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魔法学園へようこそ!  作者: cymbal
第1章 校長候補生
5/42

会見

 ユウさんと出会った翌日。

 今日はお昼過ぎに中央校舎に赴いてユウさんの学生証を貰う予定です。

 とはいえ朝はのんびりしていられるというわけでもなくて、まずはユウさんの部屋の掃除をします。寮長先生に男子寮に入りたい旨を話すと詳細も聞かずに入寮証を発行してくれます。異性の寮棟に入るのはご法度ですので普通ならこんな対応はしないでしょうから、どうやら話が通っているようです。

 ユウさんの部屋は、三階の突き当たり。突き当たりの部屋は他の部屋よりもちょっと広いらしいです。


 中に入るとユウさんは床に敷いたマットの上で変な座り方をして目を閉じていました。


「おはようございます。もう朝ごはん食べましたか?」

「……」

「あれ? もしかして、寝てますか?」

「……」


 声をかけると、苛立たしげに目を開けます。


「おまえ、うるさい」

「えっ?」

「いや、もういい」


 小さく舌打ちをして、立ち上がります。どうやら、邪魔してしまったようでした。瞑想か何かでしょうか。あるいは、お祈りか何かとか。


「飯は食った」

「そうですか。食堂の使い方は、もうばっちりですね」

「大して複雑でもないだろ、あれは」


 まあそうですが。

 伸びをしているユウさんから視線を動かして、部屋の中を確認します。もともと最低限の家具としてベッドや棚や机などは備え付けられています。

 今はまだ、私物はほとんどありません。昨日一緒に生活用品類を買いに行きましたが、買い物袋はほぼ開けられることもなく部屋の片隅に転がされています。


「これ、しまっちゃいますからね」

「ああ」


 部屋の拭き掃除自体は昨日のうちにやってしまっています。

 この寮は有料のサービスとして室内の清掃などもありますが、そんなものを利用するつもりはありません。もったいないですし、どこに何があるかもわからなくなってしまいそうです。自分でやった方が健全な気もしますし。

 机に文房具を備えて、洗面所に雑貨類を置く。この部屋には洗面所があります。共用の洗面所を使っているわたしとは大違いですね。食器類を洗って台所に置きます。あぁ、布巾を買うの忘れていました。

 ぱたぱたと整理を進めるわたしの姿を、ユウさんはイスに座ってぼおおっと眺めていました。


「ユウさん、その青い袋に着替えとか入っているので、寝る部屋の箪笥にしまっておいてください」

「は? 俺が?」

「はい」

「……」


 指示を出すと、すごく納得のいかない表情で渋々と手を動かし始めました。

 うん、自分のものは自分で整理した方がいいですよね。それに、下着類くらいは自分で手を付けてほしいという本音もあります。わたしばかり仕事をやらされているのは腹立たしいという本音もありますが。


 片方は気乗りしない様子とはいえ、ふたりがかりで整理をすればあっという間に作業は終わってしまいます。

 乱雑に置いておかれた袋はきれいさっぱり、とはいえまだまだ殺風景な部屋です。広さに対して、物が足りていないんですよね。

 わたしがそんな感想を漏らすと、ユウさんは「そうか?」などと不思議そうな様子です。


「やっぱり、棚に何も入っていないのがいけないのかもしれませんね」

「どうでもいい」

「可愛いぬいぐるみでも買ってきて並べてみましょうか」

「やめてくれ」

「どうでもよくないじゃないですか」

「……」


 呆れた目で見られてしまいました。冗談ですよ。

 ひと段落ついたのでお茶をいれて、テーブルで一服することにします。

 ユウさんはわたしのいれたお茶を一口飲むと、不思議そうな顔をしてカップの中をしげしげと覗き込みます。


「草の茎って味だな」

「ほうじ茶ですよ。飲んだことないですか?」


 ユウさんは頷いて、また一口飲みます。どうやら、それなりには気に入ってくれたようです。

 窓の外からは小鳥のさえずりが聞こえてきます。わたしの部屋とは窓の向きが違い、ここからは寮の裏手の公園が見えます。


 なんだか平和ですねえ。


 ぼうっとしていると、ついつい頭に浮かぶのは今日のこれからの予定です。

 中央校舎でユウさんの学生証の受け取り。

中央校舎の中に入るのは、今日で二度目です。そこは通常の生徒がおいそれと入っていい場所ではありません。校舎と名は付いていますが、実質は行政機関の入る建物です。


「あの、こんなことは聞いていいのかわからないんですけど、ユウさんはジル副校長に会ったことはあるんですか?」


 ふと思いついて、尋ねてみます。校長候補生、ということで機密に抵触しそうな話題は避けてきましたが、これくらいなら構わないでしょう。


「別に聞いてもいいが、会ったことはあるな。一度だけだが」

「あ、そうなんですか」


 両者が顔見知りだというならば安心です。

 まあ、中央校舎に行くからといって、副校長がまた出てくると決まっているわけではないですが。前回の印象が強すぎるのかもしれません。

 全くの大事なんかではなく、窓口みたいなところで貰うものを貰って終わりという可能性だってあります。そう思うと、少し心が軽くなる。


「俺よりは、おまえの方が詳しいだろ」

「どうですかね」


 ユウさんの言葉に、わたしの知る副校長の情報を思い起こしてみる。


 ジル・エレフガルド副校長はこの学園の五代目の副校長です。

 あまり表情豊かとはいえない方ですが、もし悪そうに笑ったら、絵本に出てくる魔女そのもの、といった感じの容貌です。詳しい年齢は知らないですが、七十歳は超えているはず。実務も戦闘もこなす多才の人で、その戦闘技術は『特殊砲台』と呼ばれることもあるといいます。

 設立して長らくは寄付金頼みだったというこの学園の運営ですが、彼女の代になるとむしろ富を蓄えはじめたそうです。ここは世界を災厄から救った英雄が設立した学園ということで由緒正しいですが、国としての体が不十分だったところを整えた立役者といわれています。

 なんにせよ、後世に残る偉人であることは疑いありません。


 そんなわたしの説明を、ユウさんは興味なさそうに聞いています。


「あ、でも、ユウさんは校長先生になるんですよね? だったら、ユウさんもきっとすごく偉い人になれますよ」

「……」


 付け足して言ったその言葉に彼の表情がゆがんでいて、わたしは自分の失言に気が付きました。

 この話題、地雷ですか!


