教習所で見えた人
このお話は、ノンフィクションです。
ご注意ください。
これは、私こと朝倉 ぷらすが実際に聞いたお話なのです。
それは自動車学校つまり教習所で、二段階の最後の学科教習を受けていたときのことでした。その教習も終わるというような時間に、教壇に立つT教官がこんなことをおっしゃっていたのですね。
「そういえば、この教習所には毎年2,000人ほどの教習生が入ってくるんですが、その中で一人か二人、確実に見えている方がいるんですよね。」
そのT教官は、冗談は理解するような方ですが、悪ふざけを言うような方ではなかったですから、二段階の終わりごろともなれば、教習生もみんな、T教官がウソを吐いているわけではない、と思うのです。
つまり、その先の言葉が気になるのです。
「例えば、所内のコースを回っているとき、踏切りを超えるとちょっと下り坂になっているじゃないですか。それで、直ぐに左折になるのでマニュアルの方は、第一段階だと不慣れなギアチェンジとかでもたついて、一時停止しちゃうことって、あるじゃないですか。」
いつものように聞きやすい語り口で、わかりやすい説明でした。
「ただ、僕たちは『そのまま行けるなら、止まらずに行こうか。』って言うじゃないですか。……それで、見えちゃう方をAさん、とすると、そのAさんは教習所に入ってくる教習生としては、運転技術は上手な方だったんですよね。S字のクランクとかも上手に運転していますし、切り返しなんかもスムーズに出来る方で。……だから、不思議に思ってしまったんですよね。」
そして、言うのです。
「なんで、踏切り過ぎた下り坂のところで、いつも、わざわざ一時停止してるの? って。」
ゾクッと、背筋に冷たいものを感じました。
「そうしたら、Aさんが言ったんですよ。『だって、そこに女の人が立っていて、道を渡りそうな感じで。』って。」
そう、教習所で最後の教習の、最後のタイミングで、まさかのカミングアウトだったのです。私たちは、知らずにお化けがいるかもしれないところを、運転していたのでした。
「そのときは、Aさんの言葉に冗談めかして、『大丈夫だから、次は止まらず行ってみて。』なんて言ったんですけど、その後も何度かAさんと一緒になると、所内のコースで止まりかけたりするんですよね。それで、Aさんが仮免を取って、二段階の路上教習に入ったとのことなんですけど、左折するときに横断歩道の前で止まろうとしていて、あ、これは何か見えているんじゃないかって、思って。それでAさんに『どうしたの?』って聞けば、『横断歩道を渡る人が見えるので……。』なんて、歯切れも悪い感じで答えて。ああ、Aさんも横断歩道を渡っている方? というのが、周りには見えていない方なんだなって、認識があるみたいなんですよね。」
そこで、T教官はタメを作ってから、続けるのです。
「でも、何もないところで止まっちゃうとダメだから、『轢いて大丈夫だから、行って。』って言って。心の中では、ごめんなさいごめんなさい、これ教習なんです、って、謝りながらなんですよね。といっても、僕には何も見えていないんですけど。」
と言って、少し戯けました。
その時は、そういうこともあるんだなあとか、私が通っていた教習所には毎年2,000人の教習生が入所してくるんだなあとか、そんなことを思っていたものです。
ただ。
とあることを、唐突に思い出したんですよね。
ピンときた、と言っても良いかもしれません。
それは、とある実体験でした。
*** ***
それは、私がまだ入所したての頃のことです。私は、夏休みに入所しましたから、効率よく学科教習や技能教習をこなそうと、通える日は大体すべて、教習所へ行くことにしたのです。
何事もやり始めの頃というのは、どうしたってカンが掴めていないものですから、見慣れた光景と、見慣れない光景の違いも判りません。見るものすべて、ははぁ、こういうこともあるのですね、と受け止めていって、あとで、あれはどいうことだったのか? と疑問に思うものです。
その日は、技能教習で所内のコースを運転する、3回目のことでした。
