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最終話「娘の心は砂の城」

誘拐犯の根城が見つかって数日が経つ。

俺は娘が死んだのではないかという、

悪い方へ、悪い方へと考えてしまう。

だが、何処かで諦めきれない思いがある。

そんな時だった、

警察官のジュンさんに呼ばれてある場所に来る。

柔らかな照明がともるレトロな喫茶店だった。

琥珀色のランプが天井から静かに揺れて、

空間全体を光が柔らかく包んでてくれる気がした。

席は全体的に、赤いビロードのソファ。

そこに俺は腰を下ろし、クッションが沈む。

隣の席からは珈琲が香り、

恐らくサラリーマンなどの憩いの場なのだろう。

壁には、セピア色に褪せた英字新聞が無造作に貼られていて、それがまたこの店のセンスを際立たせている。それが俺にはお洒落に思えた。

「よぉ」

ジュンさんが俺を見つけて挨拶する。

「息子さんはどうだ?」

「娘が見つからない手前、こんなことを言うのも何だが本官は今は幸せだよ。なんてったって息子が見つかったんだからな。見つからないと諦めてた、それでも何故か見つけることが出来た。これが幸せでなくて何て言うのだろう?」

「そうか」

俺は責めることは止める。

実際、彼は幸せなのだろう。

そのことを否定する権利は俺には無い。

でも、俺の心の中は闇が増幅する。

「本官ばかり幸せになるのは申し訳ない。

そこで、ある情報を持ってきた」

「情報?」

俺は思わず聞き耳を立てる。

「これだ」

ジュンさんは手に持っていた鞄から取り出す。

「これは…」

それは、何処にでもありそうな100均のプラスチックファイルが置かれてる。表紙にはシンプルに名簿とだけ書かれていた。

「開けてみろ」

言われたた通り、何気なく開いてみる。

すると中にはびっしりと名前が並んでいた。

住所、電話番号、誕生日。

そして、いくつかの欄には手書きの文字が。

貧乏(口うるさい)、常連(一応キープ)、金持ち(手放すな!)。そんな風に書かれてた。

それは、ただのリストではなかった。

これは誘拐された子供を買ってる大人の名前だ。

「顧客リストか」

俺はそのリストをめくるページが止まらなかった。

この何処かにもしかしたら娘を買った人間が居る。

そしたら・・・会える?

「そいつをどう使うかは自由だ」

ジュンさんはタバコを取り出しながら、

そんなことを言う。

「ありがとう、でも、どうして俺に?」

こんな重要な代物、警察が保管するのでは?

そう思ったのだ。

「諦めないんだろ?」

ジュンさんはにっと笑う。

「あぁ」

当然だ、ここまで来て諦めてたまるか。

俺は娘に会うんだ。

そう、決めたんだ。

「期限は三日だ、コピーはするな。

本官に迷惑をかけたくないって思うならな。

時間はそれしか与えられん」

ジュンさんはそんなことを言う。

「分かった、三日以内に必ず返す」

俺はリュックサックの中にファイルを入れる。

「上手くやれよ」

「あぁ」

俺は喫茶店を出るのだった。

「さてと、タバコを吸うかね」

ジュンさんが火をつけようとした時だった。

「あの、お客様・・・」

女性の店員は申し訳なさそうな顔をしてる。

「なんだ?」

ジュンさんは店員を睨む。

「ここ・・・禁煙なんです」

「・・・そうか」

ジュンさんは寂しそうにタバコを仕舞うのだった。






誘拐犯の顧客リストを漁る。

片っ端から電話をかけていく。

すると、ある人物に会う。

「言えは金持ち、年齢は40歳。

名前は仙田せんだ 正和まさかず

で、合ってるよな?」

俺は電話越しで尋ねる。

「そうだが・・・君は?」

いきなり名前を言い当てられて相手が警戒してるのが電話越しでも分かった。

声に何処か硬さがあったのだ。

「アンタは誘拐した子供を買った。

そうだな?」

「そのことで揺すろうって訳か?

