第18章:十の小隊、十三番目の旅路
アカデミーの中庭には朝靄が立ち込め、静かな緊張感が辺りを包んでいた。
今日は特別な日。
十の小隊が選抜され、それぞれの教授と冒険者を伴い、三つの王国に重要な任務を果たすため派遣される――エルフ族の王国「エルフォフ」、ドワーフの国「ドルグヘルム」、そしてドラコニットたちが治める山岳国家「ヴァルドラク」。
「13小隊、点呼を始めるわよー!」
軽やかな声が響き渡る。声の主は、我らが13小隊の担当教授、リアナだ。
「ノラン!」
「ここに!」
「カイン!」
「準備万端!」
「リナ!」
「……いるわよ、うるさいな」
「メイラ!」
「はーいっ♪ あれ? フロフロどこー?」
「……そして、トゥロ!」
「は、はいっ!」
「ふふ、全員元気そうで何よりね」
リアナは微笑み、腰に手を当てる。白と金を基調とした戦闘用ローブは、彼女のスタイルを際立たせ、生徒たちの視線を自然と集めていた。特に男子陣は、何かと目のやり場に困っていたようだ。
「よそ見はダメよ? ほら、トゥロ、顔赤くなってる。可愛い♪」
「なっ……ち、違います! これは気温のせいでっ……!」
「ふふふ」
魔法陣が展開されると、深紅の甲冑を纏った六本足の魔導騎獣が現れた。グォンという低音とともに、魔力で作動するエンジンのような音が鳴り響く。
「こ、これが……」
「そうよ。魔力式自走獣。魔導炉で動く移動手段の一つよ。エルフォフまでは約三日の行程。途中、数か所の補給地を通るわ」
車体には防御魔法が刻まれ、側面には積載用の収納魔方具が設置されている。前脚の膝部分からは発光する爪が伸び、夜道でも障害物を感知できる。
「この子はね、匂いにも敏感なの。敵意を持った魔獣が近づくと唸るのよ。まぁ、可愛いお利口さんなの」
「名前……あるんですか?」
トゥロの素朴な質問に、リアナは笑顔で答える。
「グラヴィナっていうの。前線でよく私の相棒を務めてくれたわ。大事にしてあげてね」
メイラは既に背中に乗り、耳の長い小動物を抱いていた。リナは周囲の森に気を配りながら、弓の手入れをしている。ノランとカインはお互いの武器を見せ合い、どちらが派手かで言い争っていた。
車内は意外にも快適だった。布張りの座席、魔力制御による温度調整、さらには自動で淹れられるハーブティーまで。
「これ……ほんとに訓練の一環か? 完全に貴族の旅じゃねえか……」
「……戦場では、快適さなんて一瞬で消える。今くらい、安心しておきなさい」
リアナの言葉は重く、過去の戦火を感じさせた。
車窓の外には、大地を駆ける魔獣の群れや、空を泳ぐ魚のような飛行生物が見えた。青と緑の世界に、見たことのない生命が息づいている。
「……なあ、トゥロ」
ノランが隣で小声で囁く。
「エルフォフに行ったら、何を見ると思う?」
「うーん……綺麗な森とか……」
「ちっちっち、それだけじゃねぇ。エルフの姫だ。噂によると、めっちゃ美人らしいぞ」
「……え、そ、それは別にどうでもいいじゃん!」
「そうか? お前、案外そういうの苦手そうだもんな。リアナ先生にすらドキドキしてるし」
「なっ、なにそれっ……!」
(やれやれ……)
そんなやりとりにリナがため息をつき、メイラはくすくすと笑っていた。
しかし、心のどこかでトゥロは感じていた。
――この旅が、ただの任務では終わらないということを。
荒れ果てたアルガンタの闇。かつて英雄たちが守った世界を、再び燃え上がらせようとする者たちの存在。
(俺は……止めなきゃいけないんだ)
知らぬ間に、彼の中で何かが静かに目覚め始めていた。
「……トゥロ」
リアナがふいに隣に座り、囁く。
「あなたの中にある力は、まだほんの一部。でも、感じたわよ。あの試験のとき……ほんの一瞬だけ、私の魔眼でも測れなかった“光”があった」
「……!」
「恐れないで。君には、それを使いこなす資質がある。だから私も、この任務を一緒に行くことにしたのよ」
彼女の瞳は、どこまでも真剣だった。
外では、森が揺れ、遠くにエルフォフの大樹が見え始めていた。
「――皆、あと一時間で第一補給地よ。休めるうちに休みなさい。……戦いは、すぐそこよ」
