を堅牢な輸送車に積み込み、その顔には、この歴史的な大事業に参加できることへの、職人としての誇りが満ちていた。
「第二段階。ライラが、エルフの聖地から、大陸全土に向けた『鎮静の歌』の儀式を開始する。彼女の歌が、地脈を流れる魂の悲しみを癒やし、エーテル流を穏やかにすることで、動脈瘤が暴走する危険性を最小限に抑える。これは、手術に不可欠な『麻酔』だ」
エルフの聖地では、ライラが、一族の長老たちと共に、厳粛な儀式を開始する準備を整えていた。
彼女の表情は、いつになく真剣だった。
地脈の苦しみが、まるで自分の痛みのように心に響いてくる。
この痛みを、今度は自分たちの手で終わらせる。
その重い使命感が、彼女の歌に、これまでにないほどの力を与えようとしていた。
「第三段階。三つの受信機が設置され、ライラの歌が地脈全体に届いたことを確認した後、ゴリンが工房から『地脈調律器』を起動させる。その瞬間、三つの動脈瘤の不協和音は、相殺され、地脈は調和を取り戻す。これは、手術の『執刀』に当たる、最も重要な瞬間だ」
アランは、そう締めくくると、静かに円卓を見渡した。
「この作戦の最大の不確定要素は、教団の妨害だ。教団は、この『手術』を阻止するために、必ず襲撃を仕掛けてくる。我々は、その襲撃に備えなければならない」
その言葉に、騎士団長が口を開いた。
「ご安心を、博士。王国騎士団が、全力で各所の守備にあたります。我々の命に代えても、この作戦は完遂してみせます」
騎士団長の言葉に、アランは静かに頷いた。
しかし、その誓いは、早くも危機に直面することになった。
ドワーフ工兵部隊が、最初の動脈瘤がある東の盆地に到着した直後、教団の襲撃が始まった。
周囲の山々から、土色のローブをまとった男たちが、無数の岩や木の幹に擬態し、音もなく姿を現した。
彼らは、大地に埋め込まれた古代の呪文で、土壌を流動化させ、工兵部隊の足場を奪う。
「ちっ!こんなやり方まで…!」
工兵隊の隊長は、悔しげに呟いた。
彼の計算では、この一帯の地盤は硬い岩盤のはずだった。
だが、教団の男たちが、その地盤を呪詛で歪ませていたのだ。
「落ち着け!慌てるな!ドワーフの技術は、これしきの土砂に負けるほど脆くはない!」
隊長は、部下たちに指示を出した。
彼らは、すぐさま応急の石垣を築き、輸送車を固定した。
その間に、護衛についていた王国騎士団の部隊が、教団の男たちと激しい戦闘を開始していた。
「ドワーフ殿!この場所は、我らが必ず守り抜く!君たちは、作戦の遂行に集中してくれ!」
騎士の隊長の声が響き渡る。
だが、教団の襲撃はそれだけではなかった。
彼らは、錬金術で作り上げた巨大な苔の怪物を使役し、工兵部隊へと襲いかかってきたのだ。
「くそっ…!こんなものまでいるとは…!」
工兵隊の隊長は、部下たちと協力し、苔の怪物を食い止めるが、その間に教団の男たちは、輸送車に積まれた受信機に近づこうと動き始める。
「させんぞ!」
隊長は、男たちを追おうとしたが、苔の怪物に阻まれて、身動きが取れなかった。
第二の地点、東の沿岸部でも、同じく事態は悪化していた。
ここは、大陸でも有数の魔力の循環が盛んな場所だ。
ドワーフの工兵部隊は、魔力感知器を設置し、地脈の流れを調整する準備をしていた。
だが、教団の男たちは、地脈そのものに呪詛を刻み込み、周囲に不協和音の波動を発生させていく。
「くそっ!地脈が、悲鳴を上げている!」
工兵隊の隊長が叫ぶ。
その不協和音の波動は、工兵たちの心を蝕み、彼らの集中力を奪っていく。
