校長候補生
ぱたぱたぱた、と慌てて駆けて、やがて正門が近付いてきます。
本当なら少し早目の時間に到着している予定でしたが、途中で遭遇した結界破りに時間をとられて遅れてしまいました。顔合わせの場で遅刻するというマイナスからのスタート。
待ち合わせは、このあたりなんですが……。
ユウさんは多くの入学生が採っている正門わきの転移魔方陣からという方式ではなく、近隣の町から馬車でやってくるそうです。
学園から陸続きの道は細い街道が伸びているのみで、ずいぶん時間がかかるはずです。延々馬車に乗ってここまでやって来て、その上また待たされるとなるとさすがに怒っても仕方がないですね。
正門まで着いて、辺りを見回す。写真を見せてもらったことがあるのでユウさんの顔はわかりますが、どうも、いないようです。
ここで合流できなかったとなると、相手はこの学園にはまだ詳しくないはずなのでかなりまずい状況です。連絡手段なんてものはありません。
春の陽気は心地よいはずなのですが、だらだらと嫌な汗が流れてくるような気がします。そして、事情が事情だけに誰に相談もできません。
ひとまず正門横の自治委員の詰所に行って、馬車の運行を確認します。もしかしたら彼が乗っているはずの魔法馬車が遅れているだけかとも期待しましたが、わたしの希望は打ち砕かれて、既にユウさんを乗せているはずの便は着いているようです。
本来は新入生はここで入学手続きをするのですが、ユウさんは後日中央校舎に赴いて別途手続きをする予定です。到着したら正門の脇のあたりでとりあえず待っていてくれ、という話でしたが……。
詰め所に確認に入る前にちらりと見てみた正門の傍に、やはり尋ね人の姿はありません。きょろきょろあたりを見回して、近くにいる女子生徒にそんな人を見たかと聞いてもみますが、返事ははかばかしくありません。
校長候補生と肩書はとんでもなくても、見た目は普通の少年です。多くの人が行き交う正門前で、特定の個人を覚えているというのは望み薄です。
つまり、絶望です。
わたしは頭を抱えて倒れてしまいたい気分になりました。
絶望絶望アンド絶望。
たまたま完成した特殊な中和剤のおかげでこの学園への入学を許されましたが、落第してふるさとへ帰らなければならないかと思われたものの、わけがわからないままに残留への道筋が開けました。
つくづく自分は運がいいなあ、あはは、などと思っていましたが、それも今日でおしまいです。出迎えなどという子供でもできる役目も果たせず、これでは間違いなくお役御免の展開待ちです。
あああ。
お世話になった先生や、わたしの入る寮だからと引っ越ししてきてくれたルドミーラ、それに自分に期待してくれた副校長、色々な思いに背くことになってしまいます。そもそも、ふるさとに帰ってもまとまったお金があるわけでもないので、どうやって家族を養っていけばいいのでしょう。
お母さんは少しは内職もしているとはいえ、我が家で働き手といえるのはわたししかいません。そのわたしからして、そもそも身に持つ魔力が少ないので錬金術師としては作成できるレパートリーがあまりありません。このままでは一家そろって路頭に迷う最悪の展開に直行という気がします。
「……」
思い悩んでしまいましたが、ぐずぐずしても仕方がありません。顔を上げます。
すると、周囲が少し騒然としていることに気が付きました。さっきの結界破りの時にも似た、興奮した空気。周囲の視線の集まるその先に、わたしも顔を向ける。
喧騒、それは言い争いのようでした。いえ、というより、ひとりがもうひとりに突っかかっている様子。
この学園でのいさかいは、珍しくない。なにせ学生の国ですから、当然トラブルは多くあります。決闘騒ぎもわりとよくある話です。
でも、守備隊が巡回する時期、こんな広場で騒ぎを起こすというのはさすがにそう多くはない。そもそも、基本的には治安のいい国です。
周りの人の噂話に耳を傾けてみると、一方が地面に魔方陣を描いて部員の募集をしていたところ、もう一方がそれを踏みつけて消してしまったことが発端のようです。
とはいえ普通、踏んだくらいで魔方陣を打ち消すことはできません。悪意を持って消し去った、ということなのでしょう。それは喧嘩にもなります。
