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魔法学園へようこそ!  作者: cymbal
第3章 殲滅魔術師
40/42

降り出した雨

「こ、こんにちは~……」


 作業場の椅子に掛けてぼんやりとしていると、おどおどしたような声が聞こえてくる。

 顔を上げると、仕切りのカーテンを開けてユウさんとチサさんがやってきました。いつの間にか、新入生の授業が終わるような時刻になっていたようです。

 湖で魔力の出力の調整作業をする前にここに寄ったのでしょう。クローディアとアイシャ先輩がふたりに挨拶を返していますが、わたしは頭の奥がずきずきしていて、会話に乗り遅れてしまう。


「なにしているんだ?」

「あ、こんにちは」


 精緻な出来の不死鳥の山車にちらりと視線をやったユウさんが、それに特にコメントをするでもなくわたしの傍に寄ってくる。

 わたしはテーブルに肘を付けてくったりしていましたが、顔を上げて眼前に垂れた髪の毛を整えます。


「魔法陣の動作確認で魔力を使いすぎちゃいまして。それで今休憩中です。さっきポーション飲んだので、大丈夫ですよ」


 お手伝いをしていて疲れたので、休憩中です。正直あんまり作業は進まなかったような気がします。ないよりはマシだったでしょうけど。わたしはあんまり魔力の総量が多い方ではないので、なかなか役に立てないですね。

 先輩方はあんまり無理しないでいいよと言ってくれたのですが、ついつい頑張りすぎてしまいました。

 ポーションは飲みましたが効きが速いものではないので、回復まではもうちょっとかかりそうです。


「……ユイリ先輩、調子悪いですかっ?」


 向こうの方で挨拶していたチサさんがぱたぱたと寄ってくる。心配そうにわたしを見つめる眼差しに笑顔を返します。


「いえ、いえ。疲れただけです。体調は平気ですよ」

「これくらいなら、魔力の枯渇というほどではないな。放っておいても治るだろ」

「そうですか、ならいいんですけど」


 不安そうにわたしを見つめるチサさん。彼女は魔力欠乏という症状になったことないでしょうから、余計に辛そうに見えるのかもしれません。

 ついついぼんやりしてしまうわたしの様子をユウさんがじっと見つめて、やがて口を開く。


「ちょっと手を貸せ」

「はい?」


 机の上にぽんと置かれたわたしの手をとるユウさん。

 いきなり男の子から手を握られるとどぎまぎしそうなものですが、相手がユウさんなのでそこまででもありません。わたしはちょっとだけ笑いながら、軽口を言うことにします。


「どうかしましたか? 寂しくなっちゃいましたか?」

「寂しくなってないし、それでお前の手なんて握るか。おい、おまえも手を貸せ」

「え、私? うん、いいけど……」


 チサさんにも声をかけ、ユウさんはチサさんの手も握る。


「ユウくん?」

「ユウさん、どうかしたんですか?」

「少し黙ってろ。試してみたいことがある」


 ユウさんはそう言うと、念じるように瞳を閉じた。

 ……両手に女の子の手を握って試すことなんてあるのでしょうか?

 かなり疑問ですが、ユウさんは真剣な表情です。黙って見守ることにします。

 チサさんも困惑したような表情ですが、言われるがまま手を預けています。


 こうしてユウさんとチサさんが手を繋いでいる様をみると、最近湖上で試しているという魔力の放出を思い出します。チサさんの膨大な魔力を吸い上げ、土地に流す作業。

 それは、こんな感じに手を繋いで行う作業なのでしょう。チサさんなんかは男の子と手を繋ぐというとかなり過敏に反応しそうなタイプですが、毎日こうしているからでしょう、特に居心地悪そうというほどの印象でもありません。

 でもなんだか、意外に仲が良さそうな感じもして、少しおかしい。ほのぼのとする光景ですね。


「……あれ?」


 しばらくそのままでいて、わたしとチサさんが同時に声をあげた。

 ぐん、ぐんと加速度的に魔力が補充されていく感じがします。魔力欠乏の症状の片頭痛が急速に治まっていきます。一気に満タンになる感じではありませんが、明らかに自然回復を超えるペースです。