「すみません、いらないことを言いましたね」

「どうでもいい」


 吐き捨てるような言い方です。この話題を続けるのはよくないですね。

 わたしはお茶を飲み干すと、窓を開けて外を見る。春の風は、優しい風です。日差しは柔らかく、あたたか。こんな日は箒にでも乗りたい気分になります。


「ユウさん、いい天気ですし、散歩にでも行きませんか?」


 そう提案してみる。中央校舎に行く予定の時間まで思い思いに過ごしてもいいのですが、微妙なわだかまりのある状態でいたくはありません。それに、彼自身、何もない部屋で時間を潰すのは苦痛でしょう。


「それもそうだな」


 ユウさんはさして考える風もなく頷く。さっきの言葉を不快に思った感じですが、もうあまり気にしていない様子もあります。結構、サッパリした方なのでしょうか。


「どこか、行きたいところとかありますか?」


 どうせないだろうなあ、と思いながらの問いでしたが、予想に反してユウさんは首肯して言う。


「この学園、刀は携帯できないのだろう。だったら、代わりのものを持ちたい」

「あー、そうですね」


 彼が言うのは、学内での武器の携帯のことです。

 昨日は正門で入国手続きをした際に受け取ったという一日分の許可証があったので刃物を携帯していても問題はありませんでしたが、この学園は通常武器の類は持ち歩き禁止です。例外は守備隊や騎士科の生徒など、武器の携帯を許可された宝玉を持った人くらいです。特例的に携帯許可が出る場合もありますけど。

 ですが、竹刀や木刀などは殺傷性は比較的低いので、許可証がなくても持ち歩くことができます。魔法科で戦える生徒などがよく持っているのを目にします。

 ユウさんもそんな人たち同様、比較的殺傷能力の低い武器を持ち歩きたいのでしょう。


 ちなみに、持ち歩く武器に制限があるのと同様、魔法も制限があります。

 ある一定以上の力を込めた魔法の発現は、学園の敷地内では自動感知される仕組みになっています。バレると守備隊が押っ取り刀で駆けつけるという寸法です。しかも謹慎確実ですので、もし学内でカッとなっても超えちゃいけないラインは守らなければならない。

 まあ、この学園ですので、その超えちゃいけないラインというのは結構甘めだとは思いますけど。少なくとも、わたしが全力で魔法を唱えても感知されることはないでしょう。

 ここは人口もかなり多いですし血の気の多い若者ばかりの国ですから、なんだかんだそういうトラブルは多いらしいですけれど。噂に疎いわたしでも、ここで暮らしていた二年間の間に何度か地下格闘場の摘発や野良試合や決闘のトラブル、痴情のもつれの喧嘩や殺傷事件の話などは届いてきます。


 わたしがこの学園にくる以前に暮らしていたのは住人の顔と名前が大体一致するような田舎でしたから、ここはトラブルの多い場所なのかと入学してしばらくははらはらしていました。

 とはいえ、風紀という点では総じてかなり安定している方らしいです。他の国から入学していた友達の話によると、学内は大通りならば夜に出歩いてもほとんど危険がないというだけですごいことだし、昼時ならばもっと安全みたいです。

 昨今は近隣国イリヤ=エミール帝国の拡張路線で周辺各国の軍拡も同時に起こり、世間は等しく乱れがち、という情勢らしいです。それに比べると守備隊や自治委員の統制が浸透しているこの学園の治安はかなりの水準なのかもしれません。


 まあともかく、とわたしはユウさんの武器の携帯に考えを戻す。


「いいお店がないか、知り合いに聞いてみましょう。わからなくても大通りを歩けば見つかるかもしれないですし、案内所で聞いてもいいですし」

「そうだな」


 わたしが話をまとめると、ユウさんは素直に頷きます。


「わたし、制服に着替えてきますから学食で待ち合わせにしましょう。ユウさんも、お昼になったらここには戻らず中央校舎に行くのでちゃんとした格好をしてくださいね」

「ちゃんとした格好って、なんだ?」

「それは、やっぱり制服…………あの、ユウさん、制服持ってますか?」

「持っていない」

「……」


 そういえば、ユウさんは昨日、着の身着のままで入学してきた人なんでした。なんということでしょう。とはいえ、ギリギリまで気付かないなどという羽目にはならなかったので、それは幸いです。


「……武器屋さんを探す前に、制服を揃えましょうか。すぐ傍の学用品のお店で、制服買えるはずですから」











 わたしは自室に戻って制服に着替えて、食堂でユウさんを待ちます。


「あれ? ユイリちゃん、その恰好どうしたの?」


 ウェイターのヘラルドさんが通りすがりに声をかける。


「ちょっと、これ着る用事があって」


 研究室や部活に顔を出すとか、制服じゃなきゃいけない要件も多いので、春休み期間中とはいえ学園生の制服姿自体は珍しいものではありません。

 わたしは、先日中央校舎に行った日は制服でしたが、それ以外必要ない日は着用しないタイプです。制服のデザインは結構可愛いので、普段から着ている生徒も多いですけれど。


「へえ、そうなんだ。この間も思ったけど、似合ってるね」

「ありがとうございます」


 ちなみにこの学園の制服は、女子は長いスカートと白いシャツ、上着、あとリボンが統一制服です。

 科によってはスカートがズボンになったりとわりと自由です。服飾科なんかは女子生徒のスカートすごく短いなど、学科によって特徴もあります。

 ただ胸元に宝玉が見えるようにしないと生徒指導が入りますが、それもマントの留め具、ネックレス、リボン留めなど、形は問わないなのでこれもそこまで厳しいというほどではないですね。


