魔眼
「さて……」
目の前に立つ人が言葉を発して、わたしの肩がびくりと震えた。
恐る恐る彼の顔を見る。そして、その人は以前に見たことのある人だと気がつきます。
以前チサさんの寮に赴いた際、寮の脇にある教会でユウさんに何やら話しかけていた人です。ユウさんの特殊な能力を使って、何かを為そうとしている人。
そんな人が今こうしてここにいる。無理矢理にわたしをこの部屋に閉じ込めている。
突発的な出来事なのではなくて、綿密に計算してわたしを拘束したのでしょうか。ということは、直接の目的はわたしではない? 元々はユウさんに何かをさせようと交渉していた人。
本当の目的は、わたしじゃなくて……。
「こうして無理に呼びたててしまったことを謝罪します」
「……」
頭の中がぐるぐる回り、気分さえも悪くなっているわたしに向かい、その人は頭を下げた。
え? と言おうとして、未だ喉の奥がひりついて言葉が出ない。
遠近感がおかしくなってしまっているのか、彼がとても遠いところから話しかけてきているような気がする。
謝罪?
この状況で、下手に出てくる意味がわからない。
「ほら、カダさん、俺もやれるでしょう?」
荒い息をつくわたしの手を握ったまま、ピノークさんが得意げに言う。
横目に見る彼の表情。ぞっとするほど輝く眼差しで、その目はカダさんに向いている。
「この間は失敗したけど、ちゃんと魔法発表会の前に誘い出せましたよ。で、この後、俺は先輩のことを好きにしていいって話でしたっけ?」
「ひっ」
肺の空気がすべて絞られたみたいに、わたしは小さく息をつく。
妖しい眼差しはそのままに顔がこちらに向けられて、わたしは慌てて顔を伏せる。わたしの腕を握っている少年が、どんな顔をして今の言葉を口にしたのか知りたくもない。
ピノークさんの言葉に周囲の男性たちが小さく笑い、カダさん、と呼ばれた正面の人はため息をつく。
「その話だが、変更になった」
「は?」
「まずはその手を放せ」
「どういうことだ? 約束が違うだろう?」
「そうだな。その約束は、反故にすることにした」
そう言った瞬間、周りの男がさっと近寄りピノークさんを殴り飛ばした。くぐもった音がして、そうと知れる。
顔を伏せていたわたしにはその瞬間は見えませんでしたが、ピノークさんが横手に吹き飛んでいくのを感じる。
ピノークさんが何やら反論しようと口を開こうとしていますが、既に拘束されているようです。もごもごとした声。集団で足蹴にする音。
すぐ傍で、無遠慮に暴力が振るわれている気配にわたしは身をすくませる。
わたしは耳を塞ぎたい気持ちで小さく震えていて、でもまったく体が動きません。何も考えられない。
誰かがわたしの傍に立つ。
「あなたに危害を加えるつもりはありません」
その言葉にそろそろと顔を上げると、カダと名前を呼ばれた人が膝をついて傍らにいて、目を細めてわたしのことを眺めていました。
でも、そのまなざしは優しくもなく、厳しくさえもありませんでした。その瞳は空疎という外ないもので、わたしの心を凍り付かせるのは十分でした。
逃げるように目線を移すと、その先ではピノークさんが数人の男性にしたたかに踏みつけられている様子が目に入り、顔を上げたことを後悔してわたしはまた床を見つめます。
「おまえら、いいかげんやめろ」
カダさんが声を掛けると、人を蹴り飛ばす音がやむ。
「こいつどうします?」
「もう用済みですし、送還しますか?」
「今日は連れて帰る。後のことは……また、後だな」
移動する足音。やっと、室内が静かになる。
ピノークさんのうめき声。わたしの浅い息。
そろそろと顔を上げて、今やっと、部屋の中の状況を確認する。
部屋の中にいるのは全部で六人です。わたし、すぐ傍らのカダさん。入口を塞ぐようにひとり。ピノークさんと、彼を蹴り飛ばしながら部屋の片隅に移動する三人。
部屋の片隅には魔法陣が輝いていました。強い魔力を発している特徴的な魔法陣。転移魔方陣です。
これから魔法陣を使って場所を移すようです。
「さて、あなたも付いてきていただきます」
「……」
わたしはこの場から逃げ出せる可能性を考える。
悲鳴を上げたら、人は来るでしょうか。ですが抜かりなく防音の処置はされている予感がします。計画的にこの状況を作っているのですから、当然です。
窓はなく、出入り口はひとつ。視線を入口に向ける。塞がれている。
「逃げられねーよ」
わたしの視線を追って、ピノークさんを蹴っていた男の人がせせら笑うように言う。
「ま、抵抗してくれた方が楽しいけど」
