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魔法学園へようこそ!  作者: cymbal
第3章 殲滅魔術師
33/42

リーベルカ/カダ

 店員に迷惑そうに布巾を貸してもらいホタルの分の追加のアイスコーヒーを頼み、一息つく。リーベルカにとっては大事な話をしていたのだが、先ほどの話を続ける雰囲気ではなくなってしまった。

 むしろ、そうさせるのがホタルの狙いだったのだろうか。そう思い、隣の少女を見やる。


「服までは濡れなくてよかったですねえ、姫様」

「……」


 能天気な様子に頭痛がした。


「あのー、リルカさんの姫様っていうのは……?」


 ユイリがおずおずと、当然の疑問を口にした。


「ひ、ひえっ!?」


 自分の失言に気付きすくみあがるホタルの手前からグラスを避難させつつ、リーベルカは苦笑する素振りをしてみせる。


「ああ、それね。そこまで大層な身分というわけでもないんだけれど、家ではそう呼ばれているの。本当の姫ではないんだけれど」


 下級の貴族はそうでもないが、高位貴族の令嬢は通例、姫と呼ばれることが多い。姫呼びが直接国の支配者の家系を示すわけではない。


「本当は家の外では名前の様付けもよしてほしいんだけれど、それは譲れないみたいなの」

「あぁ、そういうことですか。やっぱり、すごいお人なんですね」


 ユイリはうまくリーベルカの誘導に乗ってくれたようで、納得した様子だった。実際、リーベルカは皇位の継承を放棄しているので、そういう意味では正統な姫ではない。正妃の子でもないし。

 少しだけ身分を明らかにしてもユイリの態度はあまり変わらず、その対応はありがたい。彼女の交友関係に中堅貴族の学生がいるので、貴族の相手もある程度慣れたものなのかもしれない。


「私のことはいいでしょう。それにしても、今の騒ぎで注目されちゃったわね」


 ホタルがコーヒーをこぼす前からそれとなく周囲の視線は感じていたが、今は先ほどよりもあからさまになっていた。

 ボックス席になっているとはいえ安いチェーン店なので、客席の垣根は高くはない。それなりに混んだ店内、連れだった学園生たちが噂話をしながら視線を送ってきている姿が目に付く。

 彼らから向けられる視線にリーベルカは苦笑する。


「さすが、有名人ね」

「まあ、困ったものです」


 ユイリは苦笑した。

 今、目立っているのはリーベルカやホタルではなく、ユウたちだった。なにせこの春に誰も破ることのできなかった結界を最後の最後に大胆に破壊してみせた新入生と、その連れだ。チサもかなりの有名人だし、ユイリもそれなりに顔を知られた存在だ。

 チサなどは視線を浴びて落ち着かないようで、さっきからじっと顔を伏せてしまっている。


「話題になって困っている、というようなことは手紙でも書いていたわね。でも、たしかにこれじゃ外に出ても落ち着かないかもしれないわね」


 リーベルカはこのくらいの視線だとあまり気にならない。衆目は集めて当然、皇女として過ごすようになってからはあまり気にすることもない。だが、誰でもそういうわけにもいくまい。


「普通に歩いているだけなら、そこまででもないんですけどね。最近は取材とか、減りましたし」


 ユイリがユウの窓口係をさせられることは多く、一時期は対応に苦慮したようだ。今はユウの塩対応は広まり、メディアの攻勢という点では波は引いた。

 だが、周囲の注目は未だそれなりに残っているようだった。


「私もこの学園の春の結界は目にしたけれど、あれほどの結界を解除してみて、体調を崩したりしなかったの?」


 何気ない風にユウに尋ねる。

 結界を破るには、相応の力量が必要になる。力づくで吹き飛ばすか、理詰めで解除するか、あるいはその中間……ある程度は魔法を解除し、部分部分は力づくでやり過ごすか。

 普通は最後の折衷案を取ることが多い。というか、そうせざるを得ないことが多い。結界の解除というのは、魔法の理論と魔力量を必要とする高等技能なのだ。解除をすると魔力欠乏で倒れることも多い。


