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王都ヴェルデンの夕暮れは、朱の光を街の隅々まで染め上げていた。


市場の喧騒は少しずつ沈み、行き交う人々の影が長く伸びる。

衛兵たちが持ち場を巡回し、露店の店主が品物を片付け始める頃、第3師団第1隊の隊舎では、いつもとは違うざわめきが広がっていた。


「……いや、おかしいでしょ」


ルナは腕を組み、目の前の光景をまじまじと見つめた。


「私が言うのもなんだけど、お嬢、それ街娘じゃなくない?」

「うん。俺もそう思う」


ガスがため息交じりに頷く。

彼の手には、書類ではなく、借り物の街娘用の薄いショールが握られていた。


「動きにくいから、ずぼんにして…」

「だめ!街娘はズボンなんか履かない!」


シャルロッテは眉をひそめたが、目の前の女兵士、マリア・クレマンにぐっとショールを押しつけられる。

このおしゃれなど興味を示したこともない副隊長のためにわざわざ休日に呼び出されたマリアは、満足そうに頷いた。


「よし、完璧ね。あんたがその軍服を脱ぐことなんてめったにないからね。どうせなら可愛くしてあげないと」

「求めてないんだけど」

「ダメ。囮なんだから、できるだけ”普通の街娘”に見えないと」

「だから私には、それは無理だと…」

「まったく、ほんとに文句が多いわね。少しは楽しみなさいよ」

「この状況のどこを楽しめと?」


シャルロッテはいつもの無表情のまま、軽く肩をすくめた。


急遽古着屋で購入した淡い青の簡素なワンピース。

それだけでも、普段の軍服姿とはまるで印象が違う。


銀の髪は魔法で栗色に変えられ、無理矢理にまとめられている。

軍人らしい鋭さは影を潜めている……はずだった。


「うーん……やっぱり無理があるな」


レオンが顎に手を当て、少し考え込んだ。


「顔だけは貴族のお嬢らしく極上だしな」

「性格最悪だけどな」

「戦闘狂だしな」

「通り名が死神だよな」

「覚悟はできてる?」


シャルロッテがゆっくりと手を伸ばし、目にもとまらぬ速さで傍にあった愛剣をすぐ近くにいたガスの首筋にぴたりと当てた。


「待て待て待て!俺は言ってないんですけど!?」


ガスが慌てて後ずさるが、剣の切っ先は彼の喉元をいまにも引き裂きそうだ。


「まあまあ、落ち着いて、お嬢」


ルナが面白そうに笑いながらシャルロッテの腕をそっと押し下げる。


「でも、やっぱり羨ましいなあ。私も変装したい!」

「2人も3人も囮にできるか。手間がかかる」


リヒターが低い声で言う。

彼は部屋の隅で腕を組み、じっとシャルロッテの姿を見つめていた。

その表情はいつも通り無愛想で、何を考えているのか読み取りにくい。


「……似合ってない?」


シャルロッテが珍しく問いかけると、リヒターは眉をひそめた。


「そういう問題じゃない」

「なら、問題ないですね」

「……まあ、どうせ敵に連れ去られる予定だからな。目立つのはいいことか」


リヒターがため息をつく。


「目立つのをさらってくれるかなあ」


ガスがぼやくが、誰も聞いていなかった。


隊員たちは、シャルロッテを見ながらそれぞれ好き勝手なことを言っていたが、リヒターだけは何も言わず、ただじっと見ていた。

シャルロッテはそんな視線を気にすることなく、サッとスカートの裾をつまんで軽く膝を折る。


「では、囮調査に行ってきます」

「……無茶はするなよ」

「無理ですね」


にこり、と笑ってみせると、リヒターは片手で顔を覆った。


「……頭が痛い」

「胃じゃなくて?」

「もう全部痛い」


リヒターがぼそっと呟くのを聞きながら、シャルロッテは薄暗くなり始めた王都の街へと足を踏み出した。


