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「今まで何していたのか聞こうじゃ無いか」
目を覚ました後の食事はブッツェが用意したものだった。
世話焼きな割に料理はあまり得意ではない彼の好物は、消化液でドロドロになった獲物の体液である。私の目の前には少々焦げすぎた目玉焼きと、青々としたサラダ、そして黒パンが皿に盛られていた。彼の前にあるのは、自前の水筒のみであった。
せっかく用意してくれたものだ、ありがたくいただこう。
「研究」
「それは知ってる」
彼特製の液体が入った水筒を飲みながら、ブッツェは訝しげに目を細めた。つまり3日も家を開けた原因を知りたいのだろう。
両面が焼かれた目玉焼きを口に頬張ると、やはり焦げた味がした。咀嚼している間、どう説明しようかと頭を整理する。
「人間を作っていた」
「…ん?ごめん、もう一度言って?」
「人間を作っていた」
ブッツェは情報を全く噛み砕けていないようで暫く考えるように右上を見上げていた。水筒を傾けたまま1分ほど経過して、やっぱり納得がいかなかったのか困ったように眉を寄せる。
「んー…詳しく説明してくれる?」
「私たち妖怪は人間の噂や伝承から生まれることは知っているよな」
「そうだね」
「でも逆に、私たち妖怪が人間を作るという話は聞いたことがないよな」
「…そ、そうだね」
「だからやってみようと思った」
「…君が自分の興味がある方向にまっしぐらなのは知ってるけどさ?それと人を作るのはどういう関係があるんだい。」
彼の顔に困惑の色が混ざっていることはすぐにわかった。当然だろう、友人が大真面目な顔でおとぎ話をし始めたのだから。
「人は人にしか作れず、妖怪は人によって作られる。それがこの世界での常識だ。だから、逆をしてみようと思ってね。」
「…何か本から影響でも受けたかい?」
「うん、当たり。」
ブッツェに一冊の本を手渡した。それはスラヴ神話をまとめたおとぎ話の一冊。不思議そうに本を見つめる彼に向かって、ページを指定して開くように促した。
「君はコシチェイという妖怪を知っているか?」
「知らないよ、誰?コシチェイって。」
「北の国の妖怪さ。女をさらう恐ろしい魔物だ。大きくて醜い爺さんの姿をしている。」
僅かでも大きさが伝わればいいかと両手を広げてみたが、ブッツェの響いていない様子を見るに徒労に終わったようだ。
「まあいいか、その妖怪はとても独特な妖怪でね、不死身のコシチェイという二つ名を持っている。」
「不死身のコシチェイ?死なないのか?」
「いいや、限定的な不死身さ。簡単に言うと、体と魂を別々にして保管している。魂さえ守れば彼は何度でも生き返ると言うことさ」
「へぇ、随分独特な不死身のなりかただね」
「加えてもっと独特なのは、魂は卵の中にある針の上にあることさ。彼を殺すなら、その針を折ればいい」
サラダの上にあるトマトをひょいと口にほおり投げた。歯で圧をかけると、小さなトマトは青臭さと共にプチ、と音がして潰れてしまう。
「まさかこれに影響されたとかいうのかい?」
「このコシチェイという妖怪はな、一応トルバランの遠縁なのさ。だからほら、こんなものが作れる」
「なに…え!?」
服の中からコロン、と躍り出たのは一見ただの鶏の卵。艶やかな白味持った楕円は、机の上から緩やかで不規則な回転の後、自然と立ち上がった。
「コシチェイの卵をモチーフに、私が作ったレプリカだ。魂を入れていないから、今は割っても針が出てくるだけだよ。そら、割ってごらん。」
懐疑的な表情のまま、ブッツェは言われた通りに卵を割る。普通の卵であれば中身がどろりと出るところであるが、この卵の中にあったのは一本の小さな針であった。
「コシチェイはその卵を掴まれると、魂を掴まれたことになり否応無しに弱っていくらしい。魂が別の場所にあるとは不思議な現象だよなぁ」
「これは、その。機能するのかい?」