 ぼんやりとしていた頭の中の霧が晴れていくような感覚。魔力が補充されている。


 どこから? それは、明らかでしょう。


「どうだ? 少しは楽になったか?」


 目を開けて、握った手はそのままにユウさんが尋ねる。

 わたしはいきなりのことにうまく反応できなくて、こくこくと頷く。


 今、ユウさんがわたしに魔力を流し込んだのでしょうか? チサさんから魔力をもらい、そのまま横流しをしたような様子でした。

 魔力は大気中から吸収され、徐々に回復するものです。人の魔力は肌呼吸、などとも言われます。ポーションなどはありますが、その効能は大気中の魔力の吸収効率を上げるためのものです。

 人から人に魔力を移すなんて技術、わたしは知りません。これもユウさんの直接干渉の能力のひとつでしょうか。


「ユウさん……こんなこと、できましたっけ?」

「最近こいつの魔力を抜き取ることが多かったからな。その応用でできるような気がした」


 たしかに、チサさんから魔力を吸い上げているのであれば、別の人間にその魔力を動かすのもできると考えるのかもしれませんが。他者への魔力の急速充填。どう考えても、これまでの魔力回復の常識から外れています。

 今この瞬間、世界に新技術が生まれたのではないでしょうか。

 びっくりするわたしを他所に、ユウさんはクールです。


「できるような気がしたから、今初めてやったんですか?」

「そうだな」

「すごすぎでは?」


 この技術一つで、魔法発表会に殴り込みができるような気さえします。まあ、直接干渉魔法を扱えるユウさんにしかできない技術ではありますが。

 とりあえずクローディア先輩とアイシャ先輩を呼んで、チサさんの魔力をおふたりに補充してもらう。


「これでまた頑張れそうです」

「ユウくんチサちゃんありがと〜」

「わ、私の魔力がお力になれたらよかったです」


 正念場を迎えている先輩方ですが、これでまだしばらく頑張れるでしょうか。

 というか他のみなさんは、そういうのもあり、というくらいに軽く受け入れていますね……。軽く済ませる話でもないとは思うんですけど……。

 戦慄しているわたしがおかしいのでしょうか。決してそんなことはないと思うのですが。なんとなく、自分の中の常識が正しいのか再確認をしてしまいます。


 とはいえ、いつもでもうんうん唸るわけにもいきませんね。わたしは思い煩うのはひとまずやめて、立ったままのふたりに椅子を勧めます。

 これから湖に赴くにしても、すぐさま取って返すという話でもありません。せっかくですので、ちょっとだけ雑談することにします。

 そんな様子を見てクローディア先輩とアイシャ先輩もいったん休憩にしようと思ったようで、奥に立てかけてある折り畳み椅子を持ち出して小さいテーブルを囲んで小休止。

 わたしの知らないところでも付き合いはあるのでしょう、先輩たちはユウさんやチサさんに軽く冗談など言ってみたりして、少しずつでも関係が深くなっていると感じられるひと時でした。











 歓談することしばし。いつまでもこうしてお喋りをしているわけにもいきませんので、区切りをつけて席を立ちます。


「それじゃ、わたしはおふたりを湖まで送っていきますね」


 ちょっと行って帰ってくるくらいですので、カバンはこの場に置いておきます。

 椅子に引っ掛けておいたマントを掴み、身に着ける。雨が降り出してもおかしくない天気ですし、今日はマントは必須でしょう。わたしの準備はこれだけですね。

 ユウさんたちもカバンはここに置きっぱなしのようです。まあ、これから彼らのやる作業は身一つでできますからね。杖さえ不要です。というかふたりとも杖は持っていませんけれど。


「みんな、いってらっしゃ~い」

「あの、ありがとうございました。行ってきます」

「また戻ってきたら、わたしもお手伝いしますね」

「表も盛り上がっていると思いますから、少し遊んできてもいいですよ。魔力の回復もしてもらいましたし、こっちはしばらく頑張れます」


 挨拶をして、作業場を出ます。

 半地下の駐車場から外へと出る坂道を上りながら考えるのは、わたしにしてくれた魔力の急速充填のこと。


「ユウさんの魔法も、元から特殊ではありましたけどレベルアップしているんですね。どんどん、できることが増えている気がします」


 直接干渉魔法というのはできることは人によって様々です。ユウさんの能力は、その中でも抜きんでたものなのではないでしょうか。

 直接干渉魔法を使えるのは、天才の中の天才。ユウさんはいわば、天才の中の天才の、その中でも天賦の才に恵まれていると言えるのかもしれません。それは人類の宝とでも言うべきものなのではないかという気がします。ですが、本人は特に気負った様子などはありません。