 ヘラルドさんを見送った後、入れ違いにやってきたのはルドミーラ。


「あ、ユイリおはよー」

「うん、おはよう」


 ルドミーラの手には朝ご飯のお盆。どうやら、食堂の朝ご飯時間が終わるギリギリに起きだしてきたようです。わりとありがちな生活パターンですね。


「ユイリはもう食べたの?」


 言いながら、わたしのかけている前に座る。わたしの前には飲み物だけ。


「うん。これから、ユウさんを案内しに行く予定」

「ユウさん? あ、ユイリがお世話してる子だ」

「そう」


 そういえば、ルドミーラはまだユウさんに会っていないですね。

 わたしは校長候補生だのの部分を省いて昨日のことを話す。ルドミーラはうんうんと相槌をうちながらご飯を食べます。育ちがいいので、食べ方もきれいな子です。


「もう少ししたら、来るんじゃないかな」

「そっかそっか。ユイリを困らせたらダメだぞって言っておかなきゃね」

「……うーん、ありがとう」


 もう既に、散々困らされていますねえ。

 まあ、悪気があるというよりは、もはやそういう人という感じがするのでわたし自身気にしてもしょうがないと開き直り始めている感はあります。

 言ってどうにかなる気がしませんが、ルドミーラの心遣いは嬉しいです。


 そうこうしていて待つうちに、やがてユウさんがやってきます。


「行くぞ」


 待たせたな、とか遅れて悪い、などという前置きなどはなく、そっけない調子です。


「あ、はい」


 わたしは慌ててお茶を飲み干してしまいます。ルドミーラを紹介しようとしましたが、ユウさんはもう背中を向けてしまっています。


「ちょっと、ちょっとっ」


 一緒に席についていたのに完全に無視されたルドミーラが慌てて制止にかかる。ユウさんは彼女を見て、誰だこいつは? とでもいうような視線を向けてきました。


「この子はルドミーラ。わたしのお友達です。こっちがユウさん」


 双方を紹介します。


「……」

「……」


 えっ。

 お互いに、挨拶し合うということもない。


 ルドミーラは初対面で無視されて、完全にむくれています。ユウさんはルドミーラのこと眼中になし。

 わたしたちの間に寒々しい空気が流れました。

 ルドミーラはちょっと人見知りする子ですし、ユウさんは気遣いという概念を遠く魔法界にでも置いてきたような人です。最初から和気藹々とした空気が流れることは期待していませんでしたが、こうも微妙な空気になるとは、びっくりですね。

 わたしは慌ててふたりを取り持つ。


「ふたりとも、せっかく一緒にこの寮に暮らしているんですから、仲良くしましょうね」

「うーん、よろしく」

「……ああ」


 がっちり無理矢理ふたりを握手させると、不承不承といった様子で言葉を交わしました。やれやれ。

 この組み合わせはくっつけておくと喧嘩しそうなので、ユウさんの手を引いて離脱することにします。去り際に振り向いてルドミーラに手を振ると、不満げな様子で手を振り返してきます。後でフォローしておかないといけません。


 とはいえ、今は。


「ユウさん。誰にでも喧嘩売ったらダメですよ。仲良くしてください」

「は? 知るか。向こうが先に睨んできたぞ」

「それは、ユウさんが先にあの子を無視するからですよ。声くらいかけましょうよ」

「あいつに用はない」

「でもわたしはあの子といたんですから、それを無視するのはよくないです」

「おまえは俺を待ってたんだろ」

「それは、そうですけど」


 この人駄目ですね。全然わかってくれませんね。


「いいから、わかりましたかっ?」


 有無を言わさず、強い口調で迫ります。力押しです。


「わかるか馬鹿」

「……」


 全然動じませんでした。

 わたしはため息をつきます。


「そんなんじゃ、これからの学園生活が楽しくないですよ。友達もできないですし」

「ほっとけ」

「ほっときませんよ。わたし、お世話係ですから」


 面倒そうな視線を向けられますが、ユウさんはやがて呆れたように頭を振ります。


「制服を買いに行くぞ」

「そうですね」


 これ以上押し問答を続けていても、埒があきません。

 ともかく今は口喧嘩をするよりも先にやるべきことがあるのです。


 わたしたちは肩を並べて通りを歩いて、大通りへと出ます。その距離感は、ぎくしゃくしてなどはいません。ユウさんがぱっぱと気持ちを切り替えているというのもあるのですが、それ以前に、わたしたちにはぎくしゃくするほどの親しさすらないのです。こちらが歩み寄っているつもりでも、彼の方ではそれも無用と考えているようです。

 ちらりとユウさんの横顔を見てみると、先ほどの問答などはすでに忘れた様子で前を向いていました。わたしはこっそりとため息をつきます。

 吐息は、大通りからの喧騒にまぎれて、誰にも気付かれずに空へと溶けて、消えました。











 やってきました中央校舎。


 午前中はユウさんの買い物に費やし、彼はめでたく制服姿に木刀持ち。

 ひとまず揃えるものは揃えてきました。


 わたしとユウさんは、その威容の前に並んで立って見上げます。何度見ても大きいです。近くで見ると改めて驚いてしまいます。

 世界にはもっと大きい建造物もありますが、わたしの見た中ではこれが一番。強度や魔術干渉に優れるものの加工が難しいという特殊な石材でできているので、巨大な砦のような印象があります。