「集中しろ!この呪詛に負けるな!」
隊長は叫ぶが、彼の声もまた、不協和音の波に掻き消されていく。
教団の男たちは、その隙を突き、地脈感知器を破壊しようと動き出したのだ。
「させんぞ!」
護衛についていた王国騎士団の部隊が、男たちを追おうとするが、教団の男たちは、沿岸部特有の濃い霧を操り、騎士団の視界を奪っていく。
「霧だ…!何も見えん!」
騎士団の隊長は叫ぶが、もう遅い。
男たちは、霧を盾に、魔力感知器へと近づいていく。
そして、第三の地点でも、襲撃が始まっていた。
そこは、南西の山脈地帯。険しい崖と、深い谷が連なる、峻険な土地だ。
ドワーフの工兵部隊は、足場を確保するために、岩壁を登っていた。
護衛の王国騎士団が先に進み、警戒を固めていたが、突如として現れた教団の男たちが、岩壁そのものに呪詛を刻み込み、岩盤を崩壊させようとする。
「岩が…!岩が崩れる!」
騎士団の兵士たちが叫ぶ。
彼らは必死に岩を支えようとするが、岩はまるで意志を持ったかのように彼らを押し潰す。
「全員、退避!」
ドワーフの隊長が叫ぶが、もう遅い。
岩壁が崩れ落ち、ドワーフたちは、次々と谷底へと滑り落ちていく。
すべての地点で、作戦は崩壊の危機に直面していた。
司令部で、アランとリィナは、各地から集まる絶望的な報告に、顔を青ざめさせていた。
「第一地点にて、敵の襲撃!騎士団が交戦中!」
「第二地点では、敵の霧により騎士団が苦戦中!」
「ドワーフ工兵部隊、第三地点にて、壊滅的被害!」
アランは、頭を抱えた。
地脈の動脈瘤は、教団にとっても重要な地点だ。
そこに受信機を設置しようとすれば、当然、教団の抵抗に遭うことは想定された。
その対策として、工兵隊の護衛に王国騎士団を当たらせたのだ。
だが、精鋭揃いのはずの騎士団がここまで苦戦するとは、全くの想定外だった。
「くそっ…!なぜだ!なぜ、奴らは、ここまでの被害を出せる…!?」
その時、司令部の扉が、勢いよく開け放たれた。
血と汗にまみれた一人の男が、息を切らしながら、一枚の羊皮紙をアランの前に差し出した。
それは、宰相カイルが独自に組織した、隠密諜報部隊の斥候だった。
「博士!教団の本拠地の位置を…突き止めました!」
アランは、その羊皮紙をひったくるように受け取ると、素早く地図の上に広げた。
そこには、教団の本拠地の位置が、正確に記されていた。
その地点は、三つの動脈瘤のちょうど中央に位置していた。
「まさか…!」
アランは、その可能性に戦慄した。
「教団は、この三つの動脈瘤だけでなく、自分たちの本拠地を中心として、巨大な魔法陣を完成させていたんだ!」
絶望的な状況の中、アランの脳裏には、カイルが彼に託した言葉が蘇っていた。
『常軌を逸した事態には、常軌を逸した人間が必要だ』
アランは、覚悟を決めた顔で、リィナを見つめた。
「リィナ、僕たちは、この場所で奴らと戦うしかない。そして、ゴリンとライラを信じなければならない」
「はい!」
アランは、円卓を囲む者たちに、静かに、しかし力強い声で言った。
「私とリィナが、騎士団を率いて、教団の本拠地を破壊します。その間に、ドワーフとエルフの皆さんは、それぞれが持つ力で、三つの動脈瘤の修復に全力を尽くしてほしい。これは、最後の、そして最大の賭けです」
その賭けに、異論はなかった。
アランは、冷静に、しかし揺るぎない覚悟を込めて、この絶望的な『大陸規模の外科手術』の、最後の指示を、円卓にいる者たちに伝え始めた。