「やってみると、色々できそうな気はするな。今は吸った魔力を流しているんだが、空気から魔力を吸って流すこともできるような気がする」


 ユウさんは言いながら、手を握り、また広げる動きをする。その手に魔力を集めようとしているような素振りです。

 でもそんなことができたら、それこそ本当にすごい人です。自分の魔力を使わずに魔法が放てるとなれば、無限に魔法を撃てる砲台のようなものでしょう。大量の魔石を使い捨てている現代兵器すらさらっと凌駕する世界最強の人間になってしまいそうです。

 そんなことになったら、その技術はむしろ隠して生きていくほうが幸せになれそうですね。


「それに、前は魔力を抜き取ることだけができたが……特定の魔力だけを抜くこともできるような気がする」

「さ、才能底なしでは?」


 ユウさんの直接干渉の能力は、普段はあまり使っていません。ですがここ最近は毎日毎日その能力を使用していて、技能が磨かれているのかもしれません。

 なんだか、普段は横にいる彼が遠く感じてしまいます。いえまあ、元々実は、遠い存在であることをわたしが認識できていないのかもしれないのですけれど。

 でも、そう感じてしまう自分が癪で、いつもみたいに相手してあげようと思いなおす。


「いい子いい子してあげましょうか?」

「いらないから」

「……私もっ」


 ユウさんを誉めそやしていると、チサさんが声をあげる。


「私もユウくんに毎日毎日魔力を吸われて、わかってきたことがあるんです」


 なんだか、対抗でもしているような様子でした。


「今まで魔力を溜め込んだ時に魔法を撃つ場合、暴走して全身から出しちゃう癖があったんですけど、一方向に魔法を撃てるようになってきたんです」

「そうなんですか?」


 チサさんの魔力の暴走を思い出す。クラブ棟で彼女の魔力の暴走を間近で見た時のこと、まるで竜巻の目のように周囲すべてを吹き飛ばした衝撃を。

 あのえげつないくらいの破壊力を秘めた魔力を一方向に向かうように制御するとなると、ちょっとわたしにはできそうもありません。というか、想像もできません。

 チサさんは強大すぎる魔力に振り回されている感の強い女の子ですが、生まれ持った強い力を徐々に御するようになってきているのかもしれません。それだけのことができるならば、十分この子も天才児の一員だなあというような気がします。


「ユウくんが手を繋いで魔力を抜いていくので、手から魔法を出す感覚がわかるようになったんです。まだ、うまくできるかはわからないんですけど……前はどうやって魔法を撃てばいいのかもわからなかったので、その時と比べればうまくできるような気がします」

「気がする? やってはみたんですか?」


 聞いてみると、チサさんは恥ずかしそうに笑った。


「こ、怖くて。やってはないんですけど。でもできそうな気はするんです」

「うん、でも自信がついているのはいいことですね。……いい子いい子してあげましょうか?」

「は、はい、できれば」


 チサさんは可愛いですね。

 撫でてあげると、はにかむように笑っています。


 わたしは頭をなでながら、チサさんの才能について考えてみる。

 彼女の持っている膨大な魔力は、いずれ御せられるようになっていかなければならないものです。

 少しずつ制御する練習をしようとは話しているものの、ここ最近は忙しくって、安全な場所で練習をするような時間などはありませんでした。魔法発表会が終わったら、魔法を撃ち出す実地練習に入りたいものです。

 しかしふたりとも、魔法発表会の準備をこなす中で成長しているようですね。今も研究が足踏みしている状態のわたしとは違って、うれしいやら羨ましいやらという微妙な気持ちですね。今の忙しい時期が過ぎたら、少しは余裕も出てくるでしょう。自分の中和剤の研究も頑張らないとなあ、などと頭の中でぽやぽや思う。