 中に入ると、大きく開けた広間が吹き抜けになっています。ユウさんも感心したような様子で周囲を見渡していました。

 受付で用向きを告げて、生徒手帳を提示します。いざという時のために特務委員の宝玉も用意してきましたが、そこまでは要求されませんでした。


 受付の女性の案内で、上層階に通される。

 中央校舎は基本的に政治機能が集まっている場所ですので生徒の姿はほとんどないのですが、それでも先ほどの一階は行き交う人がたくさんいました。

 でも、上の階はその分要人だけが入れるのでしょう、全然人がいません。時折すれ違う人もありますが、見るからに偉い人というような雰囲気だったり、付き人を従えていたり。

 以前副校長にお目通りした時のことが思い出されます。あの時はユウさんもいなくてひとりだったので、不安で不安でしょうがなかったことが思い出されます。

 まあ、今は、ユウさんがいるというのが安心感もあり、同時に不安でしょうがないところでもありますが。


「こちらの部屋でお待ちください」


 案内してくれた事務員の方にうやうやしく礼をされ、わたしたちは小部屋に残されます。ソファとテーブルがあるくらいの、簡素な部屋です。窓もなし。

 応接室といったところでしょう。


 どうやら、何らかの会談が行われるようです。わたしは先日、ここと同じような部屋で副校長と会談をしたことが思い出されます。

 今日もそんな場が設けられているのでしょうか。そう思うと、かなり胸がざわついてきました。


 ユウさんは無感動に腰を下ろすと、目を閉じて微動だにしなくなりました。学園の制服も最初は着慣れない様子でしたが、もう平気なようです。

 彼の片手は木刀の柄の部分に伸びています。知らない場所に来て、ユウさんも神経質になっているのかもしれませんね。


 落ち着かないわたしはユウさんの横にかけてのんびりすることもせず、壁にかかっている絵をぼおっと眺めて時間をつぶすことにします。他に眺めて楽しそうなものは、この部屋にはありません。

 山路を行く戦士の一団の絵でした。夕刻迫る空の下を注意深く進む人間と、その先には魔法界から出現したばかりのトカゲのような姿の魔物が待ち構えています。

 不穏な絵ですね。とはいえそれは、わたし自身が個人的に魔物という存在を憎んでいるからそう感じるのかもしれません。

 父を殺して妹の足を食いちぎった魔物はオオカミのような風貌をしていたので、この絵画の特徴とは違います。もし同じような様子だったら、ついつい頭に血がカーッとのぼってしまうかもしれません。わたしは絵画から目をそらして、息を整えます。

 絵のモチーフとして、魔物は割と描かれることが多い対象です。大多数の人にとって、魔物はお話の中の存在。滅多に人目に触れるような存在ではありません。だから、ミステリアスな異世界からの来訪者として考えられることが多いです。宗教によって解釈も異なるところですが、魔物を天使のひとつの形態として信仰する団体もあります。


 それ以上絵を見ていたくもなかったので、わたしは息をついてソファに座ります。

 この部屋に入った当初、そわそわしていたのにいきなり元気がなくなった姿を見て、ユウさんはいぶかしげな視線をこちらに向けますが、反応する気も起らない。


 互いに無言でしばし待ち、やがてドアがノックされました。


「は、はいっ。入ってます!」

「トイレかここは」


 裏返るわたしの言葉にユウさんの冷たいツッコミが。

 彼に文句も言いたくなりますが、入室する面々を見て舌が凍り付きました。


 まず部屋に入ってくるのはこの学園の最高責任者、ジル・エレフガルド副校長。

 続くのは守備隊総隊長のグスタフ・イザール・レイン様。

 最後に生徒代表のオリバ・モルゲタウン生徒会長。

 付き人などはありません。学園の統治者である副校長、守備隊の最高責任者である総隊長、学園生の代表である生徒会長。この学園の責任者の揃い踏みです。

 わたしはさすがにおののきます。

 慌てて立ち上がって頭を下げますが、ふと横を見るとユウさんは座ったまま彼らを眺めているのみでした。


「ユウさん、立ってくださいっ。失礼ですよっ」


 耳を寄せて小声で注意しますが、「なんでそんなことをしないといけない?」的な視線を返されるのみでした。あああもう。


「構いません。ユイリさん、あなたも掛けてください」


 困ったわたしの様子を見てか、ジル副校長がそう言ってくれます。ですが、常に眉間にしわが寄っているタイプの方ですので、ものすごくユウさんの不始末を気にしているようにすら見えて怖い。

 グスタフ総隊長とオリバ会長をユウさんに紹介すると、わたしたちの前にジル副校長を真ん中にして三人が腰かけます。それを見てから、わたしも一礼して座り直す。


 この場に副校長が来ることはなんとなく予測がつきましたが、他のふたりは予想外です。守備隊総隊長と生徒会長。どちらも、世事に疎いわたしでも知っている方です。

 他にお付きの人もいないので、これは完全に機密の会合ということなのでしょう。


 え、なんだか、わたしだけ場違いすぎます。


「久しぶりですね」


 ジル副校長が、ユウさんの姿を見てそう言います。

 朝に一度会ったことがあると言っていました。ですが、特に親しいという関係でもなさそうです。副校長がユウさんを見る目には、特にあたたかみはありません。


「ああ」


 ユウさんの返事はそっけない。

 場が場ならば大問題の態度ですが、相手方は特に気に留めた様子もありません。わたしはほぼほぼ部外者ですので、はらはらしながら事態の趨勢を見守るのみです。


「この学園への入学を決めてくれたこと、感謝します」

「他に選択肢がなかっただけだ。感謝するという割に、歓迎されている気分ではないが」

「自分の立場を自覚していれば、そんな言葉は出てこないはずですが」


 ジル副校長の言葉の直後、隣に座るユウさんの体が跳ねるようにぶれる。

 突然のことに、わたしはぼうっと彼の動きを目で追って……ええっ!?


 目を開く。ユウさんは、手に持っていた木刀を横薙ぎに振る。遠慮も何もない一撃。というか、攻撃です。それも、この学園で一番偉い人に!