お祭り騒ぎの騒がしさは嫌いではないですが、こういう騒がしさは好きではありません。あまり興味もなくなって、待ち人を探そうと踵を返す直前、言い争いをしている喧嘩の当事者を見て凍り付きました。
その一方に、見覚えがあります。
片方は、せっかく作った魔方陣を壊された二年生の男子生徒。涙目になって相手に食って掛かっています。
そして……。
もうひとりは、学年や所属を示す宝玉を身に着けていない男子生徒でした。細身の長身、黒い髪、不機嫌そうな眼差しは、見紛うことなく先日お世話する生徒だと見せてもらった写真と同じ。
ユウ・フタバ。わたしがお世話をする人でした。
「わ……わ……」
わたしはよろよろと足をもつれさせて、おののき震える。頭の中に、先日副校長から言われた言葉が蘇る。
『アマリアスさん。あなたにお願いしたいのは、この春に入学するひとりの生徒の身の回りの世話をしてあげることです』
『その生徒は、やがてこの学園の校長になる予定の生徒。校長候補生です』
『あなたは、彼の生活の不便を解消し、素行が乱れないよう注意し、まっとうな生活を送らせるように手を貸してあげてください』
『期待していますよ』
わたしはいよいよもって、頭を抱えます。
出会う前から、問題発生。
どうしようどうしよう。本当にどうしよう。
現状の危機と将来の不安であわあわと動転しましたが、すぐさま心を決めます。
この騒ぎからユウさんを救い出す、と。
そうだ、まだ間に合う。幸いにしてまだユウさんが相手に名乗っている様子でもないし、宝玉をつけているわけでもないから所属も知れない。今うまく逃げおおせば、ここでの騒ぎが偉い人たちに知られることはありません。
わたしは心を決めました。
「わ……わあああーーーーっ!!」
思い切って、周囲の人を押しのけて、言い争いの中心へ!
勇気を振り絞り、ふたりの間に割って入る!
突然乱入してきたわたしを見て、二年生の方は一瞬ぎょっとした様子。ユウさんの方は、また変なのが来た、とでもいうようなうんざりした様子でした。
こんな登場をして歓迎されるわけはないとわかっていましたが、こんな寒々しい反応をされると心が折れそうになります。ともかく、心を奮い立たせる。
わたしの安定した学園生活のために!
「あなた……」
「な、なんだ?」
「魔方陣を壊されたとお怒りのようですね……」
「え、そ、そうだけど……誰?」
薄気味悪そうな視線が心に痛い。
「魔方陣を壊したのは彼ではありません。そう……わたしですっ!」
「ええーーーーっ!?」
バァーーーン! とでも効果音がつきそうな勢いで自分の胸に手を当ててハッキリと言い放つと、相手が仰天しました。
わけのわからないことを言って場をかき乱す作戦です!
隙あり!
「さあっ!」
わたしは手に持っていた象の面を無理矢理ユウさんにかぶせると、その手を取って走り出します。彼はモガモガ言っていますが、今はそれを気にする暇はありません。だって悪い意味で彼の顔が売れてしまったらお互い困りますからね。
突然の闖入者と、場を乱すだけ乱しての逃亡にきょとんとしている生徒たちの脇をすり抜けていく。
「え、ちょ、ちょっと、どういうこと? いったい何なんだ!? 絶対にあんた魔方陣壊してないだろっ! おーい!」
ざわつく周囲、混乱する被害者の二年生、騒動の中心からわたしたちは慌てて逃げ出しました。
この喧嘩を遠巻きに見ている生徒たちの視線を振り払うように駆け駆け駆けて、正門前の広場を抜けて一本隣の通りへ。
あまり体力があるというわけでもないのですが、動揺と高揚であまり疲れた感じがしません。
視線はただただ逃げていくその先を。感覚はぎゅっと握ったユウさんの掌を。
緊張のせいか、聞こえる物音は自分の吐息と後に続くユウさんの腰に佩かれた太刀の揺れる金属音だけ。周囲にはたくさんの人がいて、駆けるわたしと象面のユウさんを見るとぎょっとして歩みを止めて、ぽかんと見送ります。
それでも、なんだか、世界にはわたしたちだけしかいないような不思議な感覚を覚えます。
別の大きな通りに入って、さらにその路地裏にまで到達する頃には、周りにはほとんど人通りがなくなっていました。追手もないようです。やっと安心して手を離します。
