協力者なはとこ
翌朝。没落への道に足を踏み入れてしまった感はあるがそんなことではへこたれない。作戦も練り直したし、まだ勝ち目はあるはず。いや、ある。
「あれ、リコちゃんの教室はあっちだよ」
そんなわたしの決意とは裏腹にニコは相変わらずだ。知っとるわという一言は飲み込んで「ちょっとタマキに用事」とだけ返す。どんな用事かは興味がないようでそれ以上は聞かれなかった。行きの車の中でニコには天瑞会は悪との再教育を施し、特に松平キヨオミとの接触は避けるようにと念押しをした。
自分の教室へ向かったニコと別れ、わたしは中庭で待ち人を探す。作戦に欠かせない人はまだ来ていないようなので東屋の長椅子で待つことにした。
昨日の放課後に事件が起きた中庭。と言ってもそこは天下の天瑞学院。普通の中庭ではない。手入れの行き届いたバラの生垣、大きな噴水に何かわからないけど立派な石像とどこのお城だと突っ込みたくなる。この東屋も床や柱は大理石だ。
昼休みや放課後には賑わう中庭もこの時間は誰もいなかった。それをするなら朝にはしないだろうというわたしの推理が当たったのだ。というのも中庭、特にこの東屋は———
「中庭の東屋に呼び出しとか、もしかして告白? ごめん、リコは俺にとって妹みたいなものなんだ。だから……」
「なんでわたしのこと振ろうとしてるの? ていうか告白じゃないから。わかるでしょ」
挨拶もなしに失礼な物言いをしてきたのは興桃寺タマキ。わたしの祖父の兄の孫、簡単に言うと”はとこ”にあたる。
興桃寺はかなり由緒のある家らしいが、うちは少し事情が違った。興桃寺本家の三男の娘だった母と父が駆け落ち同然で結婚し、会社を興したばかりだった父は興桃寺と名乗れば箔が付くという考えだけで母の姓を選んだ。そのおかげなのか、父の会社は業界で一二を争うようになり、興桃寺の家も父と母を認めたというわけだった。わたしが小学生の頃はまだ興桃寺の家と絶縁状態だったため、あの興桃寺と同じ珍しい名字も偶然だと思っていた。
だけどタマキはわたしみたいななんちゃって興桃寺ではなく、ゆくゆくは興桃寺の本家や財産を継ぐ跡取りさまなのだ。もちろん初等部からの生粋の天瑞生。そして、運のいいことにニコと同い年なので、わたしが見守れない学年行事なんかではタマキにニコのことを頼んである。
「だって中庭の東屋に呼び出しときたら告白が定番だしさ」
「そうだけどわたしがタマキに告白するわけないでしょ」
「まあね。じゃあどうしたの、何かあった?」
長椅子の隣を叩いてタマキに座るように促す。
昨夜、馴染みのクリーニング店のおじさんに無理を言って急ぎで松平キヨオミの体操着を仕上げてもらった。たかが体操着になぜ呼ばれたのかという顔に、体操着に刺繍された松平のふた文字を指す。『こっこれはまさか……』と言うおじさんに、意味深な視線を返せばおじさんも使命を理解したのか最高の仕上がりを約束してくれた。同志誕生の瞬間である。
今朝届いたおじさんの最高傑作が入った袋が目に入り、昨日の夜に散々考えたはずなのにどこから話そうか迷ってしまう。
「リコを天瑞会と関わらせないように見張っておいてって頼んであったでしょ? それが昨日の放課後にニコと会長が会っちゃったみたいなの。わたしはわたしで葛城カズマに名前を覚えられたし……」
「そうなんだ」
まるで天気の話を聞いたときのような反応だ。
「いや、最悪の場合どうなるか教えたよね。もうちょっと心配とかないの?」
「没落、だっけ。信じろっていう方が無理じゃない? ていうか没落っていつの時代の話なわけ」
そう言って鼻で笑う。蔦林くんと違ってタマキはたちが悪い。タマキは純粋に人の傷ついた反応を楽しむ、いわゆるサドだ。初めてタマキに会ったときにはビビったものだけど今となっては慣れたことだ。
「信じてくれなくてもいいけど、ニコを天瑞会に近づけないように見ててくれるんだよね?」
「うん。それは俺にも旨味のある話だからね」
タマキのイケメンぶりと同じくらい無駄なことなので、理由を聞くことはしない。中庭噴水事件のあらましをざっと説明して要点に入る。
「松平キヨオミと面識はある?」
「挨拶くらいはするよ」
誰もが天瑞学院の会長に挨拶できるわけではない。さすが興桃寺のお坊ちゃんだ。
「これ、松平キヨオミの体操着なんだけど、返してもらえない? わたくしめのはとこが松平様のお手を煩わせたようで誠に申し訳ございませんでした。二度とあの者は松平様の御前に参りませんので何卒お許しください。みたいな謝罪付きで」
「俺がそんなこと言うと思う?」
絶対言わないと思う。でも頼むに越したことはない。
「タマキの最大限で謝ってくれればいいから。ね、お願い!」
「ふうん、松平さんねえ……。いいよ」
よしっ。内心で両手の拳を宙に突き上げる。ニコと松平キヨオミの直接の関係がなければ恋愛も没落もなしだ。作戦はシンプルに、基本に忠実に、である。
「その代わり、貸しひとつだから」
何度か見たことのある悪い笑みだ。初見だったならただの優しい笑顔にしか見えないだろうが……嫌な予感しかないが仕方ない。わたしとおじさんの同志の証を持ってタマキは去っていった。