 わたしは見ていることしかできない。というよりは、ユウさんが踏み込んだ際に蹴りつけた二人掛けのソファがひっくり返りそうになって、それにしがみつくだけで必死です。


 金属音にも似た音。


 はっと息をついて見ると、ジル副校長の隣に座っていたグスタフ守備隊長が剣の鞘で木刀を受け止めていました。

 副校長に怪我は……ありません。攻撃されたというのに微動だにしていません。

 もちろん驚いて固まっているというわけではありません。


「あなたの剣の実力は、聞き及んでいます。天はあなたの封印の力の他に、また別の才を与えてくれたようですね」


 副校長は大したものです、と心動かされた様子もなく続けます。

 ユウさんは舌打ちする。その目に失望の色はありません。攻撃というよりは、これは威嚇だったのでしょうか。そんな生易しいものには見えなかったのですが。

 というか、ジル副校長はなにかユウさんの気に触れることでも言いましたっけ。


「ですが、この学園で剣の才能のみで名を売るには、いささか及ばない。特殊な立場であることは自覚してほしいですが、特別な立場ではないことを知っておいてください」

「……」


 ユウさんが、副校長をにらみつける。すると、急に周囲の温度が下がったような気がしました。

 隣で座るわたしもその殺気みたいなものにあてられたのでしょうか、なんだか視界がぐらぐらしてきます。


「小僧。図に乗るな」


 守備隊総隊長の言葉と共に、彼の体から魔力が発せられる。威嚇でしょうか。

 すぐに、悪い気でも散らしたように気分の悪さが消えていく。荒事とは無縁の身ですので、どんなやり取りをしているのか全然わかりません。

 ただ、強すぎる魔力はそれだけで人へ干渉することもあるので、先ほどの胸をふさぐような感覚や酩酊感はその影響かもしれない。

 ユウさんは鼻を鳴らすと、どすんと乱暴にソファに座り直します。横のわたしが一瞬飛び上がるくらいの勢いでした。


「有名なこの学園の連中が、どれほどのものか気になっただけだ」


 悪びれる様子もなく、そう言い切ります。


「期待には応えられたか?」


 グスタフ隊長の剣呑の質問に対して肩をすくめて見せました。

 その態度を見ていて、わたしははらはらするどころかもう絶望です。なんでこの人、わざわざ喧嘩売ってるんですか!


 ユウさんの肩を掴んでガクガクいわせたくなりましたが、さすがにこの状況でそんなことはできません。

 周囲を見ると、生徒会長のオリバさんもびっくりした様子で目を見開いていました。たしか、この方もわたし同様戦える人ではないので、いきなりこんな荒事になって驚いているのでしょう。彼は八年生で、そう年齢が離れているわけではないですし。なんだか少し親近感が湧いてしまいます。

 少なくとも、気持ち的には一番わたしに近い感じがします。

 おどおどと周囲をうかがっているわたしの様子に、副校長は一瞥を与えます。


「ユイリさん。少し問題のある生徒ですが、彼のことをよろしくお願いします」

「少し!? あ、いえ、はい……。がんばります……」


 語尾が尻すぼみになってしまうのは致し方ないですね。

 問題児どころではないような気がしますが、ここで「あはは、無理ですね~」などと言うことは許されませんでした。げに悲しきは、わたしの雇われの身分です。


「里では自由な振る舞いも許されたでしょうが、ここではそうはいきません。イヴォケードの学園生として、節度のある生活を望みます。あなたの世話をしてくれるのもこの生徒のみですから、承知しておくように」


 その言葉に、ユウさんはわたしのほうに視線を移して、げんなりした顔をします。大方、ロクな人材じゃないとでも思っているのでしょう。


「監視役なんて、いらないけどな。俺が必要な時が来たら、必要なことをするだけだ。そのためにここに来た」

「そう悲観するものではありません。それに、彼女はあなたの監視役というわけでもありません。もしかしたら……あなたを救ってくれることにさえ、なるかもしれない」

「は? どういうことだ?」


 ユウさんが、興味をひかれたように身を乗り出す。

 グスタフ隊長がじっとその挙動を見つめますが、今度は特に攻撃しようという身振りはありません。

 ジル副校長はわずかに首を振り、それ以上言葉を続けることはしませんでした。

 それを見て顔をしかめたユウさんが、今度は問いただすように視線をこちらに向けます。厳しい表情でした。


 でも……わたしがユウさんを救う?

 全然、その意味するところは分かりません。しょうがないので、わたしは首をかしげてみせてユウさんに応えます。

 あ、すごく失望した顔をされました。期待に添えなかったのは悪いなあと思いますが、ちょっとむかっとします。


「会長、例のものを」

「はい」


 こちらのやり取りには構わず、副校長は生徒会長を促す。会長は手に持っていた箱をテーブルの上に乗せました。


「あなたの学生証と、宝玉です」

「こんなもの、こいつに届けさせればいいだろ」


 こいつって、わたしですかね。


「あなたとは顔を合わせておく必要がありました」

「……」


 ユウさんはテーブルの上の箱を開けます。

 中には、一般の生徒が使用しているのと同じ生徒手帳。

 そして、ふたつの宝玉です。ひとつは一年生を示す白色の宝玉。もうひとつは金色の宝玉。

 金色の方はわたしの持つ特務委員の宝玉と同じですが、中には何か触媒らしきものが入っているようです。小さいので、何かはよくわからない。

 ですが、中に何か入っている宝玉というのは、その色の中でも特別なものを示します。有名どころですと、学年色の宝玉でも成績優秀者のものには魔石が入っていたりします。ユウさんのそれは、特別な金の宝玉の中でも更に特別ということなのでしょう。おそらく、この学園で最上級に。