「はぁ、ふぅ、あ、危なかったですね……わぁっ!?」
呼吸を整えながら、ユウさんに声をかけようとした瞬間、いきなり胸が苦しくなりました。一瞬して、ユウさんに胸倉を掴まれているせいだと気付く。
「おまえは何者だ?」
威圧するような口調でした。あれだけ走ったのに、呼吸に乱れはありません。いつの間にか顔から面は外されています。
「わ、わたしは、げほげほっ、あの、はぁ……ふぅ……ごほっ」
「……」
「げほげほごほっ!」
「……」
「はぁ……」
掴まれていて苦しい上に、走り回って呼吸が乱れて全然喋れません。
ユウさんははじめ、わたしが喋るのを渋っているのかと疑っていたようですが、次第にただ駆けて疲れ切っているだけだということに気が付いたようです。ものすごく呆れた目をして、掴んでいた胸倉を離す。
やっと心置きなく、呼吸を整えることができます。そうしながら、何て声をかければいいのか考えます。わたしは彼の窮地を救ったのですが、彼からすればいきなり横から飛び出てきて無理矢理こんなところまで連れてきた怪しい女ということです。警戒して当然です。
おまけに相手は校長候補生。それがどんな立場なのかわたしにはよくわからないですが、身に危険があるような立場なのかもしれません。今みたいにこうして攻撃的になってしまうくらいに。
そこまで考えて、ふと、単純に彼も不安だったのかもしれない、という考えが心に浮かぶ。中央通りの結界の中、新入生たちが不安そうな面持ちでこっそり馬車から顔を覗かせている光景が思い出される。
彼らのように、不安な気持ちがあるのかもしれない。なにせ彼には出迎えもありません。そこに寂しさや不安があって、そのせいで他の生徒と喧嘩をしてしまったのかもしれません。
胸倉掴まれたのは怖いですが、そこまで拒否感は沸いてきませんでした。なにせ相手は特殊な身の上の生徒。なにがあっても驚くには値しません。
だからわたしは、思い直す。ここから始めていこうと。
生活の不便を解消し、素行が乱れないよう注意し、まっとうな生活を送らせること。それはつまり、他の学園生と同様、彼にもこの学園を好きになってもらって、そして、楽しい日々を送ってもらうことに他なりません。
だからわたしは、笑います。他の大多数の上級生が、新入生に向けるその微笑みで。
「ユウさん、こんにちは」
その気持ちを、彼が受け取ってくれればいいな、と思いながら。
「わたしは、ユイリ・アマリアスといいます。あなたを迎えに来ました」
心を込めて、言葉をつむぐ。
「ようこそ、イヴォケードへ!」
……。
…………。
「……」
……ですが、あれ?
弾ける笑顔でユウさんに向かって手を差し伸べましたが、ユウさんは紛れもなく間抜けを見るような目でこちらを見ていて、わたしの手を取る素振りもありません。
「おまえが迎えに来るという奴か」
「えぇまあ」
刺々しい口調にびっくりしながら、頷く。そういえば思い返してみれば、遅れてしまったお詫びもしていませんでした。
「あの、遅れてしまってすみませんでした」
慌てて頭を下げます。
「ひとりきりで、不安でしたよね?」
顔を上げて、ちょっと手を合わせて彼を見上げます。ユウさんはわたしの質問には答えず、右手をわたしの頭へ伸ばして――
「……いたたたたたたた! 痛いですっ! アイアンクロー!?」
「遅刻してんじゃねぇよ」
「ひーんっ! すみませんっ」
怒られました。
でも、謝るとすぐに手を外してくれます。でもまだ痛い。
やはり、遅れてしまって怒っているようです。結界破りに巻き込まれて、などと言い訳もしたいのですが新入生の方にそれを話してわかってもらえるというわけでもないですし、そもそも言い訳できるような身分でもない気がします。第一印象をよくしよう、これからの生活をがんばろうなどと考えていた傍からこれです。なんだか恐ろしく先行きが不安になってきました。
ユウさんは珍獣でも見るような目でこちらを見ています。
「学園側から迎えを出すとは聞いていたが、おまえ本物か?」
「ほ、本物です。遅刻したけど、本物ですよっ」
「へぇ……」
「ほ、ほらほらっ」
わたしは鞄から、チラッと特務委員を示す金色の宝玉を見せました。人目に触れると怖いので、あくまでもちょっとだけです。