「前準備する必要はあるが、機能はする。マウスで実験済みだ。きっと楽しいぞ、他者の魂を掴むと言う感覚は」
「俺のこと騙してないか?実はこれはただの手品で、随分と手を込んでからかってるんだろ」
あまりにも寝耳に水な話が続くので、私の言葉を信じきれず疑いの眼差しであれこれ可能性を考えているブッツェ。背中の足がオロオロと揺れているのは、彼が動揺している証である。
しかし、これで難色を示し続けるようであれば、今まで私の親友としていられたはずがない。
「…でも、本当にこれがコシチェイの卵なら、やってみたいかも」
そら、最終的に彼だって己の好奇心には逆らえないのだ。私が満足に頷いていると、じっくり針を眺めていたブッツェが急に顔を上げた。
「待ってよ、卵に魂を入れるのはわかった。そして君にそれができるのも…見てないけど分かったことにしておく」
「うん、そうしてくれると助かる」
「けど、それで人間を作ってたってことには繋がらないだろ。これだと人間じゃなくてコシチェイの卵を作ってた、って言うはずだ」
「ああ、当然の疑問だ。魂が完成したなら、次に必要なものはなんだ。ヒントは人間にあって我々にない物。はいブッツェ君、答えて」
「...魂が入るための肉体?」
「大正解、ご褒美に黒パンをあげよう!」
「いらない!」
笑顔で差し出した黒パンを全力で拒絶されてしまった。この黒パンはブッツェに食べてもらえればきっと喜ぶはずだろうに。私はいやだ、パンより魚がいい。
「”人間を作ってた”に対する回答で卵と体の話が出るってことは...君はこの数日間その肉体を作ってたってこと?」
「ああ。腐らないための加工に苦心していた。それと、魂を入れるための準備も必要だったからね。」
「魂を入れる…」
針を指でくるくる弄るブッツェの目は、爛々として私を捉えている。早く続きを言え、と言いたげな雰囲気が可愛らしくて思わず小さく笑い声が漏れた。
ブギーマンという、ごく一般的な妖怪で名も無い私の様々な研究に、他の妖怪が価値を見出すことは稀だ。だが彼だけは、こうして好奇心を働かせた目を向けてくる。
そんな顔をされてしまえば、私としても今の研究に心が沸き立っているのを抑える道理はないのである。
「そうさ、コシチェイは魂と肉体を分裂させ、不死身を実現した。それなら逆に、魂と肉体を融合させれば人間と変わりない状況が生まれるはずだ」
「ん...?えっと、もう少し具体的に説明お願い?」
「卵の中に魂というエネルギーを入れることによって、肉体が動くカラクリを作るんだ。水車を動かすにはエネルギーとして水が必要だろう?それと同じだ」
「コシチェイやマウスの様に、魂と肉体を別々の場所へ...とはまた違うのか?」
「少し違うね。私がやりたいと考えているのは魂と肉体の分離じゃない。融合だ。コシチェイは自分の不死身のために心身を分離をする。しかし私は他者の魂と肉体を融合させることで、別の生き物を生み出そうと試みている。そして最終目的は”人間を作る”ことなのさ」
「...なるほど、とにかく用意した体を動かすには魂が必要ってことだね?」
「そうだ」
理解を諦めたようだ。うまく説明してやれなくて残念無念。
だが、それだけ分かっていれば充分である。
「私はこれから魂探しをしに行こうと思う」
「あれ、魂探しってことは肉体はもう完成してるってこと?」
「はは、聡明な君にコーヒーでも入れてあげよう」
「酔っちゃうからいらないよ」
蜘蛛のブッツェが水筒を飲み干したところで、朝食の皿を片付ける。
朝とは言っても、ここは妖怪の世界。時間の感覚などほとんどない上に、ブギーマンが好む地域であるから、常に不気味に薄暗い。
月明かりが煌々と地上を照らしてはいるが、私の家がある森の中は生憎と木の葉が傘を作っていた。一歩足を踏み出してみれば、落ち葉衣が身に映る。
「外に出てきちゃったけど…魂は何にするか検討つけてるのかい?」