魔導騎獣は静かに進み、13小隊を新たな運命へと運び続けていた。
グラヴィナと呼ばれる魔獣が山の小道と森の境界を越えたとき――
目の前に広がったのは、まるで夢のような光景だった。
天を突くような巨大な樹々。
その幹の間には、自然と調和するように建てられたエルフたちの家々が並んでいる。
淡い光を放つ花々が空中を漂い、まるで妖精のように舞っていた。
「……すごい……ここが……エルフォフ……」
トゥーロは思わず息を呑んだ。
風は優しく、空気には魔力の粒子が浮かんでおり、無音の交響曲のように揺れている。
そして、そのとき――木々の奥から一つの人影が現れた。
「ようこそ。十三番隊の方々ですね?」
現れたのは、エメラルド色の髪と金色の瞳を持つエルフの女性だった。
背には精緻な弓を背負い、その所作には気品が漂っていた。
「私はセリィ。エルフォフ王国第一護衛隊の隊長です。」
「……きれいな人……」メイラが小さく呟く。
ノランがトゥーロの肘を突っついた。
「なあ、トゥーロ……あれが噂の姫様じゃないのか?」
「い、いや……たぶん……ち、違うと思うっ!!」
リナは深いため息をつき、カインは無言のまま腕を組んでいた。
「エルフォフへようこそ。国王陛下が直々にお会いになりたいと仰っています。どうぞ、こちらへ。」
セリィに案内され、一行は森の奥へと進んだ。
◇ ◇ ◇
森の中には、不思議な生き物たちが住んでいた。
翼のあるモモンガ、光を放つフクロウ、そして宙を舞う小さな妖精のような生物たち。
「これは……魔法と自然が調和してるのか……?」
「ええ、」とリアナが説明する。「ここエルフォフには“自然魔法”が流れているから、空気そのものがまるで違うの。」
やがて、彼らは広々とした草原へとたどり着いた。
中心には古びた水晶の泉があり、その根元には巨大な聖樹が聳え立っている。
そして、その聖樹の前に立つ一人の人物――
「ご足労感謝します。よくぞ来てくださいました。」
それは、清らかで鋭い眼差しを持つ老齢のエルフだった。
その佇まいからは、自然と敬意が湧き上がる。
「我が名はレヴィン。エルフォフの国王です。そなた……英雄の力を秘めし者よ……その内にある光は、ここまで届いておる。」
レヴィンの視線がまっすぐトゥーロに注がれる。
「……!」
胸の奥が熱くなる。
まだ何も成し遂げていないのに、心が何かに呼応するようだった。
(まさか……この人には見えてるのか、俺の中の……何かが?)
レヴィンは静かに続けた。
「アルガンタの動きが日に日に不穏になっておる。我が森ではすでに百人以上のエルフが行方不明となり、そのうち二十名の男性は遺体で発見された。そして、八十名の女性は今なお消息不明だ。最近、奴らが人身売買に手を染めているという噂がある……」
その瞬間――
トゥーロの中で、何かが小さく震えた。
それは恐怖でも、不安でもない。
それは……使命感だった。
「……はい。私たちにできる限りのことを、必ずやり遂げてみせます。」
その声は小さく、だが確かに力強かった。
◇ ◇ ◇
その頃――
エルフォフ王国から離れた森の奥。
八十人の美しいエルフの少女たちを捕らえた傭兵団が、密かな抜け道を通って逃走していた。
しかし、彼らが足を踏み入れたその場所は――知らず知らずのうちに、《魔王領》の境界を越えていたのだった。
「……不届きな来訪者がいるようだわ。」
漆黒の塔の玉座に座る女――シャエルは目を閉じ、魔力の流れを感じ取っていた。
「百名程度。八十は無力化された者。二十は武装……ふふ、愚かね。」
彼女はゆっくりと手を差し出した。
すると次の瞬間、ある傭兵の一人が瞬時に彼女の前へと引き寄せられた。
状況が理解できず、彼はうろたえ、暴れ出す。
シャエルはその目に死のような冷たい光を宿しながら、静かに問いかけた。
「――ここに何の用かしら?」
しかし男は恐怖に満ち、言葉にならない。
「答えられないのなら、無意味ね。」
その言葉とともに、彼の首はシャエルの指先ひとつで無造作に折られた。
彼女は静かに立ち上がり――
「さあ、歓迎の挨拶をしに行きましょうか。」
冷ややかに微笑みながら、塔の階段を降りていった。