「……」
その言葉だけで、わたしの心は折れてしまう。
わたしに戦う力はなくて、現状を打開する特殊技能もありません。この場に助けてくれそうな人もいない。
よろよろと立ち上がる。
その腕を、カダさんが掴む。強い力ではありませんが、振りほどけない雰囲気でした。
もう片方も、別の人が掴む。その手は肌の感触を楽しむようににぎにぎと触れてきて、気味が悪い。
自分がこれからどうなってしまうのか、考えたくないのに最悪の想像がよぎる。
身の危険もそうですが、わたしが何よりも怖いのは、自分自身がユウさんの迷惑になってしまうことでした。
そもそも彼らは、はじめはユウさんに近づいてきていた人たち。今こうしてわたしを捕らえているのも、最終目標はユウさんなのでしょう。
ユウさんの特殊な能力。魔力を直接動かす力。
やろうと思えば、かなり大きなこともできるのかもしれません。彼の意に沿わないことをさせられたり、もしかしたら、わたしのせいで命を落としてしまうことだってあるのかもしれません。
そんな想像をするだけで、わたしは思考停止に陥ってしまいそうになります。
いったいあなたたちは何をするつもりなのかと毅然として言えればいいのかもしれませんが、とてもじゃないですがそんなことは言えません。
わたしより先に、ピノークさんを蹴って魔法陣の上に乗せると、一緒にひとりが転移する。
男の数はあと五人。当然、抵抗できる状況に変わりありません。相手がひとりでさえ、この密室で抵抗できる手立てがなさそうでさえあります。
次に転移魔方陣に乗るのはわたしと両腕を拘束しているふたりのようです。
唯唯諾諾と促されるままに転移魔方陣に乗ると、体をふわっと持ち上げるような浮遊感。
転移魔法に特有の感覚に包まれて、場所が切り替わります。
隅にどさどさと資材や壊れた家具の残骸が置かれている小部屋です。かつての物置倉庫、今は空き部屋という感じの場所。埃っぽい空気。
転移魔方陣は距離を飛ぶ際、距離に応じて対象の魔力も消費します。ですが、転移で魔力が持っていかれた感じはあまりしません。湖そばの喫茶店、あのお店からはそう離れた場所ではなさそうです。
静かです。表通りのすぐ傍というわけでもないのか、防音の施された場所なのか。
転移魔方陣からどくと、後から残りの男の人たちもやってくる。一人足りませんが、現地に残ったのでしょうか。
彼らは言葉は交わさず、目配せをして部屋を出る。拘束されたわたしも後に続くことになります。
廊下。まるでホテルのように通路がすっと伸びて、先に入口が見えます。民家の家の作りではありません。もしかしたら、うらぶれた古い寮なのかもしれません。空気がよどんでいる。人は住んでいるけれど、生活臭が薄い。
わたしは入口の側に連れていかれます。他の三人はピノークさんを引きずりながら奥の方へと去っていく。
入口の脇はドアはなく、屋内車庫になっているようです。無個性を追求したかのようなデザインの魔道馬車が止まっていて、運転席のところでひとりの男性がタバコを吸ってわたしたちを待っていました。
入ってきた姿を見ると、嬉しそうにタバコを潰してこちらにやってくる。
「おっ、首尾は上々ですか、隊長」
「ああ。計画通り、出発する。卿に合図を送っておけ」
「はいよ」
その人はしげしげとわたしの顔を覗き込むと、口の端に酷薄そうな微笑みを浮かべて離れていく。壁際にある通信用の魔法陣に何やら打ち込んでいる様子です。
ここからまた、どこかに移動させられるようです。わたしは馬車に乗せられる。体の震えは止まらなくて、馬車に上るタラップを踏み外しそうになる。心臓をぐっと握られているような気分です。わたしの意識は果てしなく、こんな状況でも現実感が湧いてこない。
馬車の中も簡素な内装です。
さすがに握られていた腕は離されます。が、後ろ手にされて手を拘束される。足は馬車の中の留め具にくくられます。ゴムの塊を噛まされる。
口の中がいつの間にかからからに乾いていたようで、何度もせき込んでしまいますが、特に何も言われません。それが、たまらなく怖い。
「我々の安全のため、しばらくの間我慢をしていただきたい。おい、行くぞ」
カダさんが御者席に声を掛けると、馬車が動き出す。
窓のところは布が貼られているので、外の様子は見えません。揺れはあまりないので、裏道などを通っているわけでもないようです。ですがそれにしては、物音があまり聞こえてこない。防音がされているのでしょう。
