プロローグ:霧の向こうから
試験的に初めの数話を書いていきます。
少年アグニが崖岩の上に立つと、白い霧の海に沈む山々の向こうに巨大な木のシルエットが見えた。アグニは「いつもどおり」うっすらと見える巨大樹に向かって二度合掌し、一度頭を下げる。物心ついたころから欠かしたことがない、一族の大切な習慣である。
「今日もいい一日でありますように」
口にする言葉もいつも同じ。それが決まりかどうかはさておき、少年はそれ以上の物は望んでいない。いい一日であれば、きっとすべてがうまくいく。何かを願うよりも、ちょっとはお得に違いない。
つま先から一歩先は、少し先も見通せない分厚い雲の海が谷底に広がっている。日によっては、今の時間でも崖下の谷に広がる川が見えるのだが、この山々は一年のほとんどを通して朝晩は霧が立ち込めている。このあたりの地形に慣れない者にとっては、地形がつかめず、足元もおぼつかないため非常に危険なのだが、幼いころからこの山で過ごしてきたアグニには、なんてことない朝の日常風景に過ぎなかった。
少年アグニは今年で11歳。この年にしてはやや小さめの背丈で、朱の入った金色の髪に刺繍の入った赤い頭巾をかぶっている。装備は全体的に軽装で、動き回ってすり切れた服の上になめし皮の胸当てを着込んでいるくらいだが、背丈を超える大きさの木の弓と矢束が入った筒を背負い、腰にはナイフや鉈といった刃物を吊る下げ、その上右手には短めのやりが握られている。見た目は華奢だが、武術の心得がある人物が見れば、その小さな体躯に恐ろしいパワーがため込まれていることがわかるはずだ。
そんなアグニは、お祈りを終えた後も崖岩の上から立ち去らず、じっと霧に浮かぶ山々を見つめ続けていた。すると、しばらくもしないうちに、何者かの崖下から足音が聞こえてきた。
「来た来たっ!」
深碧の瞳が大きく見開かれ、待ってましたとばかりに笑顔になるアグニ。
はたして、霧の中から軽快な足音を鳴らしながら現れたのは……………二足歩行する黒鱗の蜥蜴だった!
正確には竜人という亜人の一種で、その名の通り竜の血を引くと言われる生粋の戦士たちだ。その身体能力は人間をはるかに凌駕し、ほかの種族と一対一で戦えばまず負けることはないと言われている。風貌は蜥蜴……もとい竜と人間を足して二で割ったようなやや丸みを帯びた形状で、人間と同様の表情を顔に浮かべることができる。ただし瞳は爬虫類のような縦長で、闇夜でも光る金色をしている。体には服も纏っており、アグニと同じく簡単な防具と盾を装備している。
「久しぶりだなアグニ。今度はお前に…………勝ぁつ!」
「おおっと、まだまだ連勝記録を伸ばさせてもらうよヴェル」
このドレーク、名前をヴェルキンゲトリクス……長いのでヴェルの愛称で呼ばれる。年齢はアグニとほぼ同じ。声はすでに人間男性の大人そのもので、10歳代にしてはやたら大人びて見える。
そんな二人は、真正面に向き合うと一度持っている武器をその場に放棄し、アグニは短槍に見立てた木の棒を掲げ、ヴェルのほうも竹でできた剣を取り出す。
出会った時から二人はライバル同士。アグニは定期的にこの地に来ると、必ず彼と武器を交わしている。
「やっ!」「ドウゥオッ!」
カーンと硬いものがぶつかり合う音が山谷に響き渡る。
武器の打ち合いは数十合にも及び、まったく互角の技が幾度となく交差した。
やがて周囲の霧が晴れ、太陽が南の空高く昇るころになり……………
「ぜぇっ、ぜぇっ…………どうしたぁ、もう終わりかぁっ」
「はぁっ……はぁっ……何言ってんの、君だってもうバテバテじゃん……ふぁっ………」
結局のこの日は、お互い決定打を与えられないままスタミナ切れで引き分けとなった。引き分けになるのはそうそう珍しいことではないが、結局アグニの連勝記録は3でストップしてしまった。過去にヴェルが4連勝したことがあったので、アグニは惜しい気持ちでいっぱいだ。
だがそれでも、お互いの健闘を称え、ボロボロになった武器を手放してがっちり握手を交わす。その後、仲良く水分補給をしていると、谷のほうから大人の男性の声が聞こえた。
「おぉーい、ガキどもー! 飯の時間だぞー!」
「ひぇー、もうこんな時間かー」
