第19話 ――こんにちは、世界
エルフォフの朝は本当に静かだった。
高濃度の魔力が空気に溶け込み、光る花が聖樹の周囲を舞い、精霊たちの囁きが風に乗って森をすべっていく。精霊、エルフ、そしてこの地の動物たちが共に生きる――調和そのものの世界。
しかし、その静寂は突如として破られた。
──アカデミーより緊急通達。
魂のない死体が発見された。
傷一つない遺体。だがその「本質」は、痕跡もなく消されていた。
魂が外部から、強制的かつ意図的に引き抜かれた形跡――商人たち十数名が犠牲となっていた。
その報を受け、学院長は即座に命を下した。
四つの魔導通話具が魔力を媒介し、直接リィアナの脳裏に言葉を届ける。
『直ちにエルフォフ王より魂への攻撃に対抗する知識の提供を願い出よ。
そして許可が下りたなら、王族より“魂の防御”訓練を受けること。
敵は身体を壊さず、魂そのものを狙ってくる。』
通信が終わると、リィアナは緊張を帯びた目で頷いた。
「……やはり、“あれら”か。」
「“あれら”?」と、ノーランが訊き返す。
リィアナは空を見上げ、口を開いた。
「魔法だけじゃない。魂を“喰らう”……禁術を用いる者がいる。」
それは大戦の時代にわずかに記録されていた古代の禁術。ほとんど知られていないが、いま再び、恐怖と共に現れた。
◆◇◆
「――では、これより“魂の防御”訓練を始める。」
王城の庭園、魔法陣の中心に立つのは、エルフォフ王・レヴィン。
石のような表情で告げる。
「し、失礼いたします陛下……陛下自ら教えてくださるのですか?」
「“特異な力”を持つ者に対しては、私自らが指導に当たる。」
その視線は、冷たく、まっすぐ、ただ一人の少年へと向けられていた。
(……なんだ、俺を露骨に嫌ってる……?)
レヴィン王は不信の目を隠さず、ボソリと呟いた。
「娘に色目を使うなよ、小僧。」
(……え?娘って誰?)
意味がわからず首を傾げるトゥーロ。
その意味を察したのは、美しいエルフの王女・セレスティアだった。
「パパ、やめてよ。またトゥーロをからかって……」
「ふん……お前は人間に甘すぎる。」
「でも今日は市場で助けてくれたじゃない?」
「……そ、それは……うむ……」
トゥーロは顔を真っ赤に染めた。
「い、いや……ただ偶然いただけで……」
後ろではノーランとカインがひそひそ話をしている。
「マジで王女フラグ立ってね?」
その隣でリナは無言で矢を研ぎ、メイラは口元を手で隠してくすくす笑っていた。
◆◇◆
魂の防御――それは肉体ではなく、魂そのものを守る術。
通常、魔力は身体全体を巡るが、それを“魂の核”――太陽神経叢に集中させ、
そこから均等に拡散させることで、魂は厚みを持ち、外部からの干渉に耐えうるようになる。
この世界において魔法とは、物理的・精神的・情報的な三つの“粒子”で構成されている。
しかし大半の魔術師は、そのうちの1%しか扱えていない。
身体に宿る魔力だけを使い、魂の領域に至る者は稀。
だが三つの粒子すべてを自在に扱い、連携させることができれば――
本来の“魔法”の可能性は限りなく広がる。
「力を抜いて。魔力を太陽神経叢に集めて……」
「……これ、光ってるような……」トゥーロは目を閉じ、呟く。
胸の奥で何かが震えた。
その瞬間――
『ようやく……気づいたな。ここが“核”。我らの繋がりの源。』
「お前……名前は?」
『名は不要。ただ一つ――“門”がすぐに開く。』
全身が内側から燃えるような熱に包まれ、額から汗が滴る。
「門……って、どういうことだ?」
◆◇◆
『その門を制御できたとき、我はより強く現れる。』
空間も時間も意味をなさぬ、因果すら存在しない“観測の次元”。
そこには“神”と呼ばれる存在たちがいた。
「……また、境界が揺れた。」
彼らに善も悪もない。
慈悲もなければ、感情もない。
ただ、観測し、実験し、世界を操る存在。
「宇宙と宇宙が衝突したら……どうなる?」
「進化……あるいは崩壊。我らにとっては、どちらでもよい。」
その一体が、虚空に指を走らせる。
無限の迷宮――何のために作られたのか、それを知る者はいない。
神々の空間と創られし世界を隔てる“空白”。
それは、神が概念を流し込む隙間でもある。
その頃、シャエルは塔の頂で空を見上げていた。
「……見ているのね。」
彼女の足元には、雇われた傭兵たちの死体。
そして震えるエルフの少女たち。
涙を流し、命乞いをする彼女らに、シャエルは過去の自分を重ねた。
だが主――魔王の言葉を思い出し、彼女は低く呟いた。
「殺しはしない……。今日から、お前たちは私の“侍女”よ。」
その言葉に、少女たちは更なる恐怖で震えた。
悪夢のような日々の始まりを感じながら――
◆◇◆
訓練後の午後。
トゥーロは偶然、庭園でセレスティアと鉢合わせた。
「今日の訓練、大変だったわね。」
「ああ……でも助かったよ。アドバイス、すごく効いた。」
「ふふ、そう言ってくれて嬉しい。」
柔らかな笑顔の後、静寂が流れる。
――が、束の間。
「おい、お前!王女と何してる!?」
王宮の護衛兵が現れた。
「え、ちょ、違う!そういうのじゃなくて!!」
「捕らえよ!」
「王女に手を出すなど死罪だぞ!」
「えぇぇぇぇ!?!?」
トゥーロの叫びとともに、庭園中に笑いが響いた。
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