「別に」


 ユウは肩をすくめてせる。


「結界の魔力の強さは、関係ないから」


 どうでもよさそうに言った。


「ユウ様……」


 ホタルがぷるぷる震えながら口を挟む。


「あんまりそういうことは……言わない方がいいんじゃないでしょうか」

「そうか?」


 ユウの方は、わりとどうでもよさそうな表情だった。

 そんな様を見ていると、彼らの中での直接干渉魔法の意味合いがどの程度のものなのか、なんだかよくわからなくなってくる。大事なのだろうか。そうでもないのだろうか。


 だが、なんにせよ、今はこれ以上突っ込まない方がいいだろう。


「結界破りをしたクラブに、そのまま入ったと聞いたけれど、どう?」


 第三魔術研究会。特定の目的がある集団ではなく、場当たり的に活動しているクラブだと聞いている。

 何より、直接干渉の使い手が三人も存在しているという、稀有な集団。


 直接干渉魔法は、時に道理を覆す。

 その能力は全貌が出回ることは少ない。直接干渉魔法の使い手がその能力の限界を世間に開示することはない。ユウ以外の直接干渉魔法の使い手の話を聞いてみれば、また別の方向からこの学園国家に付け入る道筋が見えてくるかもしれない。


 そんなリーベルカの内心も知らず、ユイリはにこにことクラブの話をしてくれる。わりと仲良くやっているようで、聞いているとなんとなくほのぼのとした。

 チサも入ったばかりだが部内では可愛がられているらしく、先ほどまではずっと所在なく黙っていたが口が滑らかになり、時折笑顔も見せるようになる。ユウとホタルは横で聞いているだけ、というくらいの状態だ。

 クラブに所属するというのは、話を聞いていると楽しそうなものに聞こえた。宮廷ではサロンのようなものはあるのだが、やはり趣はかなり違う。


「最近はかなりばたばたしていますね。発表会の日が近いので部室に集まることはあんまりなくて、湖の傍にある会場に集合していることが多いです。わたしはあんまり行っても意味はないんですけれど、まあ、付き添いですね」

「あの公園、いつ行ってもすごいたくさんの人で……いつもすごくびっくりします」

「ユウさんとチサさんと、あと部長でルカさんという先輩がいるんですが、この三人が会場の周りの魔力を整えるというんでしょうか、調整作業をしているんです。クラブ連の活動の土台づくりをしているのでみなさん声をかけてくれて、いつも人気者ですよ」

「いえ、全然です……。私は、言われたとおりにやっているだけですし」

「この調子で、いっぱいお友達つくりましょうねっ」

「おまえの中で、まだその話続いてたのか?」


 わいわい話すその姿に、リーベルカは口の端を緩める。

 こうしていると、のんびりした休日の一幕、というような気分になった。


 そのまましばらく魔法発表会の話を聞いていたが、次第に話しかけてくる生徒が現れ始める。先ほどから注目はされていたが、ひとり声を掛け始めると際限がなくなってくる。


「そろそろ出ましょうか」


 報道系のクラブ生の取材を丁寧に断ったのち、ユイリは困ったような微笑みをリーベルカに向けた。

 たしかに、この状況ではもうゆっくり話す余裕はないだろう。時間を確認してみると、思いの外長い時間が経っていたことに気がつく。今は旧交を温めることができたので充分だし、ホタルにも聞いてみたいことがたくさんできた。


「そうね。また今度、ゆっくりとお話をしましょう」


 リーベルカは頷き、伝票を手に取る。


「はいっ。あ、ですけど、お代はわたしが出しますよ?」

「いいわよ、誘ったのは私だし」

「いえいえ、せっかく学園までいらしてくれたんですから、せめてもの歓迎の気持ちですよ」


 店の入口の会計所でひとしきりどちらか代金を出すかユイリと揉めて、結局出してもらうことになる。

 なんだか、こんなやり取りは新鮮だった。店の入口でどちらが代金を払うかで揉める皇族は、少なくともリーベルカの兄弟には存在しないだろう。どうでもいいことなのだが、なんとなく痛快な感じがした。


(なんだか……普通の学生って、こういう気分なのかもしれないわね)


