下見
身支度を整え、わたしとユウさんは連れだって銀の聖杯亭を出ます。
通りに出て、周囲を見回します。うん、わたしたちに気を配っている人はいないですね。
なにせ新聞で目線が入っているとはいえ顔が知られてしまっているのです。あまり目立つ動きは慎まなければなりません。
「おいユイリ」
「大丈夫みたいですよ。わたしたちが記事にされていたことに、世間はまだ気づいていません」
「そんな簡単にバレてたまるか。というかこの帽子、もう取りたいんだが」
わたしとユウさんは、変装用におそろいの帽子を被っています。麦わら帽子。正直制服にはそぐわない帽子ですが、完全顔出しよりはあった方がいいです。
「だめですよユウさん。油断は禁物です」
「逆に目立ってるだろ」
「それが命取りです」
「……」
力説するわたしに何を思ったか、ユウさんはおもむろに自分の被っている麦わら帽子を手に取ると、ブーメランのように放り投げました。
「わああーーーーっ!!」
わたしは慌てて滑空する麦わら帽子を追って、キャッチ!
「ちょっと、何しちゃうんですかっ!」
すぐさま彼の元へ戻って、麦わら帽子を被せ直します。
「邪魔だこれ。そもそも、昨日も騒ぎになったが抜け出せただろ。だったら今日も同じだ。騒ぎになったら、その時考えればいい」
「無計画!?」
こちらの努力をぜんぜんわかっていません、この人。
「お願いですからっ、これくらいは言うこと聞いてくださいっ」
「はあ……、わかったよ……」
涙目で言うと、呆れたように息をつきながら頷いてくれます。わたしが慌てて被せた帽子を整えて、道の先を促します。
「行くぞ」
「はいっ」
行く先もよくわからないのにどんどん歩き出すユウさんの背中を追いかけて、横に並びます。こうして麦わらふたりが並んでいると、やっぱり変な目で見られますね。
とはいえ、この学園内で変な生徒はたくさんいます。きっと、周りの人たちは「麦わら同好会かな?」というくらいでスルーしてくれるでしょう。
「今日はどうするんだ?」
「えぇと、ユウさんは行きたいところとかありませんか?」
「剣を振れるようなところがあるなら場所を知っておきたい。道場か、広場か」
「なるほど。なら、これからユウさんの通う校舎に行きましょうか。武道場があると思いますから、そこを見てみましょう」
ユウさんは今も腰には木刀を差しています。刃のある刀剣は許可された生徒以外の帯刀を禁じられているので致し方ないです。ユウさん自身には武器を手にする事情があるのでしょうか。そこまで気が回らなかったのですが、ジル副校長とかに願い出れば許可証が発行されるかもしれません。
そんな思い付きを話してみると、ユウさんの返事は「なら、そうしろ」というものでした。ちょっとむかっとします。
「そんな言い方じゃ、やってあげませんよ」
「……」
つんと顔をそらせると、ユウさんはおもむろに自分のかぶっている麦わら帽子を手に取り……って!