ずっと体をこわばらせているので、だんだん身がきしんでくる感じもします。ですがそれすら、今は気にならない。
ゴムを噛んでいる口の端から唾が流れてくる。男の人の片方が下心のありそうな素振りでそれを拭おうとしてきますが、カダさんにたしなめられて手を引っ込める。
特に見るものもない馬車の中。わたしは、自分に視線が注がれているのを感じる。
いっそ消えてしまいたいと思って身を縮ませます。顔を伏せて、制服のスカートの上でぎゅっと握られた自分の拳を見つめます。
ついさっきまでユウさんやチサさんと一緒に笑いながら歩いていたことが、まるで夢のようです。
「しかし、静かなもんですね、この子。震えちゃって、可愛いもんだ」
「元々、荒事とは無縁の娘だ。そういうものだろう」
「ですが、魔物狩りの話とか聞くともっと好戦的だと思ってたんですけどね。ま、俺としては楽でいいですよ」
わたしは目を伏せてじっと黙っているしかありません。自分が話題に出されることすら怖い。
伏せった顔に沿ってずるずると唾が流れる。まるで涙みたいだな、とぼんやりと思う。
そんな内心を知ってから知らずか、男の人はわたしの方をみてべらべらと喋り続ける。
「やっぱりこういう女の子が相手の時は仕事に張りが出ますね。あのお方に手を出すなって言われているのが辛いですよ」
「指示があろうとなかろうと、手出しは許さないがな。単なる娘ではない。新薬のことも知っているだろう」
「まあそうですけど、新薬って、あれまぐれでしょ? やけに重く見ている感じはしますけど、単なる学生でしょ今は」
「上が何を考えているかは知らんがな。ユウ・フタバを呼び出す時にこの娘に会わせることになる。危害を加える選択肢はない。卿にも、穏便に事を済ませて送り届けろと言われているしな」
「穏便?」
「精神状態が重要だそうだ。我々に過度に恐怖を抱いている状態だと、術の効きにも影響するそうだ」
「つっても隊長、もうずいぶん俺らを怖がってるみたいですけど?」
「お前らがあの学生をいたぶるせいではないのか。あれは不要だった」
「いやいや、あいつがこの子に手を出しそうだったから守ってやったんでしょ。不可抗力ですよ」
わたしが横にいるというのに、傍若無人というくらいにあけすけに言葉をかわす。
もちろん何でもかんでも話しているわけでもありませんが、彼らの言葉の端々から、わたしという存在をかなり軽く見ている感じがします。
やっぱり、目的はわたしではなくてユウさんなのでしょう。ユウさんを無抵抗に呼び出すために、わたしはちょうどいい存在なのかもしれません。
こういうことがないように生活には気を付けていたつもりでしたが、後悔してももう遅い。
地獄のような密室空間で揺られることしばし。
馬車は目的地に到着したようで止まり、入口に階段が渡される音がする。
「さて、行きますよ」
足の拘束を外され、馬車の外に出る。
そこは広さのある屋内車庫でした。
照明はわずかに灯っているのみですが中を見回すには十分です。片隅に何台か馬車がある他は閑散としています。十台くらい停められそうな広い空間です。単なる民家の車庫ではありません。
ここに着く直前、下り坂を降りているようでした。地下駐車場でしょう。
ですが内装は単なる駐車場ではありません。壁面には彫刻とフレスコ画が配されており、重厚な雰囲気が漂ってきます。まるで、教会のような内装にさえ思えます。
「お待ちしておりました」
馬車を降りた先に、ひとりの女性が待っていました。
ふわりをウェーブをした長い銀髪。物憂げな眼差し。優しげな瞳。思わず息を呑むような美女でした。
わたしと同じか、少し年上というくらいでしょうか。
「うお、マジか」
小さな声で、傍らの人も声を上げている。多分、有名な人なのでしょう。これだけの美貌があればそれもそうかもしれません。
彼女は簡素ながらも品のいいドレスを着て、しゃんとした姿でわたしたちをで迎えてくれる。
カダさんの方はその美しさに反応せず、淡々と言葉を交わす。
「我々からの連絡は届いているでしょうか」
「承っております」
「施術について、準備は?」
「少々お待ちいただくことになりますが……」
彼女はそこで言葉を濁して、わたしに視線を向ける。ほんの少し、逡巡するような様子を見せた後に傍に寄ってくる。
香水でしょうか、彼女からはほのかに花の香りがする。
「ユイリ先輩、失礼いたします」
彼女はわたしに声を掛けると、手元からハンカチを出して優しい手つきでわたしの口元を拭ってくれた。労わりを感じる手つきでした。
わたしのことを先輩と呼んだ?