いくら欲しいんだ?」

「金額の問題じゃない。

娘に会わせろ」

「・・・」

「答えろよ、

黙っててもいいが、

こっちは住所を知ってるんだ」

「一応聞いても?」

「…丁目の…番地14-3-9だろう?」

「どうやら調べ上げてるようだな。

いいだろう、今君が言った住所に来てくれ。そこに居る筈だ、話はそこで」

「あぁ」

俺は電話を切る。

もしかしたら腕利きのボディーガードが居るかもしれない。いや、考えすぎかもしれないが殺し屋とか雇ってる可能性だってあるんだ。そうなれば俺はそこで殺されて負けるだろう。無駄かもしれないが、

一応、胸にまな板を仕込んでおく。

包丁で切れないようになってる筈だから、防刃効果はあると思う。

俺は準備をして、そこに向かう。

一応、置手紙をしておく。

もしも俺に何かあったら、

早苗が手紙を見て、誰に殺されたか分かるように。

だから1人で向かう。

早苗も一緒ならば、

二人同時に殺されたらゲームオーバーだから。

俺は緊張感をもって富豪の家に向かった。



メイドが7人、執事が8人いる。

城のような装飾が施された大きな一軒家で、

玄関にあるライオンの彫刻は、

無意味に水を吐き続けていた。

「お待ちしておりました」

従者が全員俺に頭を下げる。

「マサカズは何処に居る?」

俺は怒りを抑えきれないと

言った雰囲気で声を出す。

「マサカズ様は庭でお待ちです」

メイドがそう言った。

俺は庭へ歩く。

花々に囲まれて、自然豊かな場所だった。

「あれは」

40代くらいの男性がそこに居た。

恰好は高級スーツ姿、

ダイヤモンド付きネクタイを着けていた。

恐らく、あいつがマサカズだ。

「お前が・・・娘を」

俺は近づいて殴ってやろうと思った。

しかし、執事に止められる。

「申し訳ありませんが、少し待ってくれませんか?」

執事を含む、メイドたちが俺を囲む。

俺は人数の圧に負けて、拳を収める。

「何を待ってるんだ?」

俺は尋ねる。

「見ててください」

執事が答える。

「…」

マサカズはタバコを吸ってる。

その男に向かって娘が駆け寄る。

「パパ!」

綺麗なドレスを着た少女はそんなことを言う。しかし、聞き覚えがあった。だけど、あれは。

俺は否定したい思いでいっぱいだった。確信したくない。だから声をかけれずに居たんだ。

「愛、おいで」

マサカズはまだ吸い終わってない、タバコを灰皿に捨てる。

勿体ないと思うのが普通だ。

でも、娘に副流煙を吸わせないようにか、急いで消火していた。

「パパ~」

愛は幸せそうな顔をしてる。

「どうしたんだ?」

マサカズは愛に尋ねる。

「ん~とね、キャッチボールしよ?」

愛がそんなことを言う。

「いいよ、キャッチボールしよう。でも、グローブが無いなぁ」

マサカズは困った顔をする。

「パパ、見て。持ってきたよ!」

そう言って愛はグローブを取り出す。

「偉いな」

マサカズは愛の頭を撫でる。

「えへへ…」

褒められて嬉しそうな顔をする愛。

「それじゃ、ボールを投げるよ。

遠くに離れるんだ」

マサカズが指さす。

「うん」

愛は素直に従い、遠くへ行く。

「ほら、投げるよ」

マサカズがボールを構える。

「よし、来い!」

愛はグローブを構える。

「ほらっ」

マサカズはボールを投げる。

「ああっ、パパ!」

愛が構えていた見当違いの方へ飛んでいく。

「ごめん、パパ下手だね」

マサカズは苦笑する。

「ううん、とってくる」

愛は走ってボールを持ってくる。

「取れたか?」

マサカズが遠くで話しかける。

「取れたよ、今度はこっちから投げるね・・・えい!」

愛はボールを投げる。

「とっても上手だね、さすがはパパの娘だ」

マサカズはそんなことを言う。

「もぅ、そんなことないよう」

愛は照れくさそうな顔をする。

「今度はパパの番だ、今度は上手く投げるからね」

マサカズはボールを投げる。

「ちゃんとだよ~?」

娘の愛がグローブを構える。

すると突然、家の中から犬がやってきてボールを愛の代わりにキャッチする。

「ワン!」

ゴールデン・レトリィーバーはボールを代わりに取れて嬉しそうだった。

「ドク!もう駄目じゃない、勝手に撮って」

愛が近づく。

そして撫でまわす。

「はっ、はっ」

ドクと呼ばれた犬は愛に撫でられて幸せそうだった。

「きっと混ざりたかったんだね」

マサカズがそんなことを言う。

「あはは、そうなのかな」

愛も楽しそうに笑う。

本当にその光景は幸せの象徴だと思えた。愛する娘に、可愛らしいペット。それを見守る父親。美しい光景、崩してはいけない領域に思えた。でも、俺だけは知ってる、これは仮初だと。