 先に店を出て、支払いをしているユイリを眺めながら心中そんなことを思う。

 だが今の場面、よくよく考えてみれば従者であるホタルが率先して立ち回るべきなのではないかという気にもなる。


「ホタル。あなたも私の従者なのだから、ああいう場面ではきちんと働きなさい。それが務めよ」


 箱入り娘にも思える雰囲気のある少女だが、一応釘を刺しておく。少しずつでも従者として使えるようにしていかなければ、宮殿での物笑いの種が増えるだけだ。


「……」

「……?」


 返事がないので不思議に思って傍らの少女を眺めると、顔をしかめて頭を押さえていた。

 言いすぎて落ち込んでしまったのだろうかと少しだけ心配になる。


「ホタル? 調子悪くなったのかしら?」

「姫様……。申し訳ございません、少し頭が痛くなってきてしまいまして。コーヒー、こぼした分とおかわりとで結局二杯近く飲んでしまいましたから……わたくし、すぐにカフェインに酔ってしまうんです」

「……」


 殊勝に反省しているのかと思ったが、勘違いだったようだ。

 リーベルカは冷めた目でホタルを眺める。


「あなた、ここに何しにきたの?」

「つ、連れてきたのはリルカ様でございます……」


 ちょっと涙目になって、ホタルは弱弱しく口答えをした。反抗できる元気があるならば、大丈夫だろう。

 もし自分に不出来な妹が存在していたならば、きっとこんな感情でもって相手を眺めるのだろうなと思い、そんなことを考える自身に苦笑した。


 話をしていると、会計を済ませたユイリが店から出てくる。


「今日はありがとう。有意義な時間だったわ」

「いえいえ。わたしもリルカさんにお会いできまして、うれしかったです。またお時間がありましたら、ご一緒しましょうね」


 にこにこと愛想よく話すユイリも、なんとなく妹っぽい印象がある。こちらは、どちらかというとよくできた妹という感じだが。

 この学園に滞在している間にまた会おうと約束し、連絡先を交換して別れる。


「ホタル、宿に帰るわよ」

「かしこまりました」


 歩き出すと、ホタルが後ろに付いてくる。

 宿に戻ったら、彼女に直接干渉魔法について色々と聞いてみることにしようと考えるリーベルカ。あるいは、もう少し信頼関係を固めた方がいいものだろうかとひとりごちる。

 色々とやるべきことが積みあがってきたような感じに充実感を覚える。やはり、城の中で過ごすよりはこうして行動している方が気がまぎれた。皇女としては特殊なのかもしれないが。


 呑気に「宿のご飯もおいしいですから、楽しみですねえ」などと笑っているホタルに適当に相槌を打ちながら歩く。

 空はそろそろ、夕方というところ。まだ夕空にはなっていないが、その兆しが見える頃。

 大通りを歩く人出はいよいよ多い。今日は休日、クラブ活動や遊びに出てきた学園生が行き帰りに交錯する時間。店の呼び込みも活発になる。こんな時間から酔っているらしき学生の集団がわあわあと騒ぎながら通りを歩いていく。既に泥酔して道端に倒れて寝ている学生もいて、その生徒の背中には「この酔っ払い、聖者の如く扱うべし」と紙が貼り付けられている。誰かのいたずらなのだろう。生徒たちはそんな様を一瞥して、それ以上気にする様子はない。


「君に呪いをかけた」


 唐突に男子生徒が声をかけてきた。

 リーベルカはぎょっとして距離を取り、慌てて身構える。完全に油断していた。腰に差した剣を掴む。


 呪い?