ですが、それではどうやら不満のようです。ユウさんはぱっとわたしの鞄に手を入れると、あっという間に大事な宝玉を奪っていってしまいます。
「わああーーーっ!」
「なんだ、ちょっとしか見せないから偽物かと思ったが、普通に本物だな」
「早く返してくださいっ。そんなの持ってるっていうのがバレたら、あっという間に有名人ですよっ」
ちょっと先の通りはそれなりに生徒が行き交っていますが、わたしたちが身を隠しているこの路地には幸い人通りがありません。とはいえ、いつ誰が通ってもおかしくありません。
金色の宝玉を持っている生徒、なんてほとんどいないはずです。そもそも誇示するものでもないので、誰が持っているかなんて噂程度でしかわかりません。それをわたしのような劣等生が持っているとなると、それはもはや悪目立ち以外の何物でもありません。
慌ててユウさんの手にある宝玉を取り返そうと手を伸ばしますが、巧みにささっとかわされます。なんという身のこなし。
「わかったなら、返してくださいっ」
「まあそうなんだが」
ユウさんは言いながら、ぽーんと宙に投げて、手に取る。
「わーーーーっ!」
あ、危なかった。もし落とし損ねていたら、石畳で絶対に割れていました。取り損なうようなことがなくて、心の底からほっとする。
そんな様子を、ユウさんが眺めている。
「あの、な、なんだか、楽しそうじゃないですか?」
「全然そんなことはないぞ」
そんなことあると思うんですけど。酷いですこの人。
とはいえさすがにそれ以上おちょくるということもなく、宝玉を返してくれました。後生大事に鞄にしまう。
無事に返ってきてよかった……。さすがに壊したから再発行お願いします、などとはかなり言いづらい代物です。
「あの学園から人を出してくるというから、どんな面倒な奴が付くかと思ったが、おまえみたいな奴で安心した。これからどうする? 寮にでも行くのか?」
胸をなで下ろしているわたしを余所に、ユウさんはさっさと歩き出してしまう。
わたしは慌てて追いかけて、ついつい悪口に対する抗議を忘れてしまう。
「あ、はい。まずは寮に戻って荷物の整理をした方が……あれ?」
そこまで言いかけて、言葉を切る。改めてユウさんの姿を眺めます。
格好は、特別なものでもありません。大量生産されたような綿の衣類は、出身地を判別するような特徴はありません。
体に巻き付けるようにして身に着けている肩掛け鞄も変なものではありません。ただし、目を引くのは腰に佩いた太刀。刃物の携帯は通常ご法度ですが、首から許可証をぶら下げているので問題はないですね。武器の存在は物々しいですが、彼の今の格好は学園生が街歩きをしている格好として、特別なものではありません。だからこそ、おかしい。今日この学園に着いたならば、身の回りの物を持ってきていなければおかしいのです。
わたしがそれを指摘すると、ユウさんはこともなげに答えます。
「身の回りの品はない。全てここで揃える予定だ」
「……先に寮に届けているとかじゃなくて、ないんですか?」
「家具は備え付けだろう? あとは、買い足せばいいだけだ。金ももらっている」
ほら、と言いながら肩掛け鞄から札束を取り出して見せてくれる。
「ちょ、ちょ、ちょーーーーっ!」
わたしは慌てて、その札束を奪って彼の鞄に戻します。
なんてもの街中で取り出しますか! 慌てて周りを見てみますが、人通りはないので安堵の息を漏らします。この学園は治安はいいですが、それでもお金を振り回していれば無用なトラブルを呼び込む元にはなりえます。
「なにをやっているんだ? ほら、これが手持ちだ」
そう言って彼が広げて見せてくれた鞄には、びっくりお金がぎっしりすごいです。
静かに速やかに鞄を締めさせる。
「……ど、堂々としすぎですっ! 往来でお金を出しちゃいけませんっ」
「ああ、そうなのか」
「そうですよぉ……」
なんだかもうくじけそうになってきました。わたしはこの人の世話役……。
「とりあえず、通りに出ますけど、ヘンなことしちゃいけませんよ? 他の人に喧嘩うったり、お金を見せびらかしたり、殴りかかったりかじりかかったり、あ、その剣を抜くのもダメですからね?」
「おまえは、俺はをなんだと思っているんだ?」
