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魔法学園へようこそ!  作者: cymbal
第3章 殲滅魔術師
36/42

予感

 久し振りに訪れた商店街をウサコさんと一緒に散策し、しばらく時間を過ごしました。


 本屋や雑貨屋など、目についたお店に順繰りに入ってはあれこれお喋りをして、お茶をします。

 途中でウサコさんが見知らぬ生徒から話しかけられることはあっても、極端な変人に絡まれるというほどのことはなく、ほのぼのとしたひと時でした。発表会が迫り忙しい日々に挟まれた、平和な時間。こういう瞬間があると、やっぱりほっとします。

 放課後の昼下がりはあっという間に過ぎていき、ウサコさんとはまた時間ができたら会おうと約束をして別れます。


「こんなことなら、もっと頻繁にあなたに会うようにしておけばよかったわ」


 別れ際、ウサコさんはどことなく拗ねたような表情になってそうつぶやく。

 美人なウサコさんが幼げな表情をしてみせると、なんだかギャップがあって可愛いです。結構、甘えん坊なところがある人なんですよね。それ以前に強情ですので、あんまりそういう素振りは表面に出さない人でもありますけれど。


「そうですねえ。わたしの方もウサコさんは守備隊でお忙しいと思って気兼ねしてしまっていましたし、今にして思えばもったいなかったですね」


 実はそれ以前の問題として、何度か手紙を書いてもウサコさんからの返事が一切なかったせいで進む話も進まなかったということがあります。ですがこうして話しているとわかるのですが、ウサコさんは返事を書くのが恥ずかしすぎて書けなかったんだろうなあと思う。

 今回はウサコさんの方が誘ってくれて遊びに行くことになりましたが、それは彼女が護衛任務でほとんど自由のない生活をしているからでしょう。ほとんど遊びに行く機会がないからこそ、逆にその唯一のタイミングを逃さないようお手紙を書けたのでしょう。

 まあ、果たし状か? というくらいにそっけないお誘いでしたが。でもそんなところもちょっと可愛いです。


「普段は、ほとんど遊べる時間ってないんですか?」

「セレスの予定に合わせることが多いから、何とも言えないわね」


 わたしの問いにさらりと答える言い方、セレスティン王女のことをさらっと呼び捨てる口調は、少しだけ優しげです。

 たぶん、わりと仲良くやっているのでしょう。


「校舎への送り迎えには私が付くようにしているから、その間は自由時間ね」

「あ、そうなんですか」


 朝の遅いくらいの時間から昼下がりくらいまでは時間が空いているということでしょう。思ったよりは余裕があるのかもしれません。

 わたしの講義の短い日であれば日常的に会えそうな感じはあります。


「でも、その時間は守備隊の鍛錬に参加したり、私の講義もあるから」

「あ、そうなんですね」


 言われてみれば、ウサコさんもまだ学生さんですからね。

 鍛錬というのは日々の積み重ねが大事みたいですので、それに時間を割くのは当然でしょう。ユウさんも朝起きて寮の庭で体を動かし、日によっては放課後に校舎の武道場で汗を流し、早めに夜ご飯を食べてその後また剣を握っています。本当に修業しかしていないな毎日この人、と呆れと嘆息が入り混じった息をつくほどそんな繰り返しです。ウサコさんも同様に相応の時間を鍛錬に充てているのでしょう。

 それに彼女は騎士科の六年生。さすがに六年ともなると講義はほとんどないはずですが、皆無というわけではありません。


「ちなみに、どんな講義を取っているんですか?」

「医学ね。あと語学。それ以外だと、時間が合えば単発の講義を受けたりもするけど」


 かなり実用的な講義を取っているようです。ウサコさんらしいと言えばそうなのですが。

 医学は前線で戦う人として必要な知識なのでしょう。王女様は回復魔法の天才児ですので、彼女との付き合いという側面もあるのかもしれません。

 語学は、守備隊士として世界中を股にかける可能性があるからこその選択肢でしょう。今の時代、全世界の九割以上の人間は共通語が通じますが、ごくわずかに少数言語も生き残っています。少数言語といっても、その中でも多い言語はまだ数十万人単位で話者が存在していますし、第二言語は必要な時には実にありがたい特殊技能になります。


 色々考えているんだなあと感心すると同時に、やっぱりウサコさんはかなり忙しそうだと実感します。会おうと思えば会えるのかもしれませんが、ちょっと負担になってしまいそうです。


「また今度、お時間空く時は連絡してください」

「うん、そうしようかしら。ありがとう」


 クールに肩をすくめるウサコさんですが、口元は緩んでいた。











 雑踏の中でウサコさんと別れる。

 人混みに紛れていくさっそうとした後姿をしばし見やり、わたしも帰ることにします。

 まだ魔法発表会をする学園東の地区は作業中でしょう。クラブの方に顔を出そうかとも思いましたが、今の時間だとすぐに撤収することになってしまうでしょうし、寮でユウさんやフォロンに話を聞けばいいかと思い直します。明日あたり、行ってみることにしましょう。