「待ってください待ってくださいっ。やりますからっ」
慌てて腕を抑えて、ユウさんを止めます。今はもう寮の面している路地から大通りに出てきているので、ここで顔をさらすのはまずいです。ぱっと周囲を見渡してみても、普通にそのあたりの露店に報道日報が並んでいるのが見えます。わたしたちが載った一面記事がこちらを向いているので、顔を見られて騒ぎになる可能性がかなりあります。さすがに寮を出て一分でトラブル、というのはひどい。
泡を食って止めにかかったわたしが間抜けな顔をしていたからか、ユウさんは低く笑い声を立てました。悪い笑いです。
彼は帽子にかけていた手を外すと、ちらりと横目でわたしを見ます。
「それじゃあ、頼んだぞ」
「はい。……あれっ?」
今のやり取りで気が緩んだのでしょうか。素直にそんなことを言ってきて、意外な気がしました。傍若無人な人ですが、もしかしたら話の分かる人なのかもしれません。
そうしろと言われたのが頼むと言い換えられ、些細な譲歩があったおかげで、なんだか気が大きくなる。そう、わたしの後ろにはジル副校長や、その他いろんな後ろ盾があるのです。それにわたしは年上です。本当はもっとわたしのことを敬わなきゃいけないはずなんですよ、ユウさん。
「その言葉の後に、『ユイリお姉ちゃんお願い☆』って付けてもらえませんか?」
「馬鹿なことを言うな」
「……」
しばし無言で歩きます。さっきちょっと騒いだ時は多少注目されたような感じもありましたが、それも一瞬です。騒ぐ生徒など、たくさんいますからね。今はこちらに注目する生徒はいません。
ユウさんの胸に輝く一年生を示す白い宝玉を見て声をかけようかという素振りを示す生徒がいますが、隣に三年生のわたしがいるのを見ると何も言いません。まあ、お揃いの帽子を被っているのを見ると既に部活を決めてしまっているように映るのでしょう。その効果を狙って帽子を被っているわけでもないのですが、これは嬉しい誤算です。学園内で兼部は多いのですが、他の部の活動をしていると思しき時に勧誘までしてくる人はいません。それでも、すれ違いざま、ユウさんにチラシを渡してくる人はたまにいます。まあ、ユウさんは完全に無視していますが。
不意に、勧誘する人の数がぐっと減る。中央通りの結界内、向かう先からファンファーレが聞こえてきますので、どうやらそちらに注目が集まっているようですね。
先導しているのが守備隊の隊長格というわけでもなく盛り上がりはそれなりというところで、通れなくなるほど人が密集するというほどではありません。ユウさんも何度もこんな光景は見ているので、今更驚くということもありません。ぼおおっと行き過ぎる新入生を乗せた乗合馬車を見送ります。
そろそろ入学する生徒のピークは過ぎて、馬車の台数も減った印象があります。
「ユウさんも、あの馬車に乗りたかったですか?」
通常、新入生はあの馬車に乗って中央校舎まで移動します。通過儀礼的なイベントです。でも、ユウさんは特殊な立場故にあの結界の中を通ったことはありません。もしかしたら、それを寂しがっているのかもしれない。
「別に、興味ないな」
わたしの質問に、彼はどうでもよさそうに肩をすくめました。
「そうですか」
気のない返事に小さくつぶやき、去っていく馬車を見送ります。
大通りから少し入っていったところに、ユウさんが通うことになる第八校舎があります。漆喰で白く塗り固められた壁が特徴ですが、遠目に見ても古さが際立ちます。第八校舎、要するにこの学園ができて八番目に建てられたということ。
今や校舎の数は百近くまでありますから、番号の若い校舎は伝統と共に古い設備も受け継がなくてはなりません。とはいえ、さすがにこの学園でも最初期にできた校舎ですので、敷地が広くて立地もいいですね。
「あれがユウさんが通うところです」
まだ新学期が始まったわけではないので、敷地内に入ることはできないようです。閉ざされた門の先に見える校舎を示すと、ユウさんは興味なさそうな素振りでそちらを眺めます。
「道は覚えた」
寮からここまでは十分歩いて通える距離です。きっと、ユウさんの立場ゆえに寮から通いやすい距離の校舎を選んでいるのでしょう。基本的に通うことになる校舎はランダムですので、せっかく寮を確保していても泣く泣く引っ越しをしなくてはならなかったり、箒での飛行通学の許可を取るために画策するなどの喜悲劇を生み出すことになります。それも風物詩とはいえ、色々大変ですからね。