「…」

俺はマサカズを睨む。

「愛…家の中に入ってなさい」

マサカズがそんなことを言う。

「でも」

愛は不思議そうな顔をする。

「うぅ…」

ドクは俺に向って唸る。

「ドクを連れてってあげて」

マサカズが優しく愛に語り掛ける。

「分かったわ、パパ。

行こう、ドク?」

愛はドクのリードを握る。

「ワン!」

ドクは素直に従い、愛と一緒に家の中へ入っていった。

「さて、君の名前を聞いてなかったね」

マサカズは俺の方を見て尋ねる。

「俺は宮内みやうち 健治けんじ・・・愛の実の父親だ」

そう告げる。

「そこに席がある、座ってくれ」

ガゼボに案内される。

「あぁ」

俺は席に座る。

「旦那様・・・」

メイドたちが近づいて来る。

「2人きりにして欲しい、構わないね?」

マサカズがそんなことを言う。

「ですが」

メイドは心配そうな目をしてる。

「大丈夫だ、大事にはならないさ」

マサカズが優しく語り掛ける。

「分かりました、旦那様がそう言うのならば」

メイドが離れていく。

その際、俺は睨まれる。

なんだよ、まるで俺が悪人みたいじゃないか。

そんなモヤモヤが心の中に出来る。

「ここの庭でとれたハーブティーだ、香りがとてもいい。夏場で暑いだろう、飲んで身体を冷やすよいい」

マサカズがそんなことを言ってくる。

「断る、飲んだら眠るかもしれないからな」

「随分と警戒してるんだな」

マサカズは苦笑する。

「当たり前だろ」

俺は胃がムカムカするのを感じる。

「それで、こちらに何のようだ?」

「分かってるだろ、娘の愛を返せ」

「それは出来ない」

「人の娘を誘拐しておいて!」

「どう言ったらいいのか、それは難しいんだよ」

「ただ返せばいいだけだろう。元通りになるだけだ、何が大変なんだ、何が可笑しい、何が難しい?」

俺は矢継ぎ早に喋る。

「興奮するのは理解できるが、落ち着いてくれ」

マサカズは冷静な態度を崩さない。

「誰の所為だと思ってるんだ!」

俺は壁を叩く。

「そこまで言うなら、無理やりにでも連れかえってみればいい」

マサカズが強気だった。

「そうさせて貰う」

俺は席を立つ。

そして、強引に家の中に入り、娘の傍に行く。

「誰・・・?」

愛が扉が開いた方を見る。

「帰るぞ」

俺は愛の手を強引に握る。

「いや、離して!」

しかし愛は俺が思った反応とは違う反応をする。

頭の中では感動の再会を予定していたのに、まるで愛は俺のことを嫌がってるようではないか。

「愛・・・?」

俺は予想外の反応に驚く。

「お願い、離して、離してよぉ!」

あまりにも愛が必死なものだから俺はどうしていいか分からず、自分でも訳が分からなくなり、愛を強引に連れて行こうとしてしまう。

「ワン!」

ドクが近づいて来て、俺の腕を噛む。

「痛いっ!」

俺は手を放す。

「パパ、助けて!」

愛が叫ぶ。

「どうしてだ、パパは・・・俺だよ?」

俺は自分の立ち位置が分からなくなる、床が不安定に思える。

このまま立っていたら気分が悪くなりそうだ。俺は思わず座り込んでしまう。

「パパだよ、もう大丈夫だ」

マサカズが俺の背後から現れる。

「パパ!」

愛はマサカズに抱きしめられてとても安心した顔をしてる。

「愛、少し付き合って欲しい場所があるんだ」

マサカズは冷静に話しかける。

「何処?」

愛は尋ねる。

「病院に行こう」

マサカズはそう言った。

「でも、愛。どこも悪くないわ。それとも予防注射をするの?