 ホタルが両者の間に身を滑り込ませる。水が流れるが如く、素早くそして自然だった。護衛としての力量など期待すらしていないのに、その動きは意外だった。

 そんなこちらの緊張など頓着せず、男は続ける。


「時間が経つと、お腹のすく呪いだ」

「……」

「……」

「さらばっ」


 白い目を向けると、ヘラヘラ笑って去って行く。ただの変人だったようだ。ここは魔境だろうか。


「なんなの、一体」

「変わったお人です」

「……」


 あなたもね、と心の中で言っておく。


 帝都リュミエールも騒がしいが、この学園国家では圧倒的に若者が多く、その騒がしさはとかく陽気な印象だ。

 帝都はもっと、陰気な部分も目立つ街である。長く戦争の続く帝都の雑踏とこの場所を比べられるものではないかもしれないが……。

 というか、この学園の気質の明るさも、若干はた迷惑な気がしてきた。


 能天気に笑い、浮かれたような人波を縫って歩いていると、陰気な顔をした男が近付いてくる。その男の周囲だけ、なんとなくほの暗い冷気が漂っているような気配がした。

 伸ばしっぱなしの、油を塗ったような照りのある髪の毛は死神めいた不吉さを醸し、淀んだ瞳、冷笑的な口の端、それでいて音もなく隙のない身のこなし。この学園に紛れ込んでいる間諜の一人だった。

 この学園に入ってすぐに、向こうの方から接触してきて、時折こちらの腹を探るように言葉を交わすことのある男。

 カダと名乗るその男は、幾人もの間諜を束ねる立場にあるようだ。直接言われたわけではないが、その後ろにはリーベルカ同様にこの学園のことを探っている異母兄、スクエラの姿がちらついた。どうやら、リーベルカが魔法学園にもぐりこんだことを目ざとく見つけて、動きをうかがっているようだった。

 不吉な印象のこの男の姿を目にして、リーベルカの表情はひと段階暗いものになる。

 ホタルは後ろに下がり、しずしずと男に目礼をする。怯えたような様子だが、カダがそれを気にする素振りはない。


「皇女殿下」


 少しの敬意も込められていない声。街中でそう呼ばれるのは危険なはずだが、不思議と周囲の喧騒に紛れる声音で、耳を澄ませていないと男の声が頭に入ってこない。


「先ほど一緒にいた生徒は、お知り合いで?」


 へつらうようでいて、侮るようでもあるような微妙な声音。


「今の呪いの子?」


 あんな馬鹿馬鹿しい知り合いがいると思われているのだろうか。そんなわけはないが、話をそらすようにそう口に出す。


「呪い? いえ、共に店に入っていた皆さんです」

「……」


 当然、話の主眼はユウたちだ。どうやら、先ほどの語らいは追跡されていたようだった。まったく気がつかなかった。

 恐らく、自分たちの行動が兄の計画の妨げにならないか目を光らせているのだろう。リーベルカは不快げに眉をひそめてみせるが、カダは気にする様子もなかった。


「知り合いでもない生徒と一緒に、ああやってお話はしません」


 突き放すように言うと、カダは口の端をひくつかせた。苛立っているようにも見えるが、これがこの男の笑い方である。


「おっしゃる通り」


 くつくつと喉の奥で笑う。


「あの三人……いえ、ユウ・フタバは我々が確保しようと考えております。どうか手出しなされませんよう……」


 こちらの表情の変化を窺いながら口にする。

 リーベルカは表情を変えないように注意を払ったが、それでも自分の眉間にしわが寄るのを感じた。


 ……この学園を攻めるにあたって最大の難関となる守護結界。それを解除する手立てをまず探ろうとするのは、順当だ。そして順当に、次兄スクエラの一派もリーベルカ同様にユウ・フタバの直接干渉にたどり着いているらしい。

 後ろでホタルが息を呑む様子が伝わる。当然だろう。彼女が学園攻めの話は知らないし、そしてユウとは関係深い人間だ。いきなり知り合いがこんな怪しい男に狙われているなどという話になっていたら、どう考えても驚くだろう。