 ユウさんはそんなすごいものにも構わず、無造作に手に取る。そして、じっと金色の宝玉の中の触媒をみやる。


「骨か」


 嘲るような調子でつぶやいた。


「英雄の骨か」


 その言葉に副校長は答えず、じっとユウさんを見つめるのみでした。

 ユウさんは特務委員を示す宝玉を懐にしまい、同様に一年生の宝玉を手に取ります。


「それ、せっかくだから、学年色の宝玉は付けていきなよ。制服なのに宝玉をつけてないと、結構目立つからさ」


 オリバ生徒会長が笑いかけます。

 ずっと緊迫した空気が流れていましたが、雑談めいたその言葉にふっと場の緊張が和らぐのを感じました。

 ユウさんとしても、厚意の申し出を無下にするほど歪んでいるわけではありません(たぶん)。

しまいかけた白い宝玉を胸の留め具に付けようとします。が、すぐにはうまくはまりません。

 一応付け外しの向きがありますからね。


「あ、ユウさん。貸してください」


 わたしは彼から宝玉を取って、胸元に宝玉を取り付けてあげます。

 難しいものでもないので、すぐに済みます。うん、やっぱり宝玉が付いているほうが締まりますね。これでユウさんもこの学園の一員になったような感じもします。

 白色を光らせて通りを歩けば、きっと部活やらなにやらの勧誘が集まってくるはずです。それは憂鬱ですが、ちょっとだけ心が躍ります。


「別に、自分で付けられる。余計なことするな」

「うん、似合ってますよ」

「……」


 問答無用のわたしの言葉に、呆れたように息をつく。

 ユウさんは不機嫌そうな素振りで腕を組んでソファに身を沈めると、前に座る三人に視線を向けます。対する面々は、なんだか心なしか、ほほえましげな眼差しに感じました。


「で、他に用はあるのか?」

「身分証を渡したので、他にはありません」

「なら、俺はもう行く」


 ユウさんはソファから身を起こすと、足早に部屋を出て行ってしまいます。


「わ、わっ」


 わたしは慌てて、その後を追います。


「あの、失礼しますっ」


 部屋を出る前、急いで頭を下げます。


「ユイリさん」


 身をひるがえして出ていく瞬間、ジル副校長から声をかけられます。


「彼は孤独な身の上です。くれぐれも、よろしくお願いします」

「は、はいっ」


 副校長は、相変わらず表情は厳しいものでした。ですが、グスタフ隊長は口の端を緩めて労うような様子で、オリバ会長は歯を見せて応援するように笑っていました。

 なんだかそんな様子に、元気づけられます。労われている気がします。

 ユウさんがジル副校長に木刀で切るかかるという凶行をしてもなお、わたしへの責任追及はないようです。というか、それほどユウさんへの期待は薄いんですかね。


 ともかくその場を後にして、廊下の先、少し遠くなってしまったユウさんの背中を走って追います。大した距離でもないので、すぐに隣に並ぶ。

 ちらりと視線を向けられて、それでも何も言われません。昨日今日とで形になった、わたしたちふたりの距離感です。

 昇降の魔法陣の場所へ歩きながら、わたしはやっと、息をつきます。

 どうやらこれで、今日の会合は終了です。一時はどうなることかと思いましたが、何はともあれやっと気が抜けます。


「もう、なんでいきなり襲い掛かったりしたんですか、副校長に。わたし、心臓が飛び出るかと思いましたよ。というか、昨日、言ったじゃないですか。殴りかかったりしちゃだめですよって」

「殴りかかってない。切りかかった」

「それもだめっ」


 転移陣に乗ってエントランスへ戻り中央校舎を出て大通りを歩いていくの帰り道、気を抜けた安心感もあってわたしはぐちぐちとユウさんの態度を怒ります。

 今回は特に問題になりませんでしたが、攻撃的な態度は災いの種になります。いえ、態度というか実際攻撃しているわけですけど。


 この学園では、すべての生徒は平等と標榜されます。

 貧しい生まれから魔法の才能でのし上がるものもいますし、他国の貴族が入学金を多額に払って箔付けでこの学園に入ることもあります。生まれに応じてそれなりに住み分けはされていますが、それでも横柄な態度をとり続ければ風当たりは強くなります。

 彼がどんな出生かは知りませんが、それには関係なく学園生として他の生徒との距離の取り方は学ばなければなりません。


 そんな話をしていると、わたしの言葉を聞き流している風だったユウさんがじっとこちらを向きました。


「俺の出生は知らないが、と言ったか?」

「はい、そうですけど。というか、ちゃんと前向いてくださいよっ」


 中央校舎を出て大通りを歩く道すがらですので、混んでいます。

 よそ見をしていると今のユウさんみたいにびしびしと通行人にぶつかります。すごく迷惑そうな目を向けられているのですが、それには気付かない様子です。


「本当に、知らないのか?」

「だから、そう言ったじゃないですか」


 念押しに応えると、考え込むような様子でしげしげとわたしを眺めるユウさん。


「アホな奴だと思っていたが、ただ知らされていないだけか」

「あの……すごく失礼なこと言ってますか? というか、ほら、邪魔になりますから」


 ユウさんの前で棒立ちになっている通行人がいるので、わきにどくように促します。

 ですが彼はそれを無視して、目の前の相手を邪魔そうに一瞥しました。喧嘩売ってるみたいな態度に慌てるわたし。

 ああもう、次から次へと問題を起こします。

 わたしから詫びをしようかとその人のほうに向きなおると、その二年の男子生徒はユウさんを凝視していることに気が付く。

 それは見覚えがある人でした。


「おまえは……昨日、俺の魔方陣を壊した奴っ!」


 相手のその言葉に、わたしは昨日のことを思い出します。

 わたしが正門前でユウさんを見つけた原因にもなったいさかい。ユウさんが相手の魔法陣を消してしまって、部活か何かの勧誘を妨害した騒ぎがありました。あの時は逃げ出してしまいましたが、まさか昨日の今日でまた顔を合わせるとは……。


「誰だこいつは?」

「忘れたんですか!? 昨日、ユウさんが魔方陣を壊した……じゃない。魔方陣を壊したのは、わたしです」

「いや、先輩じゃないでしょ壊したの。そのネタはもういいんで」

「えええ!?」


 相手の人にすごく冷静な表情で言われてしまって、絶句するしかありません。

 そのやり取りを見ていて、ユウさんも相手が誰なのか思い出した様子。


「ああ、そういえばそんなこともあったな。今はそれどころじゃない。消えろおまえは」

「えええ!?」


 傲岸不遜もいいところですね!