それにしても、第八校舎とは。この学内でも第一から第九までの一桁の名前を冠する校舎は成績上位者だけが入れる目されています。
校門の横には、敷地内の地図が掲示されていて、何人かの新入生がそれを見上げています。
第八校舎は、一年生だけの校舎です。きっと彼らも、これから通うことになる校舎を下見しに来たのでしょう。
ユウさんも地図を見に行ってしまいます。地図のあたりに数人いた新入生たちはこれから同じ校舎に通うということで意気投合して雑談をしていましたが、謎の麦わら男子が近づくとおののいた表情になりました。
まあ、確かにわたしたちは怪しいですけど……。新入生は変なものに対する耐性がまだあまり付いていないでしょうから、仕方がないですね。当然ユウさんの方から彼らに話しかけるわけでもないので、ここでお友達作りというわけにもいかないようです。
「……」
……これじゃ、公園デビューする子供を見守っている母親みたいですね。若い身空でこんなことを考えるのも変な話です。
息をついて頭を振ると……ふと、隣にいつの間にかひとりの女子生徒が立っていることに気が付きます。
小柄な少女でした。ふわっと柔らかそうな髪を肩までで切り揃えていて、どこか小動物的な雰囲気があります。白い宝玉。彼女も新入生のようです。きっと、この校舎に通うことになるのでしょう。
近くに敷地の地図があるのに気付いていないはずはないのですが、そちらには目もむけません。一心に、閉められた門の先の校舎を見つめていました。そこに、未来でもあるというように。
わたしは彼女の顔に、見覚えがありました。ごく最近、その顔をどこかで見たような気がします。どこだったかな……。
首をひねっていると、ついつい彼女を見すぎていたようです。視線を感じてか、こちらに顔を向けます。
わたしたちの目が合って、彼女は驚いたように肩をすくませ、小走りに走り去って行ってしまう。どうやら、驚かせてしまったようです。
「どうかしたのか」
そこに、ユウさんが戻ってきました。麦わら帽子を少し上げ、去っていく少女の後姿を見送って、わたしの顔と見比べる。
「いえ、特には。どうでした、武道場はありましたか」
「ああ。授業が始まる頃になると解放されるらしいな。とりあえず、今のところは別の公共施設を使えと書いてあった」
「そんな説明書きもあるんですね」
この学園の生徒は、戦える人が多いのでそのあたりの配慮が行き届いているのでしょう。
街中にも道場とかがあるので、公共施設とはそっちのことでしょう。校舎付属の施設と違って基本的に会費がかかるのであまりおすすめできるものではないのですが、考えてみればユウさんはお金持ちでしたね。設備の充実なども考えてみると、無理にタダの施設にこだわる必要もないのかもしれません。考えてみれば寮にもそういう面でのサポートがありそうです。
「それじゃ、別の施設も見に行きますか?」
「ああ、そうだな」
かくして、次の目的も決まります。わたしは先日本屋で買った近隣のガイドを取り出して、手近な施設を探す。
この学園は学術研究と同様に戦士育成も奨励しているので、大小様々な道場、教室、クラブ、研究室などがあります。正直、戦いとかがわからないわたしにはちんぷんかんぷんですね。手に持つ本のページをくって、説明書きを読み比べる。
ユウさんの方は手伝う素振りもなく、横に立ってこっちを見ています。
無言で棒立ちで真横で凝視。
……あの、あんまり見つめられると、すごくやりづらいんですが。
「ちょっと場所を探すので、その辺のお店でも見てきてください」
校舎の近くですので、通学する生徒を当て込んだ商店が周囲にはいくつもあります。大通りから一本入った道ですが、十分暇はつぶせるでしょう。
ユウさんは頷くと、ふらっと近くのキオスクを覗きに行きました。
道の隅に移動してじっくりとガイドブックを見ていると、やがてユウさんが新聞を買って戻ってきて横で読み始めます。わたしの方はしばらく地図を見て行き先を調べて、いくつか候補地を選ぶ。
「うん、ユウさん、行き先決まりましちょっとおおお!」
本から顔を上げたわたしは、ユウさんの手の中の新聞を見て思わず叫んでしまう。だって、それ……わたしたちの顔写真が思いっきり載っている報道日報! 堂々とわたしたちの載る一面の写真を道行く人に向けて新聞を読んでますこの人!
