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SHINIGAMI GAME  作者: いでっち51号
~コラム:死神たちの闘いを書いて~
12/12

コラム:死神たちの闘いを書いて(後編)

挿絵(By みてみん)


 前編のコラムではシンキロが1つのスタジアムだとして、スタジアム全体のことへ触れて語るものを綴ったが、ここではスタジアムの中で行われているモノについて語っていきたい。本作の読者さんが読んで楽しめるとしたら前半よりも間違いなく此処ではないだろうか。



 まずシンキロの読者層を分析するに感想を残す「見える読者」と感想は残すことはないがPVを残す「見えない読者」とに分けると明らかに見えない読者の方が圧倒的に多い。ちなみにこれは本作のみならず、どの連載作品にもみられる現象のようだ。従って「作者に聞いてみたいこと」という事を募集してみたって、あっても1つか2つ、あるいは0でも可笑しくないだろう。私含む我々アマチュア作家はそれほど知名度がない事が前提なのである。



 従って何を語ったらいいのか実に悩ましいところではあるが、やはりここは「書いてみて印象に残った事」「そもそも書きたかった事」の2点に絞りたい。



 印象に残ったのはやはり野神修也というキャラクターだったかと今でも想う。彼の存在はプロット段階から実にユニークで、本作のラスボス候補にあがっていた事実もある。しかし本人の能力とこれから話す主人公との対比でそこには値しないと判断し当初通りの路線を本作は進んだ。



 では何故最も印象に残るキャラクターになったのか。それはやはり主人公の零と対比するキャラクターとして機能していた点にある。あまりそこに注目していた人はいないだろうが、零も修也も同じ姉を持つ男子だ。ただし修也の場合は生き別れている。さらに死神となった本人はあまり愛情なんかで物事を考えない男であるので、姉の死を憂い続けている零とは根本的に違う。



 しかしこの対比こそが彼らを戦わせるフラグとなった。



 零はそもそもエレナへはゲーム以前の世界から嫌悪感を抱いており、彼女が死神となってもそれは変わらなかった。むしろ悪化したとすら思える。一方で修也は成人となって奇跡的に再会を果たした姉へそれなりの愛情は持っていたものの、死人となりゲームに臨むにあたっては彼女を道具としてみているだけ。それでも勝利に向けて彼は姉とともにスムーズにゲームを進めた。姉へ愛情を持つ零と姉へ愛情を持ってはいないが持つフリをする修也。主人公に相応しいのは零だった訳だが、死神ゲームで元々強くあったのは修也。こうした対比がもたらす物語の絵として浮かび上がってくるのは“零の成長”だ。



 零は命懸けの闘いをエレナとともに乗り越えていくなかで元々嫌いであったエレナへ愛着を持つようになった。そしてそれは零自身の覚醒にまで繋がる。ここまでくると弟として果たしてどちらが優秀なのか、この物語の展開はこの2組をぶつけてく運命を示唆していたように思えて仕方ないのだ。



 ここまで読むと「だったら修也がラスボスで良かったのでは?」と思う人もいることだろう。事実その展開が間近に迫った時に知人の占い師さんに当初のラスボスと修也がラスボスになる展開を占ってもらった事があった。その結果「どっちもどっち」な結果がでたのだが、修也だった場合は「読者が離れるかもしれない」という結果も出ていた。勿論その占いを鵜呑みにしたワケではない。しかしコラム前半を読んだ御方は私がその文言へ過敏に反応した背景をきっと察知してくれる事だろう。



 加えて修也は守一さんからブンブンという愛称をつけられるほど見える読者層からも馴染まれたキャラクターだったが、実はさほど人気なんてなかった。それこそ当初通りラスボスになった彼の方が人気あるのではと思えるぐらいに。そもそも幾億もの蟲を媒体とする体なんていう気持ち悪い設定のキャラクターだ。無理もないと言えば無理もないか。