 そう考えながら見上げる空は、曇天。なんだかわたしの研究の先行きのような、暗い雲行きですね。


「おい」


 ぼおおぉぉっとしていると、ユウさんがわたしの腕を軽く小突く。顔を向けると、顎で前方をしゃくってみせた。

 湖水地方の石畳の美しい道。整然と並ぶ街路樹、行き交う人々。


「あれ、見てみろ」

「ん? へ?」

「あ……あの子、この間会った子ですね」


 チサさんがつぶやく。わたしもすぐに、ユウさんが示したものが何か理解する。


「ええと、ホタルさんですよね」


 ホタル・ビャクレンジ。

 先日、街中で出会ったユウさんのお知り合いの女の子でした。リルカさん、という大貴族のお姫様然とした謎の女性のお付きの子でもあります。

 今日は髪を後頭部のあたりでくるくると小さなお団子にしていて、ちょっと雰囲気が違うので一瞬気付きませんでした。


 そういえば、あれからリルカさんとはお会いしていないですね。一度手紙をもらいましたが、立て込んでいるようで会いに行く暇がない、ということが書いてありました。

 今の時期はいろいろと会合やパーティとかがあるのでしょう。優先順位からして、わたしに会うのは最底辺でしょうね。それも当然なので、気を遣って連絡をくれるだけでありがたいものではあります。


 ホタルさんがいるということはリルカさんも近くにいるのかと視線をめぐらせますが、それらしき姿はありません。すらっと背が高く、弾ける輝きのある美人さんですので、ぱっと見ていないということは、今はホタルさんひとりなのでしょう。


 ホタルさんはレンガ壁に寄りかかっておまんじゅうを食べていました。なぜか視線は鋭く、斜め前にある喫茶店を注視している様子です。

 緊張感のある雰囲気ですが、もともとぽやぽやした印象の子ですので、そんな怖い印象でもありません。

 中にいるリルカさんでも待っているのでしょうか。それにしては、不思議な感じですけれど。


「この間と、雰囲気違いますね」

「あ、わたしも思いました」


 チサさんの言葉にうなずく。先日はあわあわしている姿が印象的でしたが、今のたたずまいはどちらかというと凛としています。

 挨拶をしようかなと思って近付こうとしましたが、ユウさんが手で制する。


「……今は話しかけない方がいいだろうな。道を変えるぞ」


 ユウさんはそう言うと、今来た道を引き返す。

 軽く挨拶するような流れだと思っていたので、わたしもチサさんも拍子抜けしてしまいます。慌ててユウさんの後を追うわたしたちに説明してくれる。


「あいつは多分、仕事中だ。邪魔になるかもしれない」

「おまんじゅう食べてましたけど……」

「偽装だろ。なにか見張っている様子だった。元々、あいつはそういう仕事が専門だ」


 そういう仕事って……見張りが?

 いえまあ、付き人業務の中にはそういうのも含まれているのかもしれませんけれど。考えてみればわたしも広義にはユウさんの付き人です。別に彼のことを見張っているつもりはありませんが、言行を軽く取りまとめて報告を上げている立場ではあります。


「ユウさんのお世話をしていた子ですよね?」

「里は人手不足だったから、世話役もやらされていただけだ。本来は……表に出ないような仕事をできるよう、育てられていたはずだ」


 ホタルさんは、ユウさんの故郷で育てられた間諜みたいな存在なのでしょうか。

 わたしの頭がシリアスな方に切り替わります。うん、近くにいるので時々忘れてしまいそうですけれど、ユウさんは校長候補生なとという肩書きを持つ、経歴不明の男の子なんですよね。魔法研究で世界一の学園において、代えがたい立場にいる人です。

 チサさんは口を挟まない方がいいと悟ったのか、存在感を消して付いてきます。


「誰を見張ってるんですか? リルカさんを?」

「さあな。俺も今、里の人間が何をしているかは知らない」

「……」


 ホタルさんはリルカさんを見張っているのでしょうか。あの人は悪い人には見えませんが、わたしの陣営はユウさん陣営ですので、もしかしたら敵対するような方なのかもしれません。