知り合い、いえ、それはないですね。一年生か二年生か、学園生なのでしょう。
彼女は痛ましい様子でわたしの顔を見て、その視線をカダさんに移す。
「せめて、口の拘束を外すことはできませんか?」
「……そうだな、ここまでくれば声の心配もいらないだろう」
彼女の申し出は承知されて、口に噛んでいたゴムが外される。
でろりとよだれが糸を引きますが、すかさずハンカチで拭われて、見目好く整えてくれます。
「あ……」
ずいぶん久し振りに、口を開くような気がします。
「ありがとうございます」
十年ぶりくらいに喋ったような気分です。どうしても声がかすれてしまいますが、何とかそう言う。
その言葉に、彼女はにっこりと笑う。
「用意ができるまで少々お待ちいただくことになりますが、部屋を用意しております。こちらへどうぞ」
そう言うと、歩き始める。楚々とした歩みと共に、長いドレスの裾がふわりと揺れた。
付いて行けと促されて、わたしも歩き出す。今度は腕を拘束されることはありませんでした。
後ろ手にされているからか、この場まで来てしまうともう逃げだす可能性さえないからなのか、それはよくわかりません。触れられているよりはマシですが、これから何が起こるのか、恐ろしげな予感がぞわぞわとせりあがってくる。
わたしの後ろに、足音はひとつ。カダさんだけ。残りの人はこの場に留まるようです。
いくつかある扉のひとつをくぐる。待合室らしき机と椅子のある部屋。象牙や毛皮の飾られた部屋。どうやら廊下はなくて部屋と部屋が繋がる作りになっているようで、建築様式としてはかなり時代がかっています。こんな場所が学園にあったなんて知りませんでした。おそらく、表に出てこないような施設なのでしょうが。
いくつかの部屋を行き過ぎて、待合室と思しき部屋にたどり着く。同じような造りの部屋は先ほども通りましたが、また別の待合室です。
壁際に椅子が並び、中央に大きな机があります。なんだか、立食パーティの会場にも似ています。
机の上には、大きな花瓶にも見えるオブジェが置いてあるだけです。揺らめく火焔みたいに見えるガラスのオブジェで、中にひとつ、ピンク色の光源が置かれて複雑に輝いています。光源がこれだけならばぎらついた感じでもしますが、室内自体も十分明るいのでそこまでいやらしい感じはありません。
「教主様のご用意が整うまで、お待ちください」
頭を上げると、少女は先の部屋へと去っていく。わたしとカダさんだけが残されました。
彼は何を言うでもなくじっと黙っています。わたしも椅子に座ってくつろぐなどという選択肢はなく、机の傍でぼうっとオブジェを眺めて時間が過ぎるのを待ちました。
いったいここに何をしにきて、彼らの目的がなんで、これからどうなってしまうのか。すべてが皆目見当がつきません。
捕らえられて、連行されて、この後には何が起こるのでしょうか。
わたしは故郷の家族を思い出します。父の死後、神経衰弱ぎみな母。妹や、弟たち。
もう家族には会えないのかもしれないな、と思う。
わたしは学園の友人を思い出します。寮の友達。錬金術科のクラスメート。クラブのみなさん。チサさん。
そしてユウさん。
「……」
わたしはここで死ぬのでしょうか。
なんとか生き抜かなければなりませんが、ですが、なにをすればいいのかもよくわからない。
怒りと諦念が練りあわされて、わたしの心はざわめくだけです。
よくわからない。今の気持ちを説明するならば、そう言うしかありません。すべてが煙った感情です。
そうやって呆然としていて、どれくらいの時間が経ったでしょうか。
奥の扉が開いて、先ほどの美少女が再び姿を現す。
「準備が整いましたので、どうぞお越しください」
この後に何がわたしを待ち構えているのか、知りたくなんてありません。彼女の言葉を拒絶してしまいたくなる。
ですけれど、従う以外にすることもありません。
わたしはまるで、呼ばれるのを待っていたかのように顔を上げ、彼女の傍に寄っていく。
歩き出す彼女の後に続いて、奥へと進んでいきます。
「あれ……」
微かに香る匂いに、わたしは足を止める。
鼻の奥に残るような甘い匂い。わたしも知っている匂いです。しかしそれは、単なる香水とか香料の匂いではありません。
それは、医薬品として取り扱うこともある、麻薬の香りでした。
「……」
少しは落ち着いてきた心の底が、再びざわめく。
思わず後ろを振り返り、付いてくるカダさんを見やると、彼は青白い草を口元に運んでいるところでした。わたしと目が合うと、早く行けというように前を促す。
「……」
前を向く。足を止めたわたしを振り返り、薄く笑う美少女と目が合う。
先ほどまでは優しい表情にも見えましたが、この状況にそんな表情で加担している時点で、まともではないだろうと今さらながらに気付きます。
心臓が、どきどきと張り裂けそうになる。
顔を伏せてわたしは歩く。
先ほどカダさんが噛んでいた草は見覚えのあるものでした。
ハネモネイグサ。
麻薬の効きを弱める成分を持つ薬草です。煮汁でうがいをしたり鼻の粘膜に塗って使用しますが、噛んでもそれなりに効き目があると言われています。
そんなものを服用しているのだから、これから先に待ち受けるものはどういった類のものか、想像がつきます。
黒魔術。