あれはとても痛いから嫌い」

愛がそんなことを言う。

「予防注射もしないよ、ただ先生とお話するだけでいいんだ」

マサカズが優しく語り掛ける。

「分かった、パパがそこまで言うなら」

愛は渋々付き合ってくれるようだった。

「それと、この人も一緒なんだけどいいかな?」

マサカズは俺のことを指さす。

「俺・・・?」

どうして・・・俺も?

「嫌よ、この人。あいを襲おうとしたの、怖い人だもん」

愛は嫌がってる。

「パパの知り合いなんだ。

どうか、許して欲しい。

それにパパも一緒だから、この人が傷つけようとしてもパパが守るから・・・ね?」

マサカズは何処までも優しく語り掛ける。

「分かった」

愛は頷く。

「愛…」

どうしてだ、どうしてなんだ。

愛、それは俺に対して言う言葉じゃないのか?

「それじゃ行こうか、健治さん」

マサカズに何処かに連れていかれる。初めて乗るリムジンはエアコンが効いていて、嫌になるくらい寒かった。












連れていかれた場所は病院だった。

「こんにちわ」

先生はにこッと笑う。

「精神科の先生?」

俺は不思議に思う。

「先生、こんにちわ、です!」

愛が先生に話しかける。

「よく来たね。愛ちゃん」

先生が膝を折って、愛と同じ目線に立つ。

「今日は先生とお話すればいいのね」

愛がそんなことを言う。

「ということはまだ」

精神科医の先生がマサカズを見る「そういうことです、彼にも事情を説明してあげてください。友人なんです」

マサカズがそんなことを言う。

「分かりました、ではこちらへ。

佐藤さん、愛ちゃんと遊んでもらってもいいですか?」

精神科医の先生がナースに指示する。

「はい、愛ちゃん、向こうで遊ぼうか?」

ナースは愛を連れて何処かに行く。

「うん!」

愛は怯えることなく、本気で遊ぶのだと思って別室に行って楽しそうにしていた。

「それじゃ、私たちはこっちへ」

精神科の先生が俺たちを案内する。それは真っ白な部屋だった。

そこにはレントゲンの写真がある。

「俺を…こんな所に呼んでどうしようって言うんだ?」

「単刀直入に言います、愛ちゃんは断定はできませんが、記憶喪失の可能性があるんです」

精神科医の先生がそんなことを言う。

「記憶…喪失?」

俺はその言葉に聞き覚えがあった。だが、まさか、娘が?

「娘さんは恐らく、誘拐犯に連れていかれたのが原因で、そのショックで記憶喪失になったたのだと思われます。手を握られた瞬間がトリガーになってるのだと思われます」

精神科医の先生が説明する。

「そうか、わかったぞ。

お前らグルなんだろう。

そうやって、俺を騙して、娘を誘拐した事実を隠そうとしてるんだ。そうだろう?」

俺は必死になって話す。

「仮にそうだったとしても、

どうして愛は貴方の顔を見て、知らないんですか?」

マサカズが答える。

「それは…演技してるから」

俺は言葉が安定しない。

「大人ならば演技してると言ってもいいでしょう、でも相手は子供ですよ、どうして嘘をつく必要が?演技をしてるにしても、あまりにも長くないですか?子供は飽きっぽいです。少し演技したとしてもすぐに次の遊びを見つけるでしょう。それに記憶があるなら何故帰ろうとしないんですか?」

マサカズに問い詰められる。

「それは…それは…」

俺は何も言えなくなる。

「記憶喪失は事実なんですよ」

マサカズがそんなことを言う。

「俺は・・・俺は何のために娘を探してきたんだ」

足元がふらつく。

とてもじゃないが、まともに立ってられない。

「こちらから提案がある」

マサカズが何か言ってくる。

「なんだ?」

俺は睨みつける。

「このままでいいんじゃないのか?」

マサカズが驚きの一言を伝えて来る。

「なんだと」

俺はマサカズの胸倉を掴む。

「このまま、こちらで預かった方が彼女の幸せなんじゃないのか?」

「ふざけるなよ、そんな言い分が通るか!」

俺は殴ろうとする。

「何故、そう言い切れる?」

マサカズがこちらの目を真っすぐ見る。

「それは、俺が親だからだ」

俺は至極当然のことを言ったつもりだった。しかし、反論される。

「アンタの家に居るのが幸せだって本気で思うのか?」

マサカズがそんなことを言ってくる。

「何が言いたい?」

「初めてあの子が家に来た時、貧しい恰好をしていた。それはつまり、貧乏だったんじゃないのか?」

「それは・・・確かにそうだが」

俺の家は貧乏だ。

決して裕福という訳ではない。

「あの子はそうとう我慢してたんじゃないのか?それがある日、こちらの子供になると聞かされて心の底から喜んだんじゃないのか?