折しも日差しの強い暑い昼下がりで、仮免の技能試験を受けている車が、列をなして所内のコースを巡っているのを見かけたのです。私は、急ブレーキなどの訓練をしていたと思います。そして、最後に運転に慣れるためか、一番外側のコースをぐるぐると回っていたところでした。
仮免の技能試験を受けている方たちの車が、コースの道路の真ん中で、例の踏切りを通るために並んで停まっていたのです。
というのも、この踏切りに入るには、右折をしなければなりません。そして、踏切りを超えたら、直ぐに二回の左折があります。そして、踏切りに入るための右折車と交差するように内回りのコースになるのです。そういうわけで、一番外側のコースには、右折したい車が並ぶことになったのです。
その車の列を右手に、私は一番外側のコースを時計回りにぐるりと走る予定でした。その、ちょうど待機していた車の列の横を通っていたときのことなのです。
踏切りを通り帰ってくる間には、実は、信号機のない横断歩道があるのです。
その信号機のない横断歩道が見えたときに気付いたのです。
誰か、いる。
それは女性でした。
夏らしい涼し気なブラウスと、裾を捲り返した7分丈のデニム。そして足元は涼しそうなミュールで、近付けば、亜麻色の髪の毛を緩くカーブさせて、肩に鞄をかけているところも見えました。夏の暑い日でしたから、教習所の影に入っていました。
さらに近づけば、その涼しげな風貌が見えてきました。暑い夏の日中に、汗ひとつかかずに、優し気な表情を崩さないのです。カジュアルな格好の大人の女性として、熟れ感もあって、とても魅力的な方に見えました。
着こなしも雰囲気も髪型もパッと見のお化粧も、大変、参考になるような、ステキな方でした。
そして、信号機のない横断歩道の前で、今にも渡りそうな様子でキョロキョロと周りを見回していたのです。
でもね。
そのとき思ったことは、仮免の試験では、難しいことを要求するのだな、ということでした。
というのも、踏切を超えて短い間に左折左折と周りを確認し、速度が出る前に例の信号機のない横断歩道が待っているという忙しいコース。しかも、そこに横断歩道を今にも渡りたそうに見回している方がいるのです。これは、ちゃんと気を引き締めないと、仮免の技能試験に落ちるぞ、と思ったものです。
もちろん、信号機のない横断歩道を渡りたそうな人がいるときは、その前で停まって、歩行者に譲らないといけないと習っていましたから、一時停止するのです。
「横断歩道の近くに人がいたら、一度停まるのですよね?」
「ああ、いたらな。」
なんて、確認を取って、停まります。
しかし、その方は一向に渡る気配がありません。
ですから、いつまで停まっていたらいいのかわからず、なんとなくこれくらい、というところでまた走らせます。ですが、一周回ってきたら、当然、またその方がキョロキョロと、今にも道を渡りたそうな様子でいるのです。
その方が、仮免の技能試験のトラップ的な何かだと思っていましたから、あまりの演技力の高さにビックリしたものです。
ただ。
その方が、仮免の技能試験の試験内容に関わるだけの方と思っていましたから、もしかして、私は無視をしても良いのかもしれないと、2回目の一時停止は1秒程度、3回目は速度を緩めるものの停まらずに、その建物の陰にいた女性を左に、例の横断歩道を通過したのです。
そのときは、そういうこともあるのですね、なんて思いましたが、それ以降に、そういう女性を見かけたことは、なかったんですね。
そんなことを、T教官のお話を聞いて、思い出したのです。
もしかして、私は何かを見ていたのでしょうか。
*** ***
T教官の雑談のようなお話も終わり、学科教習も終わろうというときに、私が見た女性に関して、いくつか仮説を思いつきました。
1. お化け
2. 仮免の試験のトラップ
3. 見学に来ていた無関係な一般人
さて、どれでしょうか。
私自身、思いついたことへの興奮から、さっそく調査を始めるのですね。
まず、通っていた教習所には、所員全員の顔写真付きプロフィールが貼ってあるボードがあるのですね。そのボードの中から、女性所員の顔写真と、記憶の中の女性の顔を照らし合わせるところから始めました。