 まあ、わたしひとりの能力は大層なものでもないので、誤差にもならないでしょうけど。


 むしろ、と思い直す。

 ホタルさんはリルカさんに敵対する誰かを見張っているのかもしれません。

 その思い付きを口にすると、ユウさんは頷く。


「その可能性もある。だが、あそこであいつに話しかけるのはないな。目立ちすぎる」

「この人混みですけど」


 別に立ち話をして、どう目立つということもないと思いますけれど。

 わたしの素朴な言葉にユウさんは少しだけ迷ったような素振りをしました。思ったことを放言するユウさんには珍しい態度です。


「それでも、十分に目立つ。俺たちも……まぁ、目を引いているからな」


 曖昧な言い方が気にかかりますが、でもまあ、正論ですね。何がどう転ぶかわからないですし、あえてくちばしを突っ込む理由はありません。

 足を止めて喋っていると特に、他の人から声を掛けられやすい印象はあります。なにやら任務中のホタルさんをそれに巻き込むのはよくないでしょう。


 ちらりと後ろを振り返る。

 ホタルさんは小柄な子です、もうここからでは彼女の姿は見えませんでした。こちらに気付いた様子でもありませんでしたし、問題なく離脱できたようです。


「ユウくんって、結構気遣いできるんですね」

「割とそういうところはいい人ですよ」


 ユウさんの後ろに続いて歩きながら、わたしとチサさんはこそこそと言葉をかわした。











 再び湖の横の公園に戻ってきました。

 相も変わらずの混雑ですが、ユウさんもチサさんも既にこの光景には慣れているのでしょう、特に感懐もなく人混みをかき分けて進んでいく。なんだか、いちいち驚かないところが学園生として成長してきたな、という気がして感懐深いですね。

 歩いているとすぐに、ふたりのことを知っている生徒が多いことに気が付きます。今回の魔法発表会でこの地に魔力を注ぎ込んでいることは周知されているからか、歓迎されているようです。なにせ二人がいなければ、クラブ連の発表はできなかった可能性が高いのですからね。


「よう、おまえらか」

「お疲れさん。今飯できたとこだから、腹減ってたらどうだ?」

「チサさんこんにちはー」

「あと二日間、よろしくね」


 クラブ生たちが気安い口調で声を掛けてきます。

 今回の催しにおいて、ふたりの存在は必要不可欠。わたしの知らないうちに、ちゃんと立ち位置を作り上げているようでした。なんだかそれは、うれしいような寂しいような。

 ユウさんはいつも通り薄い反応で首を縦か横に振るくらいのものですが、チサさんは声を掛けられて嬉しそうで、ぺこぺこと頭を下げて応対している。なごむ情景です。


 何度もそんなやり取りを繰り返しつつ、わたしたちは運営テントまでたどり着きました。

 途中でいくつか断り切れない勧誘があったせいで、わたしたちの手にはボイルホタテとジビエの焼き串、水落灯という水場に落とす装飾照明や3発ほど魔法のビームを放てるおもちゃの杖がありました。

 雑貨はともかく、わたしは押し付けられた食べ物を愕然と見下ろします。

 どうしよう……けっこう今、お腹いっぱいなんですけど……。

 などと困っていたら、ユウさんが全部食べてくれました。


「よしよし」

「やめろ」


 雑貨類はしょうがないのでポケットに入れておきます。

 さてとと思い直し、運営テントに向き直る。その混雑は相も変わらず……といいますか、もっと人が増えているようです。中央、プロデュース研究会の執行役員が集まっているあたりには人だかりができていて、言い争っているような声も聞こえてくる。トラブルの匂いがしますが……今のわたしたちには関係ありません。特に声を掛ける必要まではないようなので、早足に通り過ぎます。

 運営テントの裏手にあるボート置き場。今の時期は湖上の飛行は規制されているので、ここから水上の作業場に飛ぶことになります。普段はここから遊覧ボートの貸し出しをしているのですが、今はありません。