 だが、カダにとっては従者の反応など価値はないようで、その反応を一顧だにすることはない。


「確保する? あの子たちをどうするつもり?」

「協力していただくだけ。彼の能力……非常に魅力的です。我々の力になってくれるでしょう」


 男の言葉にリーベルカは頷く。たしかに、ユウの力は魅力的だ。だが、ここで頷くのは彼を相手に売り渡すようなことのように感じた。


「強硬策でも取るつもり? あの子の能力がどの程度か確認は取れているの? まずは対話と確認をするのが道理でしょう?」


 既に捕縛すら検討している様子に嫌な汗が流れた。能力を把握できていないのに強硬策に移るのはやめろと言外に伝える。

 だが、カダは気にする素振りはない。


「その確認をするために、協力は必要でしょう」

「それは……」


 リーベルカはそれ以上言葉を継げなくなる。相手は、彼女のようにのんびりと交渉していくつもりはないようだった。

 実際、効率を求めるならばさっさと手駒に加えればいいのだ。相手の事情も感情も全て無視して構わないのならば。


「それは、協力なの?」


 腹芸は苦手だ。自分でも、その声音が不安そうにかすれているのがわかった。

 カダは労わるように目じりを下げてほほ笑んだ。


「何度かユウ・フタバには協力を依頼してきました。ですが、どうやら彼はあまり我々の目的には興味がないようだ。世間一般の協力をもらえないならば、我々流の協力を仰ぐことになるでしょう」


 体を撫でまわすような声音にリーベルカは肌があわ立つ。笑っている時が最も不気味な男だった。

 彼らがリーベルカと知り合いだということは知っていてもなお、方針を変えるつもりはないだろう。何かことを起こす計画でも進んでいるのだろうか。


 リーベルカは無力感を感じる。国の中では姫将軍などともてはやされていても、実際に奮うことのできる力はあまりに小さく、目の前の男の目論見を知っていても砕くことができないことを実感する。

 彼らと争うことはできない。その後ろには自分よりも遥かに権力を持っている兄の姿がある。何かやりうるならば、陰に隠れてやるしかない。


 リーベルカはちらりと視線をホタルに移す。はじめ驚き呆然としていた様子だったホタルは、今は静かな表情で会話の成り行きを見守っていた。その表情は、ユウの直接干渉を尋ねた時の反応にも似ている。彼女にとって、この会話の成り行きは泡を食って聞き逃してはいけないものなのだろう。

 なぜかそんなホタルを心強く感じた。


「それで、私に何を言いたいの?」

「先ほども申し上げました通り、彼らに手出しをされませんように。皇女殿下は何もしていただく必要はありません」


 つまり、蚊帳の外にいろということだ。

 リーベルカはひとしきり考えて、ひとつ息をつく。


「……あなたたちの要求には従いましょう。彼らの力を私の陣営に引き入れることはしません」


 そう断言してみせると、カダは探るように目を細めた。

 先ほどまでは言い込められて焦っていたのが、いきなり落ち着けば意外に思うのも当然だろう。


「ただし、条件があります」

「お聞きいたしましょう」

「簡単なことよ。彼らは私の知り合い。あなたたちが彼らに何を要求するかは知りませんが、彼らの身に危害を加えることは私の名において許容できない。あなたたちが何をしようと勝手だけど、傷をつけるようなやり口は避けなさい」


 リーベルカには相手への指揮権などはない。だが、元々は同じイリヤ=エミール帝国の陣営。内輪もめで争うくらいならば、ある程度要望を聞いて抑えておく方が安心だろう。

 力に差があるとはいえ、やろうと思えば彼らをこの国から追い出すことくらいはできる。皇女の名ばかり威光があるが、その名前の効力はそれなりに有効なのだ。

 相手のやり口は想像がつく。人を消耗品のように考えるきらいのある集団だ。痛めつけて、傀儡とするのが常道だ。ユウやユイリにそんな目にはあわせられない。

 彼らを母国の陰謀に巻き込むことを避けられないのならば、せめて暴力からは遠ざけてあげたい。こう言っておけば、少なくとも二人を従わせるのに暴力を前面に押し出した計画は立てづらくなるはずだ。