ブッツェの手を引いて意気揚々と出てきたのはいいが、そう言われれば無計画で出てきてしまったことに気づいた。
歩くたびに落ち葉がクシャリと二人分の音を立てている。ブッツェの手は蜘蛛らしくひどく冷たかった。
「肉体は人間で作った。魂は妖怪を入れようと考えている。ここら一帯はブギーマンしかいないから、選択肢なんてあってないようなものだけどね」
「なら、生まれたばかりがいいよね。自我がないうちに卵へと閉じ込めれば、コントロールもしやすいはずだ」
「一理ある。ただ、本能ばかりではいけないだろう。感情ばかりが激しく現れては、それは獣と変わりない。理性と本能が均衡していることも必要だ」
「最初からそれは望みすぎじゃないかな。どっちを取るかと考えた時は、本能に比重が傾いている方がいいと思う」
「どうしてだ?理性も大事だろう?」
「だって、赤ちゃんに理性なんてないだろ?俺たちだって生まれた頃は理性は今よりなかったはずだ。でも感情の起伏は激しかったでしょう?それなら”作ったばかりの人間”には本能的に感情を爆発させるべきだと思うし、理性は後からだって育てられると思うよ」
確かに、高望みはしすぎたのかもしれない。たった一人で考えているとこうして暴走をしてしまう可能性がある。誰かに相談することは大変有効であるし、ブッツェはそのあたりやはり私の親友である。
「そうだな…君の言うことはもっともだ。理性や教養は後からついてくる。人間の様に振る舞うことを仕込みさえすれば、きっと誰から見ても人間にしか見えないはずだ。」
「なんだか、やたらに人らしくあることに拘るね。死体に魂を入れて、人間っぽく振る舞えればそれでいいってわけじゃないの?」
残念ながら”人っぽく”ではダメなのだ。それでは作り手の私が満足できない。
横並びになったブッツェが私の顔を覗き込んでくる。複数ある単眼は、そのどれもが私の意思を読み取ろうとしている様だ。遠くから見れば可愛らしい少年の様だが、近くにあれば彼が蜘蛛のバケモノであることはすぐに分かる。
「できれば誰から見ても問題なく人間に見える様にしたい」
「君ってば、そんなに人間好きだっけか?」
「我々ブギーマンは妖怪の中でも特に身近に人間に関わる。多少の関心が向いたところでおかしくないだろう?」
「それにしたって関心が向きすぎてると思うけどな。君が人間に関わることなんて、今までほとんどなかったろ。ブギーマンの仕事以外ではさ。」
妖怪には逸話通りの行動をする本能がある。ブギーマンは母親の脅かし文句から生まれ、夜更かしをする子供を怖がらせ、誘拐する。それは私もブッツェも同じことだ。
だが積極的なブッツェとは違い、私は人間と関わることは消極的だ。
うっかり本能のままに誘拐してしまうことはあるが、人間の子供というのはとてもうるさいのだ。私は行儀の悪い子供が好きではない。ただ残念ながら、本能が反応するのはそういう子供ばかりである。
誘拐した子供を、扱いに困るからと生きたままブッツェに譲ったことは何度もあった。そんな私が急に人間に関心を持ち始めた。それは気にするなと言われる方がおかしいだろう。
「ブッツェ、朝食の時も言ったが、人は人が作り、妖怪は人が作る。この常識を逆にできたら面白いと思わないか?」
食料的な意味で人間好きなブッツェにこれを言っても、いまいちピンとこないことはよく分かっている。だからこそ、もっとわかりやすく噛み砕くことが必要だ。
「人間の紡ぐ言葉が、噂が、文字が、絵が、我々妖怪の本能、習性、外見、性格そして強さを決める。彼らが我々の神なのだ」
「…俺には美味しいジュースにしか見えないけど、言われてみればそうだね」
「それならば、我々の創造神たる人を理解、操作できれば、妖怪というのはより強さを持てるとは思わないか?」
ブッツェが片手で己の顎をこすった。飲み込みに苦労している様だ。