「なんでよりによってそんなものを読んでいるんですかっ」
「さっき、食堂でこの新聞を読んでただろ。横で聞いてて、興味が出てきた」
「それじゃこっそり読んでくださいよ問題のブツなんですからっ」
ユウさんから新聞を取り上げる。
「ほら、行きますよ」
「ああ、はいはい」
悪びれた様子もないユウさんを伴って、歩き出します。新聞を鞄にでもしまおうかとして、そこでわたしは動きを止めました。先ほど、わたしの隣で門の先に建つ校舎を眺めていた女の子。
どこかで見たことがあるような気がすると思いましたが、それがどこでか、思い出しました。
報道日報の中の記事。今年の有望な新入生を紹介する欄に、彼女の顔写真がありました。
手に持った新聞を広げて、わたしは記事を確認します。朝に見ていたので、探している箇所はすぐに見つかります。伏し目がちに、暗い表情で写真に写る彼女の顔は、まさしく先ほど隣に立っていた子と同じです。
ですが、ただ単に新聞に載るような子だから気にかけていたというわけではありません。気になっていたのは、彼女の肩書。この学園に入学してきたばかりなのに、すでにあだ名が付けられているという異例の事態。
そして、その肩書は『殲滅魔術師』。あまりに不穏な名前です。先ほどはよく見ていなかった記事に目を通すと、簡単に彼女の経歴が記載されていました。
チサ・ツヴァイク。
彼女は生まれ持って、通常の人とは桁違いの魔力を持って生まれたそうです。
魔力とは、魔法を使う力の源。魔法を行使する際には自己の魔力と場の魔力を併用します。魔力は、多ければ多ければいいと考えられている力です……通常は。ただし、それがあまりにも肥大した力となった時、制御することができなくなります。
暴走です。
彼女はかつて、魔力を暴走させてその結果、家族を消し飛ばしてしまったそうです。かなりハードな過去ですね。そもそも、暴走というのは数十人などで編み込んだり、都市設計に盛り込むような大規模な魔方陣に起こりうる一種のリスクのことで、個人の魔力に対する概念ではありません。人の身で暴走を起こすなどというあたりで、すでに一流の魔法使いの数十人、数百人の力をたった一人でため込んでいるという話になります。
ともかく、生きているだけで人間兵器になりうると恐れられた彼女は、魔力の乏しい寒村にある修道院に入っていたそうですが、この度魔法学園に入学する運びとなったそうです。このイヴォケードの地は世界有数の魔力の豊富な土地です。そんな場所に彼女がいるとなると、いつまた暴走を起こすかわからなく、有識者が懸念を抱いている、というように記事は結ばれています。学園側は暴走などしないように定期的に魔力の発散をさせることなどを説明しているそうですが……。
記事を読んでから、先ほどの彼女の横顔を思い出します。不安そうに、揺れる彼女の眼差し。いかに凶悪なまでの才能を持っていたとしても、彼女もひとりの人間です。他の新入生たちと同様に、彼女も未来を不安に思い、そして未来に希望を持っているのでしょう。
そう考えてみると、不穏なあだ名までつけてあの子の過去を暴いているこの新聞に嫌悪感が湧いてきます。記事にされることによって、未来が閉ざされてしまう場合だってたくさんあるはずなのに。その気持ちは、わたし自身が以前面白おかしく記事にされたことがあったので、よくわかりました。
なんとなく、かつての自分にあの子を重ねてしまいます。言葉を交わしたことさえないのに。
ですが、わたしと彼女に縁はありませんが、縁ある人は知っています。そう、彼女と同じ校舎に通うことになる人を。
