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日常って騒がしい


王都ヴェルデンの朝は、静謐さと喧騒が入り混じる不思議な時間だった。

夜の名残を帯びた蒼白い光が石畳を染め、湿った朝靄が瓦屋根を覆う。

遠くでは鐘の音が響き、市場の露店がゆっくりと目を覚ます。


西軍第3師団第1隊の隊舎も、そんな王都の朝に包まれていた。


もともと戦時中は王都を守る最後の砦として、また指揮所や補給基地なんかとしても機能していたため、建物の至るところに戦の名残がある。

石造りの壁には幾度となく補修された痕が刻まれ、無骨な造りは機能美そのものだった。

戦争が終わり1年。

今は王都の治安を守る拠点となっているが、そこに集う者たちの本質は何一つ変わらない。


つまり——騒がしい、ということだ。


「おーい、誰だ! 俺のパンを食ったのは!」

「知らねぇな」

「お前だろ、レオン!」

「証拠は?」


食堂には朝から活気が満ちていた。

長机に隊員たちが集まり、黒パンと目玉焼きにベーコン入りのスープの朝食をとっている。

焼きたてのパンの香ばしい匂いと、ハーブの香り漂うスープの湯気が立ちのぼる。

戦場では粗末な乾パンと塩漬け肉しか口にできなかった彼らにとって、この食堂での食事は、平和の象徴でもあった。


「お前ら朝からうるさい」


誰かがぼやくが、誰も気にしない。

むしろ、これくらいがこの隊にはちょうどいいのだ。


「……はぁ」


食堂の一角、ひときわ深いため息が落とされた。


「おいおい、朝っぱらからそんなに気の抜けたため息をつくなよ、ガス」


レオン・ダルトワがスプーンをくるくると回しながら、一瞬の間さえ惜しいというようにパンをかじりながらも書類とにらめっこしている男をからかう。


金髪を無造作にかきあげた男、ガス・ロシュフォール伍長。

階級こそ伍長止まりだが、頭が切れ、特に隊員のフォローとお守りと書類仕事に関しては右に出る者はいない。


「お前らな……少しは俺の苦労を考えてくれ」

「えー? 俺たち、そんなに手がかかる?」


レオンが肩をすくめると、その隣で双子の妹ルナが楽しげに笑った。

兄と同じ燃えるような赤毛に、くるりとカールした毛先が揺れる。


「そうだよねぇ、私たちって意外と手のかからない後輩だと思うんだけど?」

「どの口が言うか」


ガスはげんなりとした顔で、書類をトントンと整える。


「この報告書を書いたのは誰だ?」

「確か昨日はレオンが書いたでしょ?」

「“昨夜の事件:犯人制圧。以上”って、お前これで報告書のつもりか」

「うわ、短っ」


ルナが小さく吹き出す。


「事実は端的に書くべきかと思いまして」

「お前らが事実を端的に処理しすぎるせいで、俺の仕事が増えてるんだよ!」


バンッ、と机を叩いたガスを見て、隊員たちはクスクス笑った。


彼は愚痴をこぼしながらも、なんだかんだ皆の面倒を見ている。

書類仕事はガスに任せれば間違いないし、現場での判断力も確か。

おかげで彼の周りには、常に面倒を巻き起こす人々が集まっていた。


向かいの席からレオン・ダルトワがスプーンをくるくると回しながら挑発するような笑みを浮かべる。


「ため息つくほどのこと?」

「……これを見てくれ」


ガスは手にしていた書類をレオンの前に放り投げた。

そこには第3隊による昨日の暴走馬車事件の詳しい調査結果が綴られていた。


調査の結果、黒装束の男たちは犯罪組織に属し、誘拐や密輸に関与している可能性が高いことが判明。

しかし、本命の密輸品はすでに別ルートで運び出されていた。


「つまり、俺たちが賭けを放り出して暴走馬車を止めても、結局奴らの目的は達成されてたってこと?」


レオンが報告書を覗き込みながら口笛を吹く。


「そういうことだ」


ガスはもう一度ため息をついた。


「……リヒターが今日の見回りで捜査を進めるらしい」


「また二人体制?」


ルナが楽しげに尋ねる。


「そうだ。今日の見回り当番は——」


ガスが報告書をめくる。


「第一班、リヒター中佐とシャルロッテ少尉。第二班、俺とモロー軍曹。第三班、レオンとルナ」

「またお嬢がリヒターの相棒?」


レオンが肩をすくめた。


その時、食堂の扉が開いた。

一瞬、空気が変わる。


「おやおや、うちの”お嬢”の登場だ」


レオンが小さな声で囁くと、扉が開いた。


朝の陽光に照らされて、無造作に束ねた銀の髪が淡く輝く。

細かくウェーブのかかった髪はたっぷりとしていて、束ねていてもしっかりと存在感がある。

彼女の無表情はいつも通り。

しかし、その静かな佇まいの奥には、鋭い意志が見え隠れする。


シャルロッテ・ヴァレンヌ少尉。

戦場では死神と恐れられた少女である。

まあ、その名の通り、とても強い。

剣も魔法も一流の腕を持ち、迅速で容赦のない戦いぶりを見せるが、普段はいたずら好きで、ほとんど無表情。


若干15歳にして、彼ら第1隊の副隊長である。


軍服の襟元はきちんと整えられているが、彼女自身はどこか無造作な雰囲気を漂わせていた。


「おはよう、お嬢。機嫌はどう?」


ルナが軽やかに声をかける。


「……普通」


シャルロッテは淡々と席につくと、黒パンを一口齧る。

それだけで、隊員たちは「今日も平和な朝だ」と思うのだった。


「なぁシャル、またリヒターとペアだってさ」


レオンがにやにやしながら言う。


「また?」

「うん。ガスが見事に私たち双子を回避したから」

「俺が回避したんじゃない、リヒター隊長が回避したんだ」


ガスが疲れたように呟く。


「……まあ、いいですけど」


シャルロッテは飄々とパンを齧りながら答えた。


「そういや、お嬢?」


ルナが笑みを浮かべながら尋ねた。


「今日の隊長へのイタズラは?」

「……もう仕込んだ」

「相変わらずだなぁ」


レオンが笑いながら肩をすくめる。


「……」


ガスは顔を覆った。


「お前ら、隊長に対する態度じゃねぇぞ……」


食事を終えたシャルロッテは、軍服の裾を整えながら立ち上がった。

その瞳には、いつもの無表情の奥に、どこか楽しげな光が宿っている。


そのとき、ばたんと大きな音を立てて、扉が再度開いた。


さらりとした黒髪に琥珀色の瞳の美丈夫だが、その表情は大人でさえも泣いて逃げるほどに恐ろしい。


「シャル!お前だろう。俺の制服のブーツの穴縫いつけやがったのは!」

「はい。皮のブーツだったので、皮用の針と糸を手に入れるのに苦労しました」

「誰が苦労してまでこんなイタズラしろっと言ったよ!」

「そのせいで昨日ほとんど寝れなかったんですよ。……というか、上手じゃないですか?」

「上手だよ!全然ほどける気配がないよ。どうすんだよ!無駄なところで器用さを披露するな!」


泣く子も黙る隊長は、シャルロッテの頭をぽこんと軽く叩いた。


「今日も平和だな」


ガスが遠い目をして、書類をテーブルの隅に追いやった。


詰所は今日も騒がしい。



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