「けど、君が人間もどきを作ったところで、それは人間じゃない。コシチェイの卵なんてものを使っている以上、どこまでいっても妖怪だ。見た目が人間なだけだ。その人間モドキが何かしたところで、俺たち妖怪に影響は…」
言っていて、はっと彼は目を見開いた。ようやく思い立った様で、思考のために空へと向けていた視線を私へと戻してくる。紫色の瞳孔が、まっすぐ私の三つ目を捉えていた。
「…人間社会に紛れ込ませたりするの?そのモドキを」
「君に渡すご褒美を持ってくるべきだったね」
人間社会に紛れ込ませ、流したい噂をそのモドキに流させる。そうなれば、噂というものは自由に広がっていく。妖怪の口から漏れた噂が、人の口によって語り継がれていく。そしてその噂が定着すれば、対象の妖怪の性質が変化する可能性がある。
妖怪は人によって作られるが、人の口を操作するのが作られた側の妖怪になるのだ。これほど面白いこともないだろう。
目を細め笑う私とは対照的に、先ほどまでしっかりと私を見据えていた彼の瞳孔が泳ぐ。繋いでいた冷たい手が、するりと抜けていく。
「それは、その、いいのかい?それはブギーマンとしては、あまりにも異質じゃないかい?そんなことを考えるなんて…」
「ブギーマンという種族であるのに研究なんてものをしている私には、今更だろう」
「それは、でも、どれもこれも遊びの延長線上だったじゃないか。君がやろうとしている実験は外に出せばそれこそ罪を問われかねないし、自分の性質を自分で左右しようとするのはタブーだ!」
「ああ、タブーだね。妖怪の法で裁かれる可能性は十分ある。」
「それがわかってるなら、どうして!」
妖怪というのは、元の噂が白く神々しい妖怪だというものでも、人の噂がねじ曲がり黒く醜い妖怪だという伝承になってしまえば、その通りに染まってしまう。原型を残さず、まるきり別物になってしまうのだ。
私は、妖怪の弱みが嫌いだ。無条件に好き勝手妖怪を捻じ曲げる人間も気に入らない。だが妖怪は、無意識に非道なことをする人間を罰することができないのだ。それが自然の摂理なのだから。
動揺する親友を、自分でも驚くほどに冷静に見据えている自分がいた。
緊張しているのか彼の体はこわばり、背中の蜘蛛の足は関節がキリキリと不気味な音を鳴らしていた。
腕を組み、彼をじっとりと見つめていたが、いよいよ持って緊張の糸が張り詰めた。
「──まったく、バカだな!」
へ、と間抜けな声を出したのはブッツェだった。呆然とした表情の彼が面白く、つい笑い声が漏れる。
「たった一人の人間がする噂などたかが知れている。それがブギーマン全体へと影響するだと?無茶な話だ、この世界がどれだけ広いのか、どれだけ人間という生き物がいるのか、どれだけブギーマンがいるのか!君だって知っているだろう!うくくく!」
森に私の笑い声が反響する。腹を抱えて笑う様に、ブッツェは遅れて揶揄われたと気づいた様だ。顔を真っ赤にして抗議を口にする。背中の蜘蛛の足がバラバラに動き、後援する様にキリキリと激しく鳴った。
「ちょっとトル!?あんな真面目な顔しておいて、騙したね?!」
「騙してなどいないよ、君が勝手にビビっただけじゃないか!」
「タ、タブーを絡めたジョークなんてタチが悪いんだぞ!わかってるのかい!?」
「はー、笑った笑った、さ、魂を探しに行こうか。安心したまえ、人を作るのはただの趣味さ。外に出すつもりもないし、操作なんてしようとも思っていない...かもな!」
「かもな!?思ってないって断言してよ!」
ぷりぷり怒っているブッツェの手は引けなさそうだ。今触ったらさらに油を注いで、彼の鋭利な蜘蛛の足が私を貫いてしまうかもしれない。そんなことは私も嫌なのだ。少し歩いて後ろを振り返ると、ちゃんと付いてきている。その素直な様子にも笑いがこみ上げてきて、慌てて口を覆った。
その努力は虚しく、一層怒らせる羽目になったようだった。
「ブッツェマン!トルバラン!」
唐突に聞こえた大声は、一瞬怒り心頭のブッツェから発せられたものかと思った。