「こいつ、威勢がいい一年ですね」


 ユウさんの態度に、相手の方はむしろ感心した様子でわたしに話を振ってきました。苦笑するしかないです。


「えぇまぁほんと……」


 困ってます。

 わたしたちの感じからして、ユウさんがどこぞの貴族様でわたしがその従者というような関係だと踏んでいる様子です。貴族も多く通っているこの学園では珍しくはない組み合わせですね。

 実際、ユウさんの素性は知らないですが似たようなものでしょう。


 ここには大多数の生徒が才能で入ってきますが、一部、入学金を積んで入る生徒もいます。そしてそういう生徒は往々にして好き勝手な生活をして周囲の顰蹙を買う存在になります。次第に学園の雰囲気になじんでいく生徒も多いですが。


「一年生。調子に乗るのはいいが相手が悪かったな。灸をすえてやろう。俺の名前はパスパルトゥ・フォグ! 『貴族殺し』の一員さ」

「貴族殺し!」


 有名なクラブの名前に、わたしは思わず目を開く。


「なんだ、それは」


 説明しましょう!

 この学園では決闘騒ぎが多くありますが、それらは大抵『決闘クラブ』と呼ばれる種類のクラブによる監督下で行われます。

 『貴族殺し』はその中でも一二を争うほど有名なクラブです。その名の通り、決闘の監督をする他、彼ら自身も貴族に喧嘩を吹っ掛けることが多いらしいので名前が売れているようです。平民出の生徒には結構人気ですが、貴族階級の生徒からはかなり忌み嫌われているという評価ですね。決闘賭博に絡んでおらず、品行に問題なければ無用な決闘まではしないところですので、普通に暮らしていれば実害のない集団ではあります。まあその、まさに今、実害をこうむっていますが、ユウさんの品行にはいささか問題がありますからねえ。


 わたしの説明を、ユウさんは興味なさそうに聞いています。


「とりあえず、喧嘩を売ってきてるということか?」

「いや、そこまで悪い意味ではないというか、敵対的な感じじゃないんですけどね」


 攻撃的にじゃれてきているというか、さわやかな喧嘩というか、そのあたりの微妙な機微はうまく説明できません。決闘と襲撃は違います。


「一年生、剣を持っているということは戦えるんだろう? この学園がどんなところか教えてやるよ」


 相手の方も、敵意や害意を持っているというよりは、腕試しを誘っているというくらいの感触です。


「あの、すみません、急いでいるんですが……」

「先輩は少し待っていてください。すぐに済みます」


 言い方は優しげですが、全然聞く耳持ちません。

 わたしたちの様子を見て周囲の人たちは、「なになに? 喧嘩?」「決闘か」と言い合いながら適当な距離を置いて観戦モードになりました。あああもう。


「ユウさんユウさん、相手をする必要ないですよ。逃げましょう」

「向こうはやる気だぞ。それに、ああ言われて逃げてたまるか」


 小声で言ったわたしの提案は、はねのけられます。


「怪我しちゃうかもしれないですよ。危ないです」


 なおも言いすがるわたしを見て、ユウさんは鼻で笑う。


「騒ぎをおこして自分が監督不行の処罰を受ける心配でもしているのか?」

「いやそうじゃなくて、ユウさんが心配なんですよっ」


 この学園に入れる生徒は、それはもう強いです。わたしなんかは非戦闘員ですが、大体の生徒は戦いの心得があります。

 命に係わる魔法を使うことは許されませんが、それでも怪我をしてもおかしくありません。入学早々怪我して臥せるなんてなったら、いくらなんでも幸先が悪すぎます。


「心配?」


 わたしの言葉が意外だったのか、ユウさんは不思議そうに目を見開く。ですがすぐに、彼は口の端を緩めました。


「……心配する必要はない。怪我をするつもりはないからな」


 言いながら肩掛け鞄をわたしに渡してくる。


「でも……」

「ついでに、これも持ってろ」

「わ、わっ」


 ぽん、と木刀を押し付けられる。持ってみると、意外にずっしり重い。


「怪我をさせるつもりもない。大した問題にもならないだろう」

「武器もなしに、どうやって戦うんですか一体? じゃなくて、ほんとに戦うんですか?」

「下がってろ」

「……」


 もー。

 なんだかもうどうしようもなさそうなので、わたしは諦めて木刀を手にして周囲に輪になって観戦を始めている生徒たちのところに下がります。


 周囲の生徒たちは「なんだあいつ、武器いらないのか?」「丸腰だから許してくれってこと?」「戦う気満々に見えるけどなあ」「ほかに武器があるんじゃない?」「どっちに賭ける?」「一年がこの時期から決闘なんて、珍しいな」などと、わいわいと楽しそうなのが憎たらしいです。


「ねぇねぇ、あの一年大丈夫なの?」


 観戦客の中に入ると、周囲の生徒が楽しそうに話しかけてきます。


「知りません。ああもう、心配ばかりかけて……」


 今ここで金の宝玉を取り出して場を収めたいですが、一度痛い目を見たほうがいいような気もするのでそこまでしようとは思えません。

 とはいえそれでも心配なのには変わりなく、わたしははらはら様子を見守ります。


「君も大変そうだね」

「まあ、俺回復魔法使えるから安心しといていいぜ」

「彼どこの国の人?」

「おっ、始まりそうだぞっ」


 ユウさんとパスパルトゥ・フォグという二年生。二人がある程度の距離をおいて向き合いました。周囲は静かに見守ります。


「剣はいいのか? それとも、降参ってことか?」

「お前相手には必要なさそうだ」

「そりゃ、面白い。剣が必要になったらいつでも言ってくれ」


 パスパルトゥさんが表情をゆがめて笑う。軽んじられていると感じたのでしょう、さすがにちょっと怒ったようです。怖いです。

 あんまり頭に血が上って、危険な魔法とか使わないでほしいんですが。

 はらはらしているわたしを余所に、相手が杖を構える。対してユウさんは悠然と立っているだけ。単なる棒立ち。構えでも何でもない。

 それを挑発と受け取ったのか、パなんとかさんは杖を振って攻撃魔法を唱える!

