#3.2『ノー・マン』
刺傷事件における証拠物件A。
通信局の開示した、通話記録。
再生。
『父さん? 俺だよ、ホンだ』
『ホン! ちょっと待て、お前のことを母さんに伝えないと』
『いや、父さん待ってくれ』
『どうした?』
『人を刺した』
『…………話せ』
『あぁ、そのために電話したんだ』
荒い息遣い。
少しの間、時間があく。
『今日の夜、いや、夕方だ』
『あぁ』
『家にいたんだ』
『お前は、これから新しい職を見つけようとしてたからな』
『そうだ。家に帰って、テレビを見ながら、料理をした』
『それで?』
『包丁をもって、鳥の胸肉を切ってた。父さんも好きだった、鶏肉のクリーム煮だ。とんと、ふと、手が止まった』
『……どうしてだ?』
『俺の未来が何もないって、気がついたんだ。父さんや、母さん、兄さんや弟のように生きられないって。そうしたら、心を、締めつけられたんだ。立っていられなくて、包丁を握ったまま座り込んだ。体が石みたいに固まる感じ』
『発作か』
『違う……』
声が微かに震える。
『……あれは、違う。不安が形になって、俺に囁いた。不安を打ち消す方法も教えてくれた。正しいから、正しくいき過ぎてるから、苦しいんだ。そんな風に』
『まさか、お前』
『許してくれ、許してくれ、父さん』
嗚咽が混じる。
『不安だったんだ。どうしようもなく。面接も落ちた。アルバイトも、店が閉まってなくなったんだ。わからない、恐怖みたいな不安だったんだ。あの時は、あれから逃げられるなら、何でもする、そう思えたんだ』
『何て、何て馬鹿なことを……』
『不安を何かに、誰かにぶつけるしかなかった。周りが見えなくなるほど狂気的に集中すれば、考えなくてすむってのは、わかってた。打ち倒す喜びは、男なら誰でもあるんだ。強い相手でも、弱い相手でも関係ない。倒すことが嬉しいんだ。でも人間は駄目だって、最後の良心が止めたんだ。でもあの時、会ったのは化物だったんだ』
『……』
破裂音。
脂が沸き立つ音。
熱で空気が膨張する音。
記録停止。