金持ちの家の子供になれるって、そう本気で思ったんじゃないのか?」

「そんな・・・まさか」

ありえない話ではない。

愛は・・・本当は記憶喪失ではない。そう、演技してるだけで実際は本当は俺が父親だと知ってる。

でも、金持ちの家にやってきて、好きなモノも自由に買えるし、好きな学校にだって行ける。そういえば彼女は私立に行きたがってたはずだ。だったら、何だ?

俺は彼女を探すべきではなかったのか?

目的の根底からひっくり返されることだ。嫌だ、その事実に気づきたくない。ある、考えが浮かぶ。

それは…初めから向こうは俺に見つかることを望んで無かった?

「今一度、考えてみてくれ。

どっちが娘にとっての幸せなのかを」

マサカズが冷たく突き放す。

「俺は・・・」

脳内がぐちゃぐちゃだ。

答えがすぐに思いつかない。

「明日、返事を聞こうじゃないか。

そしてこちらの家まで来るんだ。そこで、もし、本当に愛を引き取る気で居るのならば、こちらは愛を返してもいい」

マサカズが提案してくる。

「それは、本気か?」

俺は・・・彼の真意を確かめるように目を見つめる。

「あぁ・・・別に・・・あの子を傷つけたいわけじゃないからな」

マサカズはそう言っていた。

「信用した訳じゃない。

だが・・・今日は帰らせてもらう」

疲れた・・・色々あって。

今は家で休みたい。

「送っていこうか?」

マサカズが優しく語り掛けて来る。

「必要ない・・・タクシーで帰る」

俺はそう言って病院を出る。

しかし、財布の中を確認するとタクシー代何て無く、結局歩きで帰るのだった。その姿はとても情けなかった。















俺は家に戻る。

そして、事の真実を全て早苗に話した。

「絶対に可笑しいよ!」

そう言って早苗は怒っていた。

「そうかな」

俺は意気消沈気味だった。

「だって、誘拐したのは向こうなんだよ。それなのにどうしてこっちが諦めないといけないの?」

早苗のいう事はもっともだ、けれど。

「貧しい家と金持ちの家。あいつにとってどっちが幸せなのかなって考えたら、俺は分からなくなった」

「金があるとか、金が無いとかじゃなくて実の親でしょ、どうして血の繋がりが無い親が愛してるって言えるの?」

「それは、そうかもしれないが」

「でしょう、血のつながった親子が一緒に居るのが正しいよ」

早苗は正しいと思う、昔の俺ならば同意していた。でも、俺は反論する。

「それは養子縁組をした親子の前で言えるのか?」

「それは」

早苗は黙る。

「確かに誘拐したって事実は許されない行為だ、けれど、娘の愛を見てると金持ちの家で育ってる方が幸せに思えるんだ。今の俺が無理やり引き取る方が還って彼女を苦しめる」

「愛ちゃんの気持ちはどうなの?」

「記憶喪失なんだ、娘の愛は誘拐した方の親を本当の親だと思ってる」

「そんな」

「愛が酷い目にあってるならば俺が引き取るって自信もって言える。でも、親子でキャッチボールしたり、犬が居て、幸せそうだった。それになにより、愛は誘拐犯を信頼してる。俺が連れて帰ろうとした時に、彼女は俺ではなく、誘拐犯に助けを求めた」

「そんな」

早苗は複雑そうな顔をする。

「俺は・・・彼女を連れて帰ることが出来なかった」

「本当にそれでいいの?」

「…迷ってるんだ」

「迷ってる?」

「愛と一緒に生活していたのは幸せだった、嘘じゃない。本当だ。確かに、面倒だなって思った時はあるよ、でもさ、一緒に居ると思い出が出来て楽しかったんだ。それになにより、妻が残してくれた俺の財産だから」