……残念ながら、該当する方はおられませんでした。
次に、一時的にバイトなどを雇って、試験にトラップなどを仕込むことがあるのか、事務をしている方などに聞き込みをしました。
……怪訝な表情を向けられながらお答えくださったのですが、やはり、そんなことはしないとのことでした。
そうなると、2番目の可能性は、消えてしまいます。いえいえ、まだ、訊いていない方がいるじゃないですか。そう、教官たちです。
T教官や、私が女性を見かけたときに助手席に乗っていらしたN教官、さらに、何度か技能訓練で担当してくださって、話しかけやすいS教官とH教官に訊ねてみました。
……残念ながら、そのような方はいらっしゃらないとのことでした。
特に、N教官は「覚えていない。」とのことです。ええ、確かに訊ねたのは10月も終わりごろでしたから、8月の、一番忙しいころの、とある一コマのことを覚えていろ、という方が難しいのです。
ですが、記憶にないということは、N教官にとっても、そのときの光景はいたって普通だった、ということになります。
つまり、ですね。
もし、そこに立っていたのが見学者などの一般の方、だとしたら、ですよ?
普通じゃないので、覚えていると思うのです。
というのも、私は誰かが所内のコースの脇に立っている、という状況を他に見たことがないのです。ですから、そもそも、一般の方が所員の方を随伴せずに、そんなところに立っていれば、助手席に乗っていた教官が先に気付いて声をかけるなどの措置をとるハズなのです。
それが無かった。
つまり、「バイトや、仮免の試験内容改定のためのテスト、見学者などのも含め、N教官にとっては、そこに女性は立っていなかった」ということになるのです。
図らずも、仮説の2番と3番が同時に消滅してしまいました。
なるほどです。
ですが、このN教官は、そこそこ悪い冗談が通じる方なので、もしかしたら、見逃していた、という可能性を捨てきれません。
ですから、思い出すしかないのです。
対向車は……ああ、仮免の技能試験で、踏切り前後の交通渋滞を起こしていましたから、信号機のない横断歩道の前で、必ず一時停止をしているのです。判断材料になりません。
それでは、私の前を走っている他の教習車はどうでしょうか。……ああ、遠すぎてちょっとわからないのです。ブレーキランプは見えていましたっけ??
そもそも、私は、生きている方を見ていた、と認識していましたから、前の車のブレーキランプなんて、見ていても覚えているハズがないのです。しかも、もし、例の横断歩道の前で一時停止していても、そういう内容の教習でしたら、女性が見えていなかったことの判断材料には、なりません。
わからないのです。
私は、一体何を見たのでしょうか。
もちろん、私には霊感のようなものはありません。少なくとも、私は、私自身にそういった能力が無い、と思っています。
それとついでに、その教習所で以前、事故などは無かったことを、調べたり、古参っぽい教官に訊いたりして確かめているのです。さらに、古地図を探せたので、過去、何が建っていたのか、ということも調べましたが、綺麗なものでした。地図上では、不穏な様子はなかったのです。
そもそも、着物姿や、そうでなくとも多少古めかしい恰好でしたら、そうだとわかるのですが、私が見た女性は、今どきで夏らしく涼しげな恰好です。
もし、そうだったなら、オシャレなお化けもいたものです。
と、ここあたりでつらつらと纏まりのない思索に耽るのも止めにしましょう。
けれど、やはり思ってしまうのです。
私は、何を見たのでしょうか?
それが、普通から少し外れていた、と認識できたから、覚えていることができたに過ぎないのです。
ですから、こうも思ってしまいます。
いつも、疑うことなくすれ違っている多くの方々は、実在するのでしょうか、と。
だから、重ねて。こういうふうにも、思ってしまいます。
あなたが見ている人は、本当に生きている方ですか?
~終~
このお話は、ノンフィクションです。
まるで、推理小説のような、純文学のような、不思議なお話になってしまいました。