「どうりで腹が減るわけだぜぃ」
なんと二人が戦いを始めてからかれこれ5時間が経過していた。ドレークのヴェルはともかくとして、人間の子供に過ぎないアグニは驚異のスタミナの持ち主のようだ。
二人がふらふらと谷を降りていくと、比較的流れが穏やかな川がある。丸石が敷き詰められた河原の一角で、全身緑色の服に身を包んだ大人の男性が、大きな鍋で料理をしているのがみえる。
二人を呼んだのは間違いなくこの男性であり、彼こそアグニの父親である。髪は濃い茶髪で、あごに短めのひげを伸ばしている。体格は全体的に細いが身長がやたら高く、長い手足も相まってまるで蛇のようだともいわれる。
「遅かったな。今回は引き分けといったところか」
『次は絶対勝つ!』
二人同時に同じことを言うものだから、アグニの父は思わず膝を叩いて大笑いした。
「そうかそうか! 競い合う相手がいるのはいいことだ! それこそ父さんたちみたいにな!」
「グエン、何をそんなに愉快そうに笑ってるのだ」
じゃぶじゃぶと川を渡る音がしたかと思うと、やや赤みがかった顔の黒鱗のドレークが、手や背負う荷物にいろいろなものをぶら下げながらやってきた。こちらはヴェルの父親。アグニの父親とは古い付き合いで、常に酒を飲んでは酔っぱらっている。体つきはアグニの父とは逆に筋骨隆々で、鱗が筋肉で盛り上がっている。
「なぁんだ、今回は引き分けかよ。お前らは体力は有り余ってるくせに力ねぇんだからよ。肉食って酒飲め、な?」
「あんな不味ぃもん飲めるかよクソおやじ!」
ヴェルはまだ子供だからか、酒の味が舌に合わないようである。
「こんだけありゃ、肴は足りるよな」
「おうよ、いつもあんがとな」
ヴェルの親父は両手に獲れたての川魚を三匹ずつ持ち、背嚢には糯米やら塩辛の瓶詰、それにドレーク特製の大量の酒がぎっしり詰まっている。一方でアグニの父も鍋で夏野菜をトマトソースで煮込んでいて、その傍らでは人数分の骨付き肉が丸ごと火であぶられている。
調理のにおいに充てられた健康優良児二人は、猛烈に空腹感を覚え、口から無意識によだれがあふれだす。
『おなかすいた!』
「二人同時に言わんでもわかる。ほらそこ座れ」
「がっはっは! いっぱい食えよ! 残したらぶん殴るぞ!」
こうして、人間親子と竜人親子の四人は焚火を囲んで、豪華な昼食に舌鼓を打った。
アグニとヴェルはまるで飢えたオオカミのごとくローストビーフに食らいつき、父親二人はそんな子供二人をほほえましく見ながら、片手に酒の入った器を、もう片手にリザードマンの伝統料理である糯米の串焼きを持ち、独特のうまみがたっぷり詰まったドレークの酒に酔いしれた。
人里離れた山奥で開かれる宴会は、今までずっと、この四人だけで行われてきた。
だが、この日は違った。
「やあやあ! いいにおいがするかと思えば、こんなところに人とドレークがいるだなんて!」
「あん?」
「なんだテメーは?」
珍しいことに、二人の人間が四人の姿を見て近づいてきた。声をかけてきたのは、大きな袋を背負った中年の男性で、もう一人は男性の後ろを軽装でついてくる神官服を着た女性だった。
四人は見知らぬ闖入者に対し警戒態勢をとったが、男性と女性は自分たちに敵意がないことを示すためにわざわざ両手をあげて近づいてきた。
「こんにちは♪ おいしそうなにおいにつられて、ついついこちらに来てしまいました。私たちも一緒にお弁当を使わせていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
神官風の女性はやわらかい笑顔でカバンからバスケットを取り出した。田舎ではあまり見かけない洗練された美しい女性の笑顔に、大人二人の鼻の下が伸びる。
「あまり出せるものはないけど……旅商人からもらった年代物のワインがあるんだ。一緒にいっぱいどうかな?」
「よしいただこう!」
「まあいいさ、俺たちに敵対する気はなさそうだし、たまにはいつもより大勢で飲み食いするのも悪くない」
交渉成立。旅人二人が焚火の輪に加わった。
そして、これがアグニの運命を大きく変える、第一歩となるのであった。
新作プロジェクト第1弾。
TRPGのような世界観を目指します。