夜の帳が下りる頃——彼女は、予定通り”連れ去られる”こととなる。



王都ヴェルデンの外れ、スラム街は夜の帳とともにその影を深めていた。

崩れかけた建物が歪に並び、狭い路地にはほとんど光が差さない。

道端にはボロ布をまとった人々が身を寄せ合い、貧しさと疲労に満ちた眼差しで通りを見つめている。


シャルロッテ・ヴァレンヌは、軽やかな足取りでその暗がりへと踏み込んだ。

軍服ではなく、街娘の薄手のドレスをまとった彼女は、一見するとどこにでもいる若い娘に見えた。

だが、その瞳には一切の怯えがなかった。


「ねえ、お姉ちゃん、お菓子持ってる?」


路地の隅でしゃがみ込んでいた少女が、か細い声で尋ねてきた。

歳は八つか九つといったところか。痩せ細った手を服の裾でぎゅっと握りしめ、上目遣いにこちらを見ている。


「あるわよ」


シャルロッテはポケットから小さな焼き菓子を取り出し、少女の手にそっと置いた。

少女は目を輝かせ、ひとくち齧ると、ほんの少しだけ表情を緩ませた。


「ありがとう」

「お母さんは?」

「いないよ。お姉ちゃんは新入りさん?ここは危ないから、みんなスラム2区のほうに移動するほうがいいって言ってたよ」

「あなたはどうしてここに?」

「……お母さんがここで待っててって」

「そう」

「お姉ちゃん、ここにいると危ないよ。最近、ここに黒い服の人たちが来るの。夜になると女の人を連れて行くんだって……」


シャルロッテは目を細める。すぐそばで、かすかに草が擦れる音がした。


「——そう、ちょうど今みたいに?」


少女がびくりと肩を震わせた瞬間、暗闇から数人の黒装束の男たちが姿を現した。彼らは無言のままゆっくりと包囲し、鋭い視線でシャルロッテを見下ろす。


「そこの娘。ついてきてもらおうか」

「なるほど、こうやって連れ去るわけね」


シャルロッテは淡々と呟いた。背後の少女をかばうように一歩前へ出る。


「……ちょっと待って。連れて行くなら、私だけにして」

「ほう?」

「この子はただのおしゃべり好きな子供よ。関係ないでしょう?」


男たちは顔を見合わせた後、一人が鼻を鳴らした。


「いいだろう。だが、騒ぐなよ?」


次の瞬間、甘く刺すような香りが鼻腔を満たした。


(麻痺薬……やれやれ、予定通りだけど……もう少し抵抗してもよかったかもね)


意識が揺らぎ、足元がふらつく。

しかし、その瞬間——。


「いやっ! お姉ちゃん、行かないで!」


小さな手が、シャルロッテの袖を掴んだ。


「……ああ、マジであとで覚えてろ」


微かな苛立ちを込めた呟きを最後に、シャルロッテの意識は闇へと沈んだ。





冷たい石と薄暗い灯り——地下の牢獄

ぽたり、と水滴が落ちた音がした。


鈍い頭痛。手首には縄の感触。


シャルロッテはゆっくりと目を開け、視界を確かめた。


薄暗い部屋。

壁は荒削りの岩でできており、燭台の頼りない光がゆらゆらと揺れている。

その中で、何人かの女性や年端もいかない女の子が身を寄せ合っている。


「……なるほど、地下ね」


冷静に状況を把握しながら、口の中に残る苦い味を飲み込む。


「お姉ちゃん……?」


震える声がすぐそばで聞こえた。

あの少女だった。


シャルロッテの隣に、怯えながら身を寄せるその姿を見て、彼女は小さくため息をついた。


(なぜ予定通りにならないのかしら……まあ、いいわ。問題ない)


「さて、どうしてやろうかしらね」


シャルロッテの灰色の瞳が、闇の中で静かに光った。

これからが、本番だ。

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