建国祭
王都ヴェルデンの朝は、どこまでも朗らかだった。
建国祭を迎えた街は、至るところに色鮮やかな装飾が施され、人々の笑い声が響いている。
しかし、その賑やかな空気に負けないほど騒がしい場所があった。
例に漏れず、西軍第3師団第1隊の詰所。
「ちょっと!誰だ!俺のコートの袖を縫い合わせたの!」
「さあね?」
「レオン、お前だろ!?」
「俺は潔白ですよ」
「昨日の時点で『明日のターゲットはガスで決まりだな!』って言ってただろうが!俺は食堂の扉の前で聞いていた!」
「盗み聞きですか。こわーい」
レオンがわざとらしく腰をくねらせる。
朝食の時間にもかかわらず、詰所ではいつものようにイタズラの被害者が叫んでいた。
ガスのコートの袖は、しっかりと縫い合わされており、片腕しか通らない状態になっていた。
「お嬢!この美しい縫い目は間違いなくあなたの仕業ですよね!?」
シャルロッテは黒パンを齧りながら、しれっと答えた。
「証拠は?」
「証拠って……!」
ガスが絶句している横で、ルナがケラケラと笑い、レオンが肩をすくめる。
「私はレオンに裁縫を教えただけよ」
「レオン!やっぱりお前じゃねぇか!」
「結構上手くね?」
隊士たちは、ガスのコートをしげしげと見つめる。
「そうそう、並々ならぬ情熱と根気を感じるわ」
「お嬢のイタズラに引けを取らないな。王都の裁縫屋で働けそうだ」
「お前ら、もう少し被害者感情を大事にしろ!」
ガスが泣きそうになりながらコートの袖を引っ張る。
そんな騒ぎの中、詰所の扉が重々しく開かれた。
「何の騒ぎだ」
リヒターの低い声が響く。
詰所が、一瞬で静まる。
琥珀色の瞳がすべてを見通すように隊員たちを見回す。
いつも通り、厳格で威圧的な表情。
「……で?」
シャルロッテは涼しい顔で黒パンの端を齧り、そっけなく言った。
「ガスが何か騒いでるだけ」
「元はといえばお嬢が悪いんですよ!この袖を!」
「証拠は?」
「隊長、隊長! 俺、そろそろ胃に穴が開く気がする!」
リヒターは一つため息をついた。
「ガス、いい加減慣れろ」
「隊長までそんなことを!?」
ガスの悲鳴を背に、シャルロッテはクスリと笑った。
「ほら、リヒター。今日は建国祭なんだから、もっと明るく!」
そう言って、彼の前に小さなカステーラを差し出す。
「……」
リヒターはそれを無言で受け取り、一口食べて、「美味いな」と言った。
「なっ、隊長!? 甘い!甘いものだけに!」
「……うるさい、ガス」
「なんでですか!」
「今日は建国祭だ。見廻りのペアと場所を発表する。建国祭で浮かれている間に事件を見逃さないよう、心してかかれ」
ガスを華麗に無視した隊長は、さっと書類を掲げた。
王都ヴェルデンの中心街は、建国祭の華やかさに染まっていた。
彩り豊かな布が通りの上に張られ、赤や青、金の紙吹雪が空を舞う。
色とりどりの旗が街の空を覆うように飾られている。
陽光はそれを受けてきらきらと反射し、まるで空までが祝福しているかのようだった。
「わあ、見てお嬢、あれ! 竜の形の飴細工だって!」
ルナが人込みをかき分け、シャルロッテの腕を引っぱる。
シャルロッテは人混みに目を細めながらも、引かれるがままに歩みを進めていく。
「……お祭りなんて久しぶり」
「でしょ? もう、今日はいっぱい楽しもうね!」
ルナはまるで本物の子どもみたいにはしゃぎながら、屋台のひとつに駆け寄っていく。
シャルロッテもそれについて歩くが、すれ違う人々がちらちらと彼女たちを見やる。
今日は意中の相手に花を贈る告白の日でもあり、気軽に女性に声をかけた場合の成功率が上がる日でもある。
所謂、はじめてというやつをこの祭りの中に置いていく人が多い日だ。
「お嬢って、見た目は本当にきれいなのに、なんでいつもあんなに無表情なのよー」
「好きで無表情なわけじゃない」
ふくれっ面のルナに苦笑を浮かべた、そのときだった。
「ねえ、お嬢」
「なに?」
「リヒター隊長とは、ほんとになにもないの?」
唐突なその問いに、シャルロッテは足を止めた。
ルナは、まっすぐに彼女の顔を見上げている。
「……どうして?」
「だって。お嬢って隊長にだけちょっと気安いし。、隊長もお嬢にだけはなんかちょっと甘い」
シャルロッテは、小さく笑った。
「ただの幼馴染よ」
「本当に?」
「あの人は私を、妹としか思ってないわよ。ずっと昔から」
シャルロッテは目を伏せ、手に持っていたカステラをそっと見つめた。
リヒターの好物。
それをぽいっと口に放り込み、もぐもぐと口を動かしながら言う。
「……リヒターにはね、ずっと昔から好きな人がいるの」
ルナの目が、まるくなる。
「えっ……そうなの?」
「うん。小さいころからずっと。すごく優しくて、きれいな人。あの人にだけは、本当にやさしい顔をするの。……見てて、わかるの」
淡々とした声のなかに、どこか遠くを見つめるような響きがあった。
「じゃあ、お嬢は……」
「私は、2人に幸せになってほしいって思ってるだけ。……それで、十分」
そう言って、シャルロッテは微かに笑った。
それは、無表情の彼女にしてはとてもめずらしい、ほんのひとかけらの素直さだった。
「お嬢……」
ルナは言葉を詰まらせたが、シャルロッテのその笑みを壊さないように、何も言わず隣を歩いた。
陽は傾き、花が空を舞う。
人々の笑い声と、祝福の音楽が通りを包むなかで、ふたりの影がゆっくりと並んで伸びていた。
これより前のお話、少し修正しています(~_~;)
長編って難しい…