 この要求は多少はカダらの選択肢を狭めるものであったはずだ。だが、男はさして考えるでもなく頷いた。


「もちろん、我々も無用な血が流れることは望んでおりません。皇女殿下は安心してこの学園での休暇を楽しんでくださればいい」


 おまえの条件は呑むが、関わってくれるなよ、と言外に言ってくる。

 リーベルカは上品に微笑む。


「そうさせていただくわ。ありがとう」

「リーベルカ様?」

「いいのよ、ホタル」


 何をどう転んでも、彼らがユウを従わせようとするのは避けられないだろう。ならばなんらかの譲歩を引き出すしかない。問題が起きない限り、相手も約束は守るだろう。


「それでは、失礼いたします」


 カダはそう言うなり、去っていく。すうっと人混みの中に溶けるような去り際だった。歩き去るだけなのだが、なぜかそういう印象を与える男だった。

 男の姿が見えなくなると、リーベルカは深く息をつく。大して言葉を交わしたわけでもないのだが、どっと疲れてしまった。

 それに、今後のことを考えると気が重い。


 ユウとユイリ。

 あの二人は狙われている。そして、あまり大っぴらに動かないように釘を刺されてしまった。しばらく彼らに近づくのはやめた方がいいだろう。


「リーベルカ様」


 声を掛けられて顔を向けて、少し驚く。

 ホタルは見たことのない厳しい表情をしてカダの去っていった方を見ていた。


「あの方は、ユウ様のお力を狙っているのでしょうか?」

「……そうね。状況をひっくり返す手でも考えないといけないかもしれないわね。それが無理でも、あの連中が手荒な真似をしないように気を付けないと」


 約束を反故にされる危険はある。注視しておく必要があるだろう。

 学内で帝国の人間が生徒に危害を与えようとしていることが広く知られたら、それも今後の禍根となる。


「リーベルカ様と、敵対しているお人だということなのでしょうか?」

「そうなるわね」


 リーベルカとスクエラ。

 軍の中で存在感を競い合う相手。今回の学園潜入で手柄を争う相手。穏健派と強硬派。敵といって差し支えないだろう。


「わかりました。わたくしも一度、調べてみましょう」


 お先に宿にお戻りください、と声を掛けてホタルがカダの後を追う。

 その足取りは、いつもと違う。だが、時折見せていた、まるで流れる水のような歩き方。陽炎のように感じる、どこか目で追いづらい動き。それは先ほどの、カダの挙動にも似ている。


「ホタル?」

「ご安心ください。わたくしも、心得はございます」


 振り返って微笑むホタル。

 その姿は、城で見つけて無理矢理連れ出した哀れなメイドの姿ではなかった。


「……あなた、何者なの?」

「しがないメイドでございます」


 夜には戻ります、と言い残しホタルは雑踏の中に消えていく。それを呆然と見送って、リーベルカはひとり残された。

 ユウとユイリと思わぬ再会。祖国の諜報員の強硬策の気配。深く考えずに連れてきたメイドの底知れぬ素性。

 事態だけが進み、取り残されているような気がしてくる。


「一体……」


 ホタルを見送って、リーベルカはぽつりと小さくつぶやいた。


「何がどうなっているの……?」











 カダは流れるような身のこなしで、学生たちの行き交う路地を抜けた。

 中央通りの傍、どの路地もそれなりに混み合っているが、彼の行き着いたその通りはしんと静まり返っていた。道の両側は倉庫と寮の用具部屋であり、ほとんど人がいることはない。日差しは建物に遮られ薄暗い。学園の結界の結合部に位置して魔力の検知能力のポケットになっていて、多少の魔法ならば学園に気付かれない。


 そんな通りの奥に、横の建物と壁続きになった目立たない建物。彼らの隠れ家のひとつに足を踏み入れる。

 鍵の解呪魔法を使い中に入ると、小部屋。奥に行く通路の手前に見張りの男がふたり、壁に寄りかかったままカダを見返した。

 互いの視線が交錯し、だが言葉も交わさず通り抜ける。


 会議室として使用している広間に入る。

 中には数人の男がたむろして、回し煙草をして無聊を慰めているようだった。彼らの愛飲する煙草は帝国でしか買えず、少ない手持ちを節約しているのだろう。

 男たちはカダの姿をみとめると、小さく頭を下げた。上官に向かってこの態度は、軍規に照らせば罰則ものだが、お互いそれは気にかけない。

 軍の一部隊とはいっても、実情はほとんど無頼漢の集まりでしかない。


 カダは足を止め、気を抜いた様子の男たちを見下ろす。


「出払っている者には後から伝えるが、計画に変更がある。中にいる人間を集めろ」


 言うと、男たちは返事もせずに散らばっていく。奥の個室にこもっている者を呼びに行ったのだろう。

 カダは自分の指定席である、大テーブルの上座に腰を据える。見慣れた机上のインク染みを見るともなしに眺めながら、先ほどの皇女との会話を思い起こす。


 今の皇族にあって珍しい情の深い娘だ。そして今の情勢では、邪魔な娘だった。

 自らの今の主人、第二皇子のスクエラの命令でこの学園の守りの欠陥を探り始めてしばらく経つ。国民の人気の高い姫将軍が同様の任務を受けて動き出しているのは既に知っていた。

