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世界がまだ優しかった頃 sideリヒター

リヒター、回想

リヒターは、少し先を歩くシャルロッテの後ろ姿を黙って見ていた。


彼女の銀髪は昼の陽に照らされ、少しだけ色を薄めて揺れている。

まっすぐに背筋を伸ばし、軽やかで無駄のない足取りで石畳の上を進んでいくその姿は、どこから見てもひとかどの軍人だ。


——今の彼女を見て、幼い少女だった頃の面影を思い出す者は、もうほとんどいないだろう。


「……変わったな、お前も」


そう呟いた声は、風の音にかき消された。

彼の胸には今も、消えない記憶がある






蒼く、広い空だった。

夏の終わり、蝉の声はまだしつこく枝にまとわりつき、遠くで犬が吠えていた。

日差しが傾き始める頃、石畳の中庭にてリヒター・リュベーベルはただ一人、剣を振っていた。


14歳のその体格はまだ少年のままで、背もそこまで高くない。

けれど、その剣筋には鋭さがあった。


それは他人に評価されるために身につけたもので、使い潰されないように必死になっていた。

孤独の中で研ぎ澄まされた、彼自身を守るための刃。


「リヒターにいさま!」


呼ばれた声に、振りかぶった木剣を止める。

振り返ると、陽の光を弾く銀の髪と、膝丈の淡い水色のワンピースが風で揺れていた。


その少女の後ろには、大人びた紺色のワンピースを纏った少女の姉が微笑んでいる。


「シャルがあなたとどうしても一緒に稽古をしたいらしくて…私も少し見学してもいいかしら?」

「……かまわない」


少女はぱあっと顔を輝かせた。


「リヒター兄様、わたしともぎ試合して!」


その声は、驚くほど真っ直ぐで、曇りがない。


リヒターには、兄という言葉にあまりいい思い出がない。


リュベーベル伯爵家の屋敷には、兄がふたりいた。

けれど、末っ子のリヒターは彼らとまともに話したことはなかった。

彼は表向きは正妻の子として育てられたが、屋敷のメイド達の噂話から、その嘘を知っていた。


リヒターの本当の母親は屋敷のメイドだったそうで、リヒターを産んですぐに亡くなったらしい。


食事はいつも自室。

食卓で家族とされる人達と並んだことはない。


父は出世頭の王城の文官で、家にはほとんど帰ってこないため、まともに話したことはなかったし、母と呼ばれる人から抱きしめられたこともない。


彼の中に並外れた剣の才能を見た父は、「軍人になれば生計を立てられるようになるだろう」と言い、14歳のリヒターを有無を言わさず旧友であるヴァレンヌ伯爵のもとへ送り込んだ。


愛人の子のリヒターをこの先ずっと屋敷に置いておくことは出来ないし、かといって伯爵家が持つ他の爵位を与えれば、正妻の実家との兼ね合いがさらに悪くなるだろう。


かくして、リヒターは自分の意思とは関係なくヴァレンヌ伯爵、つまりこの国で最強との呼び声の高いアレキサンダー・ヴァレンヌ大将を師匠と呼ぶことになった。


それが、リヒターにとって、ヴァレンヌ家との関係の始まりだ。


この家にきて、“家族”というものが本来どういうものかを知った。


姉妹の母はすでに故人だったが、忙しいなりにアレキサンダーはなるべく早く仕事を終わらせて帰ってくる。


全員で食卓に並び、あれやこれやと話しながらご飯を食べ、誰かが誰かの名前を呼び、名前を呼ばれて返事をする。


それは、リヒターにとって未知の世界だったし、束の間のことだろうとはいえ、普通の家族の中に自分が入り込んでいることに不思議な気分になった。


「兄様、これ見てー!新しい木剣買ってもらったのー!」


最初こそ姉の後ろに隠れて、警戒する猫のように毛を逆立てているようだったシャルロッテも次第に打ち解け、彼のあとをついてくるようになった。

剣の稽古に付き合うようになってからは尚更だ。


かつて戦場の死神と恐れられた彼女達の父の才能を受け継いだのか、シャルロッテは5歳にしてなかなか強かった。

同年代の男の子では太刀打ちできないだろう。


剣の稽古をしていると「リヒター兄様、わたしも!」と木の枝を拾って振り回して、相手をすることを要望してくる。


体の弱いソランジュは、それをいつもベンチから眺めていて、たまに冷たい果実水を持ってきてくれた。


盆に置かれた果実水に、シャルロッテは断りもなくリヒターの分にも砂糖を入れる。


「……砂糖、いらないんだが」

「でも甘い方が元気になるでしょ?」


シャルロッテの笑顔は、自分自身を嫌う人間がいるなど知らないとでも言うようなとても無垢で、それでいてリヒターの目から見ると罪深いものだった。







ある日、シャルロッテが姿を消した。


明日の建国祭のために花を買いに行ったシャルロッテだったが、数時間後、空の馬車だけが戻ってきた。


なんとか自力で帰ってきたのだろう馬は足を怪我していて、御者は血まみれで意識がなかった。

シャルロッテに付き添った侍女の姿もない。


その夜、屋敷中が震えた。

ソランジュは泣き崩れ、執事から連絡を受けて慌てて帰ってきたアレキサンダーは、伯爵家の自兵を伴って王都中に捜索をかけた。


連れて行ってもらえなかったリヒターは、木剣を腰に差して一人で馬を駆ったが、銀色の少女を見つけることは出来なかった。


今でも、思い出す。

夜明け前、雨が降り出していた。


ソランジュと共に玄関ホールから動かずにいたリヒターや一部の使用人達は、馬が駆ける音とアレキサンダーの「医者を呼べ!」という叫び声に慌てて扉を開けた。


執事が急いで侍医を呼びに走る。


アレキサンダーの腕の中には、父親の外套に包まれたシャルロッテが血の気の失せた様子で気を失っていた。



後から聞いた話では、シャルロッテは王都のはずれのもう誰も管理する人がいなくなった廃れた教会で発見された。


金銭目当ての誘拐だった。


彼女と一緒にいた侍女は、恋人に頼まれて事件の手引きをしたらしく、その場で恋人共々、アレキサンダーに斬り捨てられたらしい。


発見された時のシャルロッテは、教会の暗い地下牢の中で、縄で縛られ、口を塞がれ、うずくまっていたそうだ。


シャルロッテとの面会が許されたのは、3日後だった。

幸いにも、大きな怪我はしていないらしい。


部屋の中、ベッドから上体を起こしてぼんやりとしているシャルロッテは、空気に溶けてしまいそうな儚げな色を纏っているように見えた。


「——シャル」


声をかけたとき、少女はびくりと震えた。

そして、かすかに目を開いた。


「……にぃさま……」


いつも通り、リヒターを兄と呼んだその顔に、見慣れた笑顔はなかった。


彼女は、笑わなくなった。



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