死体利用、呪いや洗脳など、違法・不道徳な魔法の総称ですが、今回の場合は……
そんなことを考えていると前を歩く足音が止まり、わたしは伏せていた顔を上げる。
どうやら、目的の部屋に着いたようです。目の前にある大きな扉。扉全体に植物のツタのような模様が彫り込まれていて、他の扉よりも重厚で豪華な印象があります。
手前を歩く美少女が扉を開けると、中からむわっとした甘い匂いが溢れてくる。
陶然としたような表情の少女が振り返る。口の端がくっきりと浮き上がり、こらえきれない喜びを抑えているような表情にも見える。
「こちらへどうぞ」
「……」
動けない。
わたしは室内を見ます。香が焚いてあるのか、煙が満ちています。そして暗い。室内を見通すことができません。
闇の中に、なにが待ち受けているのか知れません。
「先へ進むんだ」
後ろから声を掛けられる。有無を言わさぬ口調でした。
わたしは浅く息をつく。足が動かない。
「中に入れ」
すぐ横に並んだカダさんに見下ろされ、声を掛けられる。声自体に重さが込められているような口調でした。
わたしは横目に彼の表情を見る。そこには何の感情も浮かんでいませんでした。
「……」
頭の奥が痺れる。言われるがままに、足を踏み出す。
カーペット敷きの床なので、音はしない。さっきまで石造りの床だったのに、いつの間にかカーペットに代わっています。顔を伏せて歩いていたのに、わたしはそんなことにも気が付かなかったようです。
歩く。
揺れるような足取りで、闇と煙の部屋を進む。
さっきまで扉の前であふれる煙と甘い匂いを嗅いでいたのに、室内は一層煮しめたようにそれが濃い。
わたしに続いて後ろから二人が続く物音がして、扉が締められました。
暗闇。静寂。
畏教の挿話のひとつに虚無の地という世界のはざまの概念がありますが、それを思い出させるような空間でした。
濃密に、ただ無が詰め込まれているような感覚です。
立っているのかもわからないし、目を開けているかも判別しません。それくらいに、深い闇です。嗅ぎ慣れることのない濃密な匂いが、頭の奥を痺れさせていく。
呆然としていると、目の前で火が灯る。ひとりの青年が手前の机にある燭台に明かりをつけたようです。
煙の立ち込めた室内が、少しは見通せるようになりました。
あまり大きな部屋ではありません。
奥に机があり、そこにひとり腰掛けてこちらを見つめています。でっぷりと太ったシルエット。目だけの覗く黒頭巾を被っているので性別はわかりませんが……大柄ですので、男性でしょうか。
その横に立つ、明かりをともした青年がひとり。神父さんのようなローブを羽織っていますが、色は黒色。涼しげな顔立ちの、息を呑むくらいの美青年です。
わたしを案内してくれた美少女が美青年の隣に移動する。ふたりが並ぶと、非現実的なくらいの組み合わせです。神話に出てくる双子の天使みたい。
カダさんは扉の手前に陣取っている雰囲気で、今この狭い室内にいるのは五人。
わたし、黒頭巾、美少女&美青年、カダさん。
後ろに陣取っていたカダさんが音もなく近寄り、後ろ手にしていた両手の拘束を解く。久しぶりに両手が自由になりますが、呑気に伸びなどする余裕はありません。
「書見台に手を付きなさい」
黒頭巾が口を開く。男性の声です。
わたしはびくりと肩を震わせる。
これから何かが始まろうとしています。
「前に進みなさい」
「……」
わたしは言われるがままに、歩く。
すぐ手前には書見台が立てられていることに気が付きました。
ですがその上には本などは乗っておらず、魔法陣が描かれていました。魔法陣魔法はあまり詳しくありませんが、見たことのない模様です。何を目的としてつくられた魔法陣なのか、よくわからない。
ですがわたしは、躊躇もせずにそこに手を付く。
魔法陣が鈍く輝く。
なんだか感覚が麻痺してしまったような感じです。
体が痺れてしまったように、心の一部も止まったような感じです。宙に浮かんでもう一人の自分を眺めているような気分になってきました。すううっと危機感が薄れていく。
頭の端で、まずいなあとぼんやり思う。
これは麻薬の作用です。思考力が低下しているのが自分でもわかるのですが、そこから抜け出す気概が湧かない。
「こちらを見なさい」
「……はい」
言われるがまま、黒頭巾と目を合わせる。
彼の瞳は金色と黒色が混ぜこぜになっていて、夜にたなびく雲のように揺れています。
刻々と色の変わる瞳。特殊な瞳。
そんな目を、わたしは前にも見たことがあります。
……魔眼です。
魔眼持ちに会うのはクローディア先輩に続いて二人目です。魔女の目とも呼ばれて、精神感応系の魔法に秀でると言われている異能。
それを見て、異常な様子の際立ったピノークさんを思い出す。まるで人格が変わったかのような印象がありました。
精神感応系の魔法、それはつまりは、洗脳魔法とも言い換えて差し支えありません。
忘我の状態に追いやるような麻薬の匂い。謎の魔法陣。今の状況のすべてが腑に落ちてくる。
でもそれは、まるで遠雷のように思えてしまい、わたしの危機感は奮い立ちませんでした。
「私のことは古い友人だと思ってくれればいい。信頼できる、なんでも話せる、友人だ。君に聞きたいことがあるから、すべて正直に答えてほしい」
「わかりました」
わたしはお友達にそう答える。
……ん?
