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4月9日。
午後から入学式の為、部活もなく昼過ぎに下校する久保田孝弘の姿がある。
部活皆勤賞の彼が、この時間にこの道を通る事は珍しい。
下校のピークを過ぎたせいか、周りに在校生の姿はない。反対に、これから行われる入学式へ出席する新入生とその保護者等が、緩やかな坂の向こうから登ってくるのが見える。
中高一貫の学校だが、高校からの入学者の方が多いこの新脩学園では、年上の新入生も珍しくない。昨年の9月に中1で編入した久保田は、この学園の入学式には出ていない。その所為か、余計に身の置き所がないように感じる。
自分とは逆方向へ向かう真新しい制服の彼らとすれ違う度、なんだか気恥ずかしくて、意味もなく制服の詰め襟を指で緩めたりしてみる。
・・・カラーの硬い学ランに、首周りの敏感な彼は未だに慣れていない。いっそ、早く高等部へ上がってブレザーの制服に替わればいいと年上の新入生等を見て思う。
「・・・生徒会の手伝いなんか、してこなきゃよかったな。」
帰り際部長の木村に捕まり、体育館の椅子出しを手伝わされて遅くなってしまった事を今更のように後悔する。
「木村先輩も美術部の部長なんだから、生徒会の副会長なんかやらなきゃよかったのに・・。ただでさえ部活とバイトで暇がないクセに、無駄に忙しいだけじゃないか。お陰で、なんだかんだとボクを使い走りにしちゃってさ。」
高等部3年の木村は、中等部2年の久保田を可愛がっている。・・・そう言えば聞こえはいい。実際にはいいおもちゃだと、久保田自身は思っている。
坂道を下りきった信号で止まる。
学園から徒歩10分のこの場所に行き着く度、赤信号でなくても足が止まる。親しくしていた高等部の先輩を思い出すからだ。
信号の向こうに冴木晃の叔父・範行の喫茶店「Anon」がある。
「ここ、冴木さんの家なんだよな・・。」
思うだけで、訪ねたことは一度もない。
一番近い事もあって、新脩学園の生徒が常連のこの店には、高等部の生徒のみならず、中等部の生徒も姿を見せる。その中で久保田が足を向けないのは、タブーにさえ思える冴木晃のことを聞かずに、店を出る事ができそうにないからだ。
『冴木さん、お加減はいかがですか?』
半年前の“事件”を思うと、やはり聞いてはいけないと感じる。
あの、木村でさえ冴木晃については話題にしない。ましてや、自分が・・・とは考えられない。
溜め息をひとつついて、いつものように駅方向へ曲がろうとする。
ふと、信号待ちをしている黄色いランドクルーザーに目が止まる。
・・・少し古い形なのか、直線的なデザインが久保田の目を引いた。
「・・?」
視界に入った助手席の少年から目が離せない。
端正な白い横顔。
短髪の伏し目がちな少女にも似た容貌。
まるで・・人形のような・・・。
どこかで、見た・・・。
「あっ!!!!」
――あの人だ!
そう気付いた時にはもう発車している。思わず、走って追いかける。
車は、暫くまっすぐ走った後、交差点を左折してしまう。
見失う!
とうに追いつける距離ではない。
それでも、諦めるなんて考えもつかなかった。
走って、走って、息が上がっても、止まろうとは思わなかった。
やっと、車が曲がった角に着くと、かなり遠いが目標の車はまだ視界にある。
幸い、道沿いで止まるらしい。
駅前通りから1本入った、閑静な住宅地の古風な門構えの旧家の前だ。
車の後部座席から降りた20代の眼鏡を掛けた女が、今どき珍しい大きな門を開く。
「お寺さん?」
そこがどんな屋敷か知る由もない久保田は、思わず呟いた。
運転をしていた30代と思しき体格のしっかりした大柄な男が降りてきた。ハッチを開き、畳んだ車椅子を出し助手席のドアの近くに置く。
ドアを開き、助手席に乗っていた少年を男は、大事そうに抱きかかえ車椅子へ移す。
久保田に背を向けている少年。
何かを話し掛けている男。
「兄さん。車、ここでいいの?」
門を全開して戻って来た女が、男に声を掛ける。
「いや。バックで入れるよ。」
男は返事をすると、女へ車椅子を託して運転席の方へ戻ろうとする。
「わっ!まずい!!」
久保田は、慌てて塀の陰に隠れる。
なんとなく、走ってまで追いかけた自分が恥ずかしかった。
それに、見咎められた時、自分のことをどう説明すればいいのか思いつかなかった。
乱れた息と心臓のドキドキを押さえようと、胸に手を当てしゃがみ込む。
「こんなことして、どうするつもりなんだ?」
自分がどれだけバカなことをしているのか自問してみる。