 キャラクターについて深堀すれば、零との対比という意味では林原拓海また鬼道院魔裟斗なんかも興味深い存在だ。鬼道院に関して言うなら「もう一人の主人公」としての立ち位置も物語の上ではあったように思う。本作スピンオフである「零の指弾」を読んで貰えたらその実感は深まる事だろう。




 そしてここからは「書いてみたかった事」を語りたいがこれは大きく分けて3つ。「自分と読者さんが楽しめるバトル」「主人公の成長」「作品の根底にあるテーマ」だ。3つ目は私なので曖昧な表現になるが、他2つは何となく分かって貰える要素になるのではないだろうか。



 本作はなろうでいうところの「アクション」のジャンルに所属する。従って、いわゆる異能モノとみなされても問題ない作品だ。ただしそこにはSF設定が盛り込まれており、その設定を読者さんと自身とで楽しむ事に本作の出来栄えなるものが試される。幸いにもその点は優しい読者様に恵まれたお蔭であまり酷評を受けた記憶はない。決して満足している訳でないが、自身はどのバトルもハラハラして書いていた記憶が多く残っている。それは「楽しかった」という事に他ならないと思うので、これはクリアしていると思いたい。



 続いて主人公の成長だが、これは本作がいわゆる少年漫画的な作品を根差し書き続けていた作品なので、あるべき要素にはなるだろう。これは色んな見解等があると思うので一概には言えないが、作者としては「書けたように思っている」とここで述べておこう。それは最終決戦である死神を召喚した彼の姿にある。気になる人はぜひ本編で確認して欲しい。



 最後に3つ目の「作品の根底にあるテーマ」についてだが、これを明文化するには非常に難しいところがある。というのも、本作は安易に「悪い奴らをやっつける正義のヒーロー物語」ではないからだ。登場し対峙する敵それぞれにそれぞれの正義があって、誰が主人公でも可笑しくない物語を象っているのである。従って「零たちが1番正しい」なんていう理論は私の脳内に存在しない。



 ただ、理不尽な現実を生きる人間は少なくとも本作で描かれた死神ゲームの延長戦上にあると言っても過言ではないと私は思っているし、そういうものを私は他作品でも作品が持つリアリティとして作品に背負わせるようにしている。



 本作にはいくつも素晴らしいレビューを頂いたのだが、特に素晴らしいのは江保場狂壱様&にのい・しち様のレビューだと私は評したい。そこで書かれている本作品の厳しい世界観こそが本作品の世界観を体現している文言であると私は断言してもいい。作品と合わせて御二方のレビューも読んで欲しいと望むところだ。



 つけ加えて言うならば「生命倫理感が軽いぞ」という見方は本作の世界観で必死に戦っているキャラクター達への侮蔑とすら私は想っている。逆である。本作は重たいのだ。命の比重が重たくてゲーム勝利への執着が厚くなっているのだ。だから私は総合ポイント3桁なんて夢のまた夢だと思っていたのだ。



 漫画・アニメ「鬼滅の刃」が世間を賑わせたことは記憶に今なおも目覚ましく残っている。そのブームのなかで私も尊敬しているなろう作家の浦切三語氏がジョジョを人間賛美の物語と見なすのに対して鬼滅を人間救済の物語と評した。その観点でいくと、本作は「人間皮肉の物語」なのではないかと私は結論づく。しかしそこにあるのは絶望じゃなくて希望。それすらも皮肉なのである。



 最後に作中で私が最も気に入っている台詞を引用して本コラムを締めくくりたい。



 あなたが正義を名乗った時、その時点であなたは誰かの悪になっているのだ。



 この台詞を誰が言ったのか? 気になる人はぜひ本編を読みに来てほしい。私は首を長くしてでも、そこのあなたを待っている――

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― 新着の感想 ―
[一言] 本編を読み終わったので、こちらにもおじゃまさせて頂きました。 3年半にもおよぶ連載作品だったのですね、まずそれが素晴らしいです……! また、ラストのコラムは非常に読み応えがありました。 リア…
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