うん、そうですね。なにがそうなのかはわかりませんが、うん、そうですね。
頭の中がふわふわしてきて、なんだか楽しい気分になってきます。
「君の名前は?」
「ユイリ・アマリアスです」
「出身は?」
「フォス王国、ピッテントです」
頭と口があべこべに動いている。よどみなく質問に答えている自分を遠くから見ているような気分です。
こうして悠長に質問に答えている場合じゃないんだけどなあ、という気持ちがあるのに、その感情はどこかふわふわとしてしまい、一定の形になりません。
「ユウ・フタバとはどんな関係なのかな?」
「お世話係ということになっています。週に一度、行動の所見を学園の事務局に送付しています」
「彼の身の上は知っているのか?」
「校長候補生だということを聞いて今の役目に付きましたが、具体的には知りません。出身はイリヤ=エミール帝国の方だと聞きました」
「ほぅ、誰に聞いた?」
「ホタル・ビャクレンジさんというユウさんの同郷の方です」
尋ねられるままにぽろぽろと言葉を紡いでいく。
これまで口外したことのない情報も多いのですが、なんとなくまずいなあという気分になる。
そんなわたしの表情を察したのでしょう、親しい友人……黒頭巾の彼は、目じりを優しく下げて見せた。
「こういったことを話しても、今は機密の漏洩には当たらないから、安心しなさい」
「ああ、そうなんですね。わかりました」
どうやら、そのようです。
わたしは安心して、知っていることを話すことにします。
自分の身の上、ユウさんの事情。
劣等生だったわたしが当時の担当教授に進級できないかと相談を持ち掛けて、その結果副業をこなすことで三年生になることが許されました。それがユウさんのお目付け役です。
彼は直接干渉魔法という類まれな特殊技能を持ち、おまけに校長候補生という肩書きまで持っていました。副校長をはじめとしたお歴々との会談を経ていますが、結局のところ今まで、わたしはユウさんがいったい何者なのか、よく知りません。
「彼の力を貸してほしいのだが、説得をしてもらえないだろうか」
「それがユウさんのためになるならば、構いません」
ぺらぺらとユウさんの身の上を人に話すことができないので誰にも言ってこなかったのですが、わたし個人ではやはりできることは限られています。
学年も性別も違いますし、別にユウさんのことを見てあげられる人がいるといいなあとは思っています。
協力者。黒頭巾さんが一緒に力になってくれるのならば、お互いに助け合っていければいいなあという気もします。うん。
「……この学園の守護結界を破壊しようと考えているのだ」
「ユウさんの力で? そういうことでしたら、説得はできませんよ。トラブル以前に、それじゃ捕まっちゃいますよ?」
「たしかに厄介ごとにはなるかもしれない。だが、君はそう言うが、これは彼のためになることでもあるんだ。君を捕らえた彼らは、ユウ・フタバと同じなんだよ」
「同じって……みなさんも校長候補生?」
ユウさんの他に校長候補生と呼ばれる人がいるとは知りませんでしたが、そう言うのならばそうなのでしょう。
わたしの疑問に、黒頭巾さんは頷く。
「彼らも君が世話すべき同士。血を分け合った家族のような存在だ。だから君は、ユウ・フタバと同じように彼らにも協力する必要があるんだ」
「……そうなんですか?」
「それが君にとっても、周囲にとっても幸福となる」
「なるほど。そういうことなら、わかりました」
どうやら、そのようです。
「君はユウ・フタバに対してどんな態度で接している?」
「できるだけ自然に接しようと思っています。わたしは弟が増えたみたいに接するように心がけています」
「ここに来るまで一緒にいた男たちも同様だ。同じように協力し、助け合うべき存在だ」
「はい」
「同じ校長候補生だから」
「ええと……はい」
「君は力が及ぶ限り、ここにいる彼やその仲間に協力する。その全ては正しいことだ」
わたしは頷こうとして、それでもどこか引っ掛かりを覚えます。
「ええと、それで結界を壊すのは……大丈夫なんでしょうか?」
「大丈夫だ。問題ない」
「あ……あ……」
頭の中がこんがらがってきます。わたしは頭を抱える。
あれ? わたしはなにを考えているのでしょうか?
いろいろな考えがぶつかり合って、頭の中がぐちゃぐちゃになってきます。
そんな様子を息を呑んで他のみなさんが見守っている感じがするけれど、それについてどうという感懐も湧いてこない。
ユウさんはわたしがお世話すべき人で、身内で仲間で、でもカダさんはその力を利用しようとする悪い人ではなくて、むしろユウさんと同じ立場の人でわたしにとっては味方になるべく人である? 学園に害為すことは問題ないのでしょうか?
うん?
わたしはどうやって振舞えばいいのでしょうか?