 湖上にはぽつんと数隻のボートが浮かんでいて、ぽつぽつと空飛ぶ学園生の姿が遠くに見える。あの中にフォロンとピリカ先輩もいるのでしょう。

 この場を管理している生徒が、丸太に座って本を読んでいましたが、わたしたちが近づくのを見て相好を崩す。


「おっ、ユウにチサちゃん。今日もよろしくな」

「ああ」

「はい、よろしくお願いします」

「ん? こっちのかわいい子は?」


 わたしの姿を見て、そう尋ねる。


「え、えっと……」


 そんな風に言われると反応しづらいですね。

 戸惑うわたしを見かねてか、ユウさんが間に割って入る。


「別に。こいつもう帰るから」


 いえ、別にそんな守ってもらうほどの状況ではありませんが。

 わたしは苦笑しながら男子生徒に自己紹介をします。でもそれ以上は留まらず挨拶して通り過ぎ、箒を手に取ったユウさんとチサさんと共に桟橋の方に移動する。


「あれ? ユウさん、箒乗れましたっけ?」


 見ると、ユウさんも一本箒を持っています。

 以前は直接干渉魔法が干渉してしまい、うまく乗れませんでした。飛ぶことはできましたが、すぐに地面に降りてしまい、滞空ができなかったはずです。

 わたしの疑問に、ユウさんは「練習した」と答える。


「最近は、少し乗れるようになった。あそこまでなら大した距離じゃない。問題はない」


 ここから作業場である湖の中央部まではそう遠くはありません。本人もこう言っているので、大丈夫でしょう。

 でも一応チサさんに確認しておく。


「本当ですか?」

「あ、はい、いつも飛んで行っているので平気ですよ?」

「いや信じろよ。乗れるって言っただろ」


 文句を言うユウさんにはにっこりと笑顔を向けて黙殺しておきます。なるほどなるほど、大丈夫なようですね。

 確認とって安心し、わたしは心置きなくふたりを見送ることにします。


 桟橋で飛び立つふたりを見送るわたしの頬に雨が当たり、空を見上げる。とうとう降り出したようです。

 うん、雲が暗い色で、低いですね。風も少し出てきているかもしれません。雨が本降りにならないうちにユウさんたちの作業も区切りがつけばいいのですが。

 そして当日の雲模様も心配ですね。

 やれやれと思っていると、箒で飛んで行ったユウさんと入れ違いに、フォロンが箒でやってきます。


「ユイリ」

「あれ? 準備、終わったの?」

「終わってないけど、ユイリがいたから」

「あ、来てくれたんだ。頑張ってね」

「うん」


 それだけ言うと、すいーっと箒で再び作業しているであろう遠くの小舟の方に戻って行きました。

 どうやら、目ざとくわたしの姿を見つけて声をかけに来たみたいですね。可愛い。

 わたしは気が抜けたようにちょっと笑い、踵を返しました。雨から身を守るように、フードを被り、きゅっとマントを引っ張ります。


 さて、まだ自分にもやることはあります。魔力が回復したので山車の制作もまたちょっとお手伝いできるでしょうし、ちょっとした片付けとか、あるいは先輩を箒に乗せて浮いて、作業の手助けとかもできるかもしれません。

 ここまでの道中、ユウさんたちとぶらぶらしてしまったので、思いのほか時間がかかりました。もしかしたら帰りが遅いと心配しているかもしれませんね。まあ、先輩方もそんなのを気にする余裕もないかもしれないですけれど。

 わたしは明後日の本番に向けてのこの準備、やるべきことを考えながら人の波をすり抜けていく。











 公園を抜けて作業場へ戻る途中。

 雨が降り出したせいでしょう、クラブ生と思しき生徒たちがばたばたと行き来する姿が見られます。多くのクラブがパレードの山車を露天で制作しています。防水加工が間に合っていないところもあるでしょうし、となればもう大忙しでしょう。

 大雨というほどの勢いではありませんが、しとしとと雨が降ります。

 わたし含め学園生はマントで雨を防いでいますが、外部の方は大抵傘をさしています。マントの撥水効果は正直そこまで万能ではないので、わたしもついつい早足になってしまう。


 歩きながら「そういえば」と、先ほどこの辺りでホタルさんの姿を見つけたことを思い出します。

 ちょっと時間は経っているけれど、いるかなと思って辺りを見回してみますが、それらしき姿はありません。うーん、場所を移動したのでしょうか。まあ、ユウさんの話ですとなにやら諜報任務中というようなことみたいですし、仮にいたとしても話しかけるわけでもないですけれど。