 彼女の目的は自分たちと同じ。ユウ・フタバの結界破りの話を知ったのだろう。直接干渉魔法。人に対しての効きはそれなりだが、既に設置されたり発動済みの魔法に対しては無比の能力を秘めているようだ。

 学園最大の守り、結界を解除するための秘策になりうる特殊な能力だった。

 まったくもって周囲に興味を示さないあの少年と皇女がいつの間にか知己を得ているのは驚いたが、直接の知り合いというよりは、世話役の少女を通しての関係のようだった。

 ユイリ・アマリアス。あの少女を使おうと考えているところも、自分たちと同様。ただし、彼女をどう扱うかの判断は異なるようだが。

 ある程度の強硬策を考えていたが、考え直さねばなるまい。少なくとも、身体に傷をつけるようなやり方はできない。

 リーベルカの権限は大してないが、信奉者は多い。先ほど彼女と交わした約束を無視して事を成し、決定的に対立することは避けなければならないだろう。


「隊長」


 ぞろぞろと男たちが会議室に入ってくる。最近は学園の守備隊やクラブに小突き回されて自由にあたりを動き回るのも気を遣う。思ったよりは多くの者がこの隠れ家に詰めていたらしい。

 カダは小さく頷くと、男たちに座るように促す。


「計画を変更する」


 手短に、用件だけを伝える。


「皇女殿下に釘を刺された。あのお方は我々の対象と友人のようだ。手荒な手段を取ることは避けろ」

「は? 男も女もぶん殴れるって聞いていたから、楽しみにしてたんだけど?」


 ひとりの男が不快げに口をはさむ。こんなことを言い捨てるあたり、この集団の気質が見て取れる。


「やってみろ。その時はお前を殺してやる」


 その言葉は封殺する。既に決まったことへの反論は不要だった。


「例の直接干渉使いは優しくエスコートすることにするのか? それとも計画は順延か中止か?」


 別の男が口を開いた。


 カダは考える。

 学園の結界を揺るがしてみせる今の計画を延ばすことはできない。功を焦るスクエラにせっつかれていて、あの男はこちらの言い分を聞かないだろう。それに、下準備も大詰めを迎えている。今後状況が整うとは限らないし、リスクを呑んで強行する必要があるだろう。


「実行する。だが、変更する必要があるな」


 ここにいる男たちもスクエラが成果を求めていることは知っている。カダと同じ結論に至った者も多いのだろう、動揺はない。


「せっかく見つけた結界の触媒、捨て置くとなったら怒り狂うだろうな、あの男は」

「ああ」


 仲間の一人が言うのは、結界を維持する要素になっている触媒だ。学園の結界は、地下に複数埋め込まれた触媒によって増幅され、その力を保っている。

 先日、その触媒のひとつを学園生として潜入していた同志が発見した。触媒の置かれていた地下空間の場所は仲間で秘匿されたが、何らかの探知魔法が働いているのだろう、発掘された事実はいつの間にか学園に知られ、すぐさま追手がかかかった。

 幸い学園の人間に確保される前に同志を確保し始末することには成功したが、カダたちの存在は相手にも知られることになった。今も、捜索は進められているのだろう。悠長に学園に留まっているのは危険だ。

 今すぐ学園を離脱することが不可能ならば、早くやるべき仕事を終えて帰国してしまいたい。


 それに、触媒の存在以外の下準備も進められている。

 ユウ・フタバに恨みを持つ同級生を子飼いにして彼らを釣り上げる計画だ。


 実際に発掘された触媒を使い、この学園の結界を解除することができるのか。実際にそれを試してみる必要がある。カダたちも触媒に干渉しようとしたが、生半可な魔力ではその強大な効力に干渉することはできず、結局その後は手つかずで放置している。