「ケン・・・」

「なぁ、早苗。

俺はどうしたらいい。愛を無理やりにでも連れて帰るべきなのか?記憶が戻って、本当の親だと気づいてもらえるまで、彼女は知らない男の家でずっと一緒に過ごさなければならないんだ。そんな苦しみを得るって分かっていても、愛と一緒に居るべきなのか?」

「…」

早苗は言葉に紡げないでいた。

「俺は・・・どうしたらいいんだ」

「答えは何時出すの?」

「明日までに」

「そう…」

「今日は疲れた、もう寝るよ」

俺はベットに行く。

「待って」

早苗が後ろから抱きしめて来る。

「早苗・・・?」

「今の貴方を1人にしておけない」

「今の俺は・・・壊れそうか?」

「うん」

「心配かけてすまない」

「気にしないで」

俺たちは部屋の灯りを消してベットで一緒に眠るのだった。

翌朝、俺は目を覚ます。

あまりよく眠れなかった。

「行ってくるよ」

俺は扉を開けて、誘拐犯の元へ向かった。




俺はマサカズの家に向かう。庭に行くと、彼はガゼボで紅茶を飲んでいた。

「答えは決まったか?」

彼に尋ねられる。

「あぁ」

「それじゃあ、答えを聞かせてくれ」

マサカズが訪ねて来る。

「俺は…娘を…」

それを何とか言葉にしようと口を開く。

「…」

マサカズは答えを待ってる。口の中が乾く、言っていいのか?考えが早計なのではないか?もう少し考えてから答えを出すべきでは?そんな考えが何度も反芻する、でも答えを出さなければならない。そのために俺はここに来たのだから。

「娘を・・・預ける・・・」

言ってしまった。

もう、後戻りは出来ない。

「そうか」

マサカズは安堵していた。

「時折、様子を見に来ていいか?」

「構わない」

マサカズはそう言った。

「記憶が戻ったら・・・俺が親に戻ってもいいか?」

「その時は愛に聞いてみよう、だが確実に記憶が戻る保証は無いがな」

「分かった、それだけ聞けて十分だ…」

「…」

遠くで何処か娘が見てるように思えた。

目を見てしまえば、預ける選択に後悔しそうな気がした。だから、俺はサングラスをかけて視線を合わせないようにした。そして、本当に正しい選択をしたのだろうかと迷ったまま、重い足取りで、マサカズの家を出るのだった。



そして、約束していたジュンさんに会いに行く。前にあった喫茶店だ。

「見つかったのか?」

ジュンさんが開口一番に聞いて来る。

「何も聞かないでくれ」

俺は口を閉ざす。

「おい、何があった?」

俺は誘拐犯の顧客リストを返す。

「今までありがとう」

「そんなことはどうでもいい、結果を聞かせろ」

「さようなら、ジュンさん」

俺は彼の話を無視するように喫茶店から出る。

「本官は諦めないお前を信じてたんだぞ、その心を裏切る気か?」

ジュンさんが寂しそうな目で俺を見て来る。

「もう…終わったんだ」

俺は喫茶店から出るのだった。からんころんとベルが鳴るのだった。




自宅に戻ると、早苗が待っていた。

「ケン…」

「娘は預けることにした」

「それで、本当にいいのね?」

「いいんだ」

「ケン…辛かったわね」

「あぁ」

俺は早苗に抱きしめられる。涙を流すのは何だかずるいような気がして、流すことは出来なかった。自分の選択がまるで仕方がなかったみたいに思いたくなくて。俺の選んだ選択こそが娘の幸せなんだと信じてる。だから涙を流すことは無かった。


















俺はあることを早苗に相談する。

「本当に良いの?」

「良いんだ」

「それじゃあ、始めるよ」

「あぁ」

俺たちは掃除を開始する。かつて娘の部屋だった場所を綺麗な場所にするために。残しておく、という方法もあったが未練を感じてるようで何だか格好悪い気がしたのだ。

「ミルクティー、多いわね」

部屋にはタピオカミルクティーが飲み終わったカップが幾つか置かれてる。

「好きだったんだ」

俺はそう告げる。

「そういえば、ケンも良く飲んでたね」

「好きでな」

甘さの中に紅茶の上品な香りが、贅沢に感じていたのだ。

「どうして好きだったの?」

「愛は・・・俺のために・・・いや・・・今となっては自分のためだったかもしれないし分からない。でも・・・仮に俺のためだったとして・・・愛は俺のために経営者になりたいって言ってたな」