「ねえ、ユウさん。わたし、この新聞を読んでて思ったんですが……って、どうかしました?」
新聞から顔を上げて傍らのユウさんを見ると、なぜか、彼は呆れたような視線でこちらを見ていました。
「ユイリ、おまえは……馬鹿なのか?」
「え? えっ?」
顎でしゃくって周囲を示され、わたしはきょろきょろあたりを見ます。別段変わりないいつもの街並みですが、言われてみればどことなく、生徒たちがわたしたちを遠巻きにして注目しているような素振りがあります。ちらちらこちらに視線をやって、こそこそなにやら話しています。
なんでしょう、ものすごく嫌な予感がするような。
そこでわたしは、はっと気づきます。記事を読むのに夢中になってしまって、思いっきり新聞の一面を道行く人のほうに向けていたということに。わたしとユウさんの顔写真の載った一面を。
顔に目線が入っていても、それは気休め程度の効果でしかありません。当人がいれば、すぐに本人と分かる程度のものです。そして今、当人はここにいました。帽子を被っているとはいえ、目深に被っているわけでもありません。しげしげと眺めれば、顔立ちはわかるでしょう。
まずいです。なんとかごまかしてこの場を離脱しなければ。
そう思った瞬間。
「……わっ」
風が吹き、わたしとユウさんの帽子が空へと飛ばされてしまう。
「今朝の新聞のふたりだっ」
わたしたちの顔を見て、すぐさま本人とバレました。ひとりの生徒の叫び声に、周囲の生徒がわっと集まる。
「ほんとだ。報道日報の新入生!」
「昨日、大通りで決闘してた生徒かっ」
「ちょうどよかった。うちの部は、君みたいな武闘派を求めてるんだっ!」
「名前と連絡先を教えてくれ。いい待遇でうちのクラブに迎えられるぞ」
「うわわわわ……」
案の定、大騒ぎになりました。
わたしはぎゅっとユウさんの腕をとります。
「逃げますよっ!」
ともかく今は、逃げるのが先決です。いずれ所属の寮も知られてしまうのでしょうが、それはまだ先になるはずです。一番話題に上っている今の時期をやり過ごせれば、そこまで迷惑ということにはならないはずでしょう。
そう思い、慌ててここを離脱しようとしますが……すでに囲まれている!? 逃げ道からふさぐなんて、この学園の生徒はこういうところは用意周到すぎます!
でも、まさかのこの人たちに個別対応する余力なんてないですし、逃げることもできないし、助けを呼ぼうにも誰を呼べばいいのか……。
おろおろしていると、ユウさんがそっとわたしの耳に口元を寄せます。
「逃げるなら、なんとかするぞ」
「なんとかなるんですか?」
「ああ」
どうやら彼には強行突破以外に腹案があるようです。
期待を込めたまなざしで、こくりと大きく頷くと、彼も答えて頷いた。
「それじゃ、いくぞ」
その言葉と同時に、わたしの視界がぐるりと回る。
一瞬、なにが起こったのかわからない。でも、すぐに、自分がその場に倒れたのだとわかる。
あれ……?
不思議に思って体を動かそうとするけれど、動かない。痛みもないけれど、ただ気力がなくなってしまったような感じ。脱力感。それは、錬金術の施術で疲れた時の倦怠感にも似ているものだった。
混乱している心中を他所に、倒れているわたしをユウさんが抱え上げる。
「それじゃ、逃げるぞ」
「え、えっ?」
お、お姫様抱っこ!?
なんとか周囲に目を向けると、さっきまでこちらに殺到してきていた生徒たちがわたしと同様にばたばたと力なく倒れ伏しているのが見渡せました。って大惨事!?