 たしかあの子、この喫茶店を見てたかなー、などと思いながらその場を通り過ぎ、視線を前に戻す。

 そしてすぐさま、視界の中に会いたくない、見知った顔を見出だしてわたしは思わず顔をしかめそうになります。どこかに隠れようかという思いが一瞬頭をかすめますが、彼はフードも被らず顔が雨に濡れるまま、まっすぐにこちらを見ていました。

 どうやら、既に見つかっているようです。ここで逃げて話を面倒にするのはよくないでしょう。

 わたしは足を止める。そして、前方から歩いてくる男子生徒を迎えました。


「こんにちは、ピノークさん」

「先輩、どうも」


 ユウさんのクラスメート、ごたごた中の人物、ピノークさんでした。

 先日、ユウさんとの関係改善の話を居丈高に言い渡してきて以来日に何度も連絡が来ている生徒です。

 どこで調べたのか、わたしの魔法掲示板に連絡をばしばし入れてくるんですよね。今の時期ですと連絡を見ないわけにもいかないのですが、確認するたびに彼からの連絡が届いていて、とてもげんなりさせられます。

 協力するといったのは事実ですので、無碍にするというわけにはいきません。でもまた今度という話にしているのに、押せ押せで話を進めようとしてくるのにはやはり、疲れます。

 今日ここで顔を合わせたのは偶然か、あるいは故意か。待ち伏せなら寮の近くを選ぶでしょうから、ならたまたまでしょうか。

 現実逃避するようにそんな考えがわっと浮かんで、ピノークさんの冷たい笑顔に消し飛ばされます。


「奇遇ですね。もし今時間がありましたら、この間の話いいですか?」


 当然のように、そう切り出してきます。一切合切、遠慮という気配すらないですね。ユウさんに謝罪をしたいと言いつついまいち誠意の感じられない話の行き先がどうなるか、とっても不安です。

 わたしは若干あきれ果て、結果的に弱弱しい笑顔を浮かべることしかできません。

 あのですね、明後日には大きなイベントが待ち構えていて、わたしはクラブ生としてその準備に奔走しているんです(実は大してやることないですが)。それなのにそんな人を捕まえて暇人扱いというのはどうなんでしょうか。


 文句を言いたい気持ちを、ぐっとこらえます。

 親しくもない人にそんなことを言って面倒を引き寄せたくはありません。それに、ユウさんの迷惑になる可能性もあるのです。

 好き勝手言い放つというわけにもいかないでしょう。


「すみません、今クラブの方と待ち合わせをしているんですよ。雨も降ってきちゃいましたし、なかなか今の時期ですと忙しくって……すみません」


 言葉の始めと終わりを謝罪で飾り、申し訳なさそうな表情を作ってやり過ごそうとしますが、ピノークさんは必死さすら感じる笑顔の表情のままで、言葉を続ける。


「ほんの少しだけ、お話を聞いてもらえればと思っているんです。時間は取らせません」

「……」


 わたしはなんとなく、仮面をかぶっているみたいな表情だな、と感じます。なんとなく人を不安にさせるような笑顔です。

 少しくらいなら話に付き合ってもいいかなという気持ちと、怖いし忙しいし早く切り抜けようという気持ちがせめぎ合います。でもやっぱり、嫌な予感もしますし、避けておくことにします。


「すみません、人を待たせているんです」

「よければあそこでお茶でもどうですか、大した時間は取らせないです」


 逃げようとするわたしに彼が示したのは、手前の喫茶店でした。

 チェーン店などではなく、この地区を訪れる高級志向の観光客を当て込んだであろう瀟洒な飾り窓の付いたお店です。

 お店の入口はテラス席になっていて、白い魔法レンガで一段高くなっています。男女の組み合わせでお店にいる人が多いような感じ。高級感に尻込みしますが、明るい雰囲気のお店です。今はしとしとと雨が降りつのって、どこか空々しい雰囲気もありますけれど。


 そして、そこは先ほどホタルさんが遠目に眺めていたお店でもありました。

 そのことに気が付いた時、わたしは思わず足を止めていました。

 そしてその態度は、ピノークさんに伝わったようです。彼はわたしが乗り気になったと思ったのか、「行きましょう」と言って歩き出してしまう。


「……」


 わたしは一瞬考え込んで、仕方がないと後に続きました。これから彼としなければならないであろう押し問答を想像するとそれだけでげんなりしましたが、少しだけ興味をそそられたのも事実です。