「経営者?」

「あぁ・・・俺の支えになりたいって。勉強して経営学を学び、偉い社長になるんだって張り切ってた」

「そうだったんだ」

「愛は俺の支えになるために、勉強してたって言ってたな。そんな時に、俺はその言葉に感動して、何か差し入れをしてやりたいって思ったんだ。でも、近くにコンビニが無くて、どうしようか迷ってたんだ。そんな時、自販機を見つけたんだ、そこでは他は120円だったけど。ミルクティーだけは100円でスゲー安いって感動したんだ。あとで調べてみたら、ミルクティーだけは自社製品だから自販機の中で安くなってたんだよ」

「それが、運命の出会い?」

「そう、何て言うのかな、娘は初めて甘い飲み物を飲んだのかもしれない。今までジュースを与えた記憶は無いからな。だから、その衝撃は大きかったと思う。口に手をあてて、なにこれって感じで驚いてた。与えた俺が言うのも何だけどさ、100円って安いだろ?娘は美味そうに飲んでるけど、値段が安いから不味いんじゃないかって俺はちょっと穿った目をしてたんだ、でもさ、娘があまりにも美味そうに飲むものだから、俺も買って飲んだんだよ。

したら美味しくてさ。それから病みつきになったんだよ、

2人してさ」

「そうだったんだ」

「愛は勉強が息詰まって、進まないなって思った時はミルクティーを飲んでリフレッシュしたんだよ。成長していくにつれて、ちょっと高価なタピオカミルクティーにシフトしたけどさ。俺は未だに安価な方を飲み続けてる」

「それで、飲んでたんだ」

「あぁ」

あの家で、愛は沢山の目てるだろうか?きっと自販機で買うものよりもずっと高価で、恐らくイギリスからわざわざ紅茶の茶葉を輸入したりして、美味しいものを飲んでるんだろうと俺は思ってる。

「それじゃ、再会するね」

「分かった」

「これは…何かな?」

早苗はホウキを持って、ぱたぱたとホコリを払っていく。そうしていく中で、あるものを見つける。

「それは絵本だよ」

「絵本?」

「あぁ、懐かしい。

読んであげたっけ」

俺は色あせて、手の皮脂で汚くなった絵本を眺める。

「どんな本なの?」

「ピーナツの冒険って言ってな」

「うん」

「娘がベットで寝てる時に、せがまれて読んだんだよ」

「そうだったんだ」

「内容はさ、ピーナツが冒険してる時に、溺れそうで困ってる人が居るんだよ。助けないとって思って、殻を脱ぎ捨てて船にするんだ。そして、その船で救出して助ける・・・そんな話だよ」

「童話って感じね」

「でもさ、ピーナツは殻を捨てた所為で中身だけになってとても身体が小さくなったんだ。その所為で、冒険から帰ってきたら家族に気づいて貰えないんだよ、ぴーなつだよ、貴方の家族だよって訴えるんだ」

俺は話してて思う。

何処か・・・自分と似てる気がした。

「そっか」

早苗もそのことを感じ取ったのか、それ以上俺に言うことが無かった。

「これも懐かしいな」

俺は蛍光ペンを見つける。パンダのノックがついてる変わったやつだった。

「それはどういう思い出があるの?」

「昔、これで勉強してたんだ。ほら、たまに居るだろ。教科書の文章にぴーっと線を引いてさ、ここは自分で記憶しておこうって、愛にもそういうのあったんだ」

「そんなことしてたんだ」

「懐かしいな・・・あ」

俺は勉強していた教科書を見つける。

「それは、教科書?」

「そうだ、見て、ほら」

俺はページを開いて見せる。

「本当だ、黄色い線でびっしり・・・それに変なシミもついてる」

「差し入れでミルクティーを持ってたんだ。その時に零しちゃってさ・・・怒られたんだよ・・・愛に」

どれもこれも懐かしい、見ていて思い出ばかりが蘇る。どうして俺は思い出せるのに、愛は何も思い出せないのだろう?

