ホワイト・バレンタイン
「はい、お姉ちゃん」
窓の外を見やるとちらちらと雪が舞っていて、そのために少し長い黒髪が濡れているようだ。帰ってくるなり部屋に入ってきて、健気な子だ。両手で差し出すのは、大きなハート型のラッピング。目線の高さを合わせて、それを受け取る。
「ありがとう」
今年も恐らく中身はホワイトチョコレートだ。この子の好物で、貰うもののいつも少し分けてあげる。だったら全部自分で食べたらいいのに、と言うと、多分泣くか、怒るか、その両方なのでやめておく。
「珈琲もってくるから、先に食べてていいよ」
包装紙を破る音を横目に、階下のキッチンへ向かう。
ティースプーン二杯と半分の芳しい粉末の入ったマグカップに熱湯をそそぎ入れる。液面が八割ほどに達するのを見て、ポットから手を離し、浮いている泡を啜る。
「あつっ」
少し水を加えておく。今度は大丈夫だ。
揺れを抑えて慎重に自室へ戻り、椅子に座って一口飲む。ほうと温い呼気が漏れた。彼女――あいは無心で白いハートを貪っていて、口が小さいからリスかハムスターみたいだ。
私は引き出しから大小二つの箱を取り出して、椅子を九十度右に回転させてから立ち、あいの膝にそっと置く。
「小さいのがチョコレートで、大きい方がプレゼントね」 彼女は迷わず一抱えもある方の箱のリボンを解きはじめた。
二月十四日、世間は専らバレンタインデーで盛り上がるが、実は本日は、我ら姉妹両方の誕生日である。私達は九年違いの同日に生を受けたのだ。故に毎年プレゼントは二つ。夜には家族で祝うのでもっと増える。
「わあ、かわいい!」
箱の中身は、白黒混ざった毛の猫のぬいぐるみだ。ぎゅっと大事そうに抱きしめているから、喜んでくれたようで何よりだ。以前テレビのぬいぐるみ特集に矢鱈見入っていたのを記憶に留めておいたのが奏功したようだ。
「あっ、あいもお姉ちゃんに渡さなくちゃ」
急いで部屋に戻って、また勢いよくドアが開けられる。
「お誕生日おめでとう」
両手にもった紙袋を手渡してくれる。
「ありがとう」
中には可愛らしい文具類が沢山入っていたが、髪留めが一つ、際立って目を引いた。雪の結晶がデザインされた代物で、反面、心は温かくなった。
「つけてみてもいい?」
「もちろん!」
前髪が煩わしいと風呂でぼやいたのを覚えていたのだろう。あいはそういう細やかな気遣いができる子なのだ。
「凄く嬉しい」
「あいも、この猫さん、とってもかわいいよ!」
そう笑って、またチョコレートをくわえる。而してはっと気がついたように、お姉ちゃんも食べる? と差し出してくるので、その手を掴んで、先端の欠けた部分に被せるように口をつけ、頬張った。甘ったるくて噎せそうになって、慌てて珈琲で流し込む。その様をあいは好奇の目で見ていた。
「おいしいの? その黒いジュース」
「うん」
甘味と合わせると不思議と水の如く飲める。
「試しに飲んでみる?」
首をぶんぶん振る。ぶらぶらさせていた足に連動しているみたいでなんだか嗜虐心を煽る。
私は、最後に一口、珈琲をすっと吸ってから、物々しく立ち上がって、ゆっくりとあいに歩み寄った。ぬるりとした感触の私の影に含まれたこの子は、見下げる私を見上げている。その面構えが、呆けたもので何もわからないといった様子で、心臓が握られるような心地になって、きゅっと不意に心細くなって、たまらず妹に覆い被さった。
肩を押さえてベッドに押し倒したその所作は聊か乱暴だったなあと思ったのは後になってからのことである。
そして私は、ぽかんと開いたその口に、唇に、自らの唇を押し付けた。歯の間を割るように舌を忍び込ませて、そっと触れる。咥内を撫でるのに合わせて、強張った身体から力が抜けていくのがわかる。時折、思い出したように肩が跳ね、その度に握り合った手に力が籠もる。私は何度もなんども、チョコレートと唾液の混じり合ったとろりとした蜜を舐める。断続的に漏れる鳴くようにか細い嬌声を聞きながら、あいの潤んだ瞳の中で、前髪に着けた髪留めがゆらゆら揺れるのを眺めていた。そっと顔を離すと、その表情、とりわけ瞳はぞっとする程艶めかしく、溶けた焦点は遠くにあって、それでいて、自らの内面における暗部を覗いているようだった。あいは、確かめるみたいに口許に指をあてがう。
「にがい」
「甘いわね」
私の口腔内にはむせかえる甘美が色濃く残っている。
「まだ珈琲はお口に合わなかったかな」
「こんなのが好きなの?」
私はひと呼吸、ふた呼吸、間を置いて答えたのである。
「だいすき」
首をまわして見た窓には綿雪が散りばめられ、透明だったはずの硝子は、白濁している――。