あんまりな状況に何も言えずにいると、そんな様子を気に留めることもなくユウさんは駆け出した。
死屍累々、という表現がぴったりくるような惨状に背を向けて。
しばらくすると、体に力が戻って動けるようになりました。それまで、人通りの少ないところを選んで駆けて、道行く人にはぎょっとした目で見られましたが、話題の人物だとバレることはありませんでした。お姫様抱っこに度肝を抜かれただけなのでしょう。
それはいいのですが、とはいえわたしは、顔から火が出るほど恥ずかしかったですが。
小さな公園にたどり着き、わたしたちは簡素なベンチに並んで座る。近くにいるのは公園で遊んでいる子供たちくらいで、こちらには注意を払っていません。当然イヴォケードの学生ではなく、この学園の国民の子供たちでしょう。
学生以外にも商店の店主など国民はおり、当然彼らにも家族があります。今の時期は小さい子供たちも春休み中です。
ぼうっとしていると、なんとか気持ちが落ち着いてきます。
隣のユウさんがぽつりと呟きました。
「なんとかなったな」
「なってないです! 全然なんとかなってないですよっ」
全然落ち着いていられませんっ。何を言っているんですかこの人は!
「さっきはいったい何やったんですかっ。 暴力沙汰は、風紀委員か自治委員か、最悪守備隊に連行されますよっ」
まさかの強行突破とは思いませんでした。そもそもあの状況で、そんな芸当ができるとは思いませんでした。周囲の生徒たちを倒したのは、なにか攻撃魔法の一種でしょうか。
わたしは思わずユウさんを叱ってしまいますが、当の本人はどうして怒られているのかわからないとでもいうようなきょとんとした表情でした。
「あの場から逃げる必要があったんだろ。多少は、仕方ない」
「全然多少じゃないですよ、全滅でしたよ」
「いや、何人か耐えた奴もいたな。あの状況で対抗できる奴がいるのはさすがだな」
なぜか満足そうなユウさん。そんな反応は期待していないんですが。
わたしはそれ以上の追及を諦めて、空を見上げます。
はるか上空に、くるくると回りながら追いかけ合う箒乗りが見えます。上空に行くほど魔力濃度は薄くなって制御が難しくなるはずですが、そんな素振りも感じさせない箒さばきです。なにかのクラブのパフォーマンスでしょうか。あるいは、天才的に飛ぶのが上手いカップルの痴話喧嘩という線もありうるのがこの学園の恐ろしいところです。
すぐさま、空中を哨戒する守備隊士が拿捕に現れて追いかけっこが始まる。
しばらく無心に、空飛ぶ誰かの影を見る。
「ユウさん、これからどうしましょうか。帰りましょうか」
寮に帰ったらそれはそれで落ち着かないでしょうが、外で騒ぎになるよりはいいような気がしてきました。とりあえず今日はもう外を歩く気になれない。
「帰るのは構わないが、無事に帰れればな」
「そうですねぇ。帽子なくなっちゃいましたからね」
「いや、そういう意味じゃない」
ユウさんは視線で公園の入り口を示す。見てみると、一人の男子生徒がこちらに向かって歩いて来るところでした。胸に輝く赤色の宝玉は、有力なクラブの所属を示すもの。
「どうやら、つけられていたみたいだな」
「ええっ!」
一難去ってまた一難。思わず頭を抱えたくなりますが、考えてみれば相手は一人のようでした。それなら、ユウさんに蹴散らしてもらえば……って、いけませんいけません。ついついさっきの場面のせいで考え方が物騒な方向を向いてしまっているようです。
「相手が一人でしたら、あの、ちょっとお話をうかがうくらいはいいんじゃないんでしょうか。その方が、かえって話が早く済むかもしれませんし」
そっと耳打ちします。ユウさんは横目でこっちを見て、頷く。
そうこうしている内に、男子生徒はすぐ目の前までやってきました。自信にあふれたような、堂々とした様子。さっきあんなことがあったというのに、その目はどことなく親しげです。
なんだかどことなく、見覚えがあるような顔です。とはいえ、直接会った人ではない感じです。多分新聞か何かで見ているのでしょう。ならば、きっとこの人も一角の人物っぽいのですが……。
