匂い
「なぁ、あの三人の周りってなんかいい匂いがするよな」
「おっふ、そこに触れますかな? 八割は紗夜さんの匂いでしょうな」
「いや、俺の予測が正しければ三人がああして抱き合って混ざる事で化学反応が起きあんなにエロい匂いになってんだよ」
「まったく、困ってしまいますな~」
片隅の男子の会話が昼休みの賑やかな教室を突き抜けて耳元に届く。当然こんな会話を聞かれてしまっては彼らのような者の立場は完全に消え失せる事だろう。だがしかしこの三人ともなれば違う。
椿稀を除き他二人は内容の根本が分かっていない。一人は自分の体臭がそんなにも酷いのかと内心焦りに焦り思考が停止。もう片方は八割の時点でショートし分からない。パーセント表記ならばこの後の会話までその脳は情報処理が出来た事だろう。
ゆっくりと手の甲の匂いを嗅ぐ。いつもの香水の匂いが鼻を通り抜け気持ちが安らぐ。一からブレンドしてもらったこの世に二つとない香水の匂いを彼女はとても気に入っていた。しかしメイドから教わったように香水は人を選ぶ。匂いが嫌いな人も居ると忠告をされていた。
そして第二の可能性服の柔軟剤。袖の匂いを嗅ぐがこれまたいい臭いとしか感じない。そして結論に至る。残る匂いの原因は一つしか思いつかない。私の体臭なのではないかと。
自分の匂いは自分では気づかないと聞いた事をふと思い出す。汗の臭いが香水と柔軟剤の匂いを壊してしまったのではないかという結論に至った。
正直に言って『エロい匂い』と言うのが一向に理解が出来ない。そのような匂いを感じ取ったことが無い。そもそも彼女の頭の中の『エロい』と言うものは匂いに使われないと学習されている。しかし実際に困ってしまっているらしい。これは由々しき事態である。
「ふ、二人とも。私って臭うかな……」
「……うん、匂うよ。あの会話を気にしてるのかい?」
椿稀はすべてを分かっている。今聞かれていることが『臭う』かであり教室端の変態の会話は『匂う』であることもすべて理解している。
しかし理解していない紗夜は椿稀の回答をそのまま受け取り完全にフリーズしてしまう。椿稀に至ってはずっと仲良く距離も近かったためずっと嫌な臭いを嗅がせてしまっていたという事実に言葉を失う。
「例えば……こことか」
スッと立ち上がり首筋へと顔を近づける。普段なら避けられるだろうが完全にフリーズして隙の多い今なら防御は機能しない。すんなりと首筋に口と鼻を当て大きく息を吸う。
少し冷たい空気が数秒間首筋を通る。その感覚が消え数秒後には生暖かい空気が首筋を通る。そのくすぐったさにフリーズしていた思考は元の状態へと戻り始める。首筋にもう一度冷たい空気が通り始めたところで現状に気づき勢いよく離れる。
「そんなに何をやってい――」
「匂うね。やっぱり……好きな匂いが」
動揺に翻弄され最後の言葉は耳に届く事なく最初の一言だけが脳内を暴れまわる。ショックのあまり遂には手が痙攣を起こし始める。
「陽菜も嗅いでみな?」
「お、おう。任せておけ」
話の内容から陽菜もまた『臭い』方と勘違いを起こしている。当然紗夜から臭い臭いがすると感じたことは無い。だがしかし自分の鼻が曲がっているのではないかと怖くなってしまった。
紗夜本人も今回ばかりは匂いを嗅ぐことを容認し首筋を開ける。椿稀の真似をして首筋にある痕に沿うように鼻をつける。
「……なんか濡れてる」
「そこで喋らないでください!」
今回は意識がはっきりとしている気恥ずかしさと不安で胸が一杯一杯である。出入りする息が感度を段々と上げていく。
「ていっ」
くすぐったさを我慢していた横腹に大きな衝撃が走る。身体をビクッと跳ね除けさせ一気に距離を取る。
「ななななな何をするんですか!?」
「どんな匂いだった?」
「話を聞いてください!!」
「うーん……いつも通り?」
触れられた感覚が脳を刺激続けもはや真面な判断が出来ない。何を思いったったのか臭いの件をすっかり忘れ逃げ帰るように自席に戻り顔を伏せる。
「ボクは好きな匂いなのにな~」
「私も好きな匂いだね。手を出さなければもう少し嗅げたのに~」
この光景を見ていた片隅の男子は語る。オアシスはここにあったと。