「無理して捨てる必要はないんじゃないの?」

早苗がそんなことを言う。

「止めてくれ、俺はもう捨てると決めたんだ。そっちに引っ張らないでくれ」

「でも」

「早苗」

俺は厳しく言ってしまう。心が今はとても不安定で誰かに優しくしてる余裕はない。だから言葉が少し強くなってしまった気がした。

「…ごめん」

「続けようか」

「えぇ」

俺たちは掃除を続ける。そしてゴミ袋の中に、愛の思い出を入れていく。

「…」

俺はただ黙って、それを入れる。これだけは取っておこうとか、そういうのはなく、全て捨てる。

「ダメ・・・ダメだよ・・・ケン」

「早苗?」

急に背後から抱き着かれる。

「やけになってるよ、無理して捨てようとしてる」

「そういうんじゃない。ただ、諦めようとしてるだけ」

「嘘だよ、諦めようと言い聞かせてるようにしか思えない」

「他に・・・どうしろって言うんだ」

俺はやるせない気持ちを口にする。

「寂しさは・・・別のものでも埋められると思うんだ」

「何を言ってるんだ?」

俺には彼女が言おうとしてることの真意が読み取れなかった。

「これじゃ美咲さんと同じだね」

「早苗・・・?」

俺には彼女が言いたいことが分からない。

「ごめん、何でもない」

早苗はそう言って、俺の背中から離れていく。彼女が何を言おうとしてたのだろうか?

「おい、早苗」

俺はくるりと振り返って彼女の顔を見る。しかし、彼女は明後日の方向を見て、俺と視線を合わせようとしない。

「さーて、掃除を再開しよかな」

「お前の言いたいことが分からなかった、詳しく教えてくれないか?」

何故だか、説明が欲しかった。しかし彼女がそれを語ることは無かった。

「早く終わらせよう、私を夜までこの家に居させる気?」

「っと、そうだな」

俺は急いで掃除を終わらせる。

そして、夕方になってくる。

「これで全部かぁ」

部屋いっぱいに縛ったゴミ袋が置いてある。

「大分助かったよ、明日これを出せば終わりだ」

「出すの、お願いね」

「分かってる・・・手伝ってくれた礼って訳じゃないが自販機で何かご馳走するよ」

「いいの?」

「あぁ」

「じゃ、炭酸が良いな。コーラかなぁ」

「近くのベンチに行こう」

俺たちは外に出る。

自販機を見つけて、ミルクティーとコーラのボタンを押す。

「頂戴」

早苗が手を差し出す。

「ほら」

俺はコーラを手渡す。

「ありがとう」

「座ろうか」

「えぇ」

俺たちはベンチに座る。

「ここのミルクティーは相変わらず美味いな」

俺は絶賛する。

「こっちも冷たくて美味しい」

早苗がコーラを一口飲む。

「終わった…な」

俺たちが協力していたのは、愛を見つけるという共有の目的があった。しかしそれが達成された今、一緒に居る理由は無くなってしまう。もうすぐ、彼女と別れるのだと思うと寂しさを感じる。

「そうね…」

早苗も同じ気持ちなのかもしれない。

「あのさ」

「なに?」

「色々と助かったよ。1人じゃきっと見つけられなかった」

「ううん、手伝えてよかった。私も見つかって欲しいって思ってたし」

「そっか、優しいんだなお前は」

「優しいだけで一緒になんて探さないよ」

「え?」

「ケン、本気で私が優しさだけで手伝ったって思ってる?」

「それは」

彼女は、そうなのか?だが、俺の思い込みかもしれない。

「私は自分の目的の事しか考えてない悪い女だよ」

「そんなことない、そんな女だったら今頃俺はお前の事を嫌いになってる」

「ううん、それが私の本質なの」

「どういうことなんだ?」

「ケン…」

早苗は俺の手を握ろうとしてくる。だけど、俺はそれを握ってはいけない、直感でそう思ってしまった。

「もう・・・夜遅くなってきたよ」

空は夕日から夜が顔を覗かせていた。

「そうだね」

「送っていくよ」

「必要ない」

「でも」

「本気になる気はないんでしょ、だったら必要ない」

「早苗…」

「バイバイ、楽しかったわ」

「俺もだ」

早苗は俺の元から去っていく。その背中を追いかけることは出来なかった。追いかけてしまったら、愛を失った理由を彼女にしてしまう気がしたからだった。


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