 学生その他、多くの人で混みあう雑踏をすり抜けていく。

 魔法発表会まではもうあと数日といったところ。世界各国から来賓が招待されているということで、観光客と思しき人の姿もちらほらとみられます。学園生は宝玉で留められたローブやケープを付けていますが、それがなければ外の人だろうと判断がつきます。興味深そうに周囲を見渡しているような素振りをしているのでわかりやすい。わたしも新入生やってきた二年ほど前は、あんな感じでおのぼりさん状態でした。

 こんな人混みを歩くと声をかけられたりすることも多いのですが、今日はそれもありません。みなさんの興味はわたしなんかよりも魔法発表会の浮つきに向けられているのでしょう。いいことです。


「ユイリ先輩」


 と、思っていたところ早速声をかけられる。

 呼び方から知り合いだろうかと首をめぐらすと、そこにはひとりの男子生徒が立っていました。


「あ」


 彼の顔を見た瞬間、わたしは自分の顔がこわばるのを感じました。しかめるというところまではいきそうでしたが、なんとか失礼にならないようにこらえました。


 宝玉は白色。一年生。怜悧な顔立ち。そして同時に、冷たい印象。

 印象だけで言えば、ユウさんに似ているとも言えるでしょう。ユウさんは実際は冷たいばかりの人ではありませんが。

 目の前にいる少年は、さて実際どんな方なのか。わたしはよく知りません。

 わたしたちは、特に仲良しというわけではありません。記憶の中から彼の名前を探してくる。


「ピノークさん、ですよね」

「ああ、名前を覚えていてくれたんですね」


 彼は笑顔を向ける。どことなく乾いた笑み、というような印象でした。そう感じるのは、わたしの彼への印象がかなり含みのあるものだからなのかもしれません。

 彼との個人的な付き合いというのは深くはありませんが、折に触れて接触のあった新入生です。


 新学期が始まってすぐ、結界破りで一躍有名人になったユウさんに取り入ってきた生徒のひとり。ユウさんにぞんざいに扱われて不穏に決裂した人たちです。

 その後、彼は校舎に迎えに行ったわたしを無理矢理ぎみに連れ出そうとした時がありました。ひやりとした危機感を感じた出来事です。

 決定的な出来事は、つい先日の暴力事件。ユウさんに絡んできた何人かの生徒がしたたかに反撃されて問題になりました。その絡んできた生徒の中心が、彼。ピノークさんです。

 ユウさんとの関係において、おそらく最も緊迫しているだろうと思われるクラスメートでしょう。


 会うのは久しぶりです。ユウさんに攻撃されて打撲をおったとは聞いていますが、そう大したものでもなかったそうです。実際見てみて、未だ負傷しているというような印象はありません。


「お久しぶりです。あの、奇遇ですね」


 とりあえず、挨拶をしてみます。


 ピノークさんとユウさんのクラスでの関係は、先の衝突の後は不干渉という感じのようです。チサさんの証言ですので、それは信頼していい情報なのでしょう。

 この状況で、わたしになにか用があるのでしょうか。単に知り合いだから声をかけただけなのかもしれませんけど。でもとりあえず、わたしたちは緊張した関係にあることは疑いありません。


「はい」


 うっすらと笑うようにしてわたしの言葉にうなずく。その表情は笑顔といっていいのかもしれませんが、いびつな感じもあります。目が笑っていない、というのは今の彼の表情を言うのでしょう。

 わたしは胸がどきどきと緊張してくるのを感じて、つい早口で会話を続ける。


「ピノークさんもお買い物ですか? ええと、住んでいるのは、この辺りなんですか?」

「どうでもいいでしょう、そんなの」

「え……」


 思わず胸を抱いて後ずさる。つい助けを求めるように辺りを見渡す。人混み。知り合いはいません。

 彼の強い口調はそれだけで、わたしの肝を冷やしました。


 荒事になり、戦いになれば勝ち目なんてありません。そもそもわたしは攻撃魔法の適性がほとんどありません。

 いえ、あたりは人混みです。直接的に危害を加えてくるなんてないでしょう。彼の吐き捨てるような言葉に、つい嫌な予感が脳内を三週くらいしただけで、それでめげるのはよくありません。

 表情の引きつったわたしの様子を見て哀れに思ったのか、ピノークさんは眉を下げ表情を和らげます。


「すみませんね、怖がらせるつもりはないんです」


 ですがその眼差しの奥深く、なんだか得体の知れない輝きを感じる。


「い、いえ。すみません。わたしのほうこそ、ちょっと最近神経過敏でして。春先は気分も落ち込みやすいって言いますからねえ」

「先輩に相談したいことがあったんですよ」

「え、そ、相談ですか? わたしに?」


 話が飛ぶ。唐突な言葉にこの人酔っているのかな、などとも思いますが、顔色は普通です。なんといいますか、表情が飛んでいるような感じがするだけです。

 ですが、考えすぎなのかもしれません。この学園の生徒なんですから、学園の変人の多い空気に毒されてこんな感じになってしまっただけなのかもしれません。以前に何度かピノークさんと言葉を交わした時と印象は違っていますけれど、人は変わるものです。