「君はユウ・フタバの味方をしてあげるように、彼らの味方もしてあげないといけない」
「あ……」
彼はじっとわたしを見つめる。彼の揺れる瞳がすうっと胸にしみる。
書見台に置いた手がじんじんと、わたしの体を芯から温める。のぼせたように色々な気持ちが吹き飛んで、最後には多幸感にも似た気持ちが残りました。
なんでしょう、頭の中のどこか奥の方でブレーキがかかっていたのが、次第にほどけていくような感覚です。
わたしは心を決める。
黒頭巾さんに向けて、わたしは拳を握ってみせる。
「あ、あ……」
「……」
「あたい、やるよっ!」
わたしが叫ぶと、黒頭巾さんが一瞬ビクッと肩を震わせた。
うん、さっきまで頭を抱えて思い悩んでいた様子から激変したので、驚かせてしまったようです。
「……たしかにその通りです」
たしかに。それがわたしの役目だということに気が付きました。
この学園の結界を破り、洋々たる前途を開くのがわたしの使命です。そして同様に、ユウさんはじめ仲間のみなさんのお世話をすることも、同様にわたしに課せられた使命なんです。
ぱあああっと目の前の霧が晴れたような気分です。いえまあ、この部屋の中は相変わらず煙くてしょうがないですが。
「卿、我々と彼女との間の関係ですが……」
カダさんが後ろでなんか文句を言っています。
「仕方がない。私の能力も、すべての認識を覆すことはできない。捻じ曲げ、増幅することができるだけだ。今、彼女はお前たちに協力してくれると言った。それは心底から協力してくれるだろう」
「そうですよカダさん、そんな不満そうな顔しないでくださいよ。百人力とは言いませんけど、わたし一人力です。できることはがんばりますよ?」
振り返ってカダさんにそう言ってあげると、困ったような顔をこちらに向けていた。
なんだかそんな表情はおかしくて、わたしはくすくすと笑う。
「ユウ・フタバのことを真っ向から害するようなことをすればこの娘も妨害するだろう。その新入生のことを慮っている気持ちは真実のようだな。そこを変えることはできん。だから、お前らも彼と同じような存在だと認識している。この方面からなら、娘の倫理観も突破できるようだな。よほど、今の自分の使命に責任感を感じているのだろう」
「……承知しました」
「あ、ユウさんだけじゃないですよ。カダさんのことも大事に思っていますよ? 大丈夫ですよ?」
「……」
フォローして言ってあげると、苦み走った顔でわたしの方を見てくる。
恥ずかしがっているのでしょうか。わたしはくすくすと笑う。
「しかし……何も知らない娘だったな。学園側もこうなる危険を考えて、何も知らせていないのだろうが」
黒頭巾さんがぼやく。
「すみません。わたしの方も、上層部の方々には色々聞きづらいこともありまして」
「元々ユウ・フタバは世話人などもなく学園に入る予定のようでしたが、直前になって彼女が選ばれたようです」
「直接干渉魔法の使い手を放置しておくのが怖くなったか、例の新薬を作った娘が惜しくなったのか。特殊砲台、ジル・エレフガルド。なにを考えているのかわからない婆だ」
「わたしも謎なんですよね。あれ以来副校長から接触もないですし、いつも送っている週報も読んでくれているのかもよくわからないですよ。そうはいっても、いちいち読んだよーって返事するのも変ですけど」
「……この娘とユウ・フタバがこうも信頼関係を結ぶことになるというのは意外だっただろうな」
「はい。我々としてはそのおかげでユウ・フタバに対する手札として使えますので、悪いことではありませんが」
「たしかにユウさんは放っておいたら大変だったかもしれません。ユウさんにもやっと一緒に行動するような子ができたんですけど、仲良しってわけじゃなくて、ちゃんとしたといいますか、同性のお友達ができたらなって思っているんですよね。仲良くしてくれるかなって思っているクラスメートの人がいるんですけど、なかなかうまくいかなくてですね……」
「少し黙っていてくれないか」
「うるさいぞ」
「……」
怒られてしまい、わたしは口を閉じる。
なんだかふたりが息ぴったりで、なんとなくくすくすと笑ってしまいます。
カダさんがそんな様子を薄気味悪そうに眺めてくる。ですが、気を取り直したように黒頭巾さんに向けて頭を下げます。
「……本日は、卿のお力を賜りまして、感謝いたします。我々の力では、彼女の助力をここまで引き出すことは叶わなかったでしょう」
「なに、その分の謝礼はもらっている。君たちの正念場はこれからだろうからな、私も望む結果になることを祈っているよ」
「命に代えましても、ご期待に添えますよう努めます」
「ああ。おい、送って行ってやれ」
「はい」
黒頭巾さんの横で控えていた美少女が再びこちらに寄ってきて、扉を開ける。
どうやら、会談は終了のようです。
「あの、お世話になりました。わたしがこう言うのもなんですけれど、この子もお世話になっているみたいで、また機会がありましたら、どうぞよろしくお願いします。ほらカダさん、ありがとうございますしましょうか」
カダさんを引っ張ってきて頭を下げさせる。
「ん? なんか髪の毛脂ぎってません? 洗髪最近してますか? サボってません?」
「やめろ」
「あ、そうですね、その話は後で。ありがとうございました」
「…………卿、感謝いたします」
うん、カダさんもちゃんと挨拶できましたね。
