獲麟
笛の音が止まないうちに若様方の所に行かねばまた棒で強かに打ち付けられかねない。
痛みとともに教えこまれた記憶にユーチュンは身震いしながら森の中を走った。
森、とはいっても元から狩猟のために用意された場だ。
最低限の伐採は行われているおかげで周りが見えないだとか、日が差し込まず勧めないというほどではなかった。
ユーチュンが落ち葉に足を取られ坂道を滑り落ちて行った時、ちょうど笛の音は3回目の音が鳴ったところだった。
「お、お待たせ致しました、若様!」
遅い、と叱られるかと思いながらもユーチュンはすぐに主人の足元に平伏して声を待ったが、どうにも、しばらく待ってみても棒で小突かれもしなければ罵声も命令も飛んでこない。
どうしたものかと頭を下げ地べたを見つめ考えていたが、意を決して顔を上げると目の前には訳の分からない生き物がいた。
「ユーチュン、荷車をもってこい。鹿じゃない気持ち悪いのが倒れてた」
若様の言葉に慌ててはい、と答えてから来た道を戻る途中、ユーチュンが振り返ると僅かにその生き物は頭をもたげていた。
その馬のような優しげな目が一瞬ユーチュンの視線とあったようにも思えたが、ユーチュンはすぐに顔を逸らして荷車を取りに戻った。
年上の奴隷達と荷車を持って戻れば主人たちは既にその妙な生き物に興味をなくしたのか、次の罠の方へ向かって、獣の側にいなかった。
「おや、こいつ罠にかかった訳じゃなさそうだ」
「弱ってたんですかね、抵抗もしません」
初老に差し掛かりつつあるチャンは日焼けした大きな腕で奇妙な獣の後ろ足をさすっていた。
普通は野生の獣はこんなことをされれば蹴りあげて暴れるのだが、この獣はどうにも身動ぎをせず小さく息を吐き出して肺を膨らますばかりだった。
見れば見るほど妙な獣ではある。
顔は馬のような、蛇のような感じもするが、体つきは鹿に似ていて、鱗のような毛並みをしている。
まだ歳若いのか体つきはしっかりしているのに、酷く弱っているらしく鳴き声もあげない。
鬣は黒ずんでいたけれど、おそらくは元の色は白かったのだろうと思える。
額からは長い角が1本、頭上の耳のそばに小ぶりの角が2本生えていた。
「これ、どうされるんでしょうね?」
「こんな気味の悪いもん旦那様方は食わないだろうな……見世物にでもするか、剥製にするか、皮を剥ぎ取るか」
「……」
ユーチュンが横面を掌で撫でてやると獣はその手に擦り寄ってきた。
気味の悪い、妙な生き物だと皆は口にしていた。
確かにこんな獣は見たことがなかったけれど、ユーチュンはこの生き物が醜くは思えず、寧ろ哀れに思えていた。
獣を荷車へと二人がかりで押し上げると、再び笛の音がした。
「しまった、俺は向かうからユーチュン、運ぶのだけ頼む!」
「はい、チャンさん」
急いで森の奥へと向かうチャンさんの背中を見てから、ユーチュンは荷車の前へと向かって、体重をかけて馬達がいる方へと運んで行った。