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「・・・人が怖いらしくてね。なるべく人のいない所から慣らそうと思っていたから、初めての外出に、あのウチはうってつけだと思ったんだ。」
「すみません。ボクが・・・」
頭を下げる久保田の前に淹れたてのコーヒーを置く。
「奢りだよ。最近は、午前中から病院へ行くから、この時間帯は営業してないんだ。」
やっと、お粥が喉を通るようになった晃の昼食を手伝いに、毎日昼前から出掛けていると言う。
「え?出掛けるところだったんだ?じゃ、おれたちもう帰らなきゃ。」
木村が、久保田に目配せする。
しかし範行は、席を立ちかける2人を押し止める。
「折角来たんだから、もう少しいいだろ?・・・昨日発作を起こしちゃったから多分、薬がキツクて昼前には起きられないだろうし・・・。」
不眠の強い晃には、かなり強い睡眠薬が投与されている。
「実は、今日はアイツの所行くの、気が重いんだ。だから、お前らが来てくれてちょっとほっとしたって言うか・・・。昨日は、あれから病院へすぐ戻って。先に薬入れてあったし、すぐ落ち着いたんだ。ああいう発作って、時々あるからオレらも慣れちゃってるんだけど・・・。」
1度、ふぅとため息をついてこう言う。
「アイツ・・・。オレの名前もちゃんと呼べないクセに、死にたいって・・・言うんだよ。」
2人とも、範行の言葉に何も言う事が出来ない。
「なんか・・たまんないんだよ。体だって自分じゃどうしようもない位弱ってるクセに、そんな事だけは言えちゃうってのが・・さ。」
昨日の晃の様子を思い出す。――搾り出すような絶叫・・・。
「――悪いな。こんな事言っちゃって・・・。でも、アイツだってずっとこのままじゃないだろうし・・・。もう少し元気になったら、会ってやってくれないか?――嫌じゃなかったら・・。」
力なく笑う範行が痛々しい。
「うん。そりゃ、マスターが勘弁してくれって言うくらい邪魔してやる気は満々なんだぜ。アイツに煩がられるのは、慣れてるし。な?久保田。」
いつもの調子の様に、木村が久保田の肩を叩く。
「・・あ・・はい!冴木さんには、美術棟でさんざん煩がられてましたから。」
笑顔を作って言う久保田の顔を、今更思い出したかのように見つめる範行。
「久保田って・・中等部の?・・・まさか、あの時木村と一緒だった久保田君?美術棟の・・・」
「?・・はい・・・。」
初めて会った時からそう自己紹介してきたつもりの久保田は、今更、合点がいった様子の範行に戸惑う。
「そうか・・・。ずっと・・・こちらも余裕がなくて、なかなかお詫びにも行けなくて。――済まなかった。」
範行が突然、頭を下げる。
「そ、そんな!ボクは、何も頭を下げてもらう事なんかしてませんよ!ボクなんかが、あの場に立ち会っちゃってごめんなさいって・・・言いたかったのはむしろ、こっちだったし・・・。」
早口に言った後、息をついてまた続ける。
「すっごく、迷惑掛けてたのは、いつもボクの方だし・・・。」
「木村に聞いて、知ってはいたんだ。美術棟のアイツの部屋に、中等部の生徒が来てるって。アイツも満更じゃないみたいで、気に入ってるらしいって。ソレ聞いて、オレ嬉しくってさ。何せあの頃、オレと口も利かなかったんだぜ。差し入れ持っていっても熟睡してて、起こしても不機嫌なだけで、ろくな話にもならなくて・・・。半端な時期に復学したせいか、他の生徒とも馴染めなかったみたいだし。授業もろくに出てないって話だったし。でも、久保田君とは上手くやってるって・・。アイツの事だから、どんな態度とってるか心配だったけど。なのに、ああいう形で迷惑掛けちゃって・・。ましてや、警察で事情まで聞かれたんだろ?第一発見者だからって・・本当に申し訳なかった。」
再び、頭を下げる範行に、また両手を振って「とんでもない!」と繰り返す。
「だって、オレ・・昨日キミが来た時、なんて無作法なヤツなんだって、睨んだんだぜ?そこん所も謝んなくちゃならないのに・・・。」
キミがあの時の久保田君なら、晃の事を追いかけて来たのは合点が行くし、他人の家に入り込んで来たのも分かると言う。
「だから、ボク、冴木さんのこと見かけちゃって・・どうしても、また会いたかっただけで、何も考えてなかったんですよ。本当に、謝るのはボクの方なんですから!!」
「でも、オレ、キミが走って付いてくるの、知ってたぜ?」
悪戯っぽく片目を上げる。それを無視して車を走らせていたのだと言う。
「え〜〜〜?!ボクが走ってたの分かってたんですか?恥ずかし〜〜〜!!」
真っ赤になって顔を覆う久保田。
「あの時は、野次馬だと思ったんだ。週刊誌とかで、アイツの事、面白おかしく書かれただろ?見る気はなくても目に入るし。そういうのに神経質になっちゃってさ。あれから半年も経つのに、まだ追いかけてくる馬鹿者がいるって・・・。」
“事件”当時の報道の苛烈さを思い出す。
一時期は、校門から出てくる生徒を待ち伏せて誰彼構わず、コメントを取ろうとする不届き者までいて、それらを避けるのに大変な労力を費やされた。
「もう、いいですよ。どっちにしろ、馬鹿な事には違いなかったんですから。」
久保田の言葉に、何度目かの「申し訳なかった」を言う。