「私の魔法の効きは二日か三日というところだ。この娘は抵抗力が低いから三日は大丈夫だろうが、違和感を覚えたら再度連れてきなさい」
「はい、そのようにいたします」
「ん? わたしですか? それでは、その時はまたお世話になりますね」
にこにこ笑って愛想よく見えるようにそう言ってあげることにする。カダさんが愛想ないし生きてる死人みたいな表情の人ですので、こういう時はわたしがフォローしてあげないといけないでしょう。
黒頭巾さんと美青年と美少女、他の三人はうつむいてちょっと肩を揺らしていました。なにか面白いことを言ったでしょうか。
「それでは、行きましょうか」
気を取り直した様子の美少女に促されて、わたしたちはもう一度お礼を言って部屋を出ます。
先ほどまで立ち込めていた匂いと煙から解放されて、やっと一息つける気分です。
「なんだか疲れちゃいましたね」
「……」
んー、と伸びをしてわたしは素朴な感想を漏らす。ここに来る道中は伸びなんてできなかったので、なんだか爽快感があります。
気分よく笑うわたしを他所に、カダさんはなんだかものすごく肩を落としていました。
「あれ? どうしましたか? 大丈夫ですか?」
「……」
放っておいてくれ、というように手を振ってくる。
んー、今は放っておいてあげる方がいいのでしょうか。
「先ほどの馬車までご案内いたします」
そう言って進む美少女の後ろをついていく。
なんだか、生まれ変わったような気分です。ここに来るときはすごく落ち込んでいたような気がするのですが、それがどうしてだったのか、よく思い出せません。
うーん、大事なことだったような、そうでもないような。
まあ、大事なことならばいざという時にまた思い出すでしょう。
「あなたも学園生なんですか?」
来る時はうまく話せなかった美少女に雑談を振ります。
彼女の隣に並ぶと、はっとするというかぎょっとするような美しさです。妖精のような非現実めいた美しさです。
「はい、二年生です」
「そうなんですね、なんだかわたしよりも大人っぽい感じがしますから、最初は先輩かと思っちゃいました。お名前をうかがってもいいですか?」
「ええと……」
そう聞くと、困ったように眉を顰める。
「申し訳ありません、名乗ることは許されておりませんので」
「あ、そうなんですか」
「ですが、月光とお呼びください」
「おー、カッコいいですね」
「ふふ、通称ですわ」
カダさんは元気がなくて使い物にならなさそうなので、行く道々、美少女……月光さんと話をして暇をつぶす。
ここがどこなのかとか、月光さんがどこの学部なのかとか、どうやら話せないことも多そうでした。ですが学園の噂話やこの施設の上等な普請のことを話すと、楽しそうにくすくすと笑ってくれる。いい子です。
なんだか箱入り娘的な感じがしますね。
言うなれば、今日会ったセレスティン王女に似ている感じがします。貴族的な優美さが自然に身に付いている美少女。うん、同じ路線でしょう。
「王女様に似ているなんて……畏れ多いですわ」
「いえそれが、本当に似ているんですよ、あ、もう着いちゃいましたね」
行きは永遠にも思えた距離でしたが、帰りはあっという間でした。駐車場に帰ってくる。
がらんとした空間に、ぽつんとわたしたちの乗ってきた魔道馬車が止まっています。
なんだか、広い空間に一台だけとまっていると、いじらしい飼い犬みたいに見えますね。
御者台のところに行きの時に同道したふたりが退屈そうに待っていました。
思い返せば、来る時わたしはあのふたりにもそっけない態度をとってしまっていたような気がしてしまい、反省します。
「お待たせしました。すみません、時間がかかっちゃいまして」
とことこと近づき、声を掛けるとふたりは感心したようにわたしの方を見やります。
「すごいですね、隊長。行きとはえらい違いだ。さすがは魔眼、やべぇな」
「俺絶対直接会いたくはないな」
こそこそと言葉をかわす。どうやら、仲良しみたいですね。
「それじゃ、行きますか」
わたしたちにそう言いながら、男の人の視線は月光さんの方に向かっています。最後に目の保養で見ておきたいのでしょう。
たしかに目をむくほどの美少女ですから、その気持ちはわかります。わたしも最後に彼女を見ると、にっこりと愛想よく笑って見送ってくれる。
「へへ」
馬車に乗り込もうとした時に、行きで一緒になった男の人がわたしの手を乱暴に掴もうとしてくる。行きの時はしばらく腕を握っていたので、その時同様にしようという様子。
む、と思い、わたしはぱしんとその手を弾いた。
「え、ちょ、なにしやがるっ」
一瞬呆気にとられた顔ではたかれた手を見やった男の人が息せき切って叫びだしますが、わたしはそれ以上の声で封殺します。
「なにしやがるって言うのはこっちのセリフですっ!」
「……」
「女の子に乱暴しちゃいけませんっ!!」
「……」
わたしが叱りつけると、男の人は絶句して、カダさんはため息をついて、遠目に見送る月光さんは堪えきれないかのように笑っていました。
「ああ、この娘の言うとおりだな。乱暴は良くないな」
「た、隊長?」
「そうするしかないだろう、後で説明するが……」
「さあ、それじゃあ行きましょうかっ」
「え、ええー……?」
ともかく、わたしたちは心機一転、再び馬車に乗り込むことになったのでした。