「何の用だ」
「話題の新入生がどんな奴か、そこまで気になっていたわけではないんだが、さっきの魔法は超すごいなっ」
ニヤッと笑う。
「あれは、普通の魔法じゃないな? 最初は魔力を散らして魔力欠乏を狙ったのかと思ったが、そうじゃない。あれは、魔力を吸ったんだ」
ユウさんが感心したように鼻を鳴らす。
その横で、わたしは少し混乱します。
「あの、そんな魔法は使っていなかったですよ?」
おずおずと口をはさむ。実際、魔力を吸う(というか、集める)魔法はあるにはあります。ですが、それはきちんとした魔法陣を用意したうえで使えるようなものです。さっきわたしは真横にいたので、そんなことをしているわけではないというのは知っています。
その言葉に、男子生徒はうんうんと頷いて見せます。
「たしかに、魔法陣は使っていなかった。あれは直接干渉だ」
直接干渉。それはこの学園の中ですらごく稀な、特殊な才能です。
通常、魔法は魔法陣やそれに類する魔力干渉によって発現しますが、そのくびきに縛られない魔法の使用者がこの世界には少数存在します。直接魔力を操作する人間。そんな特殊技能を持っているとなると、彼が校長候補生などというよくわからないけどすごそうな肩書きを持っていることも頷けます。
そもそも魔法は、わたしたちの住む世界に隣接するように存在する異世界である『魔法界』から流入する魔力を使用した技術です。魔法界に旅した人などいるはずもなく、実際問題よくわからない力を資源として利用しているようなものです。
向こうの世界から時折魔物が現れることを思えば、こちらの世界からも渡っている人がいるのかもしれませんが、少なくとも戻ってきた人間がいるという確定的な証拠は未だありません。
そんなわけで、技術の研鑽はあっても謎の部分というものが残されています。直接干渉というのもそのひとつです。
地方によってはその技術は人間のものというよりは魔物の能力に近いと廃絶されることもあるらしいですが、むしろ神の子として厚遇されることのほうが多い。わたし自身、魔物には酷い目に遭わされてきた身ですが、ユウさんが直接干渉魔法の使用者と知っても、別に拒否感は湧きません。
先ほど、わたしや他の生徒が立ちくらみでも起こしたように倒れ伏したのは、一時的に体の魔力を失った欠乏症によるものでしょう。
あの時感じた酩酊感は、思い返してみると魔力欠乏の症状に似ています。しばらくすれば回復するものですので、見捨てて逃げたあの方たちも、今頃はきっと回復しているでしょう。
「よく一目でわかったな」
「そりゃわかるさ。俺も使えるし」
「……あっ!」
彼の言葉で、わたしはその正体を思い出します。
『恩寵』ルカ・フィツジョン。
この学園にもほとんどいない、直接干渉魔法が使える人です。この種の魔法は人によってできる能力が異なっていて、彼の場合は人の魔力を底上げする能力があるといいます。たしか、有名なクラブの部長をしていたはずです。
「おまえ、こいつを知っているのか」
「こいつとか言っちゃいけません。先輩ですよ。ついでに言うとわたしも先輩ですよ」
「どうでもいい」
「ええー……」
ばっさり切り捨てられて業腹ですが、ともかくわたしはルカ先輩についてユウさんに説明します。とはいえ大して知っているわけではないですが。
なんだか、最近自分が解説キャラになってきたような気がしてきました。
その説明を、ユウさんは興味ある風に聞いていました。ふたりとも特殊な魔法を使うという共通点があるからでしょう。
「それで、その有名人が何の用だ」
最初ルカ先輩にかけたと同じ言葉を口にします。ですが、さっきほど冷淡な口調ではありません。
「俺たちは、ちょうどあんたのような能力を持つ人間を探していたんだ。まさにこれからやろうって計画にうってつけの能力だからな。その力を奮ってくれないかというスカウトだ」
「計画?」
「ああ」
ユウさんが怪訝な顔をする。ルカ先輩は楽しそうに笑う。
そして、彼は笑顔でこう言った。
「俺たちは今、結界破りを計画しているんだ」