「わかりましたか?」
不満そうに鼻を鳴らしますが、反論まではしてきません。了解した、ということでしょう。
うん、わたしが年上です。お姉ちゃんの言うことは聞かなきゃ駄目ですよー。
彼からすればわたしは学園の派遣しているお目付け役みたいなもの。目の上のたんこぶ。基本的に、言うことは聞いてくれるはずです。
通りに出て、寮の方向に歩き出します。
本当は電車に乗りたかったですが、路面電車の通りは中央通りを挟んだ反対側ですのでわざわざそちらに行くのも面倒です。それに、歩いた方がここの雰囲気がつかめていいでしょう。
「ユウさん、なにも持たずに、どうやってここまでこれたんですか?」
「ここへの馬車が出る街までは、里の人間が送ってくれたからな。ここにくれば、生活の世話は別の人間がやってくれると聞いていた」
「別の人間……?」
「おまえだ、おまえ」
「ですよね」
嘆息します。
というか、里の人間がこれまで身の回りの世話をしてくれていたって、この人はどこぞの貴族様みたいな出自なのでしょうか。疑問に思うけれど、さすがに面と向かって聞くことはできない。
「それじゃ、ひとまず寮に戻った後に買い物にでも行きましょうか。まだわたしも中央通りは不案内ですけど、お店に心当たりはありますから」
「買い物か……」
嘆息するような調子で言う。え、なんなんですか、買い物行くの嫌なんですか。
「あー、えっと、わたしが見繕って買っておきますか?」
「いや、俺も行く。買い物というのを、もう随分していないからな」
そう言う彼はやはり庶民というわけではないようです。貴族なのか知らないですが、屋敷にお抱えの商人が出向いて来るとかそういう買い物しか経験がないのでしょうか。
ユウさんは少しだけ口元をほころばせた。そうですよね。お買い物は楽しいですね。
しかもあれだけぎっしりお金を持っているならば家だって買えそうです。まあ、あれが学園生活通じての全財産なのか当座のお金なのかで懐事情はずいぶん違ってくるはずですが。
「もし買いたいものがあったら言ってくださいね。案内しますから」
「おまえ、さっき不案内って言ってなかったか?」
「で、できる限りでがんばります」
「……」
ユウさんは、疑わしげな視線を向ける。
なんでしょう、この信頼されていない感じは。そりゃ、初対面ではありますけれど。でもめげます。
打ち解けた雰囲気とは言いがたいものですが、拒絶されているというほどでもありません。わたしたちはぽつぽつと会話を交わしながら……というか正確には、わたしが逐次見える建物やお店の説明をしてユウさんが相槌をうつという感じであまり会話というほどのものでもないですが、生徒たちが行き交う通りを歩いていきます。
この時期の花形は中央通り、ということでこの通りはそちらに比べると混雑していない。クラブの勧誘をする生徒の数が少ないからでしょう。
わたしが胸に付けている宝玉は三年生を示すものですので今さら声をかけてくる人はあまりいませんし(部によってはある学年以上でなければ入部資格を得られないというものもありますが、そういう団体は往々にして勧誘活動を行わないことが多いので、やはり声をかけられることはそうはありません。でも、この時期はアルバイトの勧誘とかはありますね)、ユウさんは宝玉をつけていないのでおそらくわたしと同じ学年、などと思われていることでしょう。
出会いがばたばたしてしまいましたが、やっとほっとできます。
「……」
ユウさんの視線がいい匂いをさせる屋台の方へ向く。
「あれが気になりますか? あれはパパティっていう食べ物ですよ。薄くのばしたパンみたいな生地でお肉と野菜をくるむんです。わたしもこの学園に来てから知ったんですけど、たまに食べたくなる味ですよ。あ、でも、辛いのがすごく苦手だったりすると好きじゃないかもしれませんね。そういえばユウさん、お昼ご飯食べましたか? お腹すいていますか?」
「……おまえ、うちのばあやみたいだな。別に気になってない。目に入っただけだ」
「……」
ばあや……。
お腹すかせているかと思って気を利かせてみたら、勇み足だったようです。
……ばあや……。
そんなことにショックを受けてもしょうがないのですが、ちょっとショックです。まだ若いんですけど。