 ほとんど目でも追えない速さの閃光がユウさんに迫る。離れた場所から見ていてこれですので、彼の目からすればほとんど刹那の攻撃と言っていいはず。

 ですがその攻撃はユウさんの体には届きませんでした。彼の体の直前で、それはぷっつりと消え失せました。


「……還元だ!」


 観客のひとりが叫ぶ。周囲が沸き立つ。

 還元。通常、魔法攻撃は同じような魔法での相殺か、結界による防御、もしくは回避するのがセオリーですが、より高度な防御として還元があります。魔法自体を初期化して大気に散らすという超高等技術です。

 初めて見ました。秀才天才の集うこの学園の中にあっても、それは特異な才能です。


「な……!?」


 あんまりな防御方法に、相手の二年生は目を見開いて動きが止まる。ユウさんは素早く相手に近づいて、彼の胸に手を当てた。

 ただそれだけ。

 すると、決闘相手は意識を失ったように倒れこみました。


 何をしたのかわからない。それでもとにかく、ユウさんは本当にお互い怪我ひとつなくこの決闘を制したのでした。

 一瞬、この光景を咀嚼するような沈黙が満ちて、周囲が更に沸き立ちました。


「うおぉ、すげえ!」

「一発で勝ったぞ、あの一年!」

「というか今何やったの!?」


 大騒ぎになりました。そんな中、ユウさんは悠然とこっちに戻ってきます。


「終わった。行くぞ」

「は、はいっ」


 彼に木刀を返し、ふたりこの興奮のるつぼから抜け出そうとしますが……周囲に人が集まってくる。


「すげぇじゃんおまえ!」

「うちのクラブに入らないか? そんだけ実力があるなら、ちょっとした小遣い稼ぎもできるぜ」

「なんで初見ですぐに還元できたの? というかあれ還元だよねっ?」

「今年の新入生は王女様に『殲滅魔術師』におまえとか、豊作すぎるだろっ」

「名前教えてくれよ。あとどこの寮?」

「守備隊の試験受けてみろよ。お前ならいいとこまで行けるはずだぜ」


 もみくちゃです。

 ユウさんは面倒くさそうな顔をして、返事をする素振りもありません。たしかに、いちいち応対していたらそれだけで日が暮れそうな状況でした。


「すみませんっ。急ぐのでっ!」


 わたしはユウさんの手を握ると、間を縫ってその場から逃げ出します。なんだか昨日も、ほとんど同じような状況になっていたような気もします。

 人に溢れる中央通り、決闘騒ぎの輪から抜けても人通りが多いことに変わりはありません。とはいえ、かえってそれが良かったのか人ごみに紛れてすぐに追いすがる何人かのクラブ勧誘らしき上級生を振り切ることができました。


 中央通りを脇にそれ、バザールと呼ばれるアーケードになっている一角へと逃げ延びました。この地区は商業施設が充実しているので人通りが多いところではありますが、クラブ勧誘をする生徒はそこまで多くありません。

 何度も後ろを振り返り、ひとまず大丈夫になったと息をつきます。なんだかこの春、特務委員になってから心臓に悪いことばかりをしている気がします。その分家計を維持できるだけのお金をもらっている身ですので、さすがに文句も言えないですが。


 状況が少し落ち着いて、ユウさんの手をぎゅっと握りしめたままだということに気が付きます。慌ててその手を放すと、彼は不思議そうにこちらを見やって、手を眺める。


「怪我はさせなかったぞ」

「え、ええと、あの二年生のことですよね。はい、それはよかったです。それに、ユウさん、最初に攻撃魔法を打たれてましたけど、大丈夫ですか?」

「あれは届いていない」


 還元魔法を失敗すると魔法の全部もしくは一部を受けることになってしまうはずですが、そんな心配はないようです。実際、特に彼の体に傷などはありません。


「なら、よかったです。もうあんまり危ないことしちゃダメですからね」

「おまえはほとんど部外者なんだろう? なんでそんなことを心配する?」

「ユウさんの事情は、たしかに知らないです」


 校長候補生。わたしはその裏の事情はまったく知りません。


「でも、もう知り合ったんですから、無関係というわけではないですよ。だから心配して当然です」

「無関係というわけでもない、か」

「はい。お姉ちゃんみたいな感じだと思ってください」


 弟も妹もいるので、ものすごく手のかかる弟が増えたと思うと、わたしもなんだかしっくりくる気がします。

 とはいえそんな言われ方をするのは不快かな、などと思ってユウさんの様子をうかがいます。

 でも彼は苦々しげな様子などではなくて、ちょっとくすぐったそうに笑うだけでした。口の端を緩める程度の、微かなものでも笑顔は笑顔です。


「姉か」

「はい、大体そんな感じです」

「……」


 彼は小さく鼻を鳴らして、わたしを置いて歩き出す。


「おい」


 慌てて後を追うと、ちらりとこちらを振り返る。


「おまえの名前、なんだったか」

「ユイリですよ。ユイリ・アマリアス」

「そうか。ユイリ、行くぞ」

「あぁっ、待ってくださいっ」


 わたしは早足なユウさんの後を追う。

 そういえば、初めて名前を呼んでくれたな、などと思いながら。

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