 まあ相談くらい、ちゃっちゃと乗ることにします。さっさと済ませてしまいたい。


「ええと、はい。わたしでお力になれることであれば、お手伝いしますよ」

「そうですか? ここじゃなんですので、お店ででもどうですか? いいところ知っているんですけど」

「ん、あの、ここじゃ、ダメですか?」


 大した相談でなければこの場で済むでしょうし、きちんとした相談でしたら日を改めた方がいい話でしょう。

 違和感を感じるし、お店という部分が引っかかってわたしはそう提案する。どんなお店なのかは知りませんが、密室はちょっと警戒したほうがいいでしょう。

 それに今はもう夕方です。あまり長話をしてユウさんより遅く帰ると心配するかもしれません。帰りが遅いとユウさんさりげなく様子を聞いてくるんですよね。それなりに気にかけてくれているみたいなので、あんまり心配はかけたくありません。


 わたしの要求にピノークさんは鼻白んだ様子で一瞬顔をしかめたが、すぐさま殊勝な表情になります。

 少し考えこんで、どう切り出すか言葉を選んでいるのでしょう。やがてぽつりと口を開く。


「実は、ユウのやつとこの間喧嘩をしているんです。先輩も知っていますよね?」

「は、はい。少しだけ」


 曖昧に頷く。先日の暴力事件にはわたしへの中傷というのが含まれているだけに、あんまり内情を知っていることを肯定はしづらい。

 わたしの返事にピノークさんは泣きそうな表情で笑った。


「俺はあいつにひどいことを言ってしまったんです」


 あいつにと言うか、わたしにじゃないでしょうか。いえ、別に直接聞いたわけでもないので正直あまり気にしてもいないのですが。


「だから、どうしても詫びをしたいんです。でもクラスの中だとなかなか切り出せなくて、ユイリ先輩に助けてもらえるなら、かなりありがたいって思っているんです。どういう風に謝ろうとか、なにか物でもあげてもいいかなって」

「物でもって……。あの、そういうことでしたらあんまり周りの視線とか気にしないできちんと謝るのがいいんじゃないんですか? それが誠意だと思いますし、注目があった方が仲直りしたってことも周りに知らせられるでしょうし」

「俺の家は名前が三つある家ですから。そういうやり方はちょっと」


 唐突に名前の数の話が出てきて、わたしはあ然とする。


 ユウ・フタバ。ユウさんの名前はふたつです。一般的な名前の数ですね。

 みっつの名前を持つのは学者さんや高額納税者や、一般市民に対して上級市民という言われ方をすることもあります。ですがそれも昔の話、今の時代はあまり大きな影響力はありません。税区分がちょっと違う場合はありますが、身分としては完全に同じという国も多くあります。

 四つ以上の名前を持つ貴族や王族などとは違い、名前の数は一般人ではほとんど問題になりません。今時それに伴った差別意識など振りかざす人は少数派です。

 少なくとも、謝罪とかそういう話で今どき時代遅れになった身分制を持ち出すのはどう考えても変です。


 わたしは少し呆れてしまい、投げやりな口調で口を開く。


「わたしじゃなくても、クラスの中のことでしたらチサさんがいますよ。ディラックさんも助けになってくれるでしょうし、喧嘩の仲だちならクラスメートの方が助けになると思います」

「ダメですよ、ユイリ先輩じゃなきゃ」

「……」


 ぞくりとするような口調でした。なにか、底知れないものを感じさせるような。

 わたしはピノークさんの顔を見る。瞳の奥の不思議な輝き、それはもしかしたら狂気なんじゃないでしょうか。

 再びあたりを見渡す。大丈夫、夕方のこの時間帯です。行き交う生徒、観光客、たくさんの人々。でもなんだか、わたしたちだけ水槽の底にでもいるような心細さを感じる。


「先輩に相談したいんです。うん、何かお詫びの物でも買うことにしましょうか。どんなものにするか、一緒に選んでもらっていいですか? ほら、先輩、あいつと仲良しじゃないですか?」


 わたしは苦笑いを浮かべて後ずさる。


「今日はちょっと、急いでいるんです。すみません、後日でいいでしょうか」

「後日ですか? 明日でいいですか? 今がいいんすけど」

「いえ、その、魔法発表会の準備で忙しいんです」


 嘘をつく。わたしはもうお役御免ですけれど。


「落ち着いた時期の方がいい結論が出ますよ、きっと」

「いえ、俺は急いでいるんです。お願いします、先輩の力を借りたいんですよ。絶対に助けが必要なんですよ」

「ええと……」


 そう言われてしまうと、わたしも悩んでしまう。

 ユウさんにとっても、彼との関係がひとまず落ち着けば学校生活ももっと安定するでしょう。仲直りをする、ということ自体を否定したいわけではありません。あまりに性急で不穏な感じがするので、もっと心穏やかに事にかかりたいだけです。

 それに、ピノークさん自身の様子も不安をかき立てます。放置して暴走して、ユウさんに危害を及ぼすというような状況になるのは避けたいですね。


「わかりました、わたしでよければお手伝いをしますから、安心してください。助けになれるように頑張りますから」


 とりあえず落ち着けるように、そう約束をする。


「でも、今日はやめておきましょう。もう夕方ですから、ゆっくりお話をすることもできません。何か買うというものそうですけれど、わたしの方でも何かいい方法がないか考えておこうと思います」

「わかりました」


 約束を取り付けたおかげか、ピノークさんの表情は穏やかになる。わたしは胸をなでおろします。なんでこの人こんなに、余裕がない感じになっているのでしょうか。

 ピノークさんは明日とか明後日など、直近で予定を合わせようと言い募ってきますが、わたしはのらりくらりとその言葉をかわして、とにかくお互い余裕ができたらにしましょうと話を進める。喋りながら、押し問答、という単語が頭の中をふよふよと漂います。

 わたしの対応に満足したわけでもないのでしょうが、埒があかないと思ったのでしょう、ピノークさんは不満そうながらとりあえず近日中という言葉を了承します。


「わかりました。でも先輩、このことは周りには秘密にしておいてください。俺があいつに謝ろうとしているとか、知られたくはないんで」

「言いふらすつもりはありませんけれど、どうせ謝るつもりでしたら、別にいいんじゃないんですか?」


 根回ししておくことで話はスムーズに進んでいくことも多いでしょう。彼はユウさんとの謝罪を一対一で済まそうと考えているのかもしれませんけれど、関係が悪化している様子は周囲も察知しているでしょうし、もっと風通し良く関係を修復した方がいいと思います。

 わたしの素朴な疑問にピノークさんは暗い表情で首を振ると、改めて言う。


「他言無用です」

「わかりました。わたしのおなかに、その話はしまっておきましょう」


 ピノークさんはわたしの言葉に頷くと、踵を返して去っていきました。


「……」


 さようなら、くらい言ってくれても罰は当たらないんじゃないですかね。

 腹が立つというよりは、ただただ混乱して面食らってばかりの会話でした。躁鬱状態にあるのではないかというくらい、気分の上げ下げが激しい感じ。以前に比べると、どう見ても情緒不安定に見えました。


 でもまあ、今の時期ということもあるかもしれません。新入生のうちある一定の割合の生徒は、今くらいの時期に一度ずん、と気分が落ち込むものではあります。

 ここに入学する生徒は通常、地元の同世代では並ぶこともない天才と扱われて育ってきて、意気揚々と入学してきます。そしてすぐさま、自分の才能はこの学内にあっては大したものではないことに気付かされるのです。この学園は、天才が凡才。その事実に打ちのめされてしまい、心が折れてしまう生徒というのも一定数存在するものです。

 ユウさんに突っかかるのも、あの人の唯一無二の才能に嫉妬したものだと考えると、それは納得できるものではあります。だからといって、肯定できるかというとそういうわけではないですけれど。

 つらい時期を抜け出すには意志と努力が必要です。

 あるいは、クラスメートやクラブ。友達や先生。逆境を感じる中で歯を食いしばって助け合えるような仲間が必要です。

 そういったものがない場合、悪い方向に悪い方向に身を持ち崩すことだってあるかもしれません。


 わたしはため息をつく。

 なんだか、ままならないですね。


 わたしは歩き出す。

 ふいに視線を感じたような気がしてあたりを見回してみますが、どうやら気のせいだったようです。











「うーん」


 と、わたしは腕を組んでじっとテーブルの上を眺めてみます。ですが、それで何か結論が出てくるということもありません。

悩ましい。悩ましいですね。


「なにしてるの? 考え事かしら?」


 夕食後、寮の談話室の片隅で腕を組んでうんうん唸っていると、手前のソファーにひとりの女子生徒が腰を掛ける。

 この寮の寮監、リーズウッド先輩でした。わたしの姿が迷える寮生に見えて気にかけてくれたのでしょう。こういうところがよく気の付くいい人です。

 でも久し振りにリーズウッド先輩を見ました。先輩は魔法科の六年生ですから、当然研究室に所属しているのでしょう。研究室の発表で中核を担っていることは想像に難くありません。

 わたしを気にしてくれるのはありがたいですが、ちょっとやつれた感じがします。


「いえ、大したことではないです」


 先ほどのピノークさんとの会話を思い起こして、その後の身の処し方を考えていただけです。

 ユウさんとの仲立ちをするにあたってどんなフォローをした方がいいのか。そもそもこの話はわたしひとりで抱えていいのか、相談すべきか。

 悶々として、なんだか考えるのすらおっくうになってしまうような問題です。


 ユウさんはクラブのみんなと夕飯を食べてから戻ると連絡がきていましたので、まだ帰ってきていません。ルドミーラも今日は研究室に泊まりのようです。

 夕方から、不安な気持ちが大きくなってしまっています。だからこうして、部屋にも帰らず談話室に来てしまったのでしょう。普段はあんまりここにひとりで来ることはないのですが。


「先輩は今の時期、忙しいんじゃないんですか?」


 だから雑談をして気を紛らわせることにします。

 リーズウッド先輩はわたしの言葉に苦笑する。なんだか見たことないくらいはかない笑みでした。


「今日は久しぶりに帰ってきたの。さっきからみんな忙しいのかって言うわ。……もしかしてやつれてる?」

「うーん、ちょっとだけ?」

「わかるわよ。やつれているでしょうね。三徹よ。今ならかなりの強度の呪いをうてそうな気がするわ」


 暗い笑みを浮かべる先輩。

 三徹は……まあ、そんな気分にもなるかもしれませんが。むしろ部屋帰ってすぐ寝た方がいいような気もしますが、変に気分が高ぶってしまっているのかもしれません。

 休む前に誰かと話をして心を穏やかにしたいのかもしれませんね。全然迷惑ではないので、雑談に付き合うことにします。


「うっちゃダメですよ」


 わたしは苦笑してそうツッコミを入れておきます。先輩には珍しい後ろ向き系の冗談ですね。

 呪いは基本的に危機が大したことはありませんが、術者の精神状態のによっては能力が向上されると言われています。うらみつらみが積み重なると、超強力な呪いが放てるというのは定番のイメージです。


「冗談よ。ていうか、実際はある程度健康じゃないと呪いは効力落ちるしね」

「あれ? 上がるんじゃないんですか?」

「それは俗説。呪いも魔法も、健康な時に使うのが一番よ」

「そう言われてみれば、そうかもしれませんね。先輩は今は、調子悪そうですね」


 疲れた様子のリーズウッド先輩を見てしみじみと言ってしまう。


「うん、だから当日前に一度休もうって帰ってきたの。研究室でうつらうつらはしたんだけど、あそこじゃうまく眠れないのよね。でも久しぶりに顔を合わせたんだから、ちょっとくらいは気分転換に付き合ってよ」


 にこり、といたずらっぽい微笑みを向けてくれる。


「ユイリこそ忙しいんじゃないの? 聞いたわよ、クラブ連の活動の中心にいるんでしょう」

「わたしじゃなくて、クラブの方がですけどね」


 クラブ連の活動の実際の切り盛りはプロデュース研究会というイベント実行に特化したクラブが行っているので、運営に関与はしていません。

 ですが、第三魔術研究会は今回の魔法発表会のクラブ活動の目玉、湖上を通る魔法のパレードの企画と準備を担っています。

 より正確に言えば、ルカ先輩とユウさんとチサさん、そしてフォロンの四人がこの準備の中枢ですね。あとコンラートさんも色々フォローしているらしいです。場に魔力を供給し、山車を運行させる巨大な魔法陣を水上に引く作業です。

 残りの部員のエステル先輩とクローディア先輩にアイシャ先輩、ミスラ先輩がパレードの山車を制作しています。


 クラブ連の事情を説明すると、リーズウッド先輩はうんうんと頷きながら聞いてくれる。

 研究室とクラブ連は関係が微妙な向きもありますが、リーズウッド先輩はそこまで気にしているというわけでもなさそうです。どちらにも所属している生徒も多いですし、生徒というよりはむしろ教授やそれにごく近しい一部の生徒がクラブ連を見下してきて、クラブ連側は反発しているような図式でもあります。


「無益なことに頑張ってて、羨ましいわ。こっちは真面目な話ばっかりで嫌になるわ。寮杯の季節になれば、私も馬鹿できるけれど」

「先輩はどんな研究をしているんですか?」

「うちの研究室は、いわゆるディスペル・マジックね。呪いを使った扇動とか洗脳をどう見破って、どう防ぐかみたいな。今は選挙をモデルケースにしてその解決をどうするかーってやってるの」

「……選挙に、呪いですか?」

「うん。ある候補者に対してなんとなく不信感を覚えさせたり、投票させたい人に信頼感を持たせたりね。そういう呪いがあるの。選挙の投票日当日、ほんの少しの間だけ呪いが効けばそれで十分、役目を果たせるような呪い。実際そういう不正選挙の報告は昔からあるのよ」


 行政に紐づけた、精神感応にかかわる魔法の研究のようです。

 精神感応魔法は世界的に使用の制限されている魔法ですが、研究も進められている魔法でもあります。使用というよりは、予防目的という意味合いが強いですね。


「呪いは魔法使いに対してはそこまでのものじゃないですけど、大規模に使われると影響はありますからね」


 不特定多数に使用する呪いというのは聞いたことはありませんが、先輩の言い分ですと実は存在はしているのでしょう。広く知られたら結構世間がざわつきそうです。

 わたしののほほんとした感想を、リーズウッド先輩は頭を振って否定する。


「魔法使いはそう思うけど、呪いは危険よ。魔法使いにも効くタイプの呪いって実際あるのよ。最近の呪いは少しだけ認識をズラすことに特化したものもあるし。自分が呪いにかかっているとは思っていない場合、呪いは一番危険なのよ」

「なんだか、催眠術の一種みたいですね」

「うん。催眠術に魔法を組み込んだものと考えれば簡単ね。これを破るのが難しいのよね。繰り返し催眠をかけられるともう呪いの範疇を超えて人格に影響を及ぼす最悪のパターンもあるし、そうでなくても呪いだけ破るって大変なのよね。基本的に呪いなんて魔力を込めればガードできる時代が長かったから、外から解除する手段があんまり研究されてこなかったし」


 条件を満たすと強制的に対象に結果を生じさせる魔法、というのが呪いです。暗くなったら勝手に点灯する街灯みたいな設置型魔法陣と構造は近しいですが、相手が人だと呪いと呼ばれます。


 人をはじめとして複雑な分子構造をもつ生物には生来、魔法への対抗能力が備わっていて、外部からの魔法を弾きます。

 だから例えば体が内部から弾けるとか、脳の血管を詰まらせる、などという魔法は存在しません。攻撃魔法というのはあくまでも外からの攻撃というものになります。

 人の体は魔力が殻のように覆っていて、これが魔法への強力な守りになっているのです。この特性は近年では立体魔法陣と呼称されて研究が進んでいます。最先端の魔法陣とは今や、三次元の時代なのです。


 そんなところに一撃を加える新しい呪い。

 精神感応系の魔法は知覚に影響する魔法ですので体を守る防御が効きづらいと言われていましたが、その脅威は次のステージに到達しているようです。

 そして当然、その対策も研究が盛んなのでしょう。


「なんだか、大変な研究をしているんですねえ」


 新種の呪いに対抗するディスペル・マジックとその公共での活用について。

 わたしの専門の話でもないため、嘆息して聞くしかありません。


「こういう認識をちょっとだけいじる呪いの調査とかしていると、彼氏もできないのよね」

「あー、ちょっと心理学っぽい感じもありますし、気にしすぎちゃうのかもしれませんね」

「そうそう、それはあるのよ」


 難しい話はもう終わり、という顔になってリーズウッド先輩はリラックスしたような表情になって話は雑談方面に流れていく。

 せっかく休むために寮に帰ってきたのに未だ研究について考え続けるのも毒でしょうし、他愛のないお話で頭を休めたいのでしょう。


「それにしても、ユイリがひとりって珍しいわね」

「はい、ユウさんもルドミーラもみんな忙しくって。仕方がないですけど」


 他にも最近は仲良くしている寮生が何人かいますが、さすがにこの寮に住んでいる生徒はこの時期忙しい人が多くて、談話室でお喋りするほどの人はあんまりいません。

 談話室も、普段よりもすいています。


 そんなことを話していると、食堂で一緒にご飯でも食べていたのでしょう、知り合いの寮生がぞろぞろと談話室に流れ込んできて、隅の方でのんびりしているわたしたちのところに寄ってくる。


「よっ、ユイリ。暇なら俺と飲みにでも行こうぜ」

「おす、リーズウッド先輩。なんか痩せた? 胸は痩せてないか、ははっ」

「なに話してたの~? 私も今日は暇になっちゃったんだよね」

「蜂蜜たばこもらってきたんだけど吸う?」

「おいユイリちゃん、こないだ頼んでた煮干しの件どうなった?」


 一度人が集まり始めると、わいわいと際限がなくなってくる。特に久し振りに寮に姿を現したリーズウッド先輩の影響もあるでしょう。

 なんだかこうしてわちゃわちゃと話をしていると、心が和みます。


「あんたたち、連れだってなによ? 食堂の方にいたの?」


 親しい人たちがやってきて、リーズウッド先輩は雑な口調になります。


「ああ、ラジオ聞いてたんだよ。天気予報の」

「DJマサルの爆笑天気予報ですか?」


 この時間にやっている天気予報はそれくらいです。

 わたしもよく聞いているのですが、思いのほか談話室でのんびりとしてしまっていたみたいですね、今日は聞き逃しました。


「それそれ。週末、やっぱり雨だってさ」

「結構強く降るみたいに言ってたよ」

「あ、そうなんですね」


 週末は魔法発表会があります。天気が怪しいというのは聞いていましたが、やはり思わしくないようですね。

 ユウさんとピノークさんのことも頭の痛い問題ですが、差し迫った発表会当日の雲模様も問題です。

 魔法のパレードをはじめとしてクラブ連の活動は基本的に屋外です。天気の影響はかなり大きいでしょう。


「まじやばいんだよな~」


 本当にやばいと思っているのか、寮生はへらへら笑いながらそんなことを言います。まあ、イベントごとにトラブルは付きものですし、ならばどうするか、ということではあるんですけど。


「突入~~~~!!」


 話をしていると、唐突に誰かの声がしました。

 入口の方、ひとりの寮生が談話室に飛び込んでくる。見ると、いつの間にか談話室の中に光る金魚が浮かんでいます。


「うおおお!」

「なになに!?」


 突然のことに、談話室の中でお喋りしていた生徒たちが慌てて立ち上がって逃げていく。

 わたしはというと、いきなりのことに完全に硬直して事態の推移を見守っていました。


 ……なにこれ?


 かなりリアルな造形をした金魚は薄い色紙で形作られて、内部がちろちろと輝いています。中に入ってから膨らませたのか、どう考えても入口の扉よりも幅が広い。談話室は上の方には中二階と呼ばれている秘密のスペースがあったりするくらい天井高めの設計なのですが、この広い部屋の中にあってさえあ然とするくらいに大きい金魚です。

 ふよおん、という擬音でも浮かべるように、悠然と浮かぶ金魚のハリボテ。

 その口から色とりどりの紙風船がふうっと吹かれて談話室の中を満たし始める。紙風船に見える造形なだけで実際は魔力の投影のようで、人や物に触れると色を失って消えていきます。ですが噴き出す紙風船の物量はなかなか多く、あっという間に談話室の上空はうごめく紙風船ですっかり埋まってしまう。


 そんな光景を眺めつつ、発端となった男子生徒は満足げに両手を振り上げました。


「おいこらアユー! てめぇなんだこれ!」

「寮則違反だぞっ!」

「いやいや、もっとやれ!」

「金魚だこれえ!?」

「あっはっは! 見たかお前ら! 今度の魔法発表会で我らがクラブ、天使慰安室の発表する魔法のパレードだ! 大増殖する魔法の紙風船が美しい! キャーキャー言って!」

「言うかっ!!」

「ぎゃーっ!」


 高笑いする男子生徒を、何人かの寮生が止めようと抑える。でも面白がった別の寮生がそれを止めて、いきなり談話室の中が恐慌状態に陥りました。

 いえ、恐慌状態というよりはもはや戦闘状態というくらいの様相です。


 そんな中、まるで荒波の中を漕ぎ出している船のように、光る巨大な金魚の山車が、どんぶらこっこと周遊します。近づく魔法の紙風船にちょっと触れると、かすかな花の匂いをさせて弾ける。魔法に香料を仕込んでいるようですね。すごく繊細な魔法です。


 ……こんなお披露目の仕方をしなければもっと感動したんですが。


 元々片隅に陣どいっていたのが幸いして、わたしの方までは騒ぎは波及はしてきません。


「こらーー!! あんた、アユー・キシンジ! また馬鹿なことして! 怒るよ! 今度こそっ!」


 あ、リーズウッド先輩が鬼の形相で戦闘に参加していきました。


「……」


 あ、アユーさんが捕縛されました。

 あ、殴られています。

 ああ、連れていかれました。

 あ、寮生の皆さんは騒ぎは終わったとばかりに金魚を談話室の片隅に置くとまた思い思いに雑談を再開し始めましたね。

 この切り替えの早さがすさまじいですねえ。


「俺も魔法発表会の準備で明日早いんだよな。今日はもう寝るかな」

「うーん、私もそうしよっかなあ。あ、お仲間きたよ。私も行くね、おやすみ~」


 傍にいた寮生たちもさっさと離れていってしまう。それと入れ替わりに、この寮内で一緒に行動しているいつもの面々が集まってきます。

 ユウさんとフォロン。今はお仲間の一角、ルドミーラはいませんが。


「……なにしてたんだ?」

「あれ今度のパレードのやつ?」


 談話室に入ってきたユウさんは隅に倒れ伏している金魚を一瞥して、不思議そうに聞きながらわたしの手前に腰掛ける。

 フォロンも一緒です。金魚に対して感懐もなくそう呟きながら、わたしの横に座る。


「まあ……色々ありまして」


 とりあえず、そう言うしかありません。色々とも言えるし、いつものこととも言えますね。


「ふたりとも、今帰ってきたんですか?」

「ああ。部屋に戻ろうかと思ったんだが、騒がしかったからな。様子を見に来た」


 中を覗いたらわたしの姿を見つけたので、そのまま入ってきたんでしょう。

 ユウさんは普段あんまり談話室の中に入ってくることはありません。そもそも誰かと歓談することというのが稀ですからね。

 腰を落ち着けたユウさんはそういえば、と話を切り出す。


「途中で寮生が簀巻きにされて吊るされてたぞ」

「うん。願いごとを書いて一発殴ると、願いが叶いますって書いてあったね」

「そうだったか? 読んでない」

「……」


 言い合うふたりの言葉に、わたしは冷や汗を流しながら渇いた笑いを浮かべます。

 リーズウッド先輩の怒りを買った騒動の原因の生徒は、どうやらひどい目にあっているようです。とりあえずわたしはリーズウッド先輩を怒らせるようなことはしないように決意しておくことにします。

 というかあのアユーという寮生は、いったいどうしてこんなところでパレードの山車をお披露目することにしたのでしょうか? 向こうに取り残された金魚のハリボテはどうなるのでしょうか? そのあたりは謎です。


「湖のほうは、どうですか?」


 話を切り替えて、魔法発表会の準備の進捗について尋ねる。


 第三魔術研究会のメンバーは大体みなさん本番の会場近くで準備を進めています。湖面に敷くことになる魔法陣の下ごしらえ。会場近辺の魔力の確保の調整作業。人員や手続きに関わる渉外活動。そして今回のクラブ連の目玉になる山車の作製。