「お、お腹はすいてないんですか?」
「あぁ、そういえば朝からろくに食べていないな。馬車は乗り心地が悪いから、腹も減らなかった」
「それ、わかります。わたしも馬車とは違うんですけど、箒に乗ると同じような感じになります」
乗り物に乗ると、独特の疲労があります。
「箒は乗らない」
「あ、そうなんですか。危ないから禁止されてたとかなんですか?」
箒の制御は、才能七割慣れ三割というところです。それなりに魔法が使える人ならば誰でも箒は乗れますが、それでも小さい頃は危ないから禁止している家もけっこうあります。うちも年齢がふた桁になるまでは禁止でした。
「あまり、そういう風習がなかった」
「そうなんですね。でも、ここは練習には最適な場所ですし、興味があればやってみたらどうですか? 許可証は要りますけど」
箒に乗るには、自身の魔力にもよりますがその土地の魔力の量によって安定度が違います。
わたしの育った山奥は、正直あまり魔力の芳醇な土地とは言い難い場所でしたが、ここイヴォケードはその真逆。都市上空や中央校舎の後ろに連なる連峰は、世界一の魔力濃度を誇っていると言っていいはずです。ここなら魔法の才能などに関係なく箒を飛ばすことができるでしょう。
ですが、ユウさんはあまり興味を惹かれた様子はありませんでした。男の子はみんな箒で飛ぶのが好きですが、彼はそれほどでもないようです。風習がなかったということは、そもそもその魅力もよくわからないということかもしれません。
「今興味があるのは、むしろお昼ごはんですか?」
そろそろ、正午になろうという時刻でしょう。
「どうだかな」
「全然食べてなさ過ぎて、お腹が変になってるんですよ。食べるとなれば、お腹がすいてくると思いますよ」
中央通りほどではないとはいえ、ここも一つの大通りであることに変わりはありません。周囲に視線をめぐらすだけで、いくつも飲食店が目に入ります。よりどりみどりです。
「寮の食堂はお昼もやってますし、そっちでもいいかもしれませんね。システムについても説明する必要がありますし」
「あぁ……なら、それでいい」
やっと、意見らしい意見を言ってくれてほっとします。応対するのが面倒になったから肯定しただけというような気もしますが、ともかく。
とはいえ、寮の食堂という提案は手抜きというわけではありません。銀の聖杯亭は高級寮だけあって、メニューは多彩で美味しい。知り合いの方々がいれば彼らにユウさんを紹介して、彼にも他にたくさんの知り合いを作ってほしいと思います。
そう決めてしまっても、お店の軒先から漂っている料理の香りがついつい気になってしまいます。わたしも少し、お腹がすいてきました。
この通りは横切ったことしかないですが、歩いてみると色々な発見があります。真っ直ぐに道がのびる中央通りと違って、遊歩道みたいにゆらゆらと曲がっている道。地面は普通の石畳です。それに、結界がないおかげで広々と感じます。
そんな中、ユウさんはわたしの歩幅も気にせずに、ずんずん先へと行ってしまいます。
「あの、早いですっ」
慌てて小走りに追いつくと、面倒そうな顔をされました。とはいえ歩幅は落としてくれたので、やっと足並みが揃います。
歩いていて、ちょっとした広場に出ます。
「あ、ユウさん、ほら」
わたしは向かう先を指さす。そこには建物の隙間から中央校舎の上半分くらいが見えています。
「さっきもう見たかもしれないですけど、あれが中央校舎です。明日、あそこにユウさんの学生証を貰いに行きますからね」
「ああ……」
わたしの説明を聞きながら、睨みつけるような眼差しで、その先を見上げる横顔。
え、え、そんな怒るようなところがあるの? などと思ってあたりを見ますが、変わったことはありません。中央校舎もいつものように、美しい白い魔法石に彩られた威容を誇っているのみです。
「立派ですよねえ。校舎と名前はついていますけれど、お城みたいですね」
慌ててそう言うわたしの言葉に、彼は失笑した。
「校舎と名前はついているが」
その口の端はまるで嘲るように歪んでいた。
「墓標みたいな建物だ」
彼は。
白くて綺麗で立派で最奥に位置していて権力者が暮らしているこの学園の象徴を、鼻で笑ってそう言った。