「今一度、卿のお力を借りる必要があるだろうな」


 ユウ・フタバ。彼は強い。まともに襲撃して連れ去るなどとなったら、あまりにリスクが高い。

 ユイリ・アマリアス。彼女は注意深い。寮や校舎の中を除いて、単独行動にならないように注意しているのは監視を続けていてわかっている。

 両者ともに、警戒心をもって日常を過ごしている。それなりに準備は必要だろう。おまけに実力行使は制限されている。


 カダが口に出した『卿』という人物は、長年にわたり帝国に情報を流しているヴェネト王国の高位司祭だ。今は彼の二人の子がこの学園に生徒として通っているため、保護者として生活の拠点をこの学園の中に移している。

 生臭坊主という言葉すらも生ぬるいほどの背信者で、王国に仕えて帝国に媚び、この学内にあっては怪しげな秘密結社を主宰して勢力を広げている。

 養子に迎えた我が子を娼婦と男娼として働かせている売春組織。そこから根を張り各国に内通者の輪を広げた諜報組織。賭け事の胴元や学園の校則違反クラブの後援、違法薬物の精製に禁忌魔法の研究など、カダをしてなぜそこまで後ろ暗い物事にばかり首を突っ込むのかと不思議になるほどの活動をしている男だった。まあ、目的は金だろう。

 今回のユウを取り込む作戦に際しても内通者を得るために一度彼の協力は仰いでいた。ユウの同級生を完全な手駒に加えるため、一度卿の元へと送っていたのだ。女を抱かせるか、酒を飲ませるか、薬を与えるか、どんな手を使ったまでは知らないが、帰ってきたこの新入生は帝国に忠誠を誓っていた。

 その効き目の高さは強力だ。その要因は篭絡手段にあるだけではなく、卿の能力にあった。

 彼は魔眼持ちなのだ。

 世界的に行使に制限がかけられている精神感応魔法。この魔法は魔眼という特異な魔法適正と相性がいい。今では表立って研究する者のないこの魔法を男は地下で研鑽を続け、今では世界でも有数の洗脳魔法の使い手だろうと目されている。カダもこの男に会ったことはあるが、目通りする前に絶対に目を見てはいけないと仲間から言い含められていた。


 洗脳魔法は呪いの一種。呪いなど、通常の魔法使いからすれば大した脅威ではない。それは魔法使いにとっては常識だ。だが、その常識を覆すほどのものだということは様々な逸話を聞いていたし、彼の下に送り出した人間が精神を歪められて帰ってくるのを見る度に警戒心は更新される。

 卿は帝国にとっては重要な内通者だが、カダにとっては底の知れない恐ろしい相手でもあった。積極的に会いたい相手ではない。

 だが、仕方がないだろう。今回の作戦、力でねじ伏せることが難しいならば異能を頼った方が確実ではある。

 カダがため息をつくと、その吐息の重みも知らない部下たちはへらへらと彼をはやし立てた。


「あの獄炎クラブの主催者様か」

「隊長、洗脳されて帰ってこないようにしてくださいよ?」

「こないだ洗脳されたピノークっつったっけ? あの学生は一回月光姫様がお相手してくれたんだってな」

「あそこの娼館レベル高いよな」

「俺も行ったことあるが、普通に学園生が出てきてビビったわ」


 カダは青白い表情で部下たちを一瞥し、お喋りを止める。


「計画の時は近い」


 この学園に潜入し、既に半年近くの時間が流れていた。既に何かしらの結果を求められる時期に差し掛かっている。

 魔法発表会で学園への訪問客の増えるこの時期は行動を起こしやすく、事を起こせばそれが目立つ時期でもある。

 混乱を、そして進展を、さらにはその先の未来を。


「結界破りのその力、いかほどのものか確かめる時が来た」


 この計画がどうなるのか。その結果、なにが起こるのか。なにもわからない。なにも知らされてはいない。

 だが、求められれば事を起こしてみせよう。


「祖国のために、命を賭せ」


 その宣誓すらもせせら笑うような調子で、男たちは静かに誓いを立てた。

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