 山車の作製はそれなりに広いスペースが必要になるので、今は湖の近くにある施設の一角を借りて作業をしています。


「魔法陣は間に合わない。魔力は問題ない。パレードは厳しい。天気は絶望」


 淡々と言うフォロン。


 わたしは言葉の内容をしばし、頭の中で繰り返します。

 んー、とひとしきり考えてからひと言。


「魔法陣が間に合わなかったら、元も子もないのでは?」


 一番遅れてはいけないものが遅れているような気がするのですが。


「もしかして、中和剤の出来に問題がありましたか? 量足りなかったりしましたか?」


 魔法陣の作製の下準備の部分ではわたしも色々とお手伝いをしました。もしかして、そのあたりに何か不手際でもあって現在、まずい状況になっているのでしょうか。

 かなり不安な気持ちになって尋ねますが、フォロンは表情も変えずに淡々と否定する。


「ううん、規模が大きすぎて、手が足りていないだけ。私一人じゃ間に合わないから、今部長が助けてくれる人を探してる」

「あぁ、中和剤に問題がなかったのは良かったけれど……今の時期に、フォロンを助けてくれるような魔法使いの手が空いてるの?」

「さあ? 空いてないんじゃない?」

「……」


 もしかしてルカ先輩は今頃死にそうになりながら助っ人を探しているのではないでしょうか。

 まあ、先輩は顔も広そうですからなんとかなるような気もしますが。というか、手助けが見つからなければ魔法のパレードが開催できなくなって今回のクラブ連の発表自体がかなりスケールダウンしますからね、いざとなれば各クラブから助力を募ることはできるでしょう。

 とりあえず、わたしに手伝うことはなさそうです。特に魔法陣魔法に優れた知り合いというのもいませんし。


「ユウさんは誰か、そんな知り合いはいませんか?」

「いないぞ」

「ですよね」


 聞くまでもありませんでした。


「魔力の方は問題ないならいいですが……」


 魔力の補充はユウさんとチサさんがメインのパートです。こっちは既に解決している問題のようですので、まあよし。

 天気の方はいかんともしがたい問題です。人の身でどうにかなることではありませんね。


 そして問題はもうひとつ。


「パレードの準備は?」

「遅れてるよ。アイシャは研究室の手伝いがあるし、ミスラは他のクラブの助っ人。エステルは生徒会。今日来たのはクローディアだけだった。コンラートも忙しいみたい」

「あー……」


 第三魔術研究会は有能な人たちの集まりです。基本的にあちこちに引っ張りだこで、色々な所属を掛け持ちしています。

 進捗の遅さの原因は単純に頭数が足りていないという感じがしますね。

 クラブに専念している人といえば、クローディア先輩くらいのものでしょう。ルカ先輩も他に所属していませんが、クラブ連の顔役の一人というところがあるので、なにかと飛び回ることの多い人でもあります。


「ヴィクトール先輩は?」


 わたしと一緒に中和剤の準備をしたヴィクトール先輩。数日クラブも研究室も投げ捨ててどこかに小旅行に行っていたらしいですが、今はもう学園に戻ってきているはずです。


「作業場もちょっとだけ顔を出してきたけど、そういえばいた。隅で寝てた」

「そうですか……」


 いっそ清々しいほどに、役目は果たしたからもう働かないという意思を見せていますね。クローディア先輩にまた小突かれていそうです。

 というかよく考えてみれば、サボっているかいらないことをしていて、結果攻撃されて隅で伸びていただけなのでは……? いえ、そのあたりの真相はわかりませんが。


「明日は、わたしもお手伝いに行きますね」

「え、ユイリが? 別にいいけど」

「来てもおまえ、何かすることあるのか?」

「……」


 この後輩たち、痛いところを突きますね。


 手伝える部分は、湖上の魔法陣と山車の作製。すなわちどちらも魔法陣魔法です。

 わたし、魔法陣魔法苦手なんですよね。あの作業、理数系の頭がないととてもうまくできないと思います。去年までは魔法陣魔法の必修がありましたが、当然のようにわたしは落第ギリギリの低空飛行でパスしました。

 わたしは錬金術以外ですと回復魔法をちょこっとというくらいしか秀でた部分がありません。いえ、まあ、錬金術もこの学内ではかなり下位ですけれど。

 なので、大規模な魔法陣作成や立体魔法陣の構築など、申し訳ないのですが手出しできるレベルにはありません。


「お、おにぎりでも差し入れましょうか?」

「おにぎり」


 ユウさんが失笑する。


「クラブの有志が会場の近くで出店を開いているから、今は大体なんでも買えるよ」


 ばっさりとわたしの提案を切り捨てるフォロン。

 あの、そこまでいらない子扱いしなくてもいいんじゃないですかね。

 お姉さん、ちょっと泣きそうですよ?


「と、とにかく」


 とにかく。


「わたしにも何かできることがあるかもしれませんし、今日一日休ませてもらいました、わたしは頑張れますよ。明日は行きます。行きますからねっ」


 拳を振り上げて宣言します。


「じゃ、くれば?」

「暇なら私の作業見てていいよ」


 気炎を上げるわたしの宣言もなんのその、ユウさんとフォロンはしらーっと返事をする。

 もうちょっと、可愛げというものがあってもいいのではないでしょうか。


 魔法発表会も間近に迫り、浮き足立った量の空気の中で、冷めた後輩たちにわたしは苦笑まじりに嘆息をしました。

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