 ホタルさんが観察していたお店。そこに期せずして入ることになって、中を見ることができるのは少しだけ楽しみです。

 好奇心。

 彼に付いていく気などさらさらなかったわたしを一押し進めたのは、素朴でささやかなそんな気持ちでした。


「いらっしゃいませ」


 入口でばっさばっさとマントから水を飛ばし、お店に入る。すぐさま、ウェイターさんがやってきて柔らかな笑みを浮かべる。

 喫茶店の中はそれなりに混みあっています。雨の匂いと、コーヒーの香り。学園生よりは、外部の人が多い感じがしますね。多分ちょっとお高めな店なのでしょう。この時期のこの立地なら、そんな感じになるでしょう。


 そんなことを考えて、一気にお財布の中身が不安になってくるわたし。今いくら入っていましたっけ?

 この場面、わたしは相談を受ける側なので向こう持ちになる気もしますが、わたしの方が先輩ですし、その点ではおおらかさを見せるべきなのかもしれません。

 いえ、たぶん、そうはいってもそこまでえげつない価格帯ではないでしょう、きっと。

 慌てるわたしに頓着することもなく、ピノークさんは「二人」と告げてウェイターさんは「かしこまりました」と答えています。蚊帳の外ですね、わたしは。

 ウェイターさんはそのまま空いている席に案内してくれると思いきや、店内を見回すと申し訳なさそうに眉をひそめた。


「ただ今予約席で埋まっておりまして、奥のお席をご案内いたします」

「ああ」


 まあまあ混んでいますが、それなりに席は空いています。予約席?

 頭をひねるわたしを他所に話は進み、ふたりは歩き出していく。


「あ、あの……」


 困ってしまって、とりあえずその後に続く。

 客席から後方、通路に入ります。

 高級なお店だからか、個室の需要もあるのでしょう、通路には調度も配されています。数歩通路に入っただけで、すうっと客席の方のざわめきが薄れます。防音の構造になっているのかもしれません。

 ピノークさんからお話を聞くにあたって、開けた所ならいいですが、密室に入るのはあまりよくないでしょう。それほどの信頼関係のある人間ではありません。

 わたしは足を止めて申し訳なさそうな表情を作る。うまく、そんな顔になっていればいいのですが。


「あの、すみません、個室はちょっと」

「こちらの部屋はいかがでしょうか」

「ああ」

「あのー……?」


 こちらの言うこと一切黙殺。ウェイターさんに案内された部屋に入っていくピノークさん。

 わたしは振り返り、客席の方を見てみます。大した距離でもありません。ちょっと大きな声を出せば普通に彼らも気付く程度の距離です。

 いえ、ですが、入って扉を閉めてしまえばまた別ですよね。

 うーん、ここまで案内してもらって断るのもよくないのかもしれませんが、最低限場所を変えてもらう必要があるでしょう。

 仕方がない。わたしはひとつ息をついて、心を決めます。文句を言おうと歩を進める。


「あの、すみませんが、お話しするなら場所を……」


 場所を変えませんか、と。

 声を掛けながらピノークさんが入った個室を覗き込もうとした瞬間、部屋の中からぬっと手が伸び、わたしの腕をつかみました。

 腕が抜けるくらいに強い力で引っ張られて、ドア枠にしたたかに頭を打ち付けて悶絶しながら部屋の中に連れ込まれます。痛みにへたり込みますが、掴まれた腕ははっしと強く握られたままでこちらも痛い。

 はっと顔を上げて周囲を見渡して、わたしの体は凍り付きました。

 個室の中は会議室のようにそれなりの広さがあります。ですが椅子机などはなく、ピノークさん以外にも何人もの男の人がわたしを見下ろしていました。


 声すら出ない。


 一瞬の静寂。

 後ろでは、ぱたんと扉が締められました。


 密室。腕を拘束された状態。周りを取り囲まれた状態。

 不用意にも、こんな所に連れ込まれてしまった現状を認識して、背筋が凍り付きました。

 自分がとても危